備忘録として

タイトルのまま

日光東照宮

2016-11-25 22:49:18 | 江戸

NHK『真田丸』で、豊臣を滅ぼそうとする老いた家康の執念は凄まじいばかりである。跡取りの秀忠が頼りないのだから仕方ない。武田信玄との戦いに敗れ糞まみれで城に逃げ帰り、信長の気まぐれに耐え、本能寺の変では命からがら京を脱出し、格下の真田に2度も敗れ、秀吉の機嫌をとりながら時期を待ち、苦労の末に天下人にまで昇りつめた男が人生の総仕上げにかかっている。そこに妥協や憐憫や慈悲の入る余地はない。

自宅が東武線沿線なのに今まで日光に足が向かなかったのは、そんな老獪な家康をあまり好きではないことと、派手な東照宮を毛嫌いしていたからだ。前日まで紅葉見物は見頃の高尾山と決めていたのに、相当混雑するというニュースを聞いて急遽行先を変更した。それと、ボロブドールボタニックガーデンから3連続で世界遺産巡りになるというのも行き先を変えた理由のひとつである。ボタニックガーデンの巻に出てきた侯爵・徳川義親は、尾張徳川家19代目当主になる。尾張家の家祖の義直は家康の九男で三男秀忠の腹違いの弟になる。東照宮は平成の大修理中で、有名な陽明門は覆いに隠され、三猿と眠り猫はレプリカだった。さらには自分にとって神様でもない家康を拝んでも仕方がないので、もっぱら終わりかけの紅葉と立派な杉木立を楽しんだ。記すこともあまりないので写真ばかりを載せておく。 

下の写真は順番に、東照宮の参道前に架かる神橋、家康の神柩を納めた宝塔、東照宮本殿前の唐門、それと家光廟入口の皇嘉門である。唐門奥の本殿内は見学可能だったが写真撮影は禁止だった。家康の神柩というのが何かよくわからない。駿河の久能山に埋葬された家康は、その後日光東照宮に改葬され神格化された。神柩に遺髪や分骨が入っているわけではなさそうである。家光廟である大猷院(たいゆういん)は東照宮の隣にある。初代家康と3代家光は日光に祀られるが、2代秀忠の墓は江戸の増上寺にある。

2013年8月に東京タワーに行ったとき撮った増上寺と秀忠とお江の墓

以下は、東照宮から二荒山(ふたらさん)神社へ向かう参道の杉木立、二荒山神社の杉に楢が寄生した縁結びの杉、職業柄撮った地震で緩みはらみだした石垣で、”近づくな”と貼り紙が吊ってある。東日本大震災で緩んだとしたら、5年半も放置していることになる。もうひとつ、昼に食べた日光名物のゆば御膳は、ゆば尽くしで美味であった。

 


シンゴジラ

2016-11-12 20:36:53 | 映画

『シンゴジラ』2016、監督:庵野秀明、樋口真嗣 出演:長谷川博己、石原さとみ、竹野内豊、映画前半、正体不明の巨大生物への対応に政府、特に首相の大杉漣が右往左往する様は笑えた。官僚主義、セクショナリズム、前例主義など、映画を見ながら都庁の豊洲市場担当部署も、小池ゴジラの出現に右往左往しているのだろうと思ったりした。それに比べ力のなさそうな平泉成を擁立した臨時政府の後半は、長谷川に対応を一任し、数次にわたるゴジラ攻撃を筋書き通り完璧に遂行して見せた。意思決定が一元管理されたからこそ可能だったということになる。映画を観て、統帥権のことを思い出していた。総意型の文民統制は、多様化したリスクや不測の事態、特に急激な変化に対応できないが、個人に統帥権を付与すると独裁をまねく。バランスが重要なのだとは思うが、そううまくはいかないだろう。

ゴジラは放射線を東京で撒き散らし原発を皮肉っているので、映画は格好の原発リスク管理シミュレーションになっていた。戦前、総力戦研究所という組織があり、開戦前に日米戦の机上演習(シミュレーション)を行ったところ、何度やっても日本敗戦という結果になったという。この予測結果を報告された当時の東条陸相は、”机上の空論”だと言わんばかりに反論し予測の口封じを命じた。彼には日露戦争勝利の成功体験バイアスがかかっていたのである。東日本大震災の10年前、2001年には貞観地震をもとに津波シミュレーションが行われ福島沿岸部を大きな津波が襲うことが示されていたが、その結果は活かされなかった。原発事故後すぐに放射能の拡散シミュレーションが行われ、どの地域に放射能が拡散するか報告されていたが、それも活かされなかった。いずれも、責任者の中で、一つの可能性としてのみ認識され、予測を真剣に吟味する態度がなかったからだ。自分の希望に沿わない予測を排除した東条の態度とまったく同じだった。逆に、石巻の大川小学校の問題では、津波シミュレーションが小学校まで津波は来ない予測となっていたことが、先生たちの判断を曇らせた。再三避難勧告がされていたにも関わらず行動を起こさなかったのは、過去に津波が来ていないという経験と、先生のこうあって欲しいという気持ちと、シミュレーション予測が一致したからだ。シミュレーションの精度はもちろん重要だが、予測をバイアスなしに判断する高次で公平な判断力が要求される。

ゴジラシリーズは小学生のときの『キングコング対ゴジラ』が最初だったと思う。その後、ゴジラはラドン、モスラと戦い、『三大怪獣 地球最大の決戦』のキングギドラでピークを迎え、この映画をもって自分のゴジラ人気は終了した。第1作の『ゴジラ』をテレビで見たのはずっと後のことだった。ところで、『シン・ゴジラ』の”シン”は何を意味してるのだろう? ★★★★☆

『64 (ロクヨン)』2016、原作:横山秀夫、監督:瀬々敬久、出演:佐藤浩市、永瀬正敏、夏川結衣、三浦友和、吉岡秀隆、綾野剛、榮倉奈々、緒方直人、NHkのピエール瀧主演の同名ドラマの最終回を見逃していたので、結末がずっと気になっていた。映画はテレビと途中までほとんどいっしょだったので同じ脚本を使ったか、あるいは双方とも原作に忠実な脚本だったのだろう。『シン・ゴジラ』といっしょで、こちらも警察機構、キャリアとノンキャリの対立、保身、記者クラブとの関係など事件以外の舞台背景が面白かった。昭和64年、自分は広島にいて勤務先事務所に半旗を掲げたことを思い出す。小渕官房長官の「新年号は平成です」という会見もリアルタイムでみていた。誘拐事件で娘を失くした父親の執念に胸が熱くなった。★★★★☆

選ぶ映画が悪いのだと思うが、以下はいずれもはずれで時間つぶしにしかならなかった。

『X-men Apocalypse』2016、監督:ブライアン・シンガー、出演:ジェームズ・マカボイ、ジェニファー・ローレンス、マイケル・ファスベンダー、このシリーズも今は惰性で見ている。シリーズ初期のころのドラマ性や意外性はなくなってきた。本作も『Mummy』と同じような超能力を持った過去の亡霊が出てきた。もともと荒唐無稽のミュータント話が、前回あたりから空間移動だけでなく時間移動もするようになり、遂に数千年の時空を超えることも時間の問題だった。次回作でミュータントは、宇宙や未来を駆け巡り宇宙人と戦うことになるかも。★★☆☆☆

『Star Trek Beyond』2016、監督:ジャスティン・リン、出演:クリス・パイン、ザカリー・クイント、カール・アーバン、★★☆☆☆

『Ghostbusters』2016、監督:ポール・フェイグ、出演:メリッサ・マッカーシー、クリステン・ウィーグ、ケイト・マッキノン、クリス・ヘムスワース、最後に、前作のシガニー・ウィーバーがカメオ出演したのに反応した。1984年と1989年の旧作は観ている。こっちは退屈で、星ゼロ

『Criminal』2016、監督:アリエル・ブローメン、出演:ケビン・コスナー、ライアン・レイノルズ、オールドマン・ゲッティ、CIAエージェントの記憶が移植された犯罪者がCIAのために働く。星ゼロ

『Nice Guy』2016、監督:シェイン・ブラック、出演:ラッセウ・クロウ、ライアン・ゴスリン、あらすじが思い出せない。星ゼロ

『The Huntsman Winter's Wars』2016、監督:セドリック・ニコラス・トロージャン、出演:クリス・ヘムスワース、ジェシカ・チャステン、エミリー・ブラント、シャーリーズ・セロン、豪華配役だがディズニーの雪の女王をパクってる。★☆☆☆☆

『Independence Day Resurgence』2016、監督:ローランド・エミリッチ、出演:リーアム・ヘムスワース、ジェフ・ゴールドブラム、ビル・プルマン、前作の科学者と大統領が再度活躍する。 ★☆☆☆☆


ボタニックガーデン

2016-11-10 23:34:56 | 東南アジア

先週末、ボロブドールに続きボタニックガーデンを訪れ世界遺産のはしごをした。昨年2015年に登録されたシンガポール初の世界文化遺産である。土曜日にもかかわらず小雨だった所為か入場者は少なく、のんびりと快適に園内を探索できた。入園は無料で、遺産登録で保護される貴重なHeritage Tree1本1本、熱帯特有の樹々と草花、それと疑似熱帯雨林に触れることができる。種類が豊富だとされるオーキッド園は別区画になっていて有料である。下は園内の様子と野外コンサートホール。

オーキッドとブランコをする少女像のある池

15m以上の蛇のように伸びた根を持つ木と園内のカフェーで食べたチキンサテーとBacon Cheese BurgerとFried Potate。

Heritage Tree(カポックまたはシルクコットンという名の遺産樹)、オーキッド園前の時計台とマダツボミ

園内博物館の掲示板(下)にボタニックガーデンに貢献した人々が紹介されていた。掲示板中央の1929~1945 E.J.H. Cornerは、ケンブリッジ大学出身の植物学者で、日本占領時(1942年2月)の副園長である。ボタニックガーデンでネットサーフィンしているうちに、彼が日本統治時代のことを回想した本を出していることを知った。

本のタイトルは『The Marquis—A Tale of Syonan-to』(侯爵ー昭南島の物語)で、石井美樹子の『思い出の昭南博物館-占領下シンガポールと徳川侯』(中公文庫)という日本語訳がある。シンガポール日本人会図書館で見つけた訳本を借りだして読んだ。訳者の石井は本に出てくる日本人科学者に直接会うなどし、Cornerによる原本の執筆に深く関わっていた。

コーナーは、1942年2月のシンガポール陥落後すぐに東北大学地質学教授と名乗る高橋舘秀三と出会う。実は高橋舘教授の自己紹介の半分はウソで、彼は教授ではなく講師にすぎなかった。「じつにダイナミックな人間であった。ときには圧倒的でさえあった。公の場での駆け引きがうまく、私的には歯に衣を着せずにものを言い、ときには慈愛深く、ときには冷酷で、詩人であると同時に実際的な人間であった。」とコーナーがいう田中館教授は、”大学の同窓”の山下奉文将軍と交渉し、植物園と博物館の管理を任される。山下は陸軍大学校出身なので大学の同窓というのもうそ。上の掲示板に名前のある著者のコーナー、ホルタム(Eric Holttum), ミスター・カン(Kwan Koriba)に、上の写真の右端に立つ水産局長バート(William Birtwhistle)を加えた4人は、掠奪から植物園と博物館を守ることと研究を続けるために田中館教授のもとで働くことになる。1942年当時、広さ32ha、100年近くの歴史を持つ植物園内は、熱帯から亜熱帯にかけて3000種もの樹木で埋まっていた。彼らの主な仕事は、マレー半島全域の植物を採取し、分類、研究することであった。世界中から種々の植物を移植し、有用な植物は園内の試験場で品種改良を行うことも重要な仕事であった。植物園は単なる散歩道や遊園地などではなく、シンガポールの産業の主要な拠点となっていた。世界一の植物園として、世界の植物学者で知らないものはなかった。「高橋舘教授がいなければシンガポールの博物館と植物園と図書館はあとかたもなく滅び去っていただろう。」とコーナーは回想する。教授は早い段階から日本は戦争に敗れると思っていたという。教授は昭和18年7月に帰国し、代わりに侯爵の徳川義親が総長に、博物館長に羽根田弥太博士、植物園長に郡場教授が就任し、高橋舘教授の仕事を引き継いだ。「私たちは田中館教授の意志を受け継ぎ、希望の灯をたかだかと掲げ続けたのである。」 コーナーは田中館が教授ではなかったことを知りながら、本ではずっと彼を教授という尊称で呼んでいるので、田中館の人柄に心酔していたことがわかる。

コーナーは博物館の仕事を続ける中、日本軍による非人道的な蛮行を見聞する。フォートカニングの丘のふもとに今もあるYMCAに置かれた憲兵隊司令部では華僑を捉えては拷問を行っていた。集められた大勢の華僑はトラックに乗せられどこかに連れて行かれ帰ってくることはなかった。戦後、チャンギの海岸で日本軍の虐殺による無数の人骨が発見されたことで、彼の証言は裏付けられた。戦争末期の1944年には日本の占領に陰りがでてきて、食糧事情や衛生状態が悪く病気や飢餓でなくなった人々の死体が博物館の横に放置され悪臭を放った。そのころの日本軍にはモラルハザードが発生し、日中でも街中で地元民を殺人虐待凌辱する地獄のような光景が繰り広げられたという。コーナーは日本人科学者との日々を好意的に書いているが、華人大量虐殺と終戦間際の蛮行は日本の占領時代の汚点だと非難する。「世界大戦は人間性を踏みにじった。もし自分が日本人科学者に出会えなかったら、人間を信頼する力を失っていただろう」と述懐する。

1945年にシンガポールは解放される。コーナーは、「戦争の勝利が日本人科学者の姿勢を左右しなかったように、敗戦によっても、学問への奉仕者としての姿勢を変えなかった。」とし、1946年コーナーは植物園を守った日本人科学者についての記事をタイムズ紙に送ったが、「日本人がシンガポールで人類の文化に貢献したなどとは、とても信じられない、嘘っぱちだ」ということで記事は掲載されなかった。戦争中のシンガポールにおける日本人科学者のことが世に出るのは、1981年まで待たなければならなかったのである。

コーナーたち以外の英国人は皆チャンギ捕虜収容所に入れられたため、同胞からは戦争協力者だとみられた。シンガポールのNational Library Databaseで見つけた1982年The Strait Timesの下の記事(部分)は、コーナーの出版本についてのものである。Wartime Controversy(戦争時の論争)という記事には、コーナーが日本人科学者たちと植物園で研究を続けたのは自国を裏切り、日本軍に協力したことになるのではないかという疑問をコーナー自身が自分に問い続けたと書く。掲示板の植物園に貢献した人々の中に、日本人科学者の名前はない。日本占領下で日本人科学者がボタニックガーデンに関わったということは黙殺されている。善行が抹消されるほどの蛮行があり、戦後70年経った今もそれはシンガポールで許されてはいないのである。

 訳本のシンガポール地図 (今はないカトン飛行場は位置が間違っていたので赤で訂正した)


ボロブドール

2016-11-05 00:58:46 | 東南アジア

10年前行きそびれたボロブドールにやっと行くことができた。中部ジャワのジョグジャカルタ市内から北西に約1時間のところにある。車を手配したホテルで、日の出を寺院から見ることを薦められたが、朝4時出発ということだったので丁重にお断りし朝7時出発にした。入場料Rp260,000(約3000円)を払い広い敷地に入った頃の入場者はまばらだったが、遺跡を観るうちにみるみる増え、2時間後遺跡を出るころには人であふれた。

ボロブドールは、7~11世紀に中部ジャワを支配したシャイレンドーラ朝が8世紀に造営した仏教寺院で、地元では、Candi Borobudurと呼ぶ。9層ピラミッドの下位5層は方形で最下層は1辺120m、上位3層は円形になっている。最上段の大きなストゥーパを仏像一体を収めた釣鐘状のストゥーパ72基が取り囲んでいる。ピラミッドは手で抱えられるくらいに小さく成形した20~30㎝大の四角いブロック(安山岩や粘板岩)を漆喰などを使わず丁寧に積み重ねてできている。

シャイレンドーラ朝の起源には、地元ジャワ、スマトラ、インド、カンボジアの4説があり、発見された古マレー語碑文などからジャワ起源が有力とされている。インド起源説は、あのアショカ王が征服した東インドのカリンガを起源とする。しかし、アショカ王のカリンガ征服は紀元前3世紀なので、7世紀に始まったシャイレンドーラ朝とは時代が隔たりすぎていると思う。

9世紀半ば、シャイレンドーラ朝の王子が政争に敗れ逃れたのがシュリービジャヤ朝である。以降、シュリービジャヤ朝は栄え、10世紀にはマレー半島、スマトラ、ジャワを含む広大な地域を支配し全盛期を迎える。シャイレンドーラ朝は、シュリービジャヤ朝に併合されたとも並立したとも言われる。ボロブドールは大乗仏教寺院で、7世紀インド往復時に義浄が立ち寄り修行したシュリービジャヤの首都パレンバンの寺院が大乗仏教だったように、大乗仏教は7~9世紀のインドネシア全域に広まっていた。学校で、大乗仏教は北伝、小乗仏教は南伝と習ったと記憶しているが、大乗仏教は南伝もしているじゃないか。ボロブドールの周りには9世紀のヒンズー教のプランバナン寺院遺跡群もある。現在、インドネシアは世界最大のイスラム教徒人口を有する国で、仏教は衰退、バリ島にヒンズー教、スラウェシにキリスト教が細々と分布する。

ボロブドールは近世まで忘れ去られていて、19世紀始めにラッフルズが土に埋没した状態で発見し、その後、オランダ統治領時代に発掘が続けられた。第2次世界大戦後はユネスコの指導で発掘保存が行われ、1991年に世界遺産登録された。遺跡は2010年ムラピ火山の噴火により降灰の被害を受けたということだったが、丁寧に保存修復されていて好感が持てた。

最下層のレリーフはブッダの一生を描いているというので念入りに見学した。下のレリーフの前でフランス人グループのガイドがしきりにクァトロ(4)と叫んでいたので、これは愛馬カンタカに乗ったシッダールタ王子が腰が曲がり杖をついた老人を見た四門出遊の場面に違いないと思い写真を撮ったが、間違っているかもしれない。次のレリーフは、ブッダの周りに人間だけでなく鳥獣が集まり説法を聞いている。菩提樹下の悟り、初転法輪、沙羅双樹と涅槃などはないかと2度巡ったが結局わからなかった。構内の博物館に期待したが、レリーフの説明は限定的でやはりどのレリーフがどんな場面を表現しているかはわからなかった。ガイドをつけるべきだったかもしれない。