「四国八十八か所霊場と遍路道」は世界遺産登録を目指していて、以前、四国4県の担当者が世界遺産のスペインサンティアゴ巡礼路を視察したという報道があった。島根県大田市が石見銀山課という準備部署を設置しイコモス意見を取り入れ修正しながら何年もかかって登録を遂げたように相当の準備が必要になる。世界遺産登録の審査は年々厳しくなってきているという。最近ではイコモス(International Council on Monuments and Sites ユネスコの諮問機関)の勧告を受け「武家の古都・鎌倉」が登録を取り下げた。”武家の精神的側面は示されているが、防御的な側面については部分的にのみ示されており、その他の観点(都市計画、経済活動、人々の暮らし)についての証拠が欠けている、(中略)、普遍的価値を証明できていない。”というもので、要するに「武家の古都・鎌倉」のコンセプトが十分に証明されていないという理由である。普遍的価値の証明とイコモスにどうアピールするかの戦略が重要だということである。昨秋、鎌倉に行ったのは武家の古都を見るためではなかった。鎌倉仏教と寺社仏閣を中心としたコンセプトに変える方法もあるように思う。その点、四国遍路は歴史的に庶民の信仰と願いを古刹巡りで支えてきたというコンセプトがはっきりしているので巡礼路を整備すれば合格するのではとひいき目に見ている。
さて、私の遍路は遅々として進まず2年経ってもまだ発心の徳島から抜けられず焼山寺と薬王寺を残す。次回帰省時に一気に徳島を制覇してしまいたい。これまで印象に残った景色を下に掲げる。
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第八番熊谷寺の風格のある山門
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息を切らせて登った第十番切幡寺大塔からの吉野川方向の眺望
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自分を水面に写すとご利益があるという第十七番井戸寺の井戸、確かに写真を撮る自分が写っている
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第二十番鶴林寺の珍しい鶴の阿吽
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第二十番太龍寺本堂前のあじさいとロープウェイからの眺望
一昨年は空海が四国八十八か所開創して1200年目ということだったが、実際に巡礼が盛んになったのは江戸時代からだとされる。伊勢参り、富士講などと同じである。江戸時代の僧侶・真念が書いた『四國徧禮道指南』(しこくへんろみちしるべ)という本がある。各札所の解説や道順が記された江戸時代の巡礼者のための指南書(ガイドブック)である。
まず、お遍路さんが用意するもの、札所で「奉納徧禮四國中霊場同行二人」と書いた紙札を奉納すること 札を奉納する順番 「願文では法界平等利益と願いなさい 常にいっしょに歩いてくださる方(弘法大師)の恩徳を感じ 札所では光明真言・弘法大師の宝号を唱えてお祈りしましょう。そしてその札所の御詠歌を三回唱えましょう」とお参り方法をガイドする。旅の必需品(背負子、木の食器、笠、杖、茣蓙、脚絆など)と、大阪から阿波に渡る方法、どこに泊まればいいかを解説する。
「大坂より下って徳島の内町には遍路宿がある。阿波国徳島より霊山寺まで二里半です。徳島佐古九丁目より右に行くと矢三川があります。矢三村、次に鮎喰川があり、高崎村、そして隅瀬川(すみせかわ=現在の吉野川本流)があり、貞方村、勝瑞村、そして吉野川という大河があります。舟渡しがあります。川崎村を通過します。」といった具合に 徳島から一番札所霊山寺までの道案内をしてくれる。江戸時代吉野川本流はもっと北(現在の今切川)だったことがわかる。次に各札所の説明がある。例えば第十七番井戸寺の説明は以下のとおりである。
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- 十七番井土寺 明照寺ともいふ 平地 南むき、名東郡
- 座五尺 本尊薬師 (弘法大使)御作
- 詠歌 おもかけの うつしてみれば ゐどの水 むすへはむねの あかやおちなん
- 是よりおんざんじへ五里 あくい川 とくしままでは家つづき
私のような信心なき参拝者はその日その場の気分で適当なお参りをするが、札所で出会ったお遍路さんは皆、本堂から大師堂を廻り般若心経を唱和している。江戸時代は札所ごとの御詠歌を三回唱和しなさいと指南書に書いてある。上の井戸寺の御詠歌に「井戸の水に自分を映すと自分の罪穢れは消えてしまう」とあるように江戸時代から井戸の御利益があった。
第十三番札所大日寺を訪れたとき、道路を挟んだ向かいの一宮神社が大日寺よりも古式に見えたのでお参りした。一宮神社は大日寺に比べ訪れる人もなくさびれていた。実は、神仏習合の江戸時代には第十三番札所は大日寺ではなく一宮寺と指南書に書かれている。こっちの一宮神社の社殿を人々は訪れていたのである。明治時代に神仏分離され、本尊が向かいの大日寺に移されたという。
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かつての第十三番一宮寺、参拝客のいない今の一宮神社と多くの参拝客のいる向かいの大日寺