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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

定年後、最も魅了されたクラシックの珠玉曲は・・。

2010-07-27 16:22:37 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
音楽の楽譜も読めなく楽器もさわれない拙(つたな)い男であるが、
何よりも読書を優先するが、ときには映画を居間で観たり、そして音楽を聴くのも好きである。

このようなに日常生活を過ごしたりしているが、
定年退職後、多く聴いた曲は、と先程ぼんやりと振り返ったのである。

私は音楽に関してはオペラとジャズは苦手であるが、
クラシック、ハード・ロックから歌謡曲まで聴いたり、抒情歌も聴いたりしている。
そして、ときにはクラシックの珠玉のような数多くの名曲を聴くこともある。

このような珠玉曲を5分間ばかり思い浮かべと、やはりねぇ、と微苦笑したのである・・。

イギリスの作曲家のひとりでエルガーが『朝のあいさつ』と題した名曲を遺(の)こされているが、
この曲を特にサラリーマンを卒業した定年退職後の生活で最も多かったのである。

私は農家の三男坊として生を受け、小学低学年まで農家の児として育てられたが、
父が病死し、祖父も亡くなったので、生家は衰退し、一時は生活に困窮した時代もあったりした。

この曲を聴くと、イギリスの田園風景の中で、程ほど大きな邸宅の裕福な家で、
朝のひととき優雅な情景を私は重ねてしまうのである。

私は幼年期の劣等感、そして身過ぎ世過ぎの年金生活を過ごしている今、
せめて心の中だけでも優雅な裕福のひととき・・と思っているせいか、
この曲を聴く時が多いのである。

http://www.youtube.com/watch?v=BSv3iApK3DQ
☆EDWARD ELGAR: Salut d'Amour☆

http://www.youtube.com/watch?v=Ch8WwEAV3aI&feature=related
☆ELGAR - "Salut d'Amour"☆ ヴァイオリン

同じ曲があるが、演奏に関してはその日の思いで、聴いている。


そして、恥ずかしいことを告白すれば、
私はレコード会社の情報畑、管理畑を長らく勤めた身であったが、
現役時代は無知であったが、定年後にブログの世界を知り、
まもなく30歳前後の女性から教示された珠玉曲がある。
アルビノーニの『アダージョ』である。

私は現役時代はクラシックに関しては、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、
そしてベートーヴェンのピアノソナタの『悲愴』、『月光』、『熱情』が好きであり、
何百回を聴いたりしていた。

定年後はアルビノーニの『アダージョ』が加わっている。
私はこの曲を聴くたびに、
まぎれない美に触れ、作曲家の想いに深く立ち入れる時もある。

そして私のその時の心に動きにより、美はするりと逃げ去られたり、
ただのはかなさしか享受出来ないこともある。

この曲は確かな美の結晶であるが、
私のその時の心境により移ろう不思議な力が存在する。

美はこのように魔力を秘めている。

このようにアルビノーニの『アダージョ』に魅了され、
私は何百回も愛聴し、私が死去した時のセレモニーの時は、
この曲も加えてほしい、と家内に云ったりしている。

http://www.youtube.com/watch?v=u7G7QvydK4A&feature=related
☆ アルビノーニ  アダージョ ト短調   情景は箱根美術館 ☆


☆===========================☆
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日記<br>

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懐かしき『小柳ゆき』の唄声を聴き、思わず私は・・。

2010-01-29 17:53:36 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ4日間は佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』(文藝春秋)を再読していたのであるが、
私なりの敗戦前後から昨今までの思いを重ねながら精読していたので、
不規則な睡眠時間となったりしていた。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163717906
☆ 文藝春秋  佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』 ☆

このように熱中していて過ごしていたのであるが、いつものように散策と買物はしていた。

本日は昼下がりに、買物に行ったのである。
我が家の最寄にはスーパーが二軒あり、特売品などの関係で、
殆ど二軒を廻って、買物をしているのが、年金生活から買物担当している私の責務となっている。

一軒の方は、ディスカント風の格安品の多く品ぞろえしているスーパーであり、
店内に音楽が流れていることが多いのである。
私は年金生活を始めた5年前の頃は、
40、50代の女性が若き頃に流行(はや)った1970、1980代の歌が流れていることが多く、
私は殆ど知っているので、微笑んで聴いたりしていた。

ここ数年は若き世代から35歳ぐらいまでが聴く最新の流行音楽が流れることが圧倒的に多く、
私は無念ながら、半分ぐらいしか判らないのである。

このように店内の曲も変貌してきているが、
今日、陳列棚の品物を眺め、確認していると、

♪壊れそうな 明日に向かい
 信じあう 奇跡を

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

店内から、歌が流れてきたのである。

私は懐かしげの唄声と感じながらも、曲名が思い出せないのであった。

♪傷ついた翼ひろげ
 飛びたつ true heart uh yeah Hey

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

そして、小柳ゆきちゃんの歌だ・・と思い出せたのである・・。


私は、小柳ゆきに関しては、私なりに深い思いがあるので、
【 2000(平成12)年、小柳ゆきに熱中・・♪ 】
と題して、2007年3月10日にあるサイトに投稿している。

【・・
昼過ぎ、何気なしにX JAPANと小柳ゆきが聴きたくて、
先程までCDを取り変えりながら、ある程度の音量を上げて、聴いていた・・。

私が勤めていた現役時代は、レコード業界のひとつの会社であり、
1998(平成10)年をピークに業界全体が次第に縮小したので、
この前後からそれぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。

こうした中で、私の勤務した会社も組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職、
このような形で同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
中には業界から去った人も数多くあった。

そして、私は本社勤務の管理畑を30年近く勤めていたのであるが、
出向となり、ある物流情報会社に勤めたのは、
1999(平成11)年の春で55歳を迎える年であった。

不馴れな音楽商品のCD、DVD、カセット、ビデオテープ等の商品センターの現場もさることながら、
何で俺が・・、と言う気持ちがあり、数が月は私なりに失墜感があった・・。

都心の本社から、遠方の物流倉庫で周辺も物流倉庫が数多く並んでいる場所であり、
世にいう都落ちの感であった。
何より、出向というのは、本社の戦力からは不必要の烙印であり、私はうつろな心情であった・・。

このような時は、長い通勤の途中、私はビジネスバックに、
親しんできたX JAPANのアルバム5枚前後持ち歩き、CDウォークマンで聴いたりしていた。


9月の初旬、休みの日曜日に偶然にテレビの音楽番組の新人紹介コーナーで、
『あなたのキスを数えましょう ~ You were mine ~』を唄う若い女性歌手を視聴し、
上手すぎる、と正直うろたえたのである。
そして、清潔感はないが、破格の歌唱力で唄う人は、小柳ゆき、
という名を知り、魅了されたのである。

翌年の2000(平成12)年の4月頃になると『愛情』が街に流れ、
そして5月にアルバムが発売になり、『明日に架ける橋』などのカバー集であった。
7月に『be alive』が盛んに街に流れ、
そして8月にオリジナル・アルバムの『EXPANSION』を新譜予約していたので、
発売日の前日に手にし、よく聴いていた・・。

退社直後の8時過ぎ、暗い物流倉庫の立ち並ぶ夜道でバス停まで歩きながら、


♪壊れそうな 明日に向かい
 信じあう 奇跡を
 傷ついた翼ひろげ
 飛びたつ true heart uh yeah Hey

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】


♪出会った頃と 同じ季節(とき)が来て
 やっと2人で 歩き出したの

【『be alive』  歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

この2曲は好く聴いたり、小声で唄ったりし、或いは心の中で唄ったしていた・・。

小柳ゆきもこのアルバムはミリオンとなり、
各地でライブ公演をして、私はWOWOWで視聴しながら、ビデオに収録したり、
DVDのライブ盤を購入したりした。

私がこの2000(平成12)年で熱中したのは、まぎれもなく小柳ゆきであり、
このお方の曲から私は限りなく励まされた・・。


尚、小柳ゆきの所属するレコード会社は、
無念ながら私の勤務した会社とは関係がなく、他社の専属契約の歌手である。
・・】

このように投稿していたのであるが、
たったひとつの歌によって、その人の人生の苦渋のはざま、励まされ、ときには救われることがある。

私は40代の時は、中島みゆきの歌の数々であり、女神のように深愛したが、
50代の後半の初め、出向となり、うつろな時期、その後も小柳ゆきの歌の数々に救われ、最後の女神かしら、
と微苦笑することが多いのである。


私は買物の帰路、このような心情であったせいか、

♪いつまでも この想いは
 変わらぬまま 必ずここにあるはず
 遠すぎる 見えない答え
 だけど2人 探しつづけた

【『be alive』  歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

心の中で唄っていた。



http://www.youtube.com/watch?v=PS97xL6vATM
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

http://www.youtube.com/watch?v=qYCONPmRjNc
【『be alive』  歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】




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この時節、私の心の歌は、『冬景色』・・。

2010-01-15 09:42:22 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
いつもように日の出前の6時半過ぎに起床し、
パジャマを脱ぎ、素肌となった後、パンズと長袖の下着の上に、
防寒用の長ズボン、冬用の厚手のスポーツシャツ、そして足袋を穿(は)いて、半纏(はんてん)を羽織った・・。

この時節、私のいつものように家にいる時の衣服である。
今朝、着替えていたら、寒いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。

しばらくした後、地元の天気情報を眺めていたら、
朝の6時はマイナス3度、昨日のマイナス4度に続き、寒い朝となりました、
と報じていた。
そして、私は主庭のテラスに下駄を履いて下り立ち、冬木立の樹木を眺めたり、
庭の片隅の霜柱に見惚(みとれ)れていた。

この後、朝の陽射しが射し込んで、霜柱がキラキラと輝きを帯びて、
私は思わず、心の中でひとつの歌を唄ったりした。

♪さ霧(ぎり)消ゆる湊江(みなとえ)の
 舟に白し、朝の霜。
 ただ水鳥の声はして
 いまだ覚(さ)めず、岸の家。

【『冬景色』 作詞・作曲 不詳  文部省唱歌 】

私の幼年期、私の住む地域でもこの当時は、
田畑が広がり雑木林もある緑豊かな農家の児として育ち、私は心のふるさとの限りない情景として、
齢を重ねるたびに愛惜が深まっている。

このような心情があり、

♪烏(からす)啼(な)きて木に高く、
 人は畑(はた)に麦を踏む。
 げに小春日(こはるび)ののどけしや。
 かえり咲(ざき)の花も見ゆ。

【『冬景色』 作詞・作曲 不詳  文部省唱歌 】


作詞はどなたが創られた不明であるので、この創られた方に心を寄せたりし、
ときおりこの歌を聴いたりすると、どなたが歌っても、私は涙ぐんでしまう時が多い・・。

遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解らない。

何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。

私は詩の世界は理解する素養はないが、
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は解るつもりである。


http://www.youtube.com/watch?v=2uMm3fJV2NA
【『冬景色』 作詞・作曲 不詳  唄・岩崎宏美 】



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寒い夜は、石川さゆり・・ちゃんの『ウィスキーが お好きでしょ 』の唄声と共に・・。

2009-12-18 18:43:30 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
今朝の6時過ぎはわずか1度であり、
昼下がりは8度前後で冬晴れとなったが、北風が吹く寒い一日となった・・。

私は夕刊が配達されたので、玄関の軒下まで取りに行ったのであるが、
少し寒いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして何気なしに、

♪ウイスキーがお好きでしょ
 もう少ししゃべりましょ

【『ウイスキーがお好きでしょ?』 作詞・田口俊、作曲・杉 真理、唄・石川さゆり】

と唄いだしたのである。

もとよりサントリーのウィスキーの宣伝として、石川さゆりちゃんが唄っているのであるが、
無念ながら、さゆりちゃんのように色艶(いろつや)のある唄声でないのである。


私の現役時代の確かに平成の初めの頃に、
蒸気機関車の走るシーンもあり、サントリーのウィスキーの宣伝として、
この唄声が流れていた。
最初に聴いた時、石川さゆりちゃんかしら、と思いながら、
色艶のある声と妖艶を感じ、魅了させられた・・。

そして私は演歌の女性歌手として優れた石川さゆりをウィスキーの宣伝に起用した担当の方たちに、
思わず脱帽したのである。
そして何故かしら、ウィスキーを購入してしまったりしていた。


先程、さゆりちゃんの色艶のある声が聴きたくて、【YouTube】にお世話になっている。

http://www.youtube.com/watch?v=RU4l9W6kjj4
☆ 1991 『ウイスキーがお好きでしょ?』初代CM (サントリー クレスト12)☆
【『ウイスキーがお好きでしょ?』 作詞・田口俊、作曲・杉 真理、唄・石川さゆり】

今回の改めて広告を見たのであるが、
若き女性たちの微笑み、しぐさが映っているのであるが、
私は齢を重ねたせいか、若き女性よりも、
ただ、石川さゆりちゃんの色艶ある唄声に魅せられている。、

♪ウイスキーがお好きでしょ
 もう少ししゃべりましょ
 ありふれた 話でしょ
 それで いいの 今は

     (略)

♪ウイスキーがお好きでしょ
 この店が 似合うでしょ
 あなたは 忘れたでしょ
 愛し合った事も

【『ウイスキーがお好きでしょ?』 作詞・田口俊、作曲・杉 真理、唄・石川さゆり】

そして、寒い夜のひととき、さゆりちゃんの色艶ある唄声に聴き惚れると、
何故かしら、暖かくなるのである。


留意)私はサントリーとは関係なく、あるレコード会社に勤めた身で、
   残念ながら、石川さゆりちゃんも他社専属の人でした。


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高齢者の私、今年一番心の中で唄った曲は、GReeeeNの『遥か』・・。

2009-12-15 23:11:44 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の高齢者に入門した身であるが、
日頃は小説、随筆、現代史などの読書を愛し、そして居間で映画を観たり、
音楽も聴いたりしていることが多いのである。
そして、日常の買物は私が担当し、散策もしながら、四季折々の情景に心を寄せて歩いたりしてる。

私は初夏の頃、格安スーパーで買物をしていたのであるが、
店内から流れる曲に思わず陳列棚の商品の手を止めて、聴きはじめたのである・・。

♪ 窓から流れる景色 変わらないこの街  旅立つ
   春風 舞い散る桜 憧ればかり強くなってく
  「どれだけ寂しくても 自分で決めた道信じて、、、」

【『遥か』 作詞、作曲、・唄 GReeeeN 】

この歌詞を聴いた時、少し身震いするほど、魅せられたのである。

そして夏から秋、散策のひととき、人影の少ない時、
私は小声で唄ったり、心の中で唄っていたのである。


私は定年退職の2004(平成14)年の秋の後は、殆ど以前の2002(平成14)年の頃までの曲を聴いたり、
唄ったりすることが多い。

年金生活になってからは、絢香ちゃんの『三日月』、いきものがかりの吉岡聖恵の唄声に魅せられて『帰りたくなったよ』、
この2曲は少なくとも百回以上は熱愛したが、無念ながら若き女性向けの歌声であり、
唄えなかったである。
やむえず、徳永英明さんが採り上げた一青窈さんの『ハナミズキ』等を、
私なりに心の中で唄うことが多かった。


♪気づけばいつも誰かに支えられ ここまで歩いて
 だから今度は自分が 誰かを支えられるよう

【『遥か』 作詞、作曲、・唄 GReeeeN 】

このような歌詞に魅せられて、私は晩秋、初冬を迎えた今も、
秘かに唄うことが多い。


昨今のアーティストの中で最も人気のあるGReeeeN、
そして映画の『ROOKIES ~卒業~』主題歌としても使用されたと知ったのは、
恥ずかしながら夏が終った頃である。

しかし高齢者の私にさえ魅了させられ、熱愛した曲は、
世代を超えた歌のひとつであり、確かな名曲と確信を深めている。


http://www.youtube.com/watch?v=fSOpZkRpCqo
☆ 【『遥か』 作詞、作曲、・唄 GReeeeN 】 ☆



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バブルガムブラザーズの『WON’T BE LONG』は、まぎれもなく燦然と輝く名曲・・!!

2009-12-13 19:05:11 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、NHKのBS2で『BS2 日本のポップ&ロック大全集』を視聴したのである。

8時から12時までの4時間番組であったが、
私は現役時代にあるレコード会社の管理畑に35年ばかり勤めたので、
興味と懐かしい時代の曲に心を託すつもりで視聴したのである。

少し残念ことは、家内と夕食を頂いていたので、最初の一時間は観られなく、
あくまで9時過ぎから3時間を視聴したことを前提とし、一番魅了された曲を発露する。

大友康平、ばんばひろふみの両氏、そしてNHKの江崎史恵さんの司会で進められ、
ゲストとして音楽評論家の田家秀樹(たけ・ひでき)氏が解説をまじえ、
日本の1970年代からの日本のポップ&ロック史上の数多く名曲を放映された番組であった。

中島みゆき、井上陽水はもとより、吉田拓郎、ユーミン、矢沢永吉、チューリップ、
松山千春、浜田省吾、尾崎豊、REBECCA、ハウンド・ドック、サザンオールスターズ、徳永英明・・等、
いずれも独立して公演を開催できる有力なアーティストの歌を聴いたりしたが、
何より魅了させられたのは、バブルガムブラザーズの『WON’T BE LONG』のスタジオ・ライブであった。

昨今、政治は混迷、外交・軍事の不可解な決断のまどろさ、経済は悪化、雇用の酷さ、
そして社会の劣化・・このような世情を裏打ちされたかのようなダンス・ミュージックのはじける曲に、
私は叩きのめされるように感じながらも感動をしたのである。

もとより、この名曲は1991(平成3)年頃に発売された曲と記憶しているが、
ダンス・ダンス・ミュージックの先駆者であり、
現在の社会に、これ以上的確に表現された曲はない、と思いながら、
確か江戸時代にも庶民が群れとなし、狂うように踊り歩き廻った集団がいた、
と想い浮かべたりし、
私は微苦笑させられたのである。


http://www.youtube.com/watch?v=A_ju7ZGEVIc
☆【『WON’T BE LONG』作詞・作曲・Bro.KORN、唄・バブルガムブラザーズ】☆

注)昨夜、NHKスタジオ・ライブは、これ以上熱気につつまれ圧巻であった。



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年金青年の私は、若い人の聴く音楽テストに敗退・・!?

2009-11-21 21:44:33 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
若き頃の東京オリンピックが開催された年、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
民間企業に何とか中途入社できたのは、1970年の春であった。
まもなく外資系の新設されたレコード専門会社に転籍させられ、
音楽制作に直接関係のない管理系の商品、情報、経理、営業、物流などを体験して、
2004年の秋に定年退職した身である。

文学、映画に続いて音楽は興味があったが、
入社当時は殆ど音楽の曲も無知なグループに属していた。
もとより管理系の分野を勤めていたが、この中には多少の音楽知識とセンスが問われることが多く、
私なりに入社後、給料を頂くたびに自社、他社を問わず、毎月少なくとも3枚のアルバムを購入したりしていると、
魅了されるアーティストに熱中し、買い揃え、夢中になって聴いたりしてきた。

定年退職後、音楽棚を整理したら、レコード、カセット、CD、DVDは、
この間に知人に程々に差し上げたりしたが、概算3000枚となっている。

最近、年金生活の6年生となり、定年退職後は年に数枚のCDを購入したり、
ここ数年は、ときおりパソコンで【YouTube】で、
まぎれなくレコード業界はパンドラの箱が開けられた、と驚きながらため息まじりで聴いたりしている。

音楽を聴くのは居間で、かってはプリアンプ、メインアンプ別のオーディオなどの装置で聴いていたが、
恥ずかしながら昨今は、CDラジカセとなっている。
ときおり外出で音楽を聴きたい時は、無念ながら携帯電話も使えず保有していないので、
CDウォークマンで聴きたいCDアルバムを5、6枚持ち歩いている。

そして、定年退職後、魅了させられたアーティトの曲は、
たまたまラジオを聴いて、綾香ちゃんの発売日前の『三日月』であったり、
テレビで観たコブクロの『赤い糸』、
旅行先のドライブインで偶然に聴いたいきものがかり『帰りたくなったよ』の吉岡聖恵ちゃんの唄声であったりした。
こうした曲にめぐり逢うと、その後しばらくの間は毎日聴いたりし、
少なくとも百回以上は聴くことになり、私の物狂いシーズンとなっている。

こうした年金生活をしているが、昨日のひととき、
音楽業界のサイトのひとつとして【MUSICMAN】があるが、
ある記事をたまたま読み、昨今の若い人が聴いている曲を少しばかり私自身をテストしょう、
と戯(たわむ)れたのである。

 《 レコチョク、着うたフル5年間総ランキング発表 》

と題された見出しであった。


無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
[ビジネスニュース]
2009年11月19日 Musicman編集部

株式会社レコチョクは、「着うたフル」サービスが始まって6年目に入る11月19日(木)、
自社が運営する月額基本料無料の「レコチョク フル」にて「着うたフル」5年間総ランキングを発表した。

1位は、「着うたフル」のダウンロード数でギネス・ワールド・レコーズに
「Best selling download single in Japan」(日本で最も多くダウンロード販売されたシングル)として正式認定された、
GReeeeN「キセキ」(2008年6月4日配信開始)が獲得。

GReeeeNは、ブレイクのきっかけになった代表曲「愛唄」(2007年5月16日配信開始)も2位と、
1・2位を独占する形となった。

3位には、レコチョク史上最速43日で「着うたフル」100万ダウンロードを達成した、
青山テルマ「そばにいるね」(2008年1月23日配信開始)がランクインした。

20位までのランキングは以下の通り。

●「着うたフル」の歴史を振り返る、5年間総ランキング
1位「キセキ」GReeeeN
2位「愛唄」GReeeeN
3位「そばにいるね」青山テルマ feat.SoulJa
4位:「Lovers Again」EXILE
5位:「三日月」絢香
6位:「蕾(つぼみ)」コブクロ
7位:「Ti Amo」EXILE
8位:「ここにいるよ feat.青山テルマ」SoulJa
9位:「Prisoner Of Love」宇多田ヒカル
10位:「桜」コブクロ
11位:「マタアイマショウ」SEAMO
12位:「プラネタリウム」大塚 愛
13位:「君のすべてに」Spontania feat.JUJU
14位:「Flavor Of Life」宇多田ヒカル
15位:「遥か」GReeeeN
16位:「崖の上のポニョ」藤岡藤巻と大橋のぞみ
17位:「千の夜をこえて」Aqua Timez
18位:「永遠にともに」コブクロ
19位:「明日がくるなら」JUJU with JAY'ED
20位:「LIFE」キマグレン

●レコチョク フル (http://recochoku.jp/f/)
・i モード:i Menu⇒メニューリスト⇒着うたフル
・EZweb:au oneトップ⇒カテゴリ検索⇒着うたフル・ビデオクリップ
・Yahoo!ケータイ:メニューリスト⇒着うたフル
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私はこのベスト20位を眺めて、八割は聴いたことがあるが、
魅了された曲は五曲ばかりであった。
もとより携帯電話から選定された曲で、圧倒的に多い若い世代からと思われ、
40代以上のお方たちは音楽を聴き、魅了されたならばCDを購入して聴く世代、と私は思っている。

従って、若い世代の人たちから、ここ5年間に最も愛聴された曲とも明言できる、と思ったりしたのである。

私は素直に振り返ると、若い人々の10代の後半から30代の多くの人たち・・
私は齢ばかり重ねた65歳の私であり、
少しばかり若い感性と感覚があると自負していたのであるが、
無念ながら敗退かしら、と苦笑したのである。

そして、悔(くや)し紛(まぎ)れに、1950年代から2004年までの少しばかりの名曲は、
その当時に実感して聴いてきたよ、心の中で呟(つぶや)いたりしたりしている。



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私は思わず、中島みゆき様の『黄砂に吹かれて』を心の中で唄えば・・。

2009-11-06 11:22:20 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過ぎし11月2日の朝、読売新聞の朝刊を読んでいたら、思わず微笑をしたのである。

秋の褒章が政府より発表された中で、紫綬褒章を受賞された数多くの著名人の中で、
私は興味を持ったのは、シンガー・ソングライターの中島みゆきさん、作曲家・久石譲さんであった。
何かしら紫綬褒章という褒章は、学術、芸術上の発明、改良、創作について事績著名な者に授与される、と政府は明記されているが、
両氏は長年に音楽の創作をされ、多くの方に感動、そして感銘さえ与えたのであるから、
私が政府の選定委員であったならば、少なくとも文化勲章を贈呈するぐらい功績のある両氏である。

このような思いで、私は紫綬褒章を受賞された両氏のコメントされた記事が掲載されていたので、
私なりに深く精読した・・。

無断であるが読売新聞の記事を転記させて頂く。


   シンガー・ソングライター 中島みゆきさん(57)

思いがけずうれしいことの表現に「棚からボタ餅」と申しますが、
今の私の気持ちは、ボタ餅どころではございません。
「棚から本マグロ」。
これくらいのの驚きでございます。

ふつう、何かをいただけそうな場合は、まあ2度くらいは辞退して、
それでもとおっしゃるなら頂戴するのが、日本人の奥ゆかしいマナーなのでございましょうが、
この度のような褒章となりますと、
到底「ふつう」ではないことですので、即座に「いただきます!」とお返事しました。

お世話になってきたたくさんの皆様に、心より感謝申し上げ、
これを励みに、より一層、元気いっぱい歌い続けて行きたいと思います。

注)記事の原文をあえて改行を多くした。

私は中島みゆき様らしいユーモアをまじえながらのメッセージに好感した。


     作曲家 久石譲さん(58)

(略)

作曲については、
「昼過ぎに仕事場へ入ると、夜には世の中に存在しなかった曲ができあがる。
それが素晴らしい」
と語る。

(略)


この方には私はたまたまレコード会社の管理畑に勤めていたので、
たった一度だけロービーでお会いし、謙虚の人、と私は感じた人であった。
今回のこの方の作曲の思いこそ、どの世界の創作者の根底にある哲学であり、
私は素直に創作者に敬意を深めたのである。


翌朝の『文化の日』にいつものように、読売新聞の編集手帳を読んでいたら、微笑をしたのである。

この記事と同一が、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
無断ながら転載させて頂く。


11月3日付 編集手帳

村を出ては戻り、ふるさとに愛憎を抱く中年女性みどり(林美智子)が、
幼なじみの五郎(田中邦衛)と酒を飲み、つぶやく。
「中島みゆきって、いくつなンだろ」

テレビドラマ「北の国から」(脚本・倉本聰)第16話のひとこまである。
「何ともたまンない歌なンだよね」と、中島さんの「異国」を口ずさむ。
〈忘れたふりを装いながらも/靴をぬぐ場所があけてある ふるさと〉。
こういう人生の陰翳(いんえい)を歌にできる人は何歳なのだろう、と。

ドラマの放送は28年前、歌が作られたのはさらに前、中島さんは二十代である。
ひとの何倍も生きてきたような、ありとあらゆる心の傷を経験したような、
当代の“歌姫”には不思議な趣がある。

中島さんが紫綬褒章に選ばれた。
驚きはボタ餅以上、棚から本マグロでございます――と、喜びのコメントにある。
「わかれうた」「時代」「悪女」「地上の星」…記事を読みつつ、
唇によみがえらせたメロディーは人さまざまであったに違いない。

本マグロを栄養にして、みどりのセリフではないが、
胸のうずく「何ともたまンない歌…」を、また聴かせてくれるだろう。

(2009年11月3日01時35分 読売新聞)

注)記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20091103-OYT1T00117.htm

私は『編集手帳』を綴られた方は、50代の人かしらと思い、
解かる人は解かるよなぁ・・と深く共感したのである。


この後、年金生活の私は買物専任者の身であり、
いつものように家内よりスーパーのチラシに購入対象商品に赤丸の印を付けもらい、
駅前に向かい出かけたのである。

いつもより早い9時半過ぎであったが、先着XXX様までの購入対象商品が多かったので、
気をしきしめながら大通りの歩道を歩きだした・・。

陽射しのまぶしい中、車道と歩道の境界線に植えられた薄紅色に染められたハナミズキの樹木を幾重に眺め、
祭日の朝のせいか、人影も少なく私は思わず心の中でひとつの歌を唄っていた。

♪黄砂に吹かれて 聴こえる歌は
 忘れたくて忘れた 失くしたくて失くした

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 唄・中島みゆき 】

私はどうして中島みゆきちゃんなの、と思いながら、
紫綬褒章を受賞された中島みゆきさんのメッセージと『編集手帳』の記事が脳裏に残っていたので、
こうしたことが心に発露されたのかしら、と微笑んだのである。


♪眠りを破って 聴こえる歌は
 わかっているつもりの 紛らせてるつもりの
 ひとつだけの歌

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 唄・中島みゆき 】

そして私は、心の中で唄いつづけて、駅前に向ったのである。


http://www.youtube.com/watch?v=j-Wnr6d7PWQ
☆【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 唄・中島みゆき 】☆


尚、私はこれまでの人生の折り目に何かと中島みゆきさんの歌にささえられて、
幾多の困苦も乗り越えてきたので、このサイトに於いても数多く投稿しているひとりである。


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はしだのりひことシューベルツの『風』、若き天才たちの残された歌・・♪

2009-10-29 00:18:20 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、家内と共に遅い昼食を頂いた後、
家内は独りで台所でラジオを掛けながら、皿洗いなどをしていた。

私は午前中のひととき、秋日和の中、スーパーに二軒ばかり買物を終えて、
昼食を頂いた後だったので、
居間でのんびりと主庭の秋めいた雑木を眺めたりした。
昼下がりの陽射しが燦燦の樹木の枝葉を照らし、時が止まったように静寂なひとときであった。

こうしている時、台所のラジオから流れてくる歌に耳を傾けたのである。


♪人は誰も ただ一人旅に出て
 人は誰も ふるさとを振りかえる

【『風』 作詞・北山修、作曲・端田宣彦、唄・はしだのりひことシューベルツ 】


私は年金生活の65歳の身であるが、
ときおり、この歌を聴くたびに、この歌がヒットした1969(昭和44)年の頃を思い出される・・。

この頃の私は、東京オリンピックが開催された年に大学を中退し、
映画、文学青年の真似事に彷徨(さまよ)った後、
コンピュータの専門学校で一年間を学んでいた時期である。
何とか技術を習得した上で、民間会社に中途入社をしょうとした時であった。

この歌が街に流れていたのを何気なし最初に聴いた印象は、
うまく人生を切取った歌と感心しながらも、
作詞、作曲をされた両氏が20代の前半で私と同世代あったことに、驚いたのである。


♪ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
 そこにはただ風が 吹いているだけ
    人は誰も 人生につまずいて
    人は誰も 夢破れ振りかえる

【『風』 作詞・北山修、作曲・端田宣彦、唄・はしだのりひことシューベルツ 】

その後、私は1970(昭和45)年の春、何とか民間会社に中途入社するのであるが、
この歌の背景に関して、この時になって遅ればせながら知った時である。

1963(昭和43)年に、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修、端田宣典、加藤和彦の3人で
作られた桁外れの異色の『帰って来たヨッパライ』が、空前の大ヒットをし、多くの大人たちも驚かせた。

この中のひとりの端田宣彦が作曲として、この歌以前の19歳の時に初めて作曲された歌が『風』であった。

そして、この歌の作曲を終えた後に、北山修が作詞された上て、
端田宣彦(はしだのりひこ)が越智友嗣、杉田二郎、井上博の3人と共に結成したのが、
世に知られた『はしだのりひことシューベルツ』であり、、大ヒットした歌である。

人生に於ける40代の半(なか)ばで、過ぎ去った人生を返りみる表現は、
どの世界の作品に数多くみられるが、
20代の前半で作詞・北山修、作曲・端田宣彦の両氏は、
まぎれない天才という賞賛の言葉が相応(ふさわ)しい、と思ったりした。

この私なりの評価は、40年過ぎた今でも、決して変わらないのである。



http://www.youtube.com/watch?v=4UaiSsD6ByM
☆【『風』 作詞・北山修、作曲・端田宣彦、唄・はしだのりひことシューベルツ 】☆


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昼下がりのひとときは、セリーヌ・ディオンを視聴し・・。  

2009-10-24 16:48:51 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
先程、【You Tube】でセリーヌ・ディオンの20数曲を視聴したのであるが、
やはりセリーヌ・ディオンはスタジオ録音、そしてプロモーション・ビデオよりは、
圧倒的に魅了されるのはライブ版かしら、と確信を深めたりしたのである・・。

私はセリーヌ・ディオンに魅せられて、このサイトに於いても幾度か投稿しているが、
この中のひとつの【年金小父さんでも、ときには、セリーヌ・ディオン・・♪】、
今年の4月下旬に投稿した大半を掲載する。

【・・
(略)
私は洋楽は苦手な分野であるが、
ときおり1950年代~2000年の頃までを聴いたりしているが、
街中の洋楽ファンより無知な方である。

昨日の深夜11時過ぎに、たまたまビデオ棚より、セリーヌ・ディオンのライブ版を視聴したりした・・。


1997年に公開された映画の『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』に於き、
音楽ファン以外にも世界的に魅了させ、認知させた歌姫である。


http://www.youtube.com/watch?v=saalGKY7ifU&feature=related
『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』プロモーション・ビデオ


私が視聴したのは、このテーマ・ソングの以前の『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)と、
以降の休業直前、大スターさえもあこがれのニューヨークにあるラジオシティ・ミュージック・ホールに於ける
『HOLY NIGHTU LIVE』である。

短絡的に云えば、世界の頂点のまじか、そして頂点の直後のビデオである。

洋楽に関しては、知らないことが多過ぎるが、
特にアメリカ音楽はプロデューサーの力量いかんで、と周知されている。

今や伝説のひとつとして、セリーヌ・ディオンが12歳の時、
音楽マネジャーをしていたレオ・アンジェリルが彼女の才能と歌声に魅了されて、
自宅を担保としてデビュー・アルバムの資金を調達したことで知られている。

そしてフランス語のアルバムが成功し、ケベック地方のスターとなり、
数多くツアーの勧誘があったが、
この才能をつぶされてしまうのはほしい、
とレオ・アンジェリルは断り、破産の宣告を受けたのである。

これ以降は、セリーヌ・ディオンに英語を習得させ、
著名な音楽演奏、関係者との機会を与えて、ショウ・ビジネスの頂点の一角に導いた、
と私は思ったりしている。

そして何よりセリーヌ・ディオン自身が不断の努力で、ハイトーン・クリアー・ヴォイスの歌声、
そして肝要な歌詞の表現力に磨きをかけたことは云うまでもないことである。

私は未熟でつたない洋楽歴に於いて、
このお2人の二人三脚の成功ぐらい他の例は知らないのである。

全米の音楽市場に於いて、多くの有数な大スターさえも、
一時的に全米の頂点を立てて、
やがて、ある期間が過ぎると、個性がまさり色あせてしまうからである。

私はセリーヌ・ディオンの唄声に酔いしれながら、
『パワー・オブ・ラブ』、『ツゥー・ラブ・ユー・モア』等を聴くたびに、
どなたにも魅了させる普遍性である、と感じたりしている。

http://www.youtube.com/watch?v=YaItPjWo7Ks
『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)『パワー・オブ・ラブ』

http://www.youtube.com/watch?v=Zq17mbj8RHI
『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)『ツゥー・ラブ・ユー・モア』

個性を強く全面に押し出すと、頂点も早いが、飽きられる欠点があるので、
たぐいに稀(まれ)なお2人は、この点は充分ご承知で、
ゆっくりと世界の頂点を目指されたのだろう、
と私は2本のビデオを視聴して深夜のひとときを過ごしたのである。


今朝は少し寝不足でぼんやりとし、
このビデオのライブ版の実感を伝えたくて、無料音楽の【You Tube】サイトで検索していたが、
2時間半ばかりセリーヌ・ディオンの唄声に聴き惚れて、心酔したりしていた。
結果としては、やむえず上記に添付したシーンしかないかしら、
と少し無念さもあるので、微苦笑しているのが本音である・・。
・・】

このように投稿していたのであるが、
先程、『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』の世界的なヒットで、
世界の音楽の頂点に達した後、パヴァロッティが主催となったチャリティ・コンサートで、
1998年のイタリア公演に招待された時のビデオがある。

最後に、私も熱愛者のひとりであるので、所有しているが、
【You Tube】にも幸いにあるので、掲載させて頂く。


http://www.youtube.com/watch?v=DHyJTpDFgc8&feature=related
1998年のイタリア公演 『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』



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私の朝のひととき、最も聴いているクラシックの珠玉曲は・・。

2009-10-24 07:31:11 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であり、
音楽の楽譜も読めなく楽器もさわれない拙(つたな)い男であるが、
何よりも読書を優先するが、ときには映画を居間で観たり、そして音楽を聴くのも好きである。

このようなに日常生活を過ごしたりしているが、
朝一番に聴いた曲は・・、と先程ぼんやりと振り返ったのである。

私は音楽に関してはオペラとジャズは苦手であるが、
クラシック、ハード・ロックから歌謡曲まで聴いたり、抒情歌も聴いたりしている。
そして、ときにはクラシックの珠玉のような数多くの名曲を聴くこともある。

このような珠玉曲を五分間ばかり思い浮かべと、やはりねぇ、と微苦笑したのである・・。

イギリスの作曲家のひとりでエルガーが『朝のあいさつ』と題した名曲を遺(の)こされているが、
この曲を特にサラリーマンを卒業した定年退職後の生活で最も多かったのである。

私は農家の三男坊として生を受け、小学低学年まで農家の児として育てられたが、
父が病死し、祖父も亡くなったので、生家は衰退し、一時は生活に困窮した時代もあったりした。

この曲を聴くと、イギリスの田園風景の中で、程ほど大きな邸宅の裕福な家で、
朝のひととき優雅な情景を私は重ねてしまうのである。

私は幼年期の劣等感、そして身過ぎ世過ぎの年金生活を過ごしている今、
せめて心の中だけでも優雅な裕福のひととき・・と思っているせいか、
この曲を聴く時が多いのである。


http://www.youtube.com/watch?v=BSv3iApK3DQ
☆EDWARD ELGAR: Salut d'Amour☆

http://www.youtube.com/watch?v=Ch8WwEAV3aI&feature=related
☆ELGAR - "Salut d'Amour"☆ ヴァイオリン

同じ曲があるが、演奏に関してはその日の思いで、聴いている。



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今宵11時からの『SONGS』、私は秘かにGLAYに期待し・・。

2009-10-21 17:50:28 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
昨夜、NHK総合テレビを視聴していたら、
今宵21日の11時からの【SONGS】の番組に於いて、GLAYが出演する予告を報じていた。

今朝、私は読売新聞の朝刊のテレビ番組表で確認したら、
《 グレイ11年ぶりLAでヨシキと再会
            ▽名曲ハウエバーへの思い 》
と記載されていたので、私は微笑んだのである。


先程、ネットでNHK番組表を検索したら、

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-10-21&ch=21&eid=12950

30分の番組時間に於いて、四曲のGLAYの曲が判明し、ゲストとしてYOSHIKIが出演することが確認できた。

そして番組HPの【SONGS】を開き、
http://www.nhk.or.jp/songs/

《・・
今年・デビュー15周年を迎えたGLAY。
彼らの原点であるデビュー曲「RAIN」をプロデュースしたYOSHIKI(X JAPAN)さんと、
「SONGS」で、運命の再会を果たしました。
ロサンゼルスで行われたYOSHIKIさんと、TAKUROさん・TERUさんの対談を中心に、
GLAY・4人の15年間の歩みを振り返る「SONGS」、
10月21日(水)夜11時から、NHK総合でお送りします。・・・
・・》

このように紹介されていたのである。


私の現役時代のサラリーマンの時は、あるレコード会社に35年ばかり勤めていた。
音楽を制作する部門でなく、管理畑で情報、経理、営業などの部署であったが、
それなりに音楽を聴く機会が多かったのである。

私が経理畑に所属していた頃、ロビーの掲示板に数多くのポスターが掲載されていたが、
この中のひとつが私には解からなかったのである。
女のような男で長髪の4人が写しだされていたポスターであった。
『GLAY』と明示されていたが、私の心からは、ほど遠い存在であった。

その後、私は異動した後、
GLAYを意識したのは、3枚目のアルバム『BELOVED』であり、
確か1996(平成8)年の11月だったと思うが、
普遍的であるが感覚として私の好みの詞であり、そしてサウンドも抵抗なく溶け込めていった・・。
私が50代の前半の時であった。

その後、シングル盤の『口唇』の後に、
翌年の秋、べスト盤のアルバム『REVIEW』発売され、
この頃の業界として空前の500万枚近い売り上げとなり、私は勢いのあるGLAYに、
ただ驚き、ため息をさせられたのである。

私はこの前後に『BELOVED』、『HOWEVER』、『ずっと2人で・・』、『軌跡の果て』を盛んに聴いたりした。

そして、NHKの『紅白歌合戦』に出場され、
ボーカルのTERUが、『HOWEVER』を唄いあげていた。

この年は最もCD、ビデオ等でセールスに貢献したアーティストに日本レコード協会の主催で、
翌年の1月に第12回『日本ゴールドディスク大賞』のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
こうした実績を残されたので、私は年賀状を受け取った中のひとつに、
ある営業所の所長から、昨年はGLAYの年でした、と書かれていた。

その後、1998(平成10)年の4月にシングル盤の『SOUE LOVE』、『誘惑』同時発売され、
相変わらずミリオン・セラーが続き、
確か7月だったと思うが、『pure soul』のアルバムを最後に私はGLAYから離れた・・。

翌年、5月になると、『GLAY 奇跡と栄光の向こうに』
と題されたドキメンタリーの番組がNHKから放映された。

四大ドームのライブ・コンサートを成功するまでの軌跡を描いた良い作品であった。
私は、この映像を観るたびに、GLAYに熱中した曲と時代、
そして熱気帯びた観衆のシーンを想い出している。

私は今、あの最初のベスト盤を聴いているが、
10年数前頃はあのような曲を聴いていたのだ、時の速さに溜息(ためいき)をついたりしている。

このような私なりのささやかな想いがあるので、
今宵は11時からの【SONGS】の番組に於いて、GLAYを視聴する決意でいる。


http://www.youtube.com/watch?v=XCoB5Cf8Qhg
【『HOWEVER』 作詞、作曲・TAKURO  編曲・GLAY、佐久間正英  唄・TERU 】




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私の定年退職後、クラシックの珠玉曲で最も聴いた曲は・・。

2009-10-20 06:38:05 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
随筆、現代史などの読書の時間が多いが、ときおり音楽を聴いたりしている。

音楽の分野に於いてオペラとジャズは苦手であるが、
クラシック、ハード・ロックから歌謡曲まで聴いたり、抒情歌も聴いたりしている。
そして、ときにはクラシックの珠玉のような数多くの名曲を聴くこともある。

このような珠玉曲を思い浮かべ、私の定年退職後の年金生活で最も聴いた曲は、
ベートーヴェンのピアノソナタの『悲愴』、『月光』、『熱情』、
アルビノーニの『アダージョ』、ショパンの練習曲の『別れの曲』、『革命』などがあるが、
やはりアルビノーニの『アダージョ』を一番多く聴いたかしら、
と思ったりしたのである。

私はアルビノーニのアダージョを聴くたびに、
この曲の秘めた旋律の美の結晶に心を傾た向け、まぎれない美を感じている。

そして私は遅ればせながら魅了されて10数年となっている。
のちのかたみのひとつとして、私が亡くなった時も家族葬の時に流して下されば、
最上の喜びと感じたりしている。


http://www.youtube.com/watch?v=33J6iupe0SE
☆アダージョ(アルビノーニ/ジャゾット) 天満敦子☆

http://www.youtube.com/watch?v=XMbvcp480Y4&feature=related
☆Adagio in G Minor (Albinoni)☆

同じ曲があるが、演奏に関してはその日の思いで、聴いている。


尚、私が初めて珠玉のような名曲を聴いて感動を覚えたのは、
シューマンの『トロイメライ』で、恥ずかしながら二十歳の時であった。

http://www.youtube.com/watch?v=igTOw3v1mfY
☆トロイメライ シューマン☆



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山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃の私の想いで・・。

2009-10-15 16:20:40 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
今朝は爽やかな秋晴れに恵まれた穏やかな秋日和を迎えている。

昼下がり、主庭のテラスに下り立ち、ぼんやりと煙草を喫いながら、秋めいた樹木を眺めたりしていた。
そして雲ひとつない青空、風もなく暖かな秋の陽射しを受けていると、
時が止まったように静寂なひとときが流れ、
私の心の中でひとつの歌が流れたのである・・。

♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
 何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
 
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】


このような心の中で呟きながら唄ったのであるが、
この後、私は『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃を想いだされたのである・・。


確か『秋桜(コスモス)』が発売されたのは、1977(昭和52)年の秋で、
私は前年の春に家内と結婚し、千葉県市川市のはずれにある国府台に住んでいた。
周辺は住宅街の中で、中学、高校、大学の四校があり、付近の丘には由緒る寺もあり、おちついた街並みであった。

こうした中で私達夫婦は、賃貸マンションを借りて新婚生活を過ごしていた。
そして一年半を過ぎようとした頃、この『秋桜(コスモス)』の歌が商店街からも流れていた。

私は、あるレコード会社に1970(昭和45)年から勤め、
この頃の私は本社のコンピュータ専任として孤軍奮闘し、前年のシステム改定が終り、
何とか乗り切れたと安堵していた頃であった。
そして私は住居のことで、いつまでも狭い2DKの賃貸マンションを住むことなく、
分譲のマンション、或いは私の実家に近くに一戸建てにするが、
家内と話し合った結果、一戸建て用の土地の取得と家の建設会社の選択、
そして住宅ローンの交渉などで多忙となり始めた時てあった。

結果としては、私の若気の至りで家の内部に茶室を設けて、私の実家に近くに一戸建てが完成し、
住みはじめたのは翌年の1978(昭和53)年の春であった。

そして計画していた以上の借金をしたので、それまで専業主婦をして茶事などを学んでいた家内は、
働きに出て、共働きとして私達夫婦は悪戦苦闘が数年続いたのである。


この『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃は、今から振り返っても歌の全盛期であり、
名曲が揃った時代だった、と思う。

ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。

もとより『秋桜(コスモス)』の名曲は、さだまさし氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれたと思っている。
そして翌年の秋に発売された『いい日旅立ち』は谷村新司氏が作詞しているが、
この曲も双璧の名曲である。

改めて山口百恵ちゃんは、恵まれたというより、唄いきったこの方も素晴しいが、
何よりも作詞で綴られたこのお二人の感性に私は脱帽する。


過ぎ去った時の流れは早いが、その時代に唄われ心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の思い出を蘇(よみがえ)る力が存在する確かなことである。
私はこのようなことを思いながら、かぼそい小さな声で、

♪こんな小春日和の 穏やかな日は
 あなたの優しさが 浸みて来る
 明日(あした)嫁ぐ私に
 苦労はしても
 笑い話に時が変えるよ
 心配いらないと笑った

【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】

と唄ったりした・・。


http://www.youtube.com/watch?v=loGAMBs-ZkY&NR=1
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】



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雨降る昼下り、中島みゆきの『肩に降る雨』を心の中で唄い・・。

2009-10-07 16:01:44 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であり、
家内が父の命日に伴う慰安旅行に出かけた後、このサイトに投稿文を綴った後、
机の引き出し、本の整理などをしたりした。

ここ数日、秋雨前線が日本列島の南下の太平洋上に停滞しているので、
小雨が降ったり止んだりして、11月初旬のような肌寒い日となっている。
その上、台風が北上し、まもなく日本列島に・・と報じられているので、
風を伴い雨は強くなるかしら、と空を見上げたりしていた。

そして、少し睡眠不足だったので、寝室に行って、
布団の中で文庫本を読んでいるうちに、一時間ばかり昼寝となった・・。

目覚めて、ぼんやりと洗面所で顔を洗い、
居間から軒下に近いテラスで煙草を喫ったりしていた・・。
そして静寂な主庭は風もなく小雨が降り、秋めいている樹木などを見つめたりしていた。

♪肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた

【『肩に降る雨』 作詞、作曲・中島みゆき、唄・中島みゆき】

突然に私は心の中で唄いだしたのである。

この後、私は居間に戻り、小雨降る庭の樹木を眺め、
私は鼻歌を小声で唄ったり、心の中で唄うことが多いが、
どうして中島みゆきちゃんの『肩に降る雨』なの、と思ったりしたのである。

そして、私は居間の片隅の音楽棚で、このお方の20数枚のCDアルバムより、
一枚を抜き取り、この曲をCDラジカセにセットした・・。

♪  (略)

 肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
 肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声

 肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた
 肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた

【『肩に降る雨』 作詞、作曲・中島みゆき、唄・中島みゆき】


私は久々に中島みゆきさんの歌を聴いたのであるが、
私は東京オリンピック開催の頃、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時代もあり、
その後はある民間会社に中途入社し、まもなくあるレコード会社に転籍させられ、35年ばかり勤めた身でもある。

こうした色々な思いでが発露させられ、この歌を心の中で唄ったのかしら、
と私は微苦笑しながら、思ったりしたのである。

私はレコード会社といっても、制作に携わる分野でなく管理畑の部署を勤務していたが、
遅ればせながら、平成の初めの頃に他社発売の中島みゆきさんの歌『エレーン』を偶然に聴き、瞬時に深く魅了されて、
その後は歌の数々を通して、熱く5年前後を物狂いのように心酔した時期を過ごしたのである。
そして、私の人生のなかばに何かと励まされたり、教示されたりした歌が多かったので、
秘かに女神のひとりとして、今でも敬愛している。

尚、この『肩に降る雨』は、1985年11月に発売されたアルバム『miss M.』と題され、
最後の10曲目に収録されている。


http://www.youtube.com/watch?v=aQ_FdMf7Euw&feature=PlayList&p=3D1CB652EA5CA87B&playnext=1&playnext_from=PL&index=74
【『肩に降る雨』 作詞、作曲・中島みゆき、唄・中島みゆき】

今回、この【You Tube】に投稿された方を借用したのであるが、
私より少し若い世代の中島みゆきさんが過ごされた若き日々の時代を思い馳せたり、
私も彷徨(さまよ)った若き日に思いを重ねたりしているので、
背景とされた映像より、私は遥かに深刻で深い心象となっている。




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