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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

雷雨の中、塩野七生・女史を求めて・・♪ 《初出2007.6.10.》

2008-05-14 11:53:48 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、9時過ぎに小雨が降りだした後、
雷鳴が響き、稲妻が前方の空を光を帯び、激しい雨となった。

私は駅前に出て、本屋に行く準備をし終えていたので、
困ったという真情だった・・。


毎月購読している総合月刊雑誌の『文藝春秋』の発売日で、
駅前に買い求めに行く予定であった。
更に今朝、読売新聞で『文藝春秋』の広告を見ていたら、
特集のひとつとして、【日本と日本人への10の質問】塩野七生、
と掲げられて折、
格差社会、愛国心、老い・・歴史の中に答えがある、
と標記されていたので、私は雷雨の中、出かける決心となった。

私は昨年までは、塩野七生・女史の本を7冊前後しか読んでいなく、
女史のライフワークとしての『ローマ人の物語』は、
この間に初めて知り、出遅れた心持であった。

止む得ず、新潮文庫で第1巻から、今年の春先から読み続け、
昨日は第18巻の終りに近づいているところである。

そして、10日前頃、塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブックが発売されたことを知り、
ハード本が春に最終の15巻目が発売されたので、
これに伴って企画された本と解釈している。
この中で、特に《特別ロングインタビュー》を読みたくて、
いずれ買い求めようとしていた。

このような思いがあったので、大雨が降り、ときおり雷鳴が響く中、
駅前に出かけた。

私は日常の多くは徒歩15分前後で駅前に出かけているが、
このような天上の気候の神々がご機嫌の悪いので、
バスを利用して往復した。

本屋で買い求めたのは、月刊誌の『文藝春秋』、
塩野七生・女史の『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック、
そして新潮文庫の『ローマ人の物語』第20巻~23巻であった。
結果として、ほぼ塩野七生・女史の綴られた作品で染まっていることになった。


私は血液型の影響か、ときおり物狂いとなる。

読書に関しては、昨年は大学教授の藤原正彦・氏が中核であり、
今年は地中海文明の歴史家の塩野七生・女史に
少年のように恋焦がれている。



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杜若(カキツバタ)の秘められた句頭・・♪  《初出2007.6.5.》

2008-05-14 10:04:00 | 読書、小説・随筆
私は雑誌、新聞の折込み広告などで気になったことは、
書類の整理箱として茶箱に入れている。

ある程度溜まった時は、不要な物は資源ゴミとしているが、
先程整理をしていたら、この中のひとつの情報誌を読んだりしていた。

『CUE!(キュー)』の命名された小田急電鉄の生活月刊情報誌である。
特集記事として、『日本あやめ物語』で、
6月の時節に相応(ふさわ)しいと思ったりした。


サブタイトルには、
【日本の美意識が生んだ雨に気高く咲く花に、恋する6月。】
と明示され、私は微苦笑したりして、解説を読んだりした。



《世界に約250種がある。
あやめ属の植物の中に日本原産の代表といえば、
杜若(かきつばた)、菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)。
春から初夏にかけて少しずつ時期をずらしながら花の時節を迎え、
平安の時代から霊験のある花として大切にされてきました。

江戸中期、花を愛でることが武士のたしなみのひとつと捉えられてからは、
野生の野花菖蒲を元にたくさんの園芸品種がつくられ、
同時に江戸郊外の葛飾・堀切花菖蒲園を筆頭とする、菖蒲園が開園。

水辺に群生する花を観賞するという独特の文化は、このとき生まれたものだそう。
梅雨どきの煙る雨のなか、そして低くたれ込めた雲の下こそ映える、凛と咲くあやめの姿。
日本独自の情緒を、しっとりと味わいに行きます。》



以上が解説のように綴られているが、
多分女性の編集者のひとりが書かれたと私は思い、
私は微笑ましく読んだりした。

この特集の記事の中で、小さいコーナーがあり、
私の知らなかったことなので、何よりも魅了された。



《日本文学の中で、最も杜若が印象的に書かれているのは、
平安時代・初期に成立した『伊勢物語』。
九段・八つ橋の中で、
「かきつばた」の五文字を句頭にして旅の途中の気持ちを、

 からころも

 着つつなれにし

 つましあれば

 はるばる来ぬる

 旅をしぞ思ふ

と詠み、故郷の妻を思う気持ちが書かれています。



この杜若の句頭は、私は知らなく、恥じているが、
良質な情緒に私の心は魅了された。

私は学生時代、残念ながら国文学を専攻しなかったので、
止む得ず気ままに独学の結果、
時折こうした綻(ほころ)びが生じている。

私は庭に下り立ち、
微風を受けて半夏生(ハンゲショウ)が揺れるのを眺めながら、
昨年に伊豆の河津地方で観た凛としながらも
妖艶な紫の花を思い出している。



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私にとって最も贅沢なひととき・・♪   《初出2007.6.4.》

2008-05-14 09:52:07 | 読書、小説・随筆
日中、庭の手入れをする予定であったが、
家内のここ数年の話をしていまい、
10時半過ぎたので、後日に庭の手入れをすることにした。

結果として、私なりの好きなことでしていた。
居間のソファーに座ったり、簡易ベットに横たわりながら、本を読んでいた。

ここ2週間、伊豆の下田で温泉滞在をしたり、
その後少し不規則な生活を過ごしていたので、
時間をかけて読書をゆっくりと味わう時がなくなっていた。


私の活字中毒は高校生以来の習性で、何かしら読書に心を寄せていないと、
情緒が不安定になるらしい・・。

ここ数ヶ月、塩野七生・女史のローマ史に魅了されて折、
『ローマ人の物語』(新潮文庫)を第16巻まで読み終えた後、
『ローマから日本が見える』(集英社)を読了し、
『ローマ人の物語』(新潮文庫)の第17巻を読み始めている・・。

冷茶にした煎茶を呑みながら、塩野七生・女史に導かれて、
古代のローマの時代に思いを馳せるのは、
私にとっては好きなひとときでもある。

先程、玄関庭に下り立ち、樹木を眺めながら煙草を喫っていた時、
私は高校生の頃を思い出した。
文庫本の一冊があれば、寝食も忘れ読みふけったと時もあったと・・。

私は地位、名誉に係わらず、
その人なりの好きな本をゆっくりと読めるのが、
現世で最も贅沢なことと思っているひとりである。

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角川春樹・氏は、豪刀のような人・・♪   《初出2007.5.31.》

2008-05-13 15:27:34 | 読書、小説・随筆
昨夜、読売新聞に於いて、俳句の毎月一回掲載する【魂の1行詩】がある。

角川春樹・氏が一般の詠まれた俳句を選定され、
特選された句には講評を明記している。

何時ものように、序文を表記されているが、
特に昨夜に明示した内容は、武士の刀で表現したなら、
造作に似た平穏時の観賞用に似た刀でなく、
まさに戦場で肉を切らせて骨を絶つ豪刀に感じたりした。

無断であるが、俳句に対する真摯な深い思いが、
熱く感じる鑑(かがみ)のような名文であるので、
あえて転記をさせて頂きます。



陶芸家の北大路魯山人は、「平凡と傑作は紙一重だ」と言ったが、
それを決めるのは鑑賞する人間の力量である。

句会に出席して感じることは、選者の力量の無さである。
概して、傑作を平凡と感じてしまう。
さりげないながら内容の深い句は、
句会では見落とし、句集になって気づく、ということもある。

しかし、プロともなれば、作品は勿論のこと、鑑賞力が必要だ。
だが、専門俳人の器量が狭く、
たかが知れた自分の身の丈でしか計ることが出来ない。
良い1行詩を創ろうとするならば、真贋を見抜く選句力が重要である。



【注) 原文より、勝手ながら改行を多くしました 】

以上、無断であるが、転記させて頂きました。


このことは俳諧に留まらず、
小説、歴史書などの書物にも適合することと思っている。
中々、明記し難いことばであり、
それだけ角川春樹・氏の熱く深い思いが伝わってく。
まさに、余人に変えがたい発露と私なりに感じ、
そして私は、しばらく溜息をしたのは事実である。


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佐久 協・著の『ビジネスマンが泣いた「唐詩」100選』 《初出2007.5.18.》

2008-05-13 11:58:04 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、雲ひとつなく快晴の朝を迎えている。

昨日は、雨が降ったり止(やん)んだり、
ときおり風も吹き、昼下りまでは不安定な日であった。

私は深夜、日中に買い求めた本を読んだりしていた。
佐久 協(やすし)・著の『ビジネスマンが泣いた「唐詩」100選』(祥伝社新書)であり、
人生の哀歓を唐詩から選定された名著でもある。

私はサラリーマンとして民間会社に35年務めたことがある身なので、
勤め人の苦楽は多少知っている。

退職後の三年生の身であるが、唐詩でも私なりに理解できる。
このことはひとえに著作者の佐久 協・氏に寄る《超訳》、《書き下ろ文》、《漢詩原典》、
そして《用語解説》、《内容解説、作者紹介》等に導かれ、
唐詩のひとつ、ひとつをかみ締めるように読みながら微苦笑をしている。

早朝、4時に目覚め、続きの部分を読んだりして、
6時過ぎに起きだした。

こうして綴っていると、庭の樹木は朝の陽射しを受けて、まばゆく感じる。

日中は25度前後の陽気となり、快晴の安定した日中を迎える。



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ときには、読みたくなる『中央公論』・・♪  《初出2007.5.10.》

2008-05-12 23:16:39 | 読書、小説・随筆
朝、読売新聞を見ていた時、
月刊総合雑誌の『中央公論』の広告が載っていた。

私は月刊総合雑誌の『文藝春秋』に関しては、
昭和45年以来、欠かさずに定期購読をしているが、
特集次第で『中央公論』を購入したりしている。

今月の特集は、
【私が涙で『千の風になって』を歌えなかったとき・・】と題し、
作家・新井 満とテノール歌手・秋川雅史の両氏に寄る対談。

そして、【晩年の城山三郎先生】と題した植村鞆音(うえむら・ともね)氏に寄る追悼文を読みたくなり、
この2つの特集に興味があったので、購読することにした。

駅前に行き、本屋で『文藝春秋』、『中央公論』を買い求めた後、
歯科医院の待合室で、
『私が涙で「千の風になって」を歌えなかったとき・・』を読みはじめてた・・。


何かしら私の名前を読んだ気がした。
『はぁ~い』
と私は言った。

アシスタントの女医さんが、
『XXさん・・お待たせしました・・
ほんの少し前も・・お呼びしましたのょ・・』
と微笑みながら言った。

『ご免なさい・・』
と私は笑いながら、治療室に入った。

私の悪い癖で、本を読んだりする時、埋没する癖があり、
今回も対談記事に読み耽(ふけ)っていた。

総合月刊雑誌といえども、ときには心酔させる記事もある。

帰路、午後より雨が予測されていたが、
快晴であったので、散髪屋(理容店)に寄った後、
帰宅した。

こうした綴っていると、
空は少し暗くなり、見上げると黒い雲が急速に移動している。
遥か彼方、雷鳴が聴こえたりしている。



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中西輝政・著の『日本人としてこれだけは・・』  《初出2007.4.25.》

2008-05-12 17:39:54 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、先程、雨が止んで、少し靄(もや)のような情景となっている。

私は日中は煎茶、コーヒーを淹れたりして、
過日、羽田空港の売店で買い求めた本を読んだりしていた。

中西輝政・著の『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)であるが、
【歪められた自画像】
【あの戦争をどう見るべきか】
【日本人にとっての天皇】
【日本文明とは何か】
の各章であるが、中々明言しにくい真摯なテーマである。

こうした豪速球のような提示に、
私のつたない歴史観が少し動揺しているのは、隠せない事実である。


雨に濡れた常緑樹は小奇麗な葉の色合いとなり、
もみじの若葉が濡れ重そうに垂れている・・。

そして、鈴蘭水仙、チューリップの数々の色合いが咲いている。

東京の郊外は、明日より晴れマークがこの先1週間は続くので、
この時節に応じた庭の手入れのスケジュールを思案したりしている。

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瀬戸内寂聴・著の『孤高な人』・・。  《2007.4.15.》

2008-05-12 09:36:54 | 読書、小説・随筆
今朝の読売新聞を読んでいて、一番心に残って思索させられたのは、
日曜日に連載されている【本よみうり堂】があるが、
この中に《ポケットに一冊》というコーナーがあり、毎週愛読している。

今回は瀬戸内寂聴・著の『孤高な人』(ちくま文庫、580円)が紹介されている。

読売新聞の文芸部所属の方が綴られていると想像するが、
「飼」と末記に記されている。

私なりに興味があり、私なりの性格から心を響き、少し動転をし、
思わず読んでみたい一冊となったのである。

無断であるが、記事を転記させて頂きます。



こんな破天荒な人が近くにいたら閉口するだろう。
初対面でいきなり、
『なんでそんなに化粧が濃いの』。
レストランのビフテキが気にくわないと、『スリッパの裏みたいに固いやないの』。

とりわけ俗物性を嗅(か)ぎつけると容赦ない。
文化勲章詩人であろうが口を極めてののしる。
その人とはチェーホフ作品などの翻訳したロシア文学者の湯浅芳子(1896~1990)。
レスビアンを自認し、作家の田村俊子に恋焦がれ、
宮本百合子とは足かけ6年『結婚生活』をしたことでも知られる。
本書は、この人と交流があった著者による評伝風のエッセーだ。

『あんたはつまらん小説書きまくって、あぶく銭かせいでるんだから』

浴びせられた暴言を思い出して腹に据えかねながらも、
寂聴さんは、彼女の意外と細やかせ、純情さ、報われぬ恋情へのさみしさなど、
心のひだに分け入っていく。

多くの人に愛想つかされた晩年は孤独だ。
しかし、本書からは、群れから離れ、
『いっぴき狼(おおかみ)』として生きた人間の潔さが伝わる。
おっかなびっくりだが、一度、生きて逢いたかった。



以上が全文であり、無断で転記させて頂きました。


私は大学を中退し、映画青年、文学青年の真似事をした後、
25歳より企業に中途入社し、サラリーマンを長年務め、
定年退職し、3年生の身である。

私は日常の生活の折は、穏やかなサラリーマンとして振舞っていたが、
喫茶店、居酒屋などで同僚達と話し合う時は、
独断と偏見の性分がもたげ、真摯に本音で断言し、明言したりする時があった。

こうしたことが過ぎると、一部の方達から敬遠される。
《偉そうに・・確固たる根拠もないくせに・・》
と多分云われたろうと思ったりしている。

ある会議に於いて、私のこの性分がもたげ発言後、
この後に上司に知られ、
『程ほどにね・・いろいろと・・損をするから・・』
と云われたこともあったりした。

私は年金生活をしている無名な人であるが、
このサイト於いて、社会に対して私なりに耐え難いことは、ときおり綴っている。

病気は治療すれば治(なお)るが、長年の癖(くせ)は治らないかしら、
と苦笑している。



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私が買い求めた雑誌のあれこれ・・♪   《初出2007.4.11》

2008-05-11 21:12:35 | 読書、小説・随筆
私は昭和19年に東京の郊外の農家で生を受けた。

祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
小作人の方達の協力を受けて、ある程度手広く田畑を耕していた。
そして多忙期の折などは、農業大学の実習生なども受け入れていた。

このような家庭環境であったが、
雑誌に関しては、農協の発刊する『家の光』しか記憶がなかった。


私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いた思い出があった。

この頃の私は、月刊誌の漫画の『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。


私が読書に目覚めたのは、高校生になってからである。
人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
雑誌は時事が好きであったので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を買い求め、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。


大学生活の時は、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し愛読して、
これが原因で大学を中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』を読み、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。


25歳になった時、私は遅ればせながら企業に中途入社をして、
社会人のひとりとなった。
この時から社会人に相応しく、総合雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読んで、
務めた会社は音楽界であり、何も素養のない分野であったので、
音楽専門誌の『レコード芸術』に必死に読んだりしていた。

この頃は私は独身青年であったので、
娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
一時は『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。


50歳半ばの時は、教養娯楽雑誌の『サライ』、
パソコン初心者向けの『暮らしとパソコン』などを読み、
ビジネス雑誌の『日経ビジネス』、
音楽専門誌の『オリコン』なども買い求めたりしていた。

そして定年退職の3年前頃は、
大人の生き方誌と称された『ほんとうの時代』を精読し、
私なりの退職後の生活を明確に思考していた。

定年退職後の3年生となった今、
定期に購読しているのは月刊誌の『文藝春秋』であり、
25歳からの総合雑誌として持続しているので、
程ほどに気楽に読めるので毎月逢える私の友かしら、と思ったりしている。
そして、ときおり買い求めるのは『サライ』である。

尚、私が本屋に寄り、買い求めるのは、
圧倒的に小説、随筆、歴史書、現代史などの単行本、文庫本であり、
これは高校生から変らないでいる。



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ヴィジュアル総合誌『文藝春秋』臨時増刊号・・♪ 《初出2007.4.2.》

2008-05-11 14:33:01 | 読書、小説・随筆
家内と10時過ぎに家を出た時は、春雨が止んでいた。

川沿いの遊歩道を歩いたが、
週明けの月曜日の午前中であったので、人影も少なかった。
雨でしっとりした中、染井吉野の桜、山桜、
白木蓮、辛夷の満開の花に見惚(みと)れたりした。

花見で人出の多い中より、
こうしたゆっくりと満開の花を誉(ほ)めるられるのは、
贅沢なひとときと思ったりした。

家内の歯科医院で治療を受けるので、駅前で別れ、
私はコーヒー・ショップの『ドトール』で、
持参した塩野七生・著の『ローマ人の物語』第12巻(新潮文庫)を
読んで待機していようと思った。

ここしばらく、このお方の『ローマ人の物語』をあと4巻手元にあるので、
本屋に寄っていなかった・・。

『ドトール』に入る前、何かしら雑誌はないかしら、
と思い立ち、本屋に入った。

総合・教養コーナーの陳列で、ひとつの雑誌が目に止まった。

表紙の左隅には、

《現地イタリア・インタビュー》
塩野七生
ローマ人、司馬遼太郎、そしてリーダーとは!

《ロング・インタビュー》
浅田次郎
型破りな父がのこした言葉

という特集記事であったので、愛読者のひとりとして、
購入することにした。


『ドトール』でコーヒーを飲みながら、この雑誌を改めて見た。
知的円熟世代のヴィジュアル総合誌『文藝春秋』の5月臨時増刊号であり、
副題として《黄金の10年へ》と明示されていた。

最初、目次で記事のタイトルを眺めていたら、
団塊世代の人々が本年より定年退職をされるので、
この人達の祝砲として企画された増刊号と理解できた。

定年退職後の多くは、
60歳代は体力は衰えても知力は充実した年代でもある。

私達夫婦が2年前に北海道の団体観光ツアーに参加した折、
私達より10歳前後ご年配のご夫婦より、
『私達・・旅行が好きなので・・
体力もあった60代の時は、海外にもあちらこちら行けたの・・
ご存知と思いますが、ゴールデン・イヤーズでしたよ・・』
と教えてくれ、
私達夫婦に深く心に残ったりした。

その後、この雑誌の企画のセンスの良さを思考し、煙草に火を点(つ)けた。

             

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ローマ史に取り憑(とりつ)かれて・・♪   《初出2007.3.25.》

2008-05-11 12:26:48 | 読書、小説・随筆
ここ2週間の読書の主体は、
塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫)を読み続けている・・。

塩野七生・女史が『ローマ人の物語』を15年以上前から単行本が逐次発刊され、
つい最近終刊となった巨編であり、
数年前に私は知り、遅ればせながら新潮文庫を手に取り、
ユリウス・カエサルの登場の寸前までの第七巻読んだりしている。

私は塩野七生・女史に導かれ、ローマ国の誕生以前のギリシャの黎明期から、
政治、外交、軍事はもとより、経済、社会、宗教、風習、文化、
日常の風習など人の営みに欠かせない事柄に読み込んでいる・・。

その時々、ローマのなせる時柄を読んだりしていると、
イギリスの17世紀には・・アメリカの20世紀・・
日本の敗戦後のアメリカとの関係は・・
などと思いを馳せたりしている。

このような思いを重ねたりしていると、中々簡単に時ページに移れないでいる。

このように塩野七生・女史のローマ、地中海の深い想いの筆力に導かれて、
私は心酔し、あの時代の鮮明に想像したりしている。


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見城 徹・著の『編集者という病い』・・♪    《初出2007.3.23.》

2008-05-11 11:45:03 | 読書、小説・随筆
過日、新聞で新刊本の広告に於いて、
見城 徹の著作の『編集者という病い』(太田出版)の発刊を知った。

私はここしばらく塩野七生・著作の『ローマ人の物語』シリーズを読んでいたので、
中断はしたくはなかったが、見城 徹・氏には私なりに注視していた人だったので、
この2日この本を読んだりしていた。


見城 徹・氏は、角川書店で名編集者後、出版社の幻冬舎を立ち上げ、
発展させた社長となっているお方である。

私が見城 徹・氏の名前を初めて知ったのは、
月刊誌の『カドカワ』で中島みゆきの特集記事で購入し、このお方の名を知った。
多分、平成の初めの頃かしらと思っている。

このお方は、魅了されたアーティストの新曲を発売されたら、
直ぐに手紙を出す、
というのを読んで私は驚いたのである。

大手の出版社の編集部署では多忙な身と思われるので、
たとえ思いがあっても中々できないことである。

こんな思いがあり、私なりに注視してきた人である。

昨今、編集に携わったお方の多くは、
表現者として作家、随筆家となっている方が多い・・。

私はこのお方ぐらい睡眠時間を削り、
表現者に圧倒的な熱意を感じさせる方が、
編集という立場で満足しているのかしら、と思い続けていた。

今回の本を読んでいた時、了解させられた。



・・・ぼくも小説書いてみようかなと気はあったんだけれど、
中上(健次)とか(高橋)三千綱とか見ていると、
やっぱり彼らは書かざるを得ない、
書かなければ救われない何かを持っているんですよね。

書かない限り生きていけないという・・
金銭的なものじゃなくて、
自分が成り立たないという病気のようなものを持ってるわけです。
それはもうはっきりわかる。
そうしたものが、おれにはない。

だったらおれはこいつらの媒体になって作品の手助けをしたいと思った。
そのためには、文芸の編集者にならなければと、
強く思っていました。
【第二章 SOUL OF EDITOR
P.144~145より引用】



尚、原文から勝手に改行をさせて頂きました。


このような発言に接すると、かって文藝誌の編集者の方々が、
定年退職後に随筆として5冊ほどの本を想いだされたりした。

編集者と表現者の作家との熱き苦闘の成果として、
ひとつの創作が発刊される、ということを・・。




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午後のひとときは、読書そして昼寝・・♪   《初出2007.3.18.》

2008-05-10 21:22:16 | 読書、小説・随筆
ここ4日ほど、昼下りのひととき、居間に炬燵を置いてあるが、
文庫本を広げて横たわりながら読んでいるうちに、
昼寝をしてしまう悪い癖となっている・・。

3時半過ぎに煎茶を淹れた後、
塩野七生・女史の『ローマ人の物語』第五巻(新潮文庫)を読んでいるが、
30分も過ぎると寝付いてしまった。

5時に目覚め、冷たい煎茶を飲んでいると、
私がローマ元老院の前でうろたえて弁明している夢を、
ぼんやりと思い出している。

私は思い込みの強い方なので、塩野七生・女史の筆力にきりきり舞いしているのかしら、
と魅了されている本の余韻に慕っている・・。


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女性の情感あふれる思い・・♪   《初出2007.3.17.》

2008-05-10 20:36:31 | 読書、小説・随筆
昨日、このサイトで投稿した『恋文のこころ』を紹介した記事の最後に、

【相手の心に響く手紙のことば】

と題されて、いくつかの思いを深く女性からの発露として綴られている美文があった。

監修者・井上明美・女史のお言葉と想定するが、
齢を重ねた男性の私さえ、こうした文章に触れると、
日本古来の伝統の女性の美を感じることができる。

私は書かれた人の思いに底知れぬ情感に思わず魅了された・・。

無断であるが、転記させて頂きます。



古の人々にとって、四季は生活そのものであり、
また言葉や美意識の源でもあったのでしょう。
四季のうつろいを全身で感じ、風物を愛でる、
観察する心の繊細さが色彩や香りの世界をも豊かにしていったにちがいありません。

同じように恋愛に対しても、ただあからさまに表現するのではなく、
比喩的表現がたくさん盛り込まれています。
先の歌のように、その姿を山桜や月にたとえたり、案ずる思いを風にたとえたり。
恋しい人を思い起こし、察する心や感情のこまかさ、
心の余韻といったものが見られます。
平安時代の和歌・恋文は、まさに思いの丈、心のすべてであったでしょう。

随一の手段であったからこそ、言葉を選び工夫を凝らす。
手紙や言葉に対する真剣な眼差しが今も読む人の心をとられ、
生き生きと浮かび上がらせるのかもしれませんね。

恋の手紙、「恋文」という響きからは動と静の二面性を感じます。
恋に思い悩む、焦がれる、恋煩うといった思い詰めた動の激しい感情、
しかしその半面、恋心を抱く、見初める、恋慕うといったそっと思いを綴る、
打ち明けるという静のやわらかさも。

思いを表現するためには、
時には、愛した・恋したといったストレートな言葉も必要かもしれません。
しかし、直接的でないからこそ、より強く心に響く言葉もあるものです。
水が満たさればあふれてこぼれ落ちてしまうように、
こぼれんばかりの思いをいかにそっと伝えるかという穏やかさも大切でしょう。
思い続けていた気持ちをちょっとためらいながら綴る。
すべてを語り尽くすだけでない言葉の余韻や行間もまた味わい深いものです。
一日の終りにゆっくりと香りや余韻を味わうお酒のように、
いつの間にか相手の心にそっと触れ、心に染み入る、
そんな優しさあふれる手紙であったら、
きっとどんなにか素敵なことでしょう。



以上、無断であるが転記させて頂きました。


こうした文章を拝読すると、
なにかしらその奥に秘めた女性のお気持ちが浮ぶから不思議なことである。

これは日本古来から情感あふれた思い感じられ、
そして余情を感じることができる。

昨今、セレブと称された女性がいるが、
ほんのわずかこうした思いが発露されれば、
より一層魅力が増すのにと、余計なことを思ったりしている。

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『恋文(ラブレター)を、あの人に』・・♪    《初出2007.3.16.》

2008-05-10 20:09:34 | 読書、小説・随筆
『恋文(ラブレター)を、あの人に』・・♪
10時前に家を出て、銀行と郵便局、そして買物に行ってきたが、
どんよりとした曇り空で少し寒く感じたりした。

郵便局で少し待っている時、ひとつの小冊誌が目に止まった・・。

【特集・恋文(ラブレター)を、あの人に。】

大きく題された小刷誌で、『かしこ』という誌名で、
『郵便局とあなたをつなぐ情報誌』と明示されて折、
ご自由にお持ち帰りください、と書かれていた。

私は少しページを捲(めく)りながら目を通すと、
郵政公社も洒落(しゃれた)雑誌もだす、と好感した。

私は窓口の30前後と思われる女性のお方に、
『素敵な内容と思われるので、頂きますよ・・
郵政公社としては、破格にお洒落な雑誌ですね・・』
と小冊誌を見せながら私は言った。

この女性は、特集内容がご存知なのか、少し頬を赤らめた。


帰宅後、私は読み出した・・。

『源氏物語』にみる
          恋文の
              こころ

として井上明美・女史が監修者となっていた。

故・金田一春彦・氏に14年間師事されたお方である上、
柔らか味のある感性ゆたかな綴りである。

無断であるが、引用させて頂きます。



相手の心に響く手紙をいつかは書いてみたいものです。
心に残る究極の手紙とはラブレターのことかもしれません。
相手をひきつける手紙。そして相手の身になって書き始める手紙を書くにはどうしたらいいのでしょうか。
それには奥ゆかしさ、巧みな比喩、かわいげ、思いやりといった表現の工夫があるようです。
そこで、平安時代の宮廷を舞台にした『源氏物語』をもとに、
心に残る手紙を書くヒントを探ってみませんか。



以上は序文として綴られ、本題は三つの恋文として、掲げている。




【恋文ノ一】思いやりを奥ゆかしい表現で

面影は身をも離れず山桜心のかぎりとめて来(こ)しかど
夜(よ)の間(ま)の風もうしろめたくなむ 《若紫の巻》


【恋文ノ二】その人柄をなつかしんで

空蝉(うつせみ)の身をかへてける木(こ)のもとに
なほ人がらのなつかしきかな《空蝉の巻》


【恋文ノ三】優しさ、謙虚さを大切に

月影のやどれる袖はせばくともとめても
見ばやあかぬ光を《須磨の巻》



以上、取り上げて訳、解説、そして『ここが気配り』として寸評の思いが、それぞれ明示している。


私はこの三つを拝読して、直感として【恋文ノ二】が心に沁みた・・。
齢を重ねた今、なおさら愛惜に満ちた心情となっている。

ときたま私は、こうした古人から受け継がれて美文に酔うこともある。

主庭が明るくなり、陽射しが射しこみ、白玉椿を浮かび上がらせている。


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