文部科学省が今年の6月に「大学の人文科学系の学科は縮小すべき」と解釈できる通達を出し、大学を含めて多くの知識人が強く批判している。文科省自体「誤解を招く表現だった」と半分取り消すような言い方をしている。しかし、私には批判のほうに問題が大きいように感じられる。日本に文化人と呼ばれる人たちの底の浅さを感じる。
ほとんどの批判は「人文科学系の教養は大切だ。だから縮小せよと言って軽視するのはけしからん」というものである。一見正論であるが、人文科学系の教養が重要だということと、大学に学科を置くことの間には大きな乖離がある点を無視している。東工大は工学系の大学で科学者や技術者を育成することを目的としている。だからと言って文学や哲学の事業が必要ないわけではない。しかし、平安文学やイギリス文学を専攻とする教授を抱える必要もない。授業のやり方にはいくらでも工夫の余地がある。まず、学生に人文社会系の教養を持たせることと、それを専門とする教授を抱えることは異なるということを認識すべきである。大学の学科の規模とは基本的にどれだけの教授を抱えるか決まる。また、教授は論文を書くことが求められるので狭い分野に特化しがちな点も問題である。これらの要因によると思うが、客観的に見て日本の国立大学の人文社会分野は理科系と比べてレベルが低く、無駄が多いように思う。
今年の10月には26の国立大学が人文社会系の部門を見直すと発表している。これらの大学の学長にしてみれば、「文部科学省の通達は学内を説得するために背中を押してくれた」、という感じではないかと思っている。しかしこのようなコメントを出している文化人は見たことがない。このブログの読者はどう感じられるだろうか? 大学は文部科学省の圧力に屈しておかしな方向に動き出したと思っているだろうか?
大学教育は社会のは流行に沿ってころころと教える内容を変えるべきではない。しかし、いつまでも同じことをやっていて良いわけもなく、時代に合わせて変化していくことも不可欠である。それは大学の経営陣が自分で判断すべきことである。文部科学省の通達を私が良いと思っているかといえば、私がいつも言っているように「マイクロマネージメント」だと思っている。大学に自主的に判断させるように、大学全体としての評価システムを確立することが文部科学省のやるべきことだと思っている。
日本で大学のランキングというと、入学の際の偏差値が話題になります。入学後の点検で、国内のマスコミなどの機関が発表するのは、せいぜい就職時の内定率や求人倍数等くらいです。
一方、海外の評価機関が大学ランキングとして発表するのは、教授の質や論文数、等比較的わかりやすく差がつけやすい項目です。つまり、各大学内でも自己評価が可能と思います。
世界的に有名な大学でなくても、自己評価する基準を明示して、経営陣がそれに沿ったPDCAを行って、教授陣、職員に示すれば、おのずと学校が進むべき方向がはっきりします。
文系や理系に限らず、それがちゃんと行われ、しかも世間(社会)がそれを認めてくれれば、自ずから社会の評価も上がって、存在意義が十分にわかるようになります。入学時の偏差値云々も大切かもしれないけど、やるべきことをしていれば、それなりに優秀な学生が集まります、教授陣も自己研鑽を積み、両方の質的なレベルが上がるはずです。そのサイクルのどこかに問題があれば、社会から淘汰されるのは当たり前だと思います。文系、理系の区分すら意味がないと思います。
その学校の経営陣が「今後力点を置かない分野」と判断された分野の教授陣、職員は「他の学校なり、他の分野で力量を発揮」すればいいことです。どこも相手にしてくれないような分野の先生であれば、就職の機会が少なくなるのは致し方ないですね。
この意味で、もっともっと変化を通じて淘汰が進むのは良い事だと思います。
具体的には例えば憲法学界ですが、この学界では護憲派が大多数であり、師事する教授と同じ論旨でなければ論文も認可されず、業界内での就職もままならないと聞き及びます。同様に歴史学界でも自虐史観、東京裁判史観に基づかないと研究者として干されてしまうようです。
日本の官僚がこのようなシステムの結晶だということは大いに問題だと思います。出題者の意図通りの回答を強制された結果が現在の財務省、外務省の姿だというのは納得のいくところです。
私は文系、理系というカテゴライズは邪魔なだけのように思います。突出した専門家以外の大多数の人にとっては高校と大学の中でのみ機能していると感じるためです。今では資料や文献も入手(アクセス)し易くなりましたので、教養は個人の趣味の問題としても良いのではないでしょうか。
大学は狭い分野の専門家がそれぞれ異なる専門を抱えて成り立っています。こういう大学教授が教育するのは後継者育成に限り、一般教養の教育は必要ないというご意見でしょうか?
実は私も似たような問題意識を持っていますが、教養教育は必要だと考えており、現在の大学で適切な教養教育ができるのか疑問に思っています。しかし、別の仕組みの見つけられない状況です。
一般論としては、「後継者育成」と「一般教養」に分けた場合、以下のように考えます。
■「後継者育成」としての人文社会系学科
現状ではやはり多すぎるような気がします。一部の大学(例えば旧帝大の数くらい)に存在すれば十分と考えます。文系の学生さんの半数以上はSEやプログラマになられる印象です(私の時代でも文系の知人は殆どSEになっています)。それと前のコメントにも書きましたが、教授の言うことを聞かないと干されるというムラ社会は止めるべきだと思います(思考停止に陥ります)。
■「一般教養」としての人文社会系学科
まず高校の復習(or 延長)で知識を詰め込むだけならばeラーニングなどを利用した自習で十分ではないでしょうか(人文社会系以外にも当てはまりますが…)。生の講義としては、ウィトラ様のように民間企業の最前線で活躍された方の体験をもとにした講座がひときわ有用かと思います。例えば、私は学生時代に”法学”を受講していましたが、幾つかの判例の紹介をされるだけの極めて眠いものでした。それよりも訴訟を起こした側、起こされた側での実体験をもとに話をしていただけるほうが実社会では有益です(講師としては企業の法務部門に勤めておられた方や、個人で訴訟を起こした方など)。現行でどれくらいの割合いらっしゃるか分かりませんが、民間経験の豊富な客員教授はもっと増やしても良いのではないでしょうか。