そうなると、定年後の人生の楽しみ方を自ら工夫しなければならない。
《略》
一例を挙げれば、先進国のアクティブ・シニアは、
おしなべて資産運用に多くの時間を割いている。
これに集中して、資産が増えれば、一石二鳥だ。
《略》
利殖を共通言語とした勉強会などに通えば、
新しい友人も出来るだろうし、
世界の情勢にも興味が湧いて来るから、ボケ防止にも最適である。
《略》
そうなると、私が先に挙げた《死に対する考え方》に関しても、
より計画性が出てくるだろう。
日本人は、年金すらその30%程度を貯蓄に回して、
死ぬ時が人生で一番リッチ、という壮絶な人種である。
統計に寄ると、今の高齢者は、平均3500万円持って墓場に行くというのだ。
団塊の世代も恐らく《いざという時の為に》貯金をして、
更に生命保険に入っている。
そして、やりたいことも我慢してひたすら貯め込み、
お呼びが来るのを待つというパターンに陥る人が殆どだろう。
しかし、人生を楽しむ原資はあるのだ。
定年後の人生の目的を見つけ、
葬式代と若干の余裕を残す以外は、見事にカネを使いきり、
『俺の人生は、最高だった』
と言って、自ら設計・購入した墓に入っていく。
《略》
要は最後の20年ぐらいは、
群れないで自分で生き方を決めるぞ、
という覚悟が出来るかどうかだ。
今までは周囲に迷惑を掛けることを恐れる余り、
自分が好きなように生きるマイライフという意識はなかった。
《略》
団塊の世代は、あと数年後に迫った定年を真剣に捉え、
自分自身の長期事業計画を描き、
それを確実に実行していくべきだ。
《略》
幸福か不幸かを決めるのは、
自分だということをはっきり認識し、
自らの将来を切り開く勇気を持ってもらいたすものだ。
以上、大前研一・氏の歯切れ良い、明確な提示である。
私は幸か不幸か解らないが、55歳の直前に出向となったので、
家内と我が家の人生設計の見直しを余儀なくされた。
資産と自分達は何をしたいのか、徹底的に話し合い、
定年までの5年間で若干の修正をしてきた。
この間は、自己意識が無くなった時は安楽死、
親族のみの葬儀、そしてお墓は樹木葬・・と家内と話し合ってきた。
私達は定年後、まもなく2年を迎えるが、
ほぼ私達が創造した路線を歩んでいる。
予測出来ない出来事は、親の介護が数多くの人々の問題として、
残っている。
よく団塊の世代の人々の一部の方は、親の資産を受け継ぐのだから、
資産の面では楽観視される人もいる。
いざ親御さんが介護の身となった場合、経験者でないと、
大変さが切実に解らないと思う。
私は家内の父が亡くなった時、
僕達の世代が親を面倒みる最後の世代だ、
と家内と話し合ってきた。
私達夫婦には、親としては、家内の母だけとなったが、
ときおり3人で国内旅行に行ったりしている。