娘に薦められて中勘助の「銀の匙」を読んだ。夏目漱石や和辻哲郎が絶賛するこの名作を知らなかった。
明治後半の時代を背景に、伯母に背負われた幼児から、近所の女の子だけが友達だった小学生時代、自分を男らしく矯正しようとする兄に反発する中学生時代、老僧や美しい若妻に出会う17歳までの主人公”私”の心情が美しい文章で描かれている。心理描写がその年齢の者でしかできない迫真性をもって語られているのである。大人が記憶を掘り起こして子供の頃の心情を語るのではなく、子供が大人の文章を借りて語っているようにしか思えないという和辻哲郎の解説以上のことばが浮かばない。繊細な者にしか感じ取れない心情や風景を美しい言葉で修辞し、その修辞がくどくはなく文章は短く平易である。それに明治時代の文豪である師匠の夏目漱石や森鴎外の文章で感じるような古くささがない。強いて言えば、「しろばんば」や「夏草冬涛」の井上靖の文章を思いだした。また、小説には主人公の心理描写だけでなく、明治末年ごろの子供の遊び、庶民の生活、文化、教養、信心と宗教の細部が生き生きと描かれ、民俗学的資料としても貴重だと思った。
主人公の”私”の心情はよく理解できるものの、自分の幼少期を振り返ると彼とは真逆で、無神経で人の気持ちなどお構いなく仲間と群れて尖っている、”私”のような繊細なおとなしい者は弱者だと決めつける側にいたと思う。伯母さんの庇護のもと、お国さんやおちゃんのような女とばかり遊ぶ男を軟弱だと軽蔑し、餓鬼大将の富公の後ろではやし立てる雑兵の一人のようなものだった。”私”と同じところがあるとすれば、小学校に入ったとき、ひらがなをまともに書けない落第生だったところである。友達に手紙を書くという授業では”ぬ”や”ね”の難しいひらがながわからず隣の席の友達に教えを乞いながら手紙を仕上げたことを思い出す。いたずらが過ぎて母親が学校に呼びつけられたのも1度や2度ではなかった。通信簿の成績は5段階の3がほとんどで2,3個の2と体育だけが4だった記憶がある。毎日かばんを放り出して眉山で遊びほうけ、体には生傷が絶えず、額や足の縫い痕も含めそのころの傷跡が体中に今も残っている。小学4年生のある日、落第生の自分に危機感を持った母親が無理やり学習塾に通わせたのがきっかけで、”私”と同じように勉強に目覚めていった。あのまま親が自分を放置していたらどうなっていただろうかと思ったりする。子供はちょっとした環境の変化によってその後の生き方が変わるほどの影響を受けるので、親の責任は大きいと思う。
話の後編、中学生の”私”は、外面の男らしさを要求する兄に反発しながらも、内面ではしっかりとした自我を持つまでに成長している。世の中が富国強兵で日清戦争へ突き進む中にあって、クラスでひとり反戦を主張し、こわい修身の先生にも堂々と意見を述べる。そこには女々しい”私”はもういない。自分は木から落ちた猿(頼りになるものがなくなりどうしていいかわからない)だと言い、すぐに涙ぐむ性癖は変わらないけれど、ちゃんとした自分を持っているのである。
中勘助の他の作品も読んでみたいと思う。