昨夜、NHK BSプレミアムで10時より
放送された映画の『エディット・ピアフ ~愛の讃歌~ 』を視聴した。
私は見逃した映画であり、エディット・ピアフの伝記映画と知っていた程度であるが、
どのようにエディット・ピアフの生涯を切り取り表現するか、
と興味を持って、観賞したのである。
この映画は、監督・オリヴィエ・ダアン、製作・アラン・ゴールドマン、脚本・イザベル・ソベルマン、
そして主演のエディット・ピアフを演じた女優は、マリオン・コティヤールであり、
2007年2月に公開された作品、と解説されている。
伝記映画作品としての構成は好感したが、
やはりマリオン・コティヤールのピアフの16歳ぐらいから、47歳で亡くなるまで、
演じきった桁はずれの表現力である。
もとより選評に厳しいと定評のある第33回セザール賞主演女優賞、
そして栄誉ある第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞したことに、
私は十二分に納得させられた。
この映画に感動した私は、深夜ぼんやりとエディット・ピアフに思いを馳せて、
やがて私が初めてシャンソンの底知れる魔力に魅了された頃を思いだしたりした・・。
私は東京オリンピツクが開催された1964年、に大学を中退し、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
ある養成所に入所して、やがて講師のひとりから、
ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりし、シナリオの習作にも励んでいた。
私は確固たる根拠もないが、独創性があるとうぬぼれていた私は、
先の見えないあてどもない日々を過ごし、アルバイト、契約社員で生活をしていた。
やがて、小説の習作していたが、幾たびか小説新人の応募で最終候補作に漏れ、
ある年のお彼岸の懇親の折、親戚の叔父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と結婚した時に家庭を築き妻子を養えるかと素朴に叱咤されると、
私は自身のつたない才能に自信を失くした。
そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
ある知人のご尽力もあり、この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、
中途入社できたのは、1970年の春であった。
この後、まもなくしてこの会社の一部が、外資系のレコード会社として独立し、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられて、
入社当時から、現場を学べ、と商品部門に配属されていたが、
翌年からは本社のコンピュータの専任者となり、恵まれた職場の一員となった・・。
夜、残業をしていた時、
夜の闇からつぶやくような神秘性のあるフランス語が聴こえてきた。
私は仕事の手を休め、煙草を喫いながら、聴き入った・・。
♪Il plent sur Nantes
Donne-moi la main
Le ciel de Nantes
私は洋楽販売促進課の誰かが掛けたのだろう・・、と感じた。
私はレコードプレイヤーに近ずくと、
レコードのジャケットがそばに置かれていた。
バルバラの『私自身のためのシャンソン』
とタイトルは綴られていた。
私はそれまでのシャンソンの知識としては、越路吹雪、岸洋子ぐらいは知っていた。
本場のシャンソンとしては、
ダミアの『暗い日曜日』は、私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、
とかはあくまで知識としての範囲であった。
このバルバラの『ナントに雨が降る』には、
私の屈折の多い青春と私の父親を小学2生に死去された想いが加味され、
瞬時に魅了されてたのである。
この歌は、父の死をしみじみバルバラ自身が綴り、唄ったものである。
この時のレコードから聴こえたのは、
もとよりフランスの原語であったが、何となく歌詞の概要は解り、
職場であったが、目頭が熱くなった・・。
そして、私はバルバラの魔力にとりつかれて、
アルバムを買い求めたりし、この当時12枚のアルバムから、盛んに聴いたりした。
この間、銀座の外れにシャンソンの殿堂として名高い『銀巴里』に通ったりし、
日本のそれぞれシャンソン歌手が唄われるのを、聴き惚れたりした。
そして、この行き帰りに、ヤマハの銀座店に寄ったりして、
数多くのシャンソンを唄われる方たちのレコードを購入したり、
数年過ぎると、私の自宅のレコード棚は、シャンソンのアルバムだけでも、
少なくとも百枚は超えていた。
やがて、バルバラ自身が、『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
日生ホールで公演され、私は駆けつれて、観たのである。
いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する10年の始まりだった・・。
このようなことを、深夜ぼんやりと思ったりしたのである。
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放送された映画の『エディット・ピアフ ~愛の讃歌~ 』を視聴した。
私は見逃した映画であり、エディット・ピアフの伝記映画と知っていた程度であるが、
どのようにエディット・ピアフの生涯を切り取り表現するか、
と興味を持って、観賞したのである。
この映画は、監督・オリヴィエ・ダアン、製作・アラン・ゴールドマン、脚本・イザベル・ソベルマン、
そして主演のエディット・ピアフを演じた女優は、マリオン・コティヤールであり、
2007年2月に公開された作品、と解説されている。
伝記映画作品としての構成は好感したが、
やはりマリオン・コティヤールのピアフの16歳ぐらいから、47歳で亡くなるまで、
演じきった桁はずれの表現力である。
もとより選評に厳しいと定評のある第33回セザール賞主演女優賞、
そして栄誉ある第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞したことに、
私は十二分に納得させられた。
この映画に感動した私は、深夜ぼんやりとエディット・ピアフに思いを馳せて、
やがて私が初めてシャンソンの底知れる魔力に魅了された頃を思いだしたりした・・。
私は東京オリンピツクが開催された1964年、に大学を中退し、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
ある養成所に入所して、やがて講師のひとりから、
ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりし、シナリオの習作にも励んでいた。
私は確固たる根拠もないが、独創性があるとうぬぼれていた私は、
先の見えないあてどもない日々を過ごし、アルバイト、契約社員で生活をしていた。
やがて、小説の習作していたが、幾たびか小説新人の応募で最終候補作に漏れ、
ある年のお彼岸の懇親の折、親戚の叔父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と結婚した時に家庭を築き妻子を養えるかと素朴に叱咤されると、
私は自身のつたない才能に自信を失くした。
そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
ある知人のご尽力もあり、この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、
中途入社できたのは、1970年の春であった。
この後、まもなくしてこの会社の一部が、外資系のレコード会社として独立し、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられて、
入社当時から、現場を学べ、と商品部門に配属されていたが、
翌年からは本社のコンピュータの専任者となり、恵まれた職場の一員となった・・。
夜、残業をしていた時、
夜の闇からつぶやくような神秘性のあるフランス語が聴こえてきた。
私は仕事の手を休め、煙草を喫いながら、聴き入った・・。
♪Il plent sur Nantes
Donne-moi la main
Le ciel de Nantes
私は洋楽販売促進課の誰かが掛けたのだろう・・、と感じた。
私はレコードプレイヤーに近ずくと、
レコードのジャケットがそばに置かれていた。
バルバラの『私自身のためのシャンソン』
とタイトルは綴られていた。
私はそれまでのシャンソンの知識としては、越路吹雪、岸洋子ぐらいは知っていた。
本場のシャンソンとしては、
ダミアの『暗い日曜日』は、私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、
とかはあくまで知識としての範囲であった。
このバルバラの『ナントに雨が降る』には、
私の屈折の多い青春と私の父親を小学2生に死去された想いが加味され、
瞬時に魅了されてたのである。
この歌は、父の死をしみじみバルバラ自身が綴り、唄ったものである。
この時のレコードから聴こえたのは、
もとよりフランスの原語であったが、何となく歌詞の概要は解り、
職場であったが、目頭が熱くなった・・。
そして、私はバルバラの魔力にとりつかれて、
アルバムを買い求めたりし、この当時12枚のアルバムから、盛んに聴いたりした。
この間、銀座の外れにシャンソンの殿堂として名高い『銀巴里』に通ったりし、
日本のそれぞれシャンソン歌手が唄われるのを、聴き惚れたりした。
そして、この行き帰りに、ヤマハの銀座店に寄ったりして、
数多くのシャンソンを唄われる方たちのレコードを購入したり、
数年過ぎると、私の自宅のレコード棚は、シャンソンのアルバムだけでも、
少なくとも百枚は超えていた。
やがて、バルバラ自身が、『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
日生ホールで公演され、私は駆けつれて、観たのである。
いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する10年の始まりだった・・。
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