備忘録として

タイトルのまま

期日前投票

2016-06-26 22:12:23 | 話の種

帰国中に参院選の期日前投票をしてきた。投票所から出るとANNの出口調査を受けた。選挙権を得た20歳からシンガポール駐在中の一時期を除きほぼ欠かさず投票を続けてきたが出口調査を受けたのは初めてである。渡されたタブレットにチェックを入れるだけだったのでほんの数秒だった。誰に投票したかだけでなく何を基準に選んだかという質問があり、選択項目は、経済、社会福祉、憲法改正、外交、TPPなどだった。この選挙から選挙権年齢が18歳に引き下げられたが区役所の投票所に来ていたのはお年寄りばかりだった。

今回から郷里徳島は高知と併せた合区になった。違憲状態の1票の格差解消のためだというが、徳島県人が馴染みのない高知出身の候補者に投票するとは思えない。逆もないだろう。徳島と高知のそれぞれの有権者数と得票率が勝敗を左右するだろう。それと、都市選出の国会議員が増え地方は減るので、都市中心の政治になり地方はますます疲弊する。国会議員が国政の為に働き、選挙区のために働くものではないというのはきれいごとだと思う。

大方の予想を覆しイギリスがEUから離脱することになった。その所為で、株安、円高が一挙に進み日本経済に影響がでるのは必至である。昨年シンガポールの建築設計では長く使っていた英国規準を止め、ユーロコードというEU規準を導入した。正直なところ、EU規準は各国規準を網羅的に取り込んだため非常にわかりにくくなった。保守的なイギリス人が、EUに留まることで自国文化が変貌することに拒絶感を持つことがわかるような気がする。EU政府は統合を優先するため、各国の個別事情に配慮するより独善的権威的になってきたのかもしれない。UKのEU離脱に反対しスコットランドがUKから独立を求めることにも矛盾を感じる。政府と対立する沖縄の問題や、地方と都市の格差、地方自治も同様の問題を含む。統一という理想の前でどう多様性を確保すればいいのだろうか。

自宅近くの公園のあじさいが満開だ。


活断層

2016-06-19 16:11:06 | 話の種

熊本地震が発生して2か月が経つ。東日本大震災の海溝型あるいはプレート型地震ではなく、活断層が動いたことによる内陸型地震で、1995年の阪神淡路大震災の野島断層と同じように地表面に断層面が出現した。この断層沿いの家屋で大きな被害が出た。被害規模を判断する最大地表面加速度は4月14日の前震が0.74gで、16日の本震は0.68g(気象庁三成分合成観測記録)と前震よりも小さかったが、前震で損傷した家屋が本震の追い打ちを受けて倒壊した。屋根瓦の重い木造家屋で1階部分が押しつぶされる被害が多かった。地震加速度は0.89gの神戸も木造家屋の被害が多かった。熊本城の石垣の一部がくずれ落ち、天守閣の屋根瓦も落ちた。

動いた活断層は、以前より認識されていた布多川断層と日奈久断層で、東の延長線上には熊本に連動して動いた大分の別府万年山断層を経由して、日本最大の活断層である中央構造線に繋がる。

活断層の定義: (日本)約10万年前以降に活動した痕跡のある断層。USGSの用語を紐解くと、活断層(Active Fault)とは、A fault that is likely to have another earthquake sometime in the future. Faults are commonly considered to be active if they have moved one or more times in the last 10,000 years.とされ、活動時期を日本の10万年前に対し、1万年前としている。

左:東京新聞Webサイトより、右:国土地理院『都市圏活断層図 利用の手引き』(http://www.gsi.go.jp/common/000112914.pdf)より

地震の規模は動く活断層の長さに関係があると言われ、Log L=0.6M-2.9という断層の長さLとマグニチュードMの関係式が提唱されている。この式を使うと100㎞の活断層が動くとマグニチュードM=8.12の地震が起こるという計算になる。中央構造線の全長は1000㎞以上あり、それが動くとマグニチュードM=9.8というとてつもない数字になってしまう。研究者は中央構造線沿いで過去に発生した地震記録や痕跡から最大地震動がM=8以下であることを推定し、また地質や地形の活動痕跡から中央構造線全線が一度に動くことはないということにしている。式が正しいとして、M=8から逆算した活動長は80㎞となり、なんか短かすぎて本当だろうかという疑念がわく。

被害は対象とする構造物が揺れる加速度で評価し、この地表面加速度は地震のマグニチュードと震源からの距離とその間の地盤状況で決まる。2011年のニュージーランド地震は、M=6.3と小さかったが震源深度は5~6㎞の直下型で、地表面加速度は2gを超え被害は大きかった。神戸はM=6.8、震源深度は16㎞で地表面加速度は0.8gであった。中越地震はM=6.6、深度10㎞で柏崎原発で測定された地表面加速度は1g以上だった。一方、東日本大震災本震のマグニチュードはM=9の巨大地震で、仙台沖のプレート境界沿いで震源深度5~40㎞の巨大地震が連動して発生した。観測された最大加速度は2gを超えていた。

熊本の活断層は2mほど、野島断層は1.5mほどずれた。そのため、日本の原発を活断層上に建てることが禁止されている。ところが日本の活断層がすべて判明しているわけではなく、敦賀原発では同じ断層の露頭をみた専門家の間でもそれが活断層かそうでないかで意見が割れている。2008年の宮城内陸地震ではそれまで活断層とされていなかった断層が5mもずれ、観測された最大地表面加速度は4gだった。そんな場所では、どんな耐震構造を施した構造物でももたない。要するに、現在の科学技術では克服できない5mずれて加速度が4gを超すような活断層が日本のどこかに潜在している可能性があるということである。それでも原発を作り続け稼働し続けるのかということである。

アメリカのカルフォルニアにあるサンアンドレアス断層は延長1300㎞の巨大断層で、両側15m内に住めないことになっている。上の国土地理院の地図でもわかるように狭い国土の日本で活断層のないところを探すのは大変だ。その上に、液状化する緩い砂のあるところ、津波の来る沿岸部、土石流や地すべりの発生する斜面、火山の近く、洪水を起こす河川流域なども避けて住居を決めなくてはいけない。自然災害の少ない場所を選んだとしても、潜在的活断層の存在や設計や施工の人為的なミスや不良のリスクを完全に排除することはできないからやっかいだ。


四國徧禮道指南(しこくへんろみちしるべ)

2016-06-05 13:05:57 | 徳島

四国八十八か所霊場と遍路道」は世界遺産登録を目指していて、以前、四国4県の担当者が世界遺産のスペインサンティアゴ巡礼路を視察したという報道があった。島根県大田市が石見銀山課という準備部署を設置しイコモス意見を取り入れ修正しながら何年もかかって登録を遂げたように相当の準備が必要になる。世界遺産登録の審査は年々厳しくなってきているという。最近ではイコモス(International Council on Monuments and Sites ユネスコの諮問機関)の勧告を受け「武家の古都・鎌倉」が登録を取り下げた。”武家の精神的側面は示されているが、防御的な側面については部分的にのみ示されており、その他の観点(都市計画、経済活動、人々の暮らし)についての証拠が欠けている、(中略)、普遍的価値を証明できていない。”というもので、要するに「武家の古都・鎌倉」のコンセプトが十分に証明されていないという理由である。普遍的価値の証明とイコモスにどうアピールするかの戦略が重要だということである。昨秋、鎌倉に行ったのは武家の古都を見るためではなかった。鎌倉仏教と寺社仏閣を中心としたコンセプトに変える方法もあるように思う。その点、四国遍路は歴史的に庶民の信仰と願いを古刹巡りで支えてきたというコンセプトがはっきりしているので巡礼路を整備すれば合格するのではとひいき目に見ている。

さて、私の遍路は遅々として進まず2年経ってもまだ発心の徳島から抜けられず焼山寺と薬王寺を残す。次回帰省時に一気に徳島を制覇してしまいたい。これまで印象に残った景色を下に掲げる。

 

第八番熊谷寺の風格のある山門

息を切らせて登った第十番切幡寺大塔からの吉野川方向の眺望

自分を水面に写すとご利益があるという第十七番井戸寺の井戸、確かに写真を撮る自分が写っている

第二十番鶴林寺の珍しい鶴の阿吽

第二十番太龍寺本堂前のあじさいとロープウェイからの眺望

一昨年は空海が四国八十八か所開創して1200年目ということだったが、実際に巡礼が盛んになったのは江戸時代からだとされる。伊勢参り富士講などと同じである。江戸時代の僧侶・真念が書いた『四國徧禮道指南』(しこくへんろみちしるべ)という本がある。各札所の解説や道順が記された江戸時代の巡礼者のための指南書(ガイドブック)である。

まず、お遍路さんが用意するもの、札所で「奉納徧禮四國中霊場同行二人」と書いた紙札を奉納すること 札を奉納する順番 「願文では法界平等利益と願いなさい 常にいっしょに歩いてくださる方(弘法大師)の恩徳を感じ 札所では光明真言・弘法大師の宝号を唱えてお祈りしましょう。そしてその札所の御詠歌を三回唱えましょう」とお参り方法をガイドする。旅の必需品(背負子、木の食器、笠、杖、茣蓙、脚絆など)と、大阪から阿波に渡る方法、どこに泊まればいいかを解説する。

「大坂より下って徳島の内町には遍路宿がある。阿波国徳島より霊山寺まで二里半です。徳島佐古九丁目より右に行くと矢三川があります。矢三村、次に鮎喰川があり、高崎村、そして隅瀬川(すみせかわ=現在の吉野川本流)があり、貞方村、勝瑞村、そして吉野川という大河があります。舟渡しがあります。川崎村を通過します。」といった具合に 徳島から一番札所霊山寺までの道案内をしてくれる。江戸時代吉野川本流はもっと北(現在の今切川)だったことがわかる。次に各札所の説明がある。例えば第十七番井戸寺の説明は以下のとおりである。

  • 十七番井土寺 明照寺ともいふ 平地 南むき、名東郡
  • 座五尺 本尊薬師 (弘法大使)御作
  • 詠歌 おもかけの うつしてみれば ゐどの水 むすへはむねの あかやおちなん
  • 是よりおんざんじへ五里 あくい川 とくしままでは家つづき

私のような信心なき参拝者はその日その場の気分で適当なお参りをするが、札所で出会ったお遍路さんは皆、本堂から大師堂を廻り般若心経を唱和している。江戸時代は札所ごとの御詠歌を三回唱和しなさいと指南書に書いてある。上の井戸寺の御詠歌に「井戸の水に自分を映すと自分の罪穢れは消えてしまう」とあるように江戸時代から井戸の御利益があった。

第十三番札所大日寺を訪れたとき、道路を挟んだ向かいの一宮神社が大日寺よりも古式に見えたのでお参りした。一宮神社は大日寺に比べ訪れる人もなくさびれていた。実は、神仏習合の江戸時代には第十三番札所は大日寺ではなく一宮寺と指南書に書かれている。こっちの一宮神社の社殿を人々は訪れていたのである。明治時代に神仏分離され、本尊が向かいの大日寺に移されたという。

かつての第十三番一宮寺、参拝客のいない今の一宮神社と多くの参拝客のいる向かいの大日寺