備忘録として

タイトルのまま

Believe Myself

2014-12-31 18:04:55 | 映画

 

今日は大みそか。1年を振り返る番組の中で、テニスの錦織圭は全米オープンのジョコビッチ戦を前にコーチのマイケル・チャンから”Believe yourself”と何度も声をかけられたと言っていた。自分の力を信じなければ何も始まらないことはわかっているし、ブッダも自分を信じ(灯明にして)て法(ダルマ)に従えと言っている。ところが、ドワーフの王トーリンは財宝を前に信じるべき自分を見失ってしまう。トーリンは仲間の心が離れそうになる寸前に我に返り、王としての誇りを取り戻す。ホビットの最終章を近くのシネコンで観た。

終盤のクライマックスで、死にゆくドワーフのキリを腕に抱きタウリエルはエルフの王スランドゥイルに、

If this is love, I don't want it. Take it away, please! Why does it hurt so much?

”愛がこんなに苦しいなら、愛など持ち去って”と叫ぶ。ブッダなら、苦の原因は執着(欲)であり、苦から逃れるために執着を去れ、すなわち愛を捨てなさいと言ったかもしれない。ところが、スランドゥイルは、”Because it was real.” (本物だから苦しいんだ)と答える。それが人間の普通の感情で、ブッダのように苦痛から逃れるために執着を捨てよというのでは人間的でない。さらに次の場面でもスランドゥイルは、彼の元を去ろうとする息子のレゴラス(オーランド・ブルーム)に向かって、”母は誰よりもレゴラスを愛していた”という。最後の場面で、スランドゥイルが急にいい人(エルフ)になってしまった。彼は最後まで冷徹であるべきだった。なぜなら、エルフは人間を超越した存在のはずだからだ。

「The Hobbit:The Battle of the Five Armies、邦題:ホビット決戦のゆくえ」2014、監督:ピーター・ジャクソン、出演:(ホビット:思いがけない冒険竜に奪われた王国と同じ)、ホビット前2作が面白く3作目に期待しすぎたのが悪かった。上記のスランドゥイルの変節が普通すぎたことや、トーリンが我に返る場面に必然性がないこと、そのトーリンが仲間とわずか13人で出撃しオークの大軍を押し返すには無理があること、CGの戦闘場面が既視でLOTRのレベル以上にはなっていないこと、結局最後はいつものようにEaglesに助けられるご都合主義など、脚本がやや安直に思えた。それでも映画のテンポは良く、鑑賞中はそれなりに感情移入し楽しめたので、★★★★☆

2014年を振り返ると、1.孫誕生、2.愛犬の死、3.インド、テキサス、中東訪問、4.発心、があった。最近の興味の中心は、ブッダがインドで始めた仏教が西域から中国に伝わり、今後、日本の仏教につながってくるところで、地理的時間的な広がりにわくわくしている。来年も仏教中心かな。


黒田官兵衛

2014-12-23 03:26:27 | 中世

先日行った愛知県の出張先の受付の女性は蜂須賀さんだった。徳島出身の自分にとって藩主筋のお方であらせられるので恭しく接した。黒田長政に離縁された糸(蜂須賀小六の娘)は、その後の余生を徳島で過ごした。長政は徳川方につくことを鮮明にするため関ヶ原の戦いの直前に糸を離縁し、家康の養女を正室に迎えた。長政は目的達成のためには妻をさえ捨てる冷徹な男である。そのため、蜂須賀家と黒田家は江戸中期まで仲が悪かったらしい。今度、帰省したときには弔いに糸の墓所である臨江寺(眉山の麓)に行ってみよう。

21日の日曜日、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は、藤の花の下に佇む黒田如水の面影に光(てる)が縁側から微笑みかける場面で終わった。官兵衛が荒木村重によって幽閉された土牢の中から眺めて生きる望みをつないだのが藤の花で、黒田家の家紋である。NHK大河ドラマを終わりまで観たのは2010年の「龍馬伝」以来だ。司馬遼太郎の『播磨灘物語』や同時代の時代小説からの知識をもとにドラマで語られるエピソードの品定めに飽きなかったことと、思い入れのある戦国武将の一人だったからだ。「平清盛」や「八重の桜」を途中で断念したのは、もともと人物に魅力を感じてなかったからで、ドラマの出来不出来とはあまり関係ないように思う。

劉邦の軍師だった張良と同じように、軍師官兵衛は智謀と軍略をもって主人を助け戦国の世を生き抜いた。ある時期、官兵衛と同じ立場、同じ条件にあった小寺政職や荒木村重や安国寺恵瓊や小西行長や石田三成らは皆滅んでしまった。その時々のターニングポイントでの選択が運命を分けたということである。荒木村重謀反のときは、主人の小寺は村重につくが、官兵衛は家老でありながら主人に反する選択をし恩顧や情に流されなかった。それは勝ち馬に乗るといった単純で消極的な選択ではなく、自分の力で選択を正解にしようという極めて積極的・能動的なものだった。官兵衛は秀吉を選び、戦略家として秀吉を動かし、そして勝たせた。最終回で如水が一度も戦いに負けたことがないと言ったとおり、負け戦はしなかった。また、キリスト教信者仲間の高山右近や茶道仲間の千利休が失脚する中で保身できたのも、小さな領地に甘んじ秀吉の顔色をうかがい的確に身を処したからだと思う。ここも張良に通じる。

息子の長政も官兵衛と同じで、石田三成や小西行長が豊臣恩顧を貫き反徳川に動いたのに対し、長政はいち早く豊臣に見切りをつけ徳川方についた。石田三成と仲が悪かったからだとされているが、長政の場合は加藤清正や福島正則とは異なり、冷静に天下の情勢を見定め、積極的に徳川を選択したと思う。そうでなければ関ヶ原の直前に正室を取り替えることまではしなかったはずだ。さらに長政は、関ヶ原の戦いを勝利に導くために小早川と吉川を調略し戦闘でも際立った活躍をし、自分で自分の運命を切り開いた。息子長政が徳川にすり寄ったのとは異なり、官兵衛は関ヶ原の動乱に乗じて九州で版図を広げ、関ヶ原で疲弊した相手と天下を争うつもりだったという。しかし、関ヶ原の戦いはわずか1日で終了し、あっという間に天下の大勢は徳川に決したため、官兵衛は征服した九州の地を徳川に返上する。この天下を狙う場面は、官兵衛が何度も戦乱の世を終わらせる大義を言っていたのと矛盾する。官兵衛は結局、大義に生きたのではなく野心を秘めた合理主義を貫いたのだと思う。その点、伊達政宗も官兵衛と似ていて、隙あらば天下を狙っていたと思う。それこそ乱世の英雄というものである。そして、彼らを抑え込んだ家康が一枚上だったともいえる。Hillary Clintonは6年前、”Bloom where you are planted”と言ったが、それは現状に甘んじるという意味ではなく、時期が来れば花を咲かせるために大統領選に打って出るということだったのである。ただし、ひとたび立てば必ず勝つ、負け戦はしない、でなければならない。

出家し仏門に入り如水を号したはずの官兵衛の葬儀はキリスト教式だったという。官兵衛は秀吉が禁教令を出したときに棄教したので、秀吉の死後、キリスト教徒に復帰したということである。禁教令のときにキリスト教信仰を貫いた高山右近とは対照的で、官兵衛の合理主義がうかがえる。この合理主義は、官兵衛の祖父が利で動く商人あがりだったことに由来しているのかもしれない。

信州の真田家は、関ヶ原以前に、兄・信幸が徳川方、父・正幸と弟・幸村(信繁)が豊臣方につき、一族滅亡のリスクを分散する賢い選択をしたように言われている。しかし、昌幸の反徳川の選択は、元の主人で恩顧ある信玄のかつての敵だった家康を嫌ったという情に流されたものとも言われ、客観的な情勢判断を軽視し賢い選択とは言い難い。個人的、心情的には昌幸・幸村親子のような信義に殉じた生き方に共感する。だから、石田三成に殉じた友人の大谷刑部や家臣の島左近も好きである。ただし、滅びの美学に憧れるのはドラマの中や他人事の場合だけであって、実社会においては黒田父子の合理的な生き方を選択するのではと思う。

以下、ドラマを見ていて感じた疑問である。

  • 晩年は警戒され、ほんとうに秀吉と微妙な関係になったのか
  • なぜ荒木村重は官兵衛を殺さず幽閉したのか
  • 長政と後藤又兵衛の仲違いの理由はなんだったのか
  • 官兵衛に側室はいなかったのか
  • 官兵衛のキリスト教信心の深さはどれほどだったのか
  • 光秀の謀反の理由も判然としない

 来年の大河ドラマは、吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻となる文(ふみ)が主人公である。松陰は好きだが、視聴しつづけられるだろうか。 


さまよえる湖

2014-12-22 00:58:50 | 中国

「シルクロード」、「敦煌」、「楼蘭」などということばに憧れて西域本を読み漁った時期がある。たぶん、NHKの番組「シルクロード」や井上靖や陳舜臣の本の影響だったと思う。その中でも、スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンの「さまよえる湖」はもっともロマンをかきたててくれた。楼蘭はロプノール湖畔に発展した国で、5世紀末ごろ湖の消滅とともにその姿を消す。ヘディンは1896~1901年の1回目の探検旅行では存在しなかったロプノール湖が、1921年に突然出現したという報を受け1934年再度探検にでる。ヘディンは中国新疆ウィグル地区のコルラからカヌーでクム・ダリヤ川を東へ下りロプノールを目指す。ロプ・ノール湖畔では”楼蘭の王女”と名付けたミイラを発見する。ヘディンが楼蘭の王女と呼ぶミイラは、1979年にNHKと中国合同のシルクロード調査隊が発見した”楼蘭の美女”とは別のミイラである。

写真は古本屋で買った訳本である。下巻はまだ手に入れていない。表紙に、”幻の湖ロプ・ノールは1600年周期で南北に移動・交替する湖なのである。この壮大な学説を提唱したヘディン(1865-1952)が、みずからの仮説を実地に検証し長年の論争に決着をつけるべく旅立った念願の探検の記録”とある。しかし、ヘディンはこの本の中で1600年で周期するなどとは一言も言っていないという。少なくとも上巻では触れていなかった。本にはヘディンが鉛筆書きした表紙絵のようなスケッチと写真が満載で、おそらく井上靖も初めて西域に足を踏み入れるまでは、このようなスケッチや写真で旅情をそそられたに違いない。以下は、長澤和俊『シルクロード』からの情報を中心に、司馬遷『史記列伝』の匈奴列伝、長澤和俊訳『法顕伝』と『宋雲行紀』、玄奘三蔵『大唐西域記』から該当箇所を拾った。

文献上の楼蘭

ロプノール湖の湖畔に栄えた国家が楼蘭であり、その後、中国の支配下に入り鄯善(ぜんぜん)国と呼ばれる。法顕は往路の紀元400年頃に1か月ほど滞在し、国の様子を以下のように書き残している。

その地はやせてゴツゴツしており、俗人の衣服は大体中国と同じで、ただ生地が毛織物である点が異なっている。その国王は仏法を奉じ、国内にはおよそ4千余人の僧がおり、すべて小乗学である。諸国の俗人と僧侶はことごとくインドの仏法を行っているが、内容は精粗さまざまである。この国から西方の通過した諸国は、大体みなこのような状態であった。ただ国々の言葉は同じではないが、出家の人は、みなインドの言語と文字を習っている。

6世紀始めにガンダーラへ経典を求めて行った宋雲の旅行を記した『宋雲行紀』には以下のように記す。

土谷渾城から西行3500里で、鄯善城に至る。鄯善城はもと自分たちで王を立てていたが、土谷渾のために併合され、今の城主は土谷渾王の次男の寧西将軍である。彼は3000を統べ、西方の異民族を防いでいる。

法顕が400年に立ち寄った鄯善国のすぐそばを620年頃インドからの帰路に通った玄奘三蔵は『大唐西域記』で以下のように記す。

さらにここ(チェルチェン)より東北へ行くこと千余里、納縛波の故国に至る。すなわち楼蘭の地である。

長澤和俊『シルクロード』によると、楼蘭の名が史上はじめて現れるのは、紀元前176年、漢の孝文帝に送られた匈奴の冒頓単于の手紙だという。そして7世紀の初めころに滅んでしまったと思われると書いている。張騫が西域に派遣されたのは紀元前135年頃なので、それよりも40年程前のことである。史記の匈奴列伝を紐解くと、冒頓単于が孝文帝に送った手紙があった。

天がお立てになった匈奴の大単于は、敬(つつ)しみて皇帝に挨拶を送る。お変わりはないか。----(中略)----(わが匈奴の)軍官兵卒はすぐれ、戦馬は力強く、月氏を滅亡させ、全員を斬り殺したり降伏させたりした。楼蘭、烏孫、呼掲(こけつ)およびその近辺の26か国を平定し、すべて匈奴の領土とした。

法顕、宋雲、玄奘三蔵はいずれもロプノール湖に言及していない。

カローシュティー文書

20世紀初頭にヘディンやイギリスのスタインが楼蘭付近でカローシュティー文書と呼ばれる文書を発見し、その解読によって国の歴史が徐々に明らかになる。カローシュティー文書はインドのサンスクリット文字の方言で書かれ、中央政府からの命令を伝えたものであることがわかった。文書群の大半は木簡に書かれ、ほかに若干の皮、紙、絹の文書が残っている。文書には王名と在位年が記されており、研究者はそれと中国との交渉史を比定して絶対年代を推定している。研究者によって比定された年代は若干異なるが、いずれも3~4世紀の文書とする。この時期の楼蘭は、インド・クシャン朝の植民王国であったことは確実視されている。400年に法顕が立ち寄ったときの、”みなインドの言語と文字を習っている”と符合する。クシャン朝のカニシカ王は楼蘭の西の于闐(ホータン)出身という説もあるという。

文書には、行政組織、町や村の税収単位、奴隷制度などが記されている。法顕が見たように宗教は仏教で、僧侶は妻帯が認められ官職にも就き、土地・奴隷を持ち豊かな生活を送っている。ロプ・ノール南方のミーラン遺跡からは多数の仏塔や僧院が発見されている。西方文化であるグレコ・ローマン(ギリシャ・ローマ)風の有翼天使像やフリギア(トルコ)帽の乙女像の壁画が出土している。 

考古学上の楼蘭

ヘディンはロプノール湖の西北岸に楼蘭城の廃墟を発見し、カローシュティー文書や漢文木簡や紙片を発見した。また、同じ頃、スタインも楼蘭の西端にあるニヤ遺跡や楼蘭遺跡を発掘し多数の古文書を発見した。1979年に発見されたミイラはDNA鑑定により、漢人と白人の混血女性ということが判明している。また、同位炭素法で判明したミイラの年代は紀元前19世紀だった。

楼蘭王国の滅亡

 6世紀の梁の職貢図に、近くの于闐(ホータン)や高昌国や亀茲(クチャ)からの使節はいるが、楼蘭あるいは鄯善国からの使節はいない。楼蘭は、5世紀中頃には中国に支配され独立性を失っている。5世紀末には相次ぐ遊牧民の侵入で街は荒れ果て人々は故郷を捨てる。そして楼蘭はいつしか砂漠に埋もれ人々の記憶から消えてしまう。

Google検索するとロプノール(罗布泊)は今はなくなっていた。wikiによるとロプノールは20世紀半ばまで水があったが、タリム川につくったダムなどによって干上がったという。地図の中の水色の四角は、貼りついた写真によるとロプノールを再現した人口の湖(プール?)のようである。今やロマンは消え去り、ロプノールは記憶の中だけの”さまよえる湖”になってしまった。ヘディンや井上靖が生きていたら何と言っただろうか。


Hundred-Foot Journey

2014-12-20 13:25:56 | 映画

インド人の若者が異国で奮闘活躍する映画2本、ハンガーゲームDivergentのような近未来の社会を描いたSF映画2本を機中で観た。インド人が活躍する映画は、「Slumdog Millionaire」や「Life of Pi」が面白かったが、この2作もなかなか良かった。偶然か必然か面白いことに、この4作品のタイトルには、”Hundred”100、”Million”100万、”Pi”3.14とすべて数字が入っている。インド人が数字と論理に優れていることを象徴しているのだろうか。ポスターはIMDbより。

「The Hundered-Foot Journey」2014、監督:ラッセ・ホールストローム、出演:ヘレン・ミレン(マロリー)、オム・プリ(パパ)、マニッシュ・ダヤル(次男ハッサン)、シャーロット・ルボン(ハッサンの恋人)、タイトルの100フィートは30mなので、わずか”30mの旅”という題である。ところが実際は、インド人家族がいたインドのムンバイからレストランを開業した南フランスまでの直線距離は約7000㎞、すなわち2300万フィート以上の遥かな旅である。インドから出てきた家族はたまたま車の故障で留まった南フランスでインド料理店”Maison Mumbai”を開業する。通りを挟んだ100フィート向うにはミシュラン星1のフレンチレストランが立っていた。インドレストランの発散する電飾や音楽が格調高いフレンチレストランの雰囲気を壊すことに苛立つ女主人マロリーは様々な営業妨害を仕掛け、インド料理店のパパと大喧嘩を始める。しかし、マロリーはインド料理店のシェフで次男のハッサンが天才的な味覚と腕を持っていることを見抜いていた。ハッサンは自分の腕を磨きたくて100フィート向うのフレンチレストランで働くことになる。ハッサンはすぐに頭角を現しミシュラン星2を獲得する。ハッサンはスカウトされ、パリのレストランでも活躍するが、ある日厨房のインド人スタッフが食べているインド料理を懐かしく思い、家族や恋人のいる南フランスへ戻り、フレンチレストランのオーナーシェフとして生きることにする。習慣や文化や宗教が違っていても人間の本質は不変であることに気付かされる。★★★★☆

パパの”Almost girl friend"になるマロリー役のヘレン・ミレンは、古くはハリソン・フォードと共演した「モスキート・コースト」、最近では「Red」と「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」を観た。

ハッサンが亡くなった母親からもらったスパイスが重要な役割を果たす。Masaraはインドの香辛料の総称、すなわちスパイスと同じ意味で、Masaraという名前の香辛料はないということをインド人の知人から最近教えられた。9月に行ったデリーの下の写真の店で紅茶といっしょにいろいろなMasaraを買った。店でもらったレシピに沿ってMasaraを調合し家でカレーを作ったが、インド料理店で食べるカレーとは程遠いものだった。レシピ通りにいかないのには、今は”存在しない”ことになったSTAP細胞と同じような何か秘伝のコツがあるのかもしれない。店では香辛料のほかアッサムのダージリングティーやサフランを大量に買った。自分のサフランを使うレシピは3種類(パエリア、リゾット、ただのサフランライス)しか持ち合わせていないので一生かかっても消費しきれないかもしれない。写真の右側は、デリーのレストランで出てきたインドチーズの上に焼いたパプリカをのせた前菜で、大変美味しくシンガポールのインド料理店では食べたことがなかったので思わず写真を撮った。いつも食べるカレー、タンドリーチキン、ティカ、サモサ、ナン、サフランライス、ラッシー、マサラティーなどの写真は当たり前すぎて手元にないので割愛する。映画の中でインド料理にウニを使うのを見て驚いた。食べてみたい。でも、カリフラワーアイスクリームは食べなくていい。

「Million Dollar Arm」2014、監督:クレイグ・ギルスピー、出演:ジョン・ハム(JBスポーツエージェント)、シュラジ・ファーマ(リンク)、マヅアー・ミタル(ディネッシュ)、ピトバッシュ(通訳アミット)、レイク・ベル(ブレンダ下宿人)、野球の未開地インドで野球選手をスカウトした実話。スカウトされたRinkuとDineshはまったく野球経験がなく、球速による身体能力でスカウトされ、アメリカに渡り期限付きでトレーニングを受ける。大リーグスカウトの前でトライアウトに臨みパイレーツとマイナー契約する。みんなで野球映画のクラシックであるゲーリー・クーパー主演「打撃王」を見る場面が出てくる。「The Hundred-foot Journey」同様に、インドの若者二人と通訳のアミットがホテルで騒動を起こしたり、JBの家でヒンドゥー教の祭壇を作りお祈りしたり、インド料理パーティーをするクロスカルチャーが面白い。★★★☆☆

下の写真は昨年シンガポールで開催された少年野球大会の開会式で、左から3人目のスーツを着た背の高い選手がインドチームのキャプテンである。初めての国際試合参加だと思うが、インドで盛んなクリケットの開会式はスーツ着用なのだろうか。オリンピックに野球を復活させるためにもインドなどの野球未開地で普及してほしいものだ。他は地元シンガポール、日本、台湾、インドネシア、マレーシア、タイ、オーストラリアで、息子は小中学生の頃、このシンガポールチームで野球をさせてもらった。

「The Giver」2014、監督:フィリップ・ノイス、出演:ブレントン・スウェイテス(ジョナス)、ジェフ・ブリジス(Giver)、メリル・ストリープ(長老)、人類から紛争、諍いを失くすために作られた管理社会では、家族や愛や希望は邪魔物である。Giverから真実を教えられた若者ジョナスは愛と希望を取り戻そうとする。近未来社会を描く他のSF映画と差別化したかったのだろうか、管理社会への批判、家族、愛、ヒューマニズムを強調するため、マンデラ、天安門事件、戦争、子供、家族などの現実社会の映像を何度も流すが、それが安直で逆に共感できなかった。ストーリーが単純で、かといってSF映画必須のCGに迫力がなく、超大物俳優二人が出演してもなお、★☆☆☆☆

「The Maze Runner」2014、監督:ウェス・ボール、出演:ディラン・オブライエン、カヤ・スコデラリオ、ある理由で集められた少年たちは、迷路の真ん中に閉じ込められている。少年たちはそれぞれの個性を発揮し協力して化け物が棲む迷路から抜け出そうとする。抜け出た先には、迷路を管理する施設があったがそれはすでに破壊されていた。迷路に少年たちを集めたのは、そこで人類を救う能力を持った少年を選抜するためだったというのだが、この映画ではその背景がよくわからない。迷路に棲む化け物はクモ型ロボットで、「Edge of Tomorrow (All You Need is Kill)」の異星生物に似ていた。観る気はあまりないのだが、一応続編に期待して、★★☆☆☆ 


晩秋

2014-12-07 20:03:37 | 話の種

シンガポールから1か月ぶりに帰国した。12月に入り郷里徳島で大雪が降るなど冬が急速に来ていたので今年は紅葉を見逃したかとあきらめていた。昨日、東京国立博物館の如来立像を観ようと行った上野公園で幸運にも紅葉を見ることができた。上のもみじと銀杏の鮮やかな写真は博物館の奥庭で撮った。帰宅し、”上野の紅葉”でネットサーフィンしていたら、寺田寅彦の「庭の追憶」という随筆があった。上野美術館に出展された郷里高知の藤田某の「秋庭」という絵画に、今は人に貸している自分の生家の庭が描かれているというのだ。寺田は美術館でその庭を30年ぶりに見て、絵の中のもみじや石灯籠や飛び石とは切っても切れない亡き父母や妻との「若き日の追憶」を呼び覚ます。

昔なじみの土地に行く度に寺田と同じように過去の記憶がよみがえってくる。風景の中にそこで生きていた人々や幼き日の自分を回想する。ブログを書く目的が記憶を書き残す、すなわち備忘なのだから、ブログが回想にあふれるのも当然である。一人の人間の過去はその人の追憶の中にはいつまでも昔のままによみがえって来るのである。しかし自分が死ねば自分の過去も死ぬと同時に全世界の若葉も紅葉も、もう自分には帰って来ない。”と寺田は言うように、このブログも自分が生きている間だけのもので死んだらさっぱりと消え去る。

ところが、ブログに相当する随筆を書く寺田の目的は違っていて、”死んだ自分を人の心の追憶の中によみがえらせたいという欲望がなくなれば世界じゅうの芸術は半分以上なくなるかもしれない。自分にしても恥さらしの随筆などは書かないかもしれない。”と書いているように、名を残すことが目的だったようである。”何だよ!”って思ったが、これこそが私のような凡人と偉人の違いなのだろう。

東京国立博物館で以下の写真を撮ってきた。写真撮影は禁止だと思い込んでいたが、休憩室に流れていた博物館の宣伝ビデオで出演者がスマホで写真を撮っているのを見てすぐに展示室にとって返した。2~3世紀のガンダーラ、カニシカ王の時代の如来(ブッダ)立像は鼻が高く涼やかな彫りの深い顔つきで、太い足腰を持っていることが着物の襞を通してもうかがえる。髪は後年の螺髪(らはつ)と異なりウェーブがかかり細紐で束ねている。ガンダーラ初期のブッダはギリシャ彫刻の影響で写実性が重視されているので、これがブッダだったんだろうと思わせてくれた。ただ、仏像の背丈は1m少しで思っていたよりも小さかった。等身大と思いこんでいた所為だ。その下の14世紀のタイの如来頭部では、顔つきが東南アジア風に変化し頭髪が螺髪になっている。9世紀の東大寺の大仏も螺髪である。ブッダが悟りを開いたとき頭頂部が盛り上がり髪が渦巻いたとされるが、このような仏像の変遷を見るとそれは後年作られた話のような気もする。一番下はパキスタン出土2~3世紀の法輪を担ぐヤクシャである。ヤクシャはブッダの守護神で、ガンダーラ以前のブッダは仏像ではなく法輪や仏足石で象徴された頃の像である。

ところで、博物館にはアジア各国からの彫刻や物品が並んでいるのだが、中には現地の寺院から削り取ってきたような摩崖仏もあった。戦前に取得したものだろうか。当事国の人々が見たら、返してほしいと思うに違いない。