備忘録として

タイトルのまま

マグダラのマリア

2007-08-18 13:16:57 | 映画

近所の本屋で買った岡田温司著”マグダラのマリア”中公新書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に始まるマグダラのマリアがその後どのように解釈され変遷していったかを宗教書や絵画の中に追ったものである。4つの福音書の中でマグダラのマリアは、①イエスといっしょに福音の旅をする、②イエスの磔刑に立ち会う、③イエスの埋葬に立ち会う、④イエス復活の証言者であることが短い文章で記されているのだが、イエスの寵愛が他の使徒を凌いだらしいことやイエスによって悔悛したことで元娼婦であったのではと推測されており、その後様々なマグダラのマリア像が創られたという。

この本を買うきっかけになった映画”ダ・ビンチ・コード”は、マグダラのマリアがイエスの子を宿し、その血は現在も連綿と引き継がれているという話である。そしてダ・ビンチは子孫を守る秘密結社(シオン修道院)に属し、マグダラのマリアを自分の作品の中に描き残したという。”最後の晩餐”のイエスの左の人物はヨハネではなくマグダラのマリアで、”モナ・リザ”も実はマグダラのマリアなのだそうだ。
写真は、1998年にイタリア旅行をした時にミラノの”最後の晩餐”のある修道院近くの小さな土産物屋で買った縦20cm横30cmのコピーで、今も額に入れて飾ってある。旅行時、壁に水彩で描かれた最後の晩餐は色褪せが著しく修復中だった。壁画の展覧場所は薄暗く室温を一定に保つため、時間をおいて少人数を入れる閲覧制限をしていた。実物の写真がアルバムにないので写真撮影も禁止されていたようだ。
岡田の本によると、ダ・ビンチはデッサンでのみマグダラのマリアを描き、”最後の晩餐”にも”モナリザ”にも言及していない。

ところで、映画「ダ・ビンチ・コード」のマグダラのマリア以外のKey Wordである十字軍、聖杯(Holy Grail)、テンプル騎士団には他の洋画や本で何度もお目にかかっている。”Kingdom of Heaven”は十字軍とテンプル騎士団、”インディアナ・ジョーンズ最後の聖戦”は十字軍と聖杯、”ブラザーサン・シスタームーン”は十字軍、アーサー王物語では騎士たちが聖杯探しに出かける。創元社の”知の再発見”双書シリーズ”テンプル騎士団の謎”、”十字軍”、”アーサー王伝説”を読んで背景を補完した。このシリーズは挿絵中心なので絵本のようなものであるが中身は相当濃い。


2007-08-17 20:15:45 | 徳島
とにかく暑い。35℃を超えている。昨日今日と40℃に達した町もあったそうだ。暑さとともに熱中症や水の事故が連日のように報道されている。その中にザリガニ取りに行くと言って出かけた子供が池で溺死したというニュースがあった。池は立ち入り禁止だったそうだ。
昭和30年代後半、眉山の麓の寺町の墓地の間に池があり、夏休みにはよくザリガニ捕りをした。寺町は例の怪しい写楽の墓があるという潮音寺がある文字通り寺の密集する地区で同時に墓地も密集している。当時も海や川で溺れた子供は居たはずだが、池や川が立ち入り禁止になることはなかったように思うし、仮に立ち入り禁止になっても子供たちは大胆にもその禁を犯し、見つかれば大人から大目玉を喰らうということも覚悟の上だった。ザリガニ捕りの方法は、岸近くでお玉か素手を使って捕まえた小さなザリガニの子の頭をちぎり胴体としっぽの殻を剥いだ身を餌にして大物を狙うのである。岸近くの池の底を歩く大きなザリガニの目と鼻の先にたこ糸に結びつけた餌を垂らして食付くのを待つのが通常だった。10cm以上の赤黒く硬い胴体の大きな鋏を持つ大物を何匹も捕まえた。捕まえたザリガニは完全な遊び道具になり、友達の捕まえたザリガニと戦わせたり、家の中に囲いをつくって放し飼いにしたりした。いい加減遊び尽したザリガニをバケツに入れたまま2階の物干しに放り出していたことをすっかり忘れ、何日か後、逃げ出したザリガニが夏の盛りのために焼けた屋根瓦の上で力尽き白骨化した死骸が何ヶ月も晒されていたのを思い出す。ザリガニ捕りの池では友達の挑発にのって履いていた運動靴を池に投げ入れて裸足で家に帰ったこともあった。どんな挑発だったのか、母親にどのような言い訳をしたのかまったく憶えていないがズック靴(当時子供は誰もが履いていた底がゴムで布製の靴)を投げる自分を鮮明に覚えている。小学校1年か2年生の頃のことだ。
徳島の夏は、むっとする暑さ、蝉の声、瀬戸内海特有の夕凪が特徴である。シンガポールは年中夏だが蝉がいない。日本の夏はシンガポールより暑い。

坂の上の雲ミュージアム

2007-08-16 19:19:11 | 松山
13日に松山の”坂の上の雲”ミュージアムへ行った。30年も前、学生の時に読んで以来なのだが、あらすじのかなりの部分は覚えていた。それだけ読み応えのある印象深い小説だったということだ。読後すぐ、司馬遼太郎作品に触れると称して回った四国一周旅行で、子規堂や梅津寺パークの秋山好古(真之?)の銅像を見学した。俳句の素養も興味もなかったのに子規の本を買ったのもそのころだ。人にも一押し本として熱心に勧めていた。この本の面白さは、田舎町で育った秀才たちが抱く野心が国家の発展とシンクロしていたところを司馬が壮大に描いた点だと思う。明治時代に西洋に追いつこうとする国家の躍動感とその中で大望を抱く若者の気概が伝わってくる。壁いっぱいに貼り付けられた新聞連載のオリジナル版は毎回の挿絵が面白く、この挿絵の付いた”坂の上の雲”が出版されたら購入してもいいと思った。

子規堂も秋山兄弟記念館も司馬遼太郎記念館もある中で、一小説でミュージアムを成り立たせようとしているのだから無理もないのだが、建物に比べ展示品が少なすぎる。空間を贅沢に使うと言えば聞こえは良くなるが、安藤忠雄の無機質で巨大で近代的でお得意のコンクリートむき出しでガラス張りの建築物はあまり好きではない。街を走る坊ちゃん電車や道後温泉の昔風の建物に似合った建物が正解ではなかっただろうか。例えばミュージアムの展示写真にもあった旧愛媛県庁のような木造建築や明治時代に流行った赤レンガ造りはどうだろうか。時は松山まつりの最中で、浴衣着物を着た野球拳踊りのグループが夜の街を練り踊っていた。祭りも明治・大正の古き良き時代を懐かしむ風情があり、しつこいようだが、やはり安藤建築は違うような気がする。

もうひとつ”坂の上の雲”は藤岡信勝が自由主義史観を唱えるきっかけになった作品という話があるが、”この国のかたち”や”街道をゆく”に散見される司馬の歴史観からは、自由主義史観に通ずるものがあるとは到底考えられない。一方、明治時代は近代化を軍事力と勘違いしていた時代だと思うのだが、明治時代を賛美する司馬史観も少し違うように思う。

”坂の上の雲”は近々NHKでドラマ化されるらしい。楽しみだが、CGあればこその作品になるのだろう。

宇高連絡船

2007-08-11 12:29:12 | 徳島
四国の人間にとって宇高連絡船と甲板の讃岐うどんは忘れがたい思い出だ。特に18歳で故郷を出て帰省するたびに連絡船を利用した私のような者にとって感慨はひとしおだ。同年輩の四国出身者と話をするときは、誰しも連絡船のお世話になっているので甲板のうどんの話をして盛り上がる。
船に乗りすぐ甲板に駆け上がると、客を待つかのように既に茹でてあるうどんを入れた山積みのどんぶりのひとつを掴んだ親父が、柄杓でさっとつゆを入れてぱっぱっと葱をふって手わたす。冬の寒風吹きすさぶ中で立ったまま啜るこの素うどんがすこぶるうまいのだ。帰省は夏休みや冬休みの混雑する時期だったので乗船と同時に売店に駆けつけないと売り切れてしまう。
学生の頃、仙台から徳島までの電車での帰省に片道13~14時間を要した。東北本線4時間、上野から東京駅までの移動に半時間、岡山までの新幹線で4時間半、宇野まで1時間、連絡線1時間、高松-徳島が1時間半の計12時間に乗り継ぎの待ち時間が加算された。指定席など買ったことがなく若さにまかせて立ち通しのこともあり連絡船に乗る頃には心身ともにくたくたになったところで食べるわけだからうまいはずだ。昼過ぎに仙台を出て、高松から徳島行きの終電に間に合わず高松駅で始発を待ったこともあった。
今同じルートを旅すると、東北新幹線2時間、東海道新幹線3時間半、瀬戸大橋線と高徳線特急で2時間半となり、8時間程度の行程になる。
宇高連絡船は1988年瀬戸大橋の開通とともに廃船になったが、このうどんは写真にあるように高松駅に連絡船うどんとして残っている。かすかな、懐かしい味の記憶が崩れるのが怖くて、のれんを潜るのを躊躇している。

タイム・トンネル

2007-08-03 15:50:22 | 映画
映画”或る夜の出来事”の小道具として使われるジェリコの城壁は聖書を題材にしているのだが、ジェリコの城壁の話を知ったのはNHKで放映された”タイム・トンネル”だったような気がする。モーゼの後継者ヨシュアが祭司たちに角笛を吹かせジェリコの城壁を崩し町の攻略に成功するという有名な話だ。タイムトンネルが放映された1967年頃は、ナポレオンソロ、スパイ大作戦(Mission Impossible)、宇宙家族ロビンソン、原潜シュービー号、逃亡者、奥様は魔女などのアメリカから来たテレビドラマの全盛期であった。中でも”タイムトンネル”は、毎回歴史上の有名な事件や出来事が登場するスケールの大きなドラマだったので放映日の日曜日6時はテレビの前に釘づけだった。トロイ戦争の回でオデッセイ(ユリシーズ)にトロイの木馬の秘密の入り口を当ててみせる場面、アーサー王の回で魔法使いマービンがタイムトンネルの基地に現れる場面は鮮明に覚えている。Youtubeでタイムトンネルの第1話「タイタニック号の最後(Rendezvous With Yesterday)」を見た。タイトルバックの砂時計とテーマ音楽は懐かしい。全編DVDが販売されているらしいので手にいれたい。
山本七平”聖書の旅”にはヨシュアとジェリコ(エリコ)の地名は出てくるのだが、有名なジェリコの城壁の話は出てこないのはなぜだ。