備忘録として

タイトルのまま

The Good Lie

2015-01-31 15:00:13 | 映画

「The Good Lie」2014、監督:フィッペ・ファラデュー、出演:リース・ウィザースプーン、スーダン内戦の難民(Lost Boysと呼ばれる)がアメリカに渡り、自分のアイデンティティーとアメリカ社会への順応に悩み葛藤しながらもアメリカで生きる実話をベースにした映画である。実際のLost Boysたちが出演し難民役を演じている。スーダンのあるが武装グループに襲われ両親が惨殺され、兄弟とその仲間たちはジャングルをさまよい逃げる。ライオンが仕留めたエサをハイエナのように横取りしなければ生きていけないほど逃避行は過酷で、体の弱い小さな子供から順に死んでいく。武装グループに遭遇したとき、長兄のセオは自ら捕らわれ兄弟たちの身代わりとなり仲間を逃がす。生き残った4人はやっとの思いでケニヤの難民キャンプにたどり着く。キャンプで成人した彼らはアメリカへの移民が認められ、男3人はカンサスに妹はボストンに引き取られる。兄妹離ればなれになるが、彼らをサポートするキャリー(ウィザースプーン)らの助けもあり、習慣の違いに苦しみながらも地域に溶け込み始める。ここは「Million Dollar Arm」のインド人大リーガーと似ている。医者志望のマメールは夜間学校に通い始める。授業で、マーク・トウェインの小説『ハックルベリー・フィンの冒険』のハックがついた嘘とスーダンで武装グループに遭遇したときに長兄セオが自分たちを逃がすためについた嘘を重ね合わせ、先生の質問に、人を救う嘘はGood Lieだと答える。

映画でハックの言った嘘の内容を覚えていないのだが、おそらく以下の箇所だと思う。ハックと黒人のジムがいかだで川を下っていたところに、逃亡黒人を追ってきたハンターが近寄ってきて向うのいかだにいるのは白人か黒人かとハックに尋ねる。ハックはいかだにいるのは白人で自分の父で病気だと返事をする。ハンターたちは自分で確認しようとするのに対し、ハックは”ちょうどよかった。ついでにいかだを岸に引いてください。誰も僕らを助けてくれないから。”と答えたところ、ハンターの一人が、”嘘だ!奴は天然痘だ!”と叫び去って行った。こうして、ハックとジムは助かる。

上の挿絵と全文がこのWeb-siteに載っている。http://www.gutenberg.org/files/76/76-h/76-h.htm#c16-126

"Well, there's five niggers run off to-night up yonder, above the head of the bend.  Is your man white or black?" I didn't answer up prompt.  I tried to, but the words wouldn't come. I tried for a second or two to brace up and out with it, but I warn't man enough—hadn't the spunk of a rabbit.  I see I was weakening; so I just give up trying, and up and says: "He's white." "I reckon we'll go and see for ourselves." "I wish you would," says I, "because it's pap that's there, and maybe you'd help me tow the raft ashore where the light is.  He's sick—and so is mam and Mary Ann." "Oh, the devil! we're in a hurry, boy.  But I s'pose we've got to.  Come, buckle to your paddle, and let's get along." I buckled to my paddle and they laid to their oars.  When we had made a stroke or two, I says: "Pap'll be mighty much obleeged to you, I can tell you.  Everybody goes away when I want them to help me tow the raft ashore, and I can't do it by myself." "Well, that's infernal mean.  Odd, too.  Say, boy, what's the matter with your father?" "It's the—a—the—well, it ain't anything much." They stopped pulling.  It warn't but a mighty little ways to the raft now. One says: "Boy, that's a lie.  What is the matter with your pap?  Answer up square now, and it'll be the better for you."  "I will, sir, I will, honest—but don't leave us, please.  It's the—the—Gentlemen, if you'll only pull ahead, and let me heave you the headline, you won't have to come a-near the raft—please do." "Set her back, John, set her back!" says one.  They backed water.  "Keep away, boy—keep to looard.  Confound it, I just expect the wind has blowed it to us.  Your pap's got the small-pox, and you know it precious well.  Why didn't you come out and say so?  Do you want to spread it all over?" "Well," says I, a-blubbering, "I've told everybody before, and they just went away and left us.""Poor devil, there's something in that.  We are right down sorry for you, but we—well, hang it, we don't want the small-pox, you see. 

マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』は、ニガーという黒人を表すことばを多用するなど今の基準では人種差別的表現が多く、アメリカでは評価が割れていて、発禁や学校の図書館に置かないところもあるという。子供のころ読んでいた「ちびくろサンボ」が本屋から消えたことを思い出す。表現の自由とは言いながらムハンマドの風刺画も基本的には同じ問題を含むような気がする。

ジャングルで離ればなれになった長兄セオがケニヤの難民キャンプにいるという情報を得て、マメールはセオを助け出すためケニヤに渡る。マメールは難民キャンプでセオと再会を果たすが、セオがアメリカに渡るビザは発給されなかった。マメールが最後につく”Good Lie”に胸が熱くなる。★★★★☆

「The Equalizer」2014、監督:アントイン・フーカ、出演:デンゼル・ワシントン、クロエ・グレース・モレツ、メリッサ・レオ(The Fighter)、懐かしいGradys Knight & The Pipsの「Midnight Train to Georgia」が流れた。24,5歳のころ、Walkman発売前のモノラル音響の小型テープレコーダーを通して毎晩繰り返し繰り返し聞いていた。都会で夢破れ夜行列車で故郷に帰る男に向かって、私もついて行くと高らかに宣言する歌である。”The dreams don't always come true.”夢は必ずしも叶うものじゃない。” going back to find the simpler place and time"もっと優しい場所と時間を見つけるために帰る。”I'd rather live in his world than live without him in mine.”私は彼なしで生きるよりむしろ彼と生きていく。歌の後半、”For love, gonna board, gotta board the midnight train to go ”愛のために乗車すると何度も繰り返し、最後は”I got to go, I got to go”と絶叫しながら歌はFade outして終わる。Youtubeに歌詞付きがあった。https://www.youtube.com/watch?v=meaVNHch96o 

Gradys Knightの歌と映画のストーリーにあまり関係はない。強いてあげるとすれば、歌手を夢見るテリー(クロエ・グレース)は、ロシアマフィアのために客引を強要され、それを拒否したことで激しい暴行をを受けるが、最後は地道に生きる決意をするところかもしれない。元CIAエージェントで今は静かに暮らすロバート(デンゼル・ワシントン)は、彼女のためにマフィアを抹殺することになる。デンゼル・ワシントンが超人的能力で悪漢を裁く暴力シーンは過激である。ストーリーは単純で、元CIAの凄腕エージェントという設定はデンゼル・ワシントンの前作「Safe House」と同じだった。忘れかけていた懐かしい歌が聞けたので、★★★☆☆

「Eternal Sunshine in the Spotless Mind、邦題:エターナル・サンシャイン」2004、監督:マイケル・ゴンドレイ、出演:ジム・キャリー(Christmas Carolなど)、ケイト・ウィンスレット(タイタニック、Holiday)、キルステン・ダンスト(スパイダー・マン、Upside Down)、イライジャ・ウッド(LOR)、恋人クレメンタイン(ウインスレット)が自分との記憶を消したことを知ったジョエル(ジム・キャリー)は、自分も彼女の記憶を消す決心をする。記憶抹消を扱う病院で記憶を順次消していく中、ジョエルは無意識下の抵抗をする。病院助手のパトリック(イライジャ)はジョエルの記憶を利用してクレメンタインを誘惑していた。また、病院の受付のメアリー(キルステン・ダンスト)は自分が不倫相手の医者との記憶を消したことを知らされる。混乱したメアリーは病院に保管されていた依頼人の記録をそれぞれの依頼人に送り付ける。ジョエルとクレメンタインは送られてきたテープを聞きながら、かつて抱いていたお互いの思いを知る。映画では、ジムの頭の中の記憶と現実、現在と過去のストーリーが交互に語られ一度見ただけでは理解するのが難しい。特に、映画の冒頭、ジョエルとクレメンタインが海岸で出会いお互い惹かれあう場面は、実は二人が記憶を消したあとのことで、その海岸は二人の思い出の場所だったのである。二人の古い恋愛と新しい恋愛が同時進行するので、混乱せずに映画を観るのは大変である。いずれにしても、記憶を消した二人が偶然運命の再会をするということは、人間の本性あるいは深層心理が不変だということを示している。Eternal Sunshine in Spotless Mind(曇りのない心の中の永遠の太陽光=不変の深層心理)というタイトルが映画のテーマそのものであることに気付く。これは映画「The Vow、君への誓い」と同じである。二度鑑賞し、テーマはこれで決まりだと思うのだが違うかもしれない。★★★☆☆

「バニラスカイ」2001、監督:キャメロン・クロウ、出演:トム・クルーズ(Live Die Repeatなど)、ペネロペ・クルーズ、キャメロン・ディアズ(The Holidayなど)、カート・ラッセル、金と美貌をあわせ持ち世の中自由にならないもののないデイビッド(トム・クルーズ)は次々と女を変える。友人のつきあっている女(ペネロペ・クルーズ)と仲良くなるうちに、捨てた女(キャメロン・ディアズ)の自殺行為によって事故に遭い顔面を損傷する。美貌を損ない精神が病んでいく過程が重い。勝手気ままに生きていた金持ちの転落を描くアメリカ映画は多い。映画「エターナル・サンシャイン」と同じように、現実とデイビッドの深層心理の場面が交錯し話が難解になるが、再鑑賞して確認する気力もないので映画の評価は適当である。★★☆☆☆

「Tracks」2013、監督:ジョン・キュラン、出演:ミア・ワシコウスカ、オーストラリアをラクダで横断する女性の実話。横断中にこれといった出来事はなく、最大の衝撃が、愛犬が誤って毒を口に入れ苦しむので安楽死させる場面だった。縦断を成し遂げた達成感はあったと思うが、一人で横断した意味と意義、そして彼女が何を得たのかが伝わってこなかった。結局この冒険では、愛犬とラクダとアボリジニだけが信頼できて、文明人はうっとうしくて信用ならないということがわかっただけだったような気もする。★☆☆☆☆

「Guardians of Galaxy」2014、マンガの実写版。IMDbの評価点が高いのに驚いた。観た自分が馬鹿だった。こっちは星ゼロ。

「The November Man、邦題:スパイ」2014、元CIAエージェントがCIAエージェントの妻がCIAに殺されたことを知り元同僚たちと戦う。主人公のピアース・ブロスナンはアクションに切れがない。これも星ゼロ。

「Expendables 3」2014、昔のアクションスター勢ぞろいの豪華配役だったが、年寄のアクションを見せられてもスタントとの入れ替えが大変だろうなと映画と関係ないところが気になった。これも観た自分が悪い。星ゼロ。


則天武后

2015-01-25 23:22:20 | 中国

21日、陳舜臣が90歳で亡くなった。陳舜臣の『小説十八史略』や『中国の歴史』で知った中国の故事はどんな小説よりも面白かった。それまで、吉川栄治の『三国志』や大学の図書館に籠って読んだ『水滸伝』、『聊斎志異』、『紅楼夢』などで中国の物語には興味を持っていたのだが、歴史そのものに興味を持ち始めたのは陳舜臣の一連の歴史小説に負うことが大きかった。『中国の歴史』全15巻は新刊が出るたびに購入し読んだ。いつの頃からか『風よ雲よ』や『秘本三国志』など時代小説の中の虚構が受け入れられなくなって陳舜臣の小説からは離れていったが、その後も思い出したように『録外録』や『耶律楚材』、『敦煌の旅』などを読んでいた。

 李勣碑

陳舜臣が亡くなったニュースが流れたとき、たまたま中公新書の外山軍治著『則天武后』を読んでいた。則天武后は『小説十八史略』巻5に出てくる。則天武后は中国歴史上、最大の悪女、あるいは、劉邦の呂后、清の西太后に並ぶ三大悪女といわれる。唐王朝を簒奪し、周を建て自らを則天武后と称した。

  • 645 玄奘三蔵がインドより戻る
  • 649 太宗没、高宗即位
  • 655 武照儀が皇后となる
  • 663 白村江の戦い
  • 666 高宗は武后とともに泰山で封禅をする
  • 668 高句麗滅亡
  • 674 武后は天后と称する
  • 675 武后が実子で皇太子の李弘を弑する
  • 680 武后の実子の李哲を皇太子とする
  • 683 高宗没、中宗(李哲のち李顕)即位、すぐに廃位し、弟の叡宗(李旦)即位
  • (686 天武天皇崩御、690 持統天皇即位
  • 690 国名を周とし、武照儀は皇帝・則天武后となる。
  • 705 則天武后没、高宗の乾陵に埋葬される。同年、中宗が再度即位し唐に復する
  • 710 中宗は偉皇后により毒殺され、叡宗が再度即位
  • 712 玄宗即位
  • 716 吉備真備阿倍仲麻呂が遣唐使として長安に滞在

このころ偶然か必然か、日本では、斉明(655-661)、持統(690-697)、元明(707-715)、元正(715-724)、孝謙(749-758)と女帝が続いていた。

則天武后の名前は武照儀で、もともと唐の2代目皇帝太宗(李世民)の後宮にいた。649年太宗没後、息子の李治が3代目皇帝・高宗となり王氏を皇后とした。王氏には子供がなかったことから、高宗は男児を生んだ簫淑妃を寵愛する。これが気に食わない王皇后は対抗馬として出家していた武照儀を後宮に迎える。武照儀は聡明で、当初は王氏に献身的に仕え簫淑妃を追い落とすことに成功する。その間、武照儀は徐々に高宗の寵愛を受けるようになり、今度は官僚の多くを味方につけ王皇后から皇后の座を奪うことを画策する。皇帝側近の李義府は高宗の外戚(太宗の皇后の兄)である長孫無忌(ちょうそんむき)に嫌われたが、王皇后を廃し高宗お気に入りの武照儀を皇后とするよう上表し保身を図ろうとする。外山軍治は、家臣は職を賭して諌言することがあるが、李義府は甘言で職を守ったとダジャレで批判している。廃后について、太宗時代からの4人の重臣は皇后廃后の会議でそれぞれ異なる対応をする。長孫無忌と褚遂良(ちょすいりょう)は廃后に反対し、于志寧(うしねい)は態度を明白にせず沈黙し、李勣(りせき)は会議を欠席する。会議で廃后が決まらなかったため、高宗は李勣を訪ね意見を聞いたところ、”陛下の家事だから臣下は関知しない”と答えた。これによって高宗は廃后を決意し武照儀が皇后になる。皇后になった武照儀は、王皇后、簫淑妃を投獄したのち四肢をはね弑し、重臣4人のうち李勣を除く3人を左遷したのち死に追いやる。かつて李勣は太宗によって左遷され、高宗のときに都に呼び戻されたことがある。しかし、実はこれは太宗が我が子高宗を心配し、優秀な李勣に高宗に恩を感じるように仕向けた芝居だと言われる。外山は立皇后のときの李勣について、一度試された人間はその後自分の地位に保守的になると分析している。また、長孫無忌や褚遂良である文官を武官の李勣がこころよく思っていなかったことも二人に同調しなかった理由ではないかとする。後者の理由がより説得力があると思った。その後、李勣は高句麗戦で活躍し生を全うし太宗の陵墓である昭陵に陪葬される。上の写真は昭陵にある李勣碑で亀趺になっている。

高宗は即位後、性格が弱く健康にもすぐれず武后が政治を摂政するようになり、反対派を粛清し唐王室を簒奪する。その間、武后は一族の武氏を登用し、妖僧の薛懐義や美少年の張兄弟を寵愛する。薛懐義は大雲経に天女が即位するという一説があることから、武后は弥勒仏の下生(生まれ変わり)であり帝位につくべきだと言い始める。武后は即位すると仏教を優遇し全国に大雲経寺を造営する。武后と薛懐義の関係は、孝謙天皇と道鏡に重なり、大雲経寺は聖武天皇の国分寺建立に重なる。しかし、武后は薛懐義が図に乗ってくると彼を見限り始末したように単に気まぐれだったように思うのだが、外山は彼女のバランス感覚が優れていたとする。

則天武后は”君を弑し国を奪った”権勢欲のかたまりであるとして一般的に評価は低いが、中には人材登用を進め唐帝国を発展前進させたと評価するものもある。外山軍治は、武后がけたはずれに聡明で周到に準備して自身の描く目的を達成し、自分の帝国を築くことに成功したとする。そして、文化面での貢献を高く評価する。王羲之に代表される書の発展、仏教保護、則天文字の発明、四字年号の採用、官庁や官職の改名など、武后によって独創的な唐文化が花開いたとする。確かに即物的短期的に賢い女だったとは思うが、結局、彼女一代限りの王朝で、一族はその後粛清されたことから、大局的には問題の多い帝王だったと思う。


ふしぎな岬の物語

2015-01-18 18:17:48 | 映画

機中で観た上の日本映画3本ともにテーマはいいのに、もうちょっと話の展開がスマートにならなかったのかと思ってしまった。

「ふしぎな岬の物語」2014、監督:成島出、出演:吉永小百合、阿部寛、竹内結子、笑福亭鶴瓶、笹野高史、米倉斉加年、虹を追いかけて岬のコーヒー店にあらわれた父娘に、エツ子さん(吉永)は、母親を亡くした娘を抱きしめ”大丈夫、大丈夫”というおまじないをする、喫茶店の常連の不動産屋のタニさん(鶴瓶)がフェリーから”礼をいうのはこっちや”とお辞儀をする、末期がんの漁師の徳さん(笹野高史)がエツ子さんの入れたポットのコーヒーをおいしそうに飲む、徳さんの娘みどり(竹内結子)が小学校の文集に書いた父母への感謝のことばをみて現在の親不孝を悔いて涙する。個々のエピソードが素晴らしい。エツ子さんの周囲の人を癒す姿を描くだけで十分にいい映画で、エツ子さんが背負ったものの重さを描くための火事の場面は不要だと思った。町医者役の米倉斉加年の遺作になった。竹内結子は年を追うごとに女優として成長していると思ったが、逆に吉永小百合の演技は日活時代のままで古いと感じてしまった。サユリストじゃないので星はこんなもんかな。★★★☆☆

「柘榴坂の仇討」2014、監督:若松節朗、出演:中井貴一、阿部寛、広末涼子、中村吉右衛門、真飛聖、桜田門外で井伊直弼(吉右衛門)を警護していた彦根藩の侍(中井)は、警護に失敗したことを咎められ、藩より襲撃者を討ち取り仇討を果たすように命令を受ける。1860年の桜田門外の変から13年、時は移り明治の世になっても襲撃者である水戸浪士(阿部)を執拗に追いつづける。やっとの思いで敵を見つけ柘榴坂の上で対峙する二人だったが、その時にはもう仇討を命じた藩はすでになく、仇討禁止令も発令され仇討の理由はなくなっていた。個人的な理由で執拗に敵を追い続けるストーリーに無理がありすぎる。柘榴坂の上で井伊直弼のことばを思い出し敵を許す場面では、”そんなことはもう何年も前にわかれよ”と言いたくなるぐらい主人公の執拗さに共感できなかった。彼を経済的に支える妻(広末)は貞淑で献身的な侍の妻そのものだった。ただ、ミサンガは、夫の仇討成就を願ってのものではなく、実は普通の生活に戻ることを願う普通の妻だったことを示していた。敵を追う執拗さから最後あっさり放免する部分に少し無理はあったが、ストーリーは単純明快でわかりやすかった。過去に決別し新しい一歩を踏み出した夫婦を祝福し、★★★☆☆

「蜩の記」2014、監督:小泉堯史、出演:役所広司、岡田准一、堀北真希、原田美枝子、寺島しのぶ、側室の子が襲われた世継ぎ騒動は藩取り潰しの理由になるため、そのとき夜勤だった戸田秋谷(役所広司)は側室(寺島しのぶ)と不義密通したとして藩を救うため偽りの罪を被ることになる。ただし、秋谷が記録する藩史完成のため10年後の切腹が命ぜられた。檀野庄三郎(岡田准一)は秋谷を監視するために送り込まれるが、秋谷と触れ合ううちに人柄に触れ真実を知る。史家が騒動をどのように史書に書き記すかストーリー展開に期待したのだが、以下のように映画の出来には多くの疑問が残った。

  • 秋谷と側室は藤沢周平の名作「蝉しぐれ」と同じ幼馴染みの関係だったが二人の心情に踏み込めず、心底に隠された思いに「蝉しぐれ」のような切なさが感じられなかった。
  • 秋谷と檀野は共に文武両道で清廉潔白と性格描写が被ってしまい、どちらが主役かわからなかった。黒澤明が「赤ひげ」で、未熟な若医者(加山雄三)が徐々に赤ひげ(三船敏郎)に傾倒していったように師弟二人の性格や技量を別にすべきだった。
  • 一揆を疑われた村人の死に秋谷の息子が憤慨し家老のところに乗り込む展開がとってつけたように唐突で、このエピソードは父親が背負った運命とは無関係で必要なかった。
  • 「椿三十郎」の家老(伊藤雄之助)と同じくこの映画の家老も古だぬきだったが、その描き方にめりはりがなく老獪さが伝わらなかった。世継ぎ騒動の一方の側室グループは影も形も見えなかった。巨悪がなく小悪党ばかりで娯楽映画にもならなかった。
  • 妻が死にゆく夫を送り出す場面で夫婦のきずなが強調されるが、前半で夫婦の絆にまったく触れなかったので、最後の最も感動的であるはずの場面が唐突で共感できなかった。

結局、映画の主題が不明瞭で、黒澤映画を思わせるいろいろなエピソードを詰め込みすぎて何も伝わってこなかった。原作はどうなのかわからないが脚本が弱すぎる。黒澤明は脚本が映画の出来を左右すると言ったが、黒澤の手法を取り入れながら枝葉末節が多く盛り上がりがなく消化不良に終わった。比較するのが悪いのかもしれないが黒澤の後継者を名乗るのだから仕方がない。少し辛いが、★☆☆☆☆


ディオゲネス

2015-01-16 11:25:34 | 西洋史

アレキサンダー大王がまだマケドニアの将軍だったころ、ギリシャのコリントスに住む有名な哲学者に会いに行った。アレキサンダーは日向ぼっこをしている哲学者の前に立ち「何かのぞみはあるか?」と聞くと、「あなたがそこに立つと日陰になるのでどいてほしい」とその哲学者は答えた。はるか昔に購読していた月刊少年雑誌の読み物の記憶だ。この哲学者はディオゲネスなのだが、後にアレキサンダー大王の家庭教師となるアリストテレスと初めて会ったたときの話だとずっと記憶違いをしていた。いつのまにか記憶の中でディオゲネスがアリストテレスにすり替わり、ディオゲネスの名さえ忘れ去っていた。だから、シャーロック・ホームズの兄マイクロフトが所属するディオゲネス・クラブにも反応できなかった。ディオゲネスを知ることになったのは、ギリシャ文化の影響を受けたガンダーラ美術が花開くきかっけになったアレキサンダー大王の遠征を調べる中でのことである。

上の絵と写真はWiki英語版より。左はアレキサンダーとディオゲネス、中はトルコにある犬を連れたディオゲネス像、右は昼にランプを灯して正直な人間を捜しているところ。

ディオゲネスの略歴と思想

ギリシャ植民地の黒海に面するシノペでBC412年に生まれたディオゲネスは、アテネに出てきてソクラテスの弟子アンティステネスの弟子になる。著作が残っていないのでディオゲネスの思想は、彼の生き方や彼が言ったとされる断片的な言葉などから推定するしかない。基本的には師匠アンティステネスのCynicism(キュニコス派)と呼ばれる思想を受け継ぐ。人生の目的は徳に生きることであり、禁欲と無為自然を重視し、富、名声、権力を否定し、肉体と精神を鍛錬し実践する。孔子の徳と中庸、荘老の無為、仏教の無私無欲を併せたような思想である。上の写真で犬を連れているのは、ディオゲネスが大樽の中で暮らすなど犬のような生活をしたことと、CynicismのCynicは古代ギリシャ語で犬を指すことによる。そのころのギリシャ人はそれぞれの都市国家に所属することで自己のアイデンティティーとしていたが、彼は自分を世界市民(コスモポリタン)と称した。ディオゲネスを有名にしたのは思想よりも、アレキサンダー大王との出会いに代表されるような風変わりな逸話である。逸話はwikiに詳しい。日本語版Wikiディオゲネス(犬儒学派)にも書いてあるが、英語版がより詳しいので、その中でも痛快な話を下に訳出した。

    • プラトンが”人間の定義は羽のない二足動物”と言ったところ、ディオゲネスは羽をむしった鶏を持ってきて”人間を連れてきた”とプラトンに言った。その後、プラトンは人間を”平たい広い爪を持つ羽のない二足動物”と言うようになった。
    • ディオゲネスが海賊に捕まり奴隷として売られようとしたとき、買い手が何が得意か聞いたところ、”自分は人を支配することが得意だから、ご主人を必要とする人に売ってくれ。”と言った。買い手のクセニアデスはこの答えが気に入りディオゲネスを自分の子供たちの家庭教師にした。
    • アレキサンダーが、”自分がアレキサンダーでなかったらディオゲネスになりたかった”と言うのに対し、ディオゲネスは、”自分がディオゲネスでなかったならば、ディオゲネスになることを望む”と答えた。

シニカル(Cynical=皮肉)という言葉は、Cynicismからできた言葉で、上のような皮肉ばかり言っていたからだろう。とにかくディオゲネスは筋金入りの奇人変人である。

植村清二とディオゲネス

植村清二の『アジアの帝王たち』に、息子の鞆音が”父の遺したもの”というあとがきを書いている。若くして妻を亡くし幼子3人を育てる清二が、子供たちを連れて銭湯へ出かけ、道すがら星座や森鴎外の『寒山拾得』などの話を聞かせてくれた思い出である。その中にディオゲネスの話もあったという。風変わりな哲学者の話を幼子に聞かせながら銭湯へ行ったというところが私のような常人とは違う。植村清二は軍国主義に反対し新潟に左遷される。物に執着せず分相応と倹約を心掛け、死後遺されたものは夥しい数の蔵書だけだったという。清貧で権威に屈しない生き方は、ディオゲネスに似ているので、植村清二はディオゲネスに共感していたのかもしれない。

ディオゲネス・クラブ

シャーロック・ホームズ「The Greek Interpreter(ギリシャ語通訳)」で、作者アーサー・コナン・ドイルが描写するディオゲネス・クラブが下の英文である。英文中のカッコ内で示したような人間でも、座り心地のよい椅子と最新の定期刊行物は好むので、そんな人間のためのクラブである。会員はクラブで”Stranger Room”(見知らぬ人間の部屋)という個室を使う。クラブのルールは、他者に関心を示さないことと、”しゃべらないこと”で、3回違反すると退会させられる。兄のマイクロフトは創立者の一人でシャーロックもクラブの雰囲気を気に入っている。英文中unclubableという単語の意味は辞書ではnot socialとなっているが、それだとすぐ前のunsociableとかぶってしまうので、”最もクラブに適さない”と訳した。”最もクラブに適さない人間たちのクラブ”というところが、まさに、cynical(皮肉)のディオゲネスっぽく、ドイルの洒落が効いたところだと思う。察するに、植村清二と同じようにアーサー・コナン・ドイルもディオゲネスの生き方が相当気に入っていたのだと思う。

"There are many men in London, you know, who, some from shyness(内気), some from misanthropy(人間嫌い), have no wish for the company of their fellows(群れることを望まない). Yet they are not averse to comfortable chairs and the latest periodicals. It is for the convenience of these that the Diogenes Club was started, and it now contains the most unsociable(最も社会性のない) and unclubable(最もクラブに適さない) men in town. No member is permitted to take the least notice of any other one. Save in the Stranger's Room, no talking is, under any circumstances, allowed, and three offences, if brought to the notice of the committee, render the talker liable to expulsion. My brother was one of the founders, and I have myself found it a very soothing atmosphere."

「シャーロック・ホームズ」に記述はないが、ディオゲネス・クラブはイギリス情報局と関係があると推測されている。マイクロフトが政府の機密を扱う重要な役職にあると「ブルースパーディントン設計書」に書かれていることが推測の理由である。この推測は、ビリー・ワイルダー監督の映画「The Private Life of Sharlock Holmes」によって一般的になったといわれる(Wiki英語版)。テレビ映画Sherlockの「The Reichenbach Fall」の回では、マイクロフトを訪ねたワトソンがクラブ内で大声を出したため、クラブの執事に手荒く扱われる。
 
「アテナイの学堂」のディオゲネス
 
下はラファエロの描いた有名な「アテナイの学堂」で、ギリシャの哲学者が一堂に会している。真ん中で天を指さすのがプラトンで地を指すのがアリストテレスである。ディオゲネスは二人の下、階段に座り足を投げ出している白髪の老人とされている。この絵からも変人ぶりがうかがえる。20年ほど前のイタリア旅行の時、広大なバチカン美術館の中を「アテナイの学堂」を探して歩き回ったが結局発見できず見逃してしまった。

 

今回はチャンギ空港の待合室からアップした。


宗教がわかれば世界は見えるのか

2015-01-11 22:21:20 | 話の種

年末年始は12月の衆院選速報以降、池上彰の番組ばかり見ていたような気がする。物議を醸した朝日新聞のコラムは電子版でアクセスできないが日経に掲載されている大岡山通信は読んでいる。昔はNHK週刊こどもニュースを見ていたし、そのWeb-siteをお気に入りに入れ、”今週のハテナ”や”世の中まとめて一週間”で知りたい情報を仕入れていた。当時はwikiがなく、時事問題を理解するには最も信頼性があってわかりやすい情報だったからだ。池上彰がお父さんで林マヤがお母さんだった記憶しかないので、1999から2002年にシンガポールの衛星放送で見ていたことになる。

昨年末に妻が100円で買った古本『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』を譲り受けて読んだ。仏教、キリスト教、神道、イスラム教の宗教学者との対談集である。読んでいるうちに、フランスでイスラム過激派によるテロ事件が起きた。本から東京外語大教授の飯塚正人との対談でイスラム教を簡潔(少し長いか?)に解説しているので以下に記す。

  • イスラム教の神(アッラー=名前ではなく神を意味する一般名詞)、キリスト教の神、ユダヤ教の神はそもそも皆同じ神である。それを認めない人たちもいる。
  • 予言者ムハンマドが40歳のときメッカ郊外の洞窟で聞いたアッラーのことばを書き留めたものが「コーラン」(あるいはクルアーンという)で、これがイスラム教の始まりである。コーランは114章の断片的な文章からなる。
  • コーランはユダヤ教徒とキリスト教徒を好意的に書いている部分と、ユダヤ教徒に対する敵意が強く出ている部分が混在する。
  • コーランは6~7世紀の成立であり、その時の神のことばが書かれているので時々に矛盾する内容があるし、21世紀のことまで見通して書かれているわけではない。イスラム教徒にすればそれらは許容範囲である。
  • 飲酒は最初は飲んでいいことになっていたが、後では飲んではいけないことになった。これは、お前たちが節度を持って飲むことができなかったからだめになったと解釈される。酒を飲むと互いに憎しみ合うようになり神を忘れて礼拝を怠るようになると書かれている。
  • ユダヤ教やキリスト教と同じ神の言葉が7世紀のムハンマドに伝えられたのは、ユダヤ教やキリスト教が神の言葉を曲解したからだ。キリストを神の子としたように。キリストは神の子ではなくムハンマドと同じ預言者のはずである。
  • コーランに、”女性たちにジルバーブを纏え”と”女性の体のうち外に出ている部分は仕方ないが、それ以外の美しい部分は隠せ”と書いてある。ジルバーブはマント、ベスト、ベールのどれとも解釈でき、国によってベールで顔をすっぽり隠したり、ヒジャブ(スカーフ)で髪を覆ったり、普通の格好だったりする。
  • コーランに、”豚肉や死んだ動物の肉は食べてはいけない”と書いてある。
  • ラマダン(断食)をする理由はコーランに書かれていない。おそらく貧しい人の気持ちを知らなければならないという考えから来ているのだろう。
  • コーランは、一夫多妻を認めている。天国に行けた者は幾人もの美女が妻となっていっしょに暮らす。姦通罪は石打刑(死ぬまで石を投げつける刑)で今もイラン、サウジアラビア、パキスタン、スーダンでは実行されている。
  • ムハンマドの言動を記録した「ハディース」という聖典があり、イスラム教徒がとるべき行動が書かれている。
  • ハーディースに”ムハンマドは猫を可愛がった。犬は悪魔の使いだ。”と書かれているので、イスラム教徒は猫好きで犬嫌いである。
  • コーランとハーディースの解釈のためにイスラム法学者が存在する。どのように生活すれば神に背かないかを教えてくれる。法学者の序列は人気で決まる。
  • ムハンマドの死後、660年にあるグループは最高指導者カリフ(預言者の代理人)を選出したが、他のグループはムハンマドのいとこで娘婿のアリーを後継者とした。前者はスンニ派でイスラム教徒の9割を占め,後者はシーア派である。両派の教義に違いはなかったが、イラン革命のときシーア派の思想家ホメイニが宗教と政治が一致した体制をイランに作ったため、隣国のイランなどでシーア派とスンニ派の殺し合いが始まった。
  • 基本的に偶像崇拝を禁ずるがサダム・フセイン像やホメイニ氏の肖像など一部では容認されている。
  • イスラム共同体は73のグループにわかれ、そのうち1つだけが正しいというムハンマドの言葉が残っている。そのため、各派が自分たちこそが正しい、他は間違っていると主張するようになった。
  • レバノンのシーア派組織ヒズボラが、自爆テロを始めたが、イスラムは自殺を禁じているので自爆テロをジハード(聖戦)とした。コーランに”神の道のジハードで倒れたものは死んだと思ってはならない。彼らは神のみもとで生きている”とある。自爆テロがかっこいいと思う若者が出てきて、若者をリクルートしようとする人間もいる。預言者ムハンマドは殉教などしていないので、自爆テロの考えは本来はおかしな話である。
  • 神の命令に従っていると、この世で自分たちの国が栄えるという思想がある。神の教えを守りよい行いをすれば天国に行けるということはイスラム教徒の99%が信じている。
  • イスラム教徒は世界で増えていて15億人はいると言われる。イスラム教はマニュアル型宗教でわかりやすいことがその理由のひとつである。
  • イスラム教徒は仲間を大切にしやさしいので、若者はひきつけられる。

ムハンマドを風刺した画を掲載した新聞社へのテロはフランス国内に住むアルジェリア系フランス人イスラム教徒によるものだった。事件は17人の犠牲と犯人の射殺で終わり、今フランスでは”テロに屈せず言論の自由を守れ”という大キャンペーンが行われ世界中の報道機関がそれに同調し支持している。しかし、異なる宗教を侮辱することも言論の自由だとすることに違和感を覚える。イスラム国の戦争犯罪や非人道的犯罪を非難することと、宗教そのものや神や預言者を風刺冒涜することはまったく次元が違うのではないだろうか。まじめにイスラム教を信仰する人に不快感を与え侮辱するような風刺画を出すことを言論の自由と言うのだろうか。「言論の自由を守ることは絶対の正義だ」というのは、一種の原理主義である。原理主義は他者や他者の意見に非寛容である。イスラム法を厳格に守ろうとするイスラム原理主義と何ら変わるところがないように感じる。神が天地を創造したという聖書を絶対だと信じるキリスト原理主義も同じである。

本の中で池上の”人はどうして原理主義の落とし穴にはまってしまうのでしょうか。”という問いに、養老孟司は、”私が「絶対の正義」をいつも胡散臭く思ってしまうのは、敗戦体験が抜きがたく影響しているのでしょうね。なにしろそれまで「鬼畜米英」「一億火の玉」と言っていたのが、一夜にしてパーになりましたからね。”と答える。池上の”人はなぜ”という問いの答えになってないのだが、原理主義の落とし穴にはまらないためには、何事も懐疑的にとらえるところから始めなさいということだと思う。

本はイスラム教だけでなく、仏教、キリスト教、神道についても語り、最後は「いい死に方」を養老孟司と対談して終わる。池上と対談者による宗教解説は期待にたがわずわかりやすかった。シンガポールの多民族、多宗教国家で暮らしていて日頃感じていたことが明確に解説されていた。中でも自分は無宗教だという大半の日本人は、風土や歴史的に宗教性が低いわけでないという釈徹宗の話は面白かった。島田裕巳はスピリチュアルやパワースポット巡りが流行る現代はお蔭参りが流行った江戸時代に似ているという。確かに無宗教、無神論者を標榜する自分も、年末年始はクリスマスを祝い、敬虔な気持ちで除夜の鐘を聴き、神社にお参りに行ったように、極めて宗教的な精神性を持っているのである。


長安

2015-01-10 16:30:44 | 中国

昨年の初詣は水天宮で盛りだくさんのお願いごとをし、ほぼ願い事が叶ったので本来ならお礼参りに行くべきところ、今年は1月2日に仙台から上京してきた友人夫婦と待ち合わせして亀戸天神へ行った。天神さんは学業成就だけでなく、社殿に掲げられたご利益は家内安全、商売繁盛、交通安全、病気平癒など10以上に及び、考えられる願い事のほとんどすべてを網羅する心の広い庶民の神様なのである。八方美人的な天神さんのご利益を疑うわけではないのだけれど、お賽銭の多寡はご利益に無関係だという新聞記事にも勇気づけられ、さらには魔法のランプの魔神なら願い事を確実に叶えてくれるはずだなどと不謹慎な事を考えながらお参りをした。そして『アラジンと魔法のランプ』の舞台が長安だったことを思い出していた---本題に入るために少し強引で誇張はあるけれど、そういうことにしておこう。

アラビアンナイトの舞台は当然バグダッドなどのペルシャ地方の話だと思い込んでいた。絵本の挿絵やディズニーのアニメでは、砂漠やモスク風の丸屋根の宮殿を背景に、ペルシャ服を着てターバンを巻いた若者やベリーダンス衣装の美女など朱髯緑眼(しゅぜんりょくがん)の人々が活躍するのだから当然である。ところが、昔子供たちに買った絵本に”長安の仕立て屋の息子アラジンはーーー”とあり大変驚いたものだった。アラジンが実は中華風の長安の街で大活躍し、最後は(唐の?)姫君と結ばれるとは想像もできなかった。なぜ長安なのか。最近読んだ長澤和俊『シルクロード』にそのヒントが書かれていた。

第十章 唐代のシルクロード

ゾグド人の隊商の通商活動によって、唐の長安にはさまざまな西域文化が流行した。7~8世紀のアジアでは西のバグダードとともに東の長安が、世界的に最も繁栄した国際都市であった。数々の西方の珍貨を積んだ朱髯緑眼のソグド人の隊商は、はるばる西域から敦煌をへて、唐の長安にやってきた。これによって宝石、香料、金銀細工、象牙細工、織物、薬品など、唐人の珍重するササン朝ペルシャの物産が輸入された。長安の市場にはソグド人やウイグル人も珍しくなく、酒場へ行けば胡姫が胡酒(ぶどうしゅ)をすすめたと詩に歌われるほど、盛唐時、とくに開元天宝時代の長安は、ペルシャ・モードにあふれていた。(胡=異民族)

『旧唐書』輿服志によれば、”開元年間以来、----太常(宗廟の儀式を司る官命)の薬は胡曲を尚び、貴人の食事はことごとく胡食を供し、士女は皆競って胡服を衣る”ようになったという。

李白 ”何れの処にか別れをなすべき 長安の青綺門 胡姫 素手もて招き 客を延(ひ)いて金樽(よきさけ)に酔わしむ ---” 「斐十八図南の嵩山に帰るを送る」

このように、唐代の長安では、ペルシャ文化が大流行していたのである。さらに、

 7世紀中葉、ササン朝ペルシャの滅亡により、多数のササン朝の遺民が長安に亡命したと推定されることである。ササン朝ペルシャは642年、ネハーワンドの戦いに敗れて以来、アラブ軍に支配され、その遺民はトハリスタンに逃れた。674年にササン朝の王子ペーローズは直接長安に来て請兵救援を求めた。ペルシャ遠征を試みるが叶わずまもなく長安で病没する。ササン朝王族とともに多くの家臣、工芸家、芸術家が行をともにしたことは当然であろう。

『旧唐書』楊貴妃(719~756)伝によると、”宮中の供貴妃院は織錦刺繍の工およそ700人、彫像鎔造も数百いたーー”とあり、その中には多数のササン朝の遺民工芸家が含まれていたであろう。

唐の長安には実際にペルシャ人が大勢移り住んでいた。アラビアンナイトはササン朝時代の中世ペルシャ語で書かれ、8世紀ごろバグダッドで成立したと言われる。その後、多くの説話が付け加えられ、現在のアラビアンナイト物語集は成立当時の姿の何倍にも膨らんでいる(wiki)。『アラジンと魔法のランプ』は長安に住んだペルシャ人が作った説話だったに違いないと思うのである。姫君は中国人の可能性があるが、アラジンが中国人だったというわけではないと思う。

ササン朝ペルシャはイスラム教の創始者ムハンマド(570~632)の後継者(3代目カリフ)によって651年滅亡する。ササン朝の王子ペールーズが遺民を引き連れて長安に救援を求めるのはその後674年のことで、その時の唐の皇帝は第3代・高宗である。高宗のとき、倭が百済を助けるため唐と新羅の連合軍と戦った白村江の戦い(663年)があり、敗れた百済は滅亡し、ほどなく新羅が朝鮮半島を統一する。第9代・玄宗の治世は712~756年で、吉備真備が1回目の遣唐使として唐に渡ったのは716年、2回目は750年だった。阿倍仲麻呂が唐に滞在したのは716~770年で、彼らはペルシャ文化花盛りの長安の空気を吸ったことになる。アラジンが長安で活躍し、奈良の正倉院の宝物にもペルシャ文化の影響がみられるように、東西世界が密接に関連しあっていることがわかる。