こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私は
こうした時、家内より『 今からボケたら、困りますょ・・ 』、
と私は家内より叱咤激励を受けたりしている。
或いは、何かと単細胞の私は、好奇心をなくしたら、この世は終りだ、
と思いながら、年金生活を過ごしている・・。

本日、私は午前中のひととき、いつものように独りで、
市内にある都立の『神代植物公園』に行ったりした・・ 。
こうした中、私は齢を重ねるたびに、
『ひとり遊び』が上手になったよなぁ・・と微苦笑したりした。

こうした根底のひとつには、人は誰しも孤独を感じる時がある、と学んできた私は、
平素の日常生活でも、ひとりを愉しむ時を過ごしている。
こうした楽観なプラス思考を深めたのは、過ぎし2010年8月下旬の頃に、
医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)さんの本を読み、
多々教示されたりしてきた。
やがて2011年〈平成23年〉の秋に、
氏の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を購読したりした。

そして精読しながら、私は何かと大いに励ましを受けた一冊であった。
この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
◎「定年」で終わりにしない
◎ひとりを愉しむ
◎自分なりの「養成法」をもつ
◎敗れることも必ず想定に入れる
◎できるだけ身軽でいる 》
このように記載されていることを私は多々教示されて、
私のセカンドライフの格言としている。
(意味合いが想像して、ご理解できない方は、この本をお読みください。)

平素の私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様などから、
ときおり、仲良し恋しねぇ、と何かしら社交辞令を頂いている。
しかしながら私たち夫婦は、いつの日にか、
片割れとなり『おひとりさま』となる・・。
そしてどちらかが残された方は、落胆し寂寥感を深める中、
強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、
私たち夫婦は相手方の趣味の時は、お互いに大切に尊重している。

過ぎし2019年新春、私は心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされる中、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
そして退院してまもなく、私たち夫婦は寝室を別にした・・。
いつの日にか、どちらかがあの世に旅立ち、
残された方の失墜感、寂寥感を少しでも和らげる為、
今から寝起きの部屋を別とした。
と思いながら、年金生活を過ごしている・・。

本日、私は午前中のひととき、いつものように独りで、
市内にある都立の
こうした中、私は齢を重ねるたびに、
『ひとり遊び』が上手になったよなぁ・・と微苦笑したりした。

やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされる中、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

過ぎし2004年の秋、私は民間会社を定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると思い、定年後に年金生活を始めたりした・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
こうした中で、午前中は週に数回であるが我が家の買い物をしたり、
殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、公園などを散策したり、
本屋、ときには古本屋に寄ったりしている。
この間、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、
私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。
この間、ブログの投稿文を綴ったり、
好感している御方の投稿文を読ませて頂いている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
こうした時、家内より『ありがとう』と私は言われて、
『どういたしまして・・』と私は、家内に言ったりしている。
このように、私たち夫婦は、お互いに感謝を感じた時、
さりげなく『ありがとう・・』と言ったりしている。
このように私たち夫婦は、お互いに独りで愉しむ時間が多く、
おひとりさまになった時の予行練習かも知れない、
と微苦笑する時もある。
過ぎし2004年の秋、私は民間会社を定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると思い、定年後に年金生活を始めたりした・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
こうした中で、午前中は週に数回であるが我が家の買い物をしたり、
殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、公園などを散策したり、
本屋、ときには古本屋に寄ったりしている。
この間、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、
私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。
この間、ブログの投稿文を綴ったり、
好感している御方の投稿文を読ませて頂いている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
こうした時、家内より『ありがとう』と私は言われて、
『どういたしまして・・』と私は、家内に言ったりしている。
このように、私たち夫婦は、お互いに感謝を感じた時、
このように私たち夫婦は、お互いに独りで愉しむ時間が多く、
おひとりさまになった時の予行練習かも知れない、
と微苦笑する時もある。