備忘録として

タイトルのまま

ネブラスカ

2014-07-21 22:18:48 | 映画

今回のテキサス行では10本以上の機中映画を観た。最後は観たい映画がなくなり普段は観ないディズニーのアニメ映画まで観てしまった。その中でも最後の最後に観た映画が最も心に残った。それが表題の「ネブラスカ」である。老父がアルツハイマーになる話に観る気はまったくなかったのだが、何気なく観たのがラッキーだった。

「ネブラスカ」2013、監督:アレクサンダー・ペイン、出演:ブルース・ダーン、ウィル・フォルテ、アルツハイマー気味の父親は100万ドルの宝くじに当たったと思い込みモンタナからネブラスカまで歩いて行こうとする。見かねた次男は父親を車に乗せてネブラスカに向かう途中、両親の故郷に立ち寄る。そこでは100万ドルが当たったという噂が広まり、ほとんど付き合いのなかった昔の友人や親戚たちがおこぼれに預かろうと集まり、人間の本性が露わになる。父親に批判的な母親と長男もそこに加わり、両親の人生や交友関係に触れるうちに親子と家族のきずなが深まる。父親は都合よくアルツハイマーを演じているようにも見えるが、年老いて子供のように純真になっているだけのようにも見える。白黒画面がハートウォーミングなストーリーを際立たせる。89歳になった父の人生に重なってしまった。★★★★☆

「The Guilt Trip、邦題:人生はノーリターン」2012、監督:アン・フレッチャー、出演:バーブラ・ストライサンド、セス・ローゲン、自分で開発したエコ洗剤を販売する主人公は販売先を訪ねるアメリカ大陸横断の旅に過保護な母親を同行することになる。息子は不器用で商品はまったく売れない。人生経験が豊富で人付き合いの上手な母親のアドバイスは的確なのだが、そのアドバイスを素直に受け入れられない。バーブラ・ストライサンドはこの作品でアカデミー賞のパロディー版ラズベリー賞で最低主演女優賞をとったが、そんなに悪いとは思わなかった。話は単純で最後の落ちもわかりやすく面白かった。★★★☆☆

「Dave」1993、出演:ケビン・クライン、シガニー・ウィーヴァー、昔観た映画を再鑑賞した。病気になった大統領の影武者になった男の大統領夫人とのやりとりや福祉予算を友人の会計士と国家予算から捻出する場面は痛快だった。★★★☆☆

「Being There、邦題:チャンス」1979、監督:ハル・アシュビー、出演:ピーター・セラーズ、シャーリー・マクレーン、社会から隔絶されて無学のまま育った庭師チャンスが、経済界の大物で政治の黒幕の男と知り合い、チャンスの発する何でもない言葉が政治的な発言と受け止められ大統領候補になるという不思議なコメディー。白黒映画の中で若い令嬢のシャーリー・マクレーンがチャンスに惹かれていく姿が美しい。★★★☆☆

「The Face of Love」2013、監督:アリエ・プーシン、出演:アネット・べニング、エド・ハリス、ロビン・ウィリアムス、事故で亡くなった最愛の夫とうり二つの男と出会い惹かれていくという日常に非日常を持ち込んだ韓国ドラマのような映画。死んだ父親そっくりの男が母親に寄り添うのを見て娘が猛反発するのは当たり前で、面影だけではうまくいかないのも無理はない。★★☆☆☆

「ブダペストグランドホテル」2014、監督ウェス・アンダーソン、出演:ラルフ・フィーネス、マレイ・アブラハム、ウィレム・デフォー、ジュード・ロー、ビル・マレー、グランドブダペストホテルの有名なマネージャーとベルボーイの冒険。豪華配役かつ興味をひく設定なのになぜか全く面白くなかったのは脚本の所為か?★☆☆☆☆

「World War Z」2013、監督:マーク・アルスター、出演:ブラッド・ピット、ウィルス感染でゾンビになっていく人類を止めるために戦う。ゾンビ映画に興味はない。★☆☆☆☆

「Divergent」2014、監督:ニール・バーガー、出演:シャイリーン・ウッドレイ、テオ・ジェイムズ、ケイト・ウィンスレット 「In Time タイム」や「ハンガーゲーム」のような階級社会を背景にしたSF映画。この手の映画が多いのは較差が指摘されている現代社会を反映しているのだろうか。★★★☆☆

「アナと雪の女王」2013、日本語版で観た。松たか子の歌う「Let It Go」は素晴らしかった。★★★☆☆

「塔の上のラプンツェル」2010、こっちは「アナと雪の女王」ほどではなかったが退屈はしなかった。★★☆☆☆

「Winter's Tale、邦題:ニューヨーク冬物語」2014、監督:アキヴァ・ゴールズマン、出演:コリン・ファレル、ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、ラッセル・クロウ、昔観た「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアー」のような感じの時空を超えた男と悪魔の手先の闘いの話で、おとぎ話というにはとびすぎてる。空駆ける白いペガサスが印象的だった。★★☆☆☆

「A Walk in the Clouds、邦題:雲の上で散歩」1995、監督:アルフォンソ・アラウ、出演:キアヌ・リーブス、アイタナ・サンチェス・ギジョン、アンソニー・クィン、たまたま出会った子供を宿した大農園の令嬢の夫を演じるうちにお互いが惹かれ合うようになる。とんでもなく人のいいキアヌ・リーブスがかっこ良すぎる。メキシコのぶどう農園が舞台で、チャールトン・ヘストンとエリノア・パーカーの「黒い絨毯」を思い出した。祖父役アンソニー・クィン(「」、「アラビアのロレンス」、「ナバロンの要塞」、「サンタヴィットリアの秘密」)を久しぶりに見たが相変わらずいい風貌をしている。★★★☆☆

「Labor Day、邦題:とらわれて夏」2013、出演:ケイト・ウィンスレット、ジョシュ・ブローリン、妻殺しで服役していた男が刑務所を脱獄し、近所の母子の住む家に逃れてくる。男手のない家で壊れ物を治したり、息子にキャッチボールを教えたりするうちに母子ともに男に惹かれていく。しかし、そんなことが長続きするはずもなく1週間後、男は再逮捕され30年の刑を受け服役する。息子は大きくなり高校では野球で活躍し、その後結婚し男に教わったパイの店を経営する。そして何年かのちに男が出獄するという連絡が入る。わずか数日の出会いと触れ合いが人生に深くかかわってくる。★★★☆☆


テキサス

2014-07-21 15:56:45 | 

西部劇の世界でしか縁のなかったテキサスへ行った。成田からヒューストンまで直行12時間の旅である。シンガポール~東京を含めると片道18時間半、往復37時間である。これを2週間の間に2度やったので、74時間飛行機に乗っていた。時差ボケはひどかったがおかげで映画は10本以上観た。ヒューストンの空港は、当地出身のジョージ・ブッシュ国際空港と名付けられていた。ヒューストンにあるNASAも大統領の名がつけられたジョンソン宇宙センターである。

空港と仕事場とホテルの近辺しか行かなかったので、ホテルからと車の中とレストランで撮った下の写真でテキサス気分が出るだろうか。

ヒューストン中心街から西のWest Sideにビルは少なくホテルや一部のオフィスビルだけで、ほとんどは平屋のゆったりとした街だった。ホテルから撮った写真のように地平線まで四方に山はなく、テキサスは西部劇に出てくるような砂漠とサボテンばかりと思っていたところ、森が限りなく広がっていた。住居は映画に出てくるような大きな1戸建てばかりで芝生はきれいに手入れされている。たぶん一家の長が休日に芝を刈っているのだと思う。街を車で走っても道を歩いている人はまったく見かけず、歩く人を見たのは駐車場で車を降りて店に入るときだけだった。車がないと何もできないことを反映し駐車場がやたらと広い。シンガポールで慣れているオーストラリアビーフもそれなりにおいしいが、テキサスビーフもボリュームだけでなくうまい。焼き方と味付けが絶妙なのだと思う。テキサス訪問時はちょうどMLBのAll Star Gameの日で、レストランの大型スクリーンでダル・ビッシュと上原が投げるところを観た。ダルビッシュのテキサス・レンジャーズはダラスが本拠地で、ヒューストンはアストロズである。陶器製置物のカーボーイブーツはで空港で買ったがよく見るとMade in Chinaだった。

今、日本で時差ボケ修正中である。


神話

2014-07-07 01:34:10 | 古代

シンガポールとUSAテキサス・ヒューストンを往復すると連続だと36時間になるので信じられないくらい機中映画が見られる。さすがにヒューストンからの帰り道は時差ボケ解消のため半分以上眠ていた。その中に最新作「Noah」2014があった。聖書のノアの方舟の話である。古い映画「天地創造」1966で知った方舟と洪水の話が大層面白かったので、期待してこの新作を観たが、脚本がさっぱりだった。LOR(ロード・オブ・ザ・リング)の木の聖(鬚)のようなWatcherという岩の聖が戦ったり、神の意志とは言い難いノアの頑なさに家族が苦しめられたり、方舟に乗り込んだ悪者が動物を食ったり、ひどい映画だった。ノアの息子セムの嫁イラをハリー・ポッターのエマ・ワトソンが演じていたが、物語で重要な出産で苦悩する場面でもシリアスに観ることができず、どうしてもハーマイオニーに被ってしまった。残念ながら星ゼロである。

これまで多くの科学者や冒険家がノアの方舟を史実として探索を行ってきた。方船が流れ着いたというトルコのアララト山で方船の残骸が見つかったという報告は古くから何例もあるという。聖書を完全に信じる創造論者は人間が猿から進化したことを否定し、アダムとイブから始まったと信じているので、当然、ノアの方船や洪水も信じている。だから、聖書から逸脱していると思われるこの映画は創造論者からすればとんでもない話になると思う。

宗教書である旧約聖書の中の史実についてどのような研究があるのか不勉強なためよくわからない。一方で、日本の記紀神話には何がしかの史実が反映されているというのが津田左右吉史観を否定する歴史学者の一般的な見方であると思う。日本の神話を探求する梅原猛は、40年前『神々の流竄(るざん)』で論じた”出雲神話は大和神話を仮託したもの”という説を間違いだったとして平成22年4月刊「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」で撤回した。『神々の流竄』で梅原は出雲には大した考古学的遺跡がないから出雲神話は作り物だとした。初めてこの本を読んだときには、あまりに強引な決めつけに辟易し途中で読書を投げ出した。梅原猛ファンになってから読み返した2度目は、梅原が挙げた稗田阿礼=不比等説などの仮説の中に、根拠がないと言って捨て去るには惜しい魅力的な仮説がいくつもあると思った。

梅原が自分の仮説が間違いだったと認めた理由は、『神々の流竄』発表以降、出雲では荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から数多くの銅鐸、銅矛、銅剣、出雲特有の四隅突出型墳丘墓などの考古学的遺跡が発見され、古代出雲に大和と同様の王朝が存在していたことが明白になってきたからである。出雲神話は大和神話から派生したものではなく、もともと出雲にあった古代国家の歴史を反映したもので、これら考古学資料はそれを裏付けるというのである。

しかし、『葬られた王朝』での梅原猛の歴史解釈の手法は、平成12年1月刊『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』でもそうだったように、現地の古社を巡り、神主・宮司から由来を聞き、祭りや神楽や風習を観察し、自然や地形に触れ、考古学資料をにらみ、記紀神話や風土記の説話のなかから史実を類推するものである。現地の空気や言い伝えを大切にした上での文献解釈は梅原猛の感性に大きく依存する。『葬られた王朝~』では前説が間違いだったと言いながら、出雲神話を歴史的事実だと断定する箇所に梅原の思いがたっぷりと盛り込まれ、『神々の流竄』での断定と大差はないように感じた。

『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』でも『葬られた王朝』でも、梅原の空想が紙面を駆け巡り非科学的な断定が多い。たとえば、天孫降臨の高千穂の比定地として、宮崎県西臼杵郡の高千穂と鹿児島県の霧島山があるが、西臼杵郡の方がふさわしいとする。記紀神話の記述や日向風土記の記述がどちらの地に合致するかを細かく分析するところまではいいのだが、”私は高千穂を旅して、ここは「明日香に似ている」という印象を持った”という感覚的な理由は科学的とは言えない。また、西臼杵郡の高千穂の古社には神話に由来する伝承が多く残っていることも、こちらが天孫降臨の比定地としてふさわしいとするのであるが、神主や古老の話に史実をみるのも科学的だとは言えない。鹿児島の霧島山の逆鉾は比較的新しい時代に誰かが突き刺したのは明らかであるように、西杵臼群の高千穂の誰かが後年、梅原の言葉を借りれば、自分の土地に”神話を仮託した”と考えられないこともないからである。 『葬られた王朝』では、高天原を追放され出雲に来てヤマタノオロチを退治しクシナダヒメをめとったスサノオノミコトと、その子孫である大国主命が大和朝廷への国譲り神話には史実が反映されているとし、ここでも梅原猛は空想の羽根を広げ仮説を立てている。

梅原猛は『聖徳太子』の中で、勝鬘経、維摩経、法華経の一文一文すべてに意味があるとして自分なりに解説を試みようとする聖徳太子の思弁の深さと姿勢を高く評価している。逆に矛盾があれば切り捨ててしまう津田左右吉の方法を否定する。梅原猛自身は上記2著で、記紀や風土記の日向神話と出雲神話の一字一句に意味を求め、そこから史実を抽出しようとする姿勢を貫いている。この姿勢は、『淮南子』の著者が儒学、老荘、法家、墨家など雑多な思想を”巧妙きわまる理由づけを行い”統一したことや、天台宗を起こした中国の天台智(ちぎ)が仏教の発展を釈迦の一生に置き換え統一的に解説した姿勢に通じる。そういう意味で梅原猛の姿勢にぶれはないのである。