備忘録として

タイトルのまま

My Last Run

2018-03-30 12:49:22 | 東南アジア

 昨日、引越しが終わり近くのホテルに入った。3月末をもってシンガポールを引き払い帰国する。今後シンガポールに出張することはあっても再び駐在することはないだろう。今朝は、ホテルで『わろてんか』に続き声を潰した有働アナの『あさイチ』を観てから、馴染みのEast Coast Park(ECP)でLast Run 8kmを楽しんだ。今日のシンガポールはGood Fridayの休日で、ECPはジョギング、ウォーキング、サイクリング、太極拳、エアロダンス、スイミング、キャンプなど様々に休日を楽しむ人々で溢れていた。

ヤシの木の下に見える自転車は、今シンガポールを席巻するレンタサイクル。

幼児をストローラーに乗せてランニングする女性。西洋人に多い。

Lifeguardがいないので自己責任で水泳をしろという看板。左手に見える太陽光パネルは、海を監視するビデオカメラ。数十年前、インドネシアの海賊がこのあたりに上陸し付近を荒らしたことがあった。今は、インドネシアからのテロ攻撃や密輸団に対し監視を強化している。

広場でフリスビーをしている若者たち。背後の左手に建つ白と青の高層ビル群が昨日まで住んでいたコンドミニアム。休日には高速道路の下を通る歩行者トンネルを抜けてこちらのECPに渡った。

East Coast Parkway高速道路。向かい側中央の高層ビルとその左の低層ビル(壁に銀行や商店のロゴ)がParkway Paradeというショッピングセンターで、その左が昨日までの我が家。ショッピングセンターには伊勢丹、ベスト電器、ダイソーや様々な商店、レストラン、スーパーが入る。この右脇に歩行者トンネルがある。

ランニングのあと公営住宅(HDB)の中のキャンティーン(フードコート)で食べた朝食 Egg Roti PrataとKopi-O。卵の入った小麦粉を焼いたインド風パンとカレーとコーヒーブラックで、併せてS$4(約320円)美味である。

ホテルの部屋の窓から。Parway Paradeショッピングセンターと右手が旧宅。一番左手の棟の8階に5年間住んだ。ショッピングセンターの前は、建設中の地下鉄(Thomson-East Coast Line)で、2023年開通予定である。あと5年いれば利用できた。

ホテルにもう一泊し、明日31日、早朝便で帰国する。4月から千葉で新しい生活が始まる。


Darkest Hour

2018-03-17 14:18:28 | 映画

Success is not final.
Failure is not fatal.
It is a courage to continue that counts. 

  • 映画字幕:成功は最終形ではない。失敗も最終形ではない。大切なのは継続する勇気だ。
  • ネット訳:成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない。大切なのは続ける勇気だ。

 イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルのことばである。このことばを紹介する第二次世界大戦初期のチャーチルを描いた映画『Darkest Hour』2017をよりよく理解するために、彼の略歴をWikiをもとにまとめた。

 チャーチルは1874年にイギリス貴族で政治家の父とアメリカ人の母を両親として生まれる。パブリックスクールでの成績が悪かったので18歳で王立陸軍士官学校に入る。当時イギリスは世界中に植民地を持っていて、キューバ独立戦争、英領インド駐在、スーダン侵攻に従軍したチャーチルは文才があったため、都度従軍記や小説を書き出版する。1899年に除隊し、保守党から選挙に出馬するが落選する。そのとき南アフリカで第2次ボーア戦争が勃発し「モーニング・ポスト」の特派員となり戦地に赴くが、すぐに捕虜となってしまう。民間人だからすぐに釈放されると思っていたが、特派員としてイギリス軍を称揚する記事を書いていたため身の危険を感じ収容所から脱出する。モザンビークのイギリス領事官に逃げ込んだあと軍に戻りボーア戦争を戦う。

 戦争後の選挙に保守党から立候補したチャーチルは、脱走劇などで有名になっていたことから初当選する。1900年、26歳のことである。議会では、所属する保守党の陸軍予算案や保護貿易に反対したため、保守党執行部との対立が深刻となり、1904年の選挙では自由党から出馬し当選する。1908年に通商大臣として入閣する。その後、商務大臣や内務大臣、海軍大臣を歴任する。1914年に第一次世界大戦が勃発し、イギリス軍はドイツ軍とのアントワープの戦いやオスマントルコ軍とのダーダネルス海峡での局地戦で敗北し、西部戦線も膠着状態となったことで、海軍大臣のチャーチルは激しく糾弾され大臣を罷免される。閑職になったチャーチルは軍に戻り陸軍少佐として西部戦線に従軍する。1917年に戦時内閣の軍需大臣として政治家に復帰し、1918年第一次世界大戦が終結する。国民の間で厭戦気分の広がっていた1922年の総選挙でチャーチルは好戦派の烙印を押され落選する。1924年の選挙では保守党に復帰し出馬するが再度落選し、1924年末の解散総選挙でやっと復活当選する。

 1924年の保守党ボールドウィン内閣に大蔵大臣として入閣する。大蔵大臣として戦争中に廃止されていた金本位制を復活させる。輸出産業の劣勢や戦争と植民地経営での出費でイギリス経済は疲弊していた。金本位制の復帰でポンドが過大評価され輸出競争力が低下し石炭産業が打撃を受け、各地でストライキが起こった。チャーチルによる共産主義を背景にしたストは違法であるという訴えが奏功し、ストに大衆の支持は集まらなかった。1929年世界大恐慌の時、チャーチルは大蔵大臣を退任する。チャーチルのいない内閣は、経済政策として金本位制の停止やブロック経済による保護貿易などチャーチルと反対の政策を推進する。植民地を持つ国々のブロック経済に対し、植民地を持たないドイツや日本は保護貿易のあおりを受けて経済が疲弊し植民地拡大政策に向かっていった。

 インドはその頃、ガンジーを中心に独立運動が盛んになっていたが帝国主義者のチャーチルはガンジーを嫌っていた。また、ドイツではヒトラーが台頭しナチスが独裁体制を敷き再軍備を進めていた。ナチスがロシアの共産主義拡大の防波堤になることを期待する保守党議員は対独融和派が多かった。しかし、チャーチルはドイツの拡張主義がイギリスの世界支配を脅かすだろうと考え対独強硬論をとった。ドイツは1938年にオーストリアを併合し、1939年にポーランドへ侵攻を始めたため、イギリス・フランスはドイツに宣戦布告し第二次世界大戦がはじまった。開戦により永らく政権から離れていたチャーチルは海軍大臣に復帰する。ドイツ軍との初戦での敗戦などの責任を問われ退任を決意した首相チェンバレンは、後任として海軍大臣チャーチルと外相のハリファックスが候補にあがった。

 このあたりから映画『Darkest Hours』2018がスタートする。監督:ジャー・ライト、出演:ゲイリー・オールドマン、クリスティン・スコット・トーマス、ベン・メンデルゾーン、リリー・ジェイムズ、映画は、チャーチルが対独融和派を退け首相に任命されてから、ドイツとの国を挙げての戦いと『ダンケルク』撤退を決断するまでを描く。ドイツの攻勢に危機感を抱くチャーチルが、アメリカ大統領ルーズベルトに電話し、参戦と支援を呼びかけたとき、ルーズベルトはモンロー主義を盾にまったくの他人事だった。その後、チャーチルが日本の南方侵略を餌に危機感をあおり、アメリカを大戦に引き込むことに成功したことは別の話である。チャーチルの人生は自身の言葉どおり何度も失敗し何度も成果を収め、その精神は不屈である。しかし、帝国主義的思想や好戦的な性格は彼の生きた時代や彼の生い立ちによるものだろうが疑問も多い。映画は史実をはしょったり前後を入れ替えたりして、第二次世界大戦下におけるイギリス政府の舞台裏をスリリングに脚色していて面白かった。★★★★☆

『Dunkirk』2017、監督:クリストファー・ノーラン、出演:フィオン・ホワイトヘッド、バリー・ケオガン、マーク・ライランス、第二次世界大戦初期、ドイツ軍の急速なフランス侵攻によりイギリスやフランスなど同盟国兵士40万人がドーバー海峡の海岸ダンケルクでドイツ軍に包囲される。兵士を救出するためイギリスの漁船など民間船が動員される。救出劇の数日を描く。遠い昔の遠い場所での出来事であり、救出での各エピソードがそれほどドラマチックではなく、特別な思い入れがないと面白いとは言えない。『Darkest Hour』を観ていなければ星2くらいか。★★★☆☆

 下の写真3枚は、左から本物のチャーチル(Wiki)、映画のチャーチルと役者のGary Oldman(映画ポスターも含めIMDbより)である。このチャーチルの特殊メークで辻一弘がアカデミー賞メークアップ部門のオスカーを受賞した。本作に関わる前、辻一弘は特殊メークの仕事を辞め現代美術家となっていたが、Gary Oldmanから直接懇願されチャーチルのメーキャップを引き受けたという。

 

 

 


Big History

2018-03-04 15:52:36 | 話の種

 C大学歴史学科の社会人入試問題に、”大きな歴史と小さな歴史について私見を述べよ”という設問があった。ここでいう大きな歴史とは、歴史を巨視的にみて解釈するもので歴史観や歴史認識や歴史の発展過程の分類などに結び付けた歴史の見方である。幕末を例とするなら、封建制から近代化の政治的変革の過程を日本史全体の文脈の中で読み明かそうとするもので、一方、小さな歴史はもっと微視的で幕末から明治維新の庶民の生活史などに焦点を当てる。そのような歴史の見方について考えたことがなかったこともあり、うまく回答はできなかった。他の設問は、”Archives”と”Historiography”を説明する英語の文章を日本語訳するものだった。Archivesはそこそこ和訳できたが、Historiographyは言葉そのものを知らなかったため、直訳に頼った上、critical examinationを”批評的な考察”と訳さず、技術の世界で一般的なcritical=”臨界”から、”厳格な審査”としてしまい、結局、翻訳全体の意味が混乱してしまった。後の学習によると、Historiograhyとは史学史のことで、史書の中の歴史観や学説の変遷を調べる学問のことである。だから、史書の記述に客観性があるか批評的に考察しなければならないわけだ。

 さて、David Christianの提唱する”Big History”は、入試問題に出た”大きな歴史”とは意味がまったく異なる。137億年前のビッグバンから始まり恒星に続いて太陽系と地球ができ生命が生まれ人類に進化し文明が形成される現在までの歴史を通観する、我々の棲むUniverseの特大の歴史のことを指している。そして宇宙と人類の歴史を通して人類の未来について考えようというものである。David Christianによる”Big History”講演はこちらで観ることができる。

<講演要旨> 

 宇宙はどんどん複雑(Complexity)になっていく。しかし、複雑になるちょうどいい条件、ゴルディロックス条件が必要である。宇宙はその条件下でその都度、閾(しきい)値(Threshold)を超えながら段階的に複雑性を増していく。

 137億年前、何もないところでビッグバンが起こり、最初の1秒で重力や電磁気力のエネルギーがものすごいスピードで解放されると同時に凝固し物質を形成し始める。ビッグバンの38万年後に水素とヘリウムが生まれる。わずかな原子の密度の違いに重力が作用し原子が集合しはじめ無数の雲ができる。密度が増せば重力も増えるのでますます雲は凝集し温度も上がり、閾値を超え恒星が生まれ宇宙はより複雑になった。星の終期には高温で生じるエネルギーによって今知られている元素のすべてが形成された。若い星の周りには岩石からなる惑星が造られる。45億年前に地球が生まれ、そこに原子の集合体であるより複雑な生物が誕生する。適度なエネルギーがあり、多様な原子が存在し、ちょうどよいゴルディロックス条件下で、それらが複雑に結合する、生物は単なる化学反応にとどまらずDNAによってコピー(情報)を子孫に伝達することで地球全体に広がる。DNAは完ぺきではなく何億ケースに一度エラーを生み、それが多様性と複雑性を作り出す。生物は単細胞から多細胞に進化し、6億から8億年前に多様な植物、魚類、両生類、爬虫類が生まれた。6500年前に小惑星が衝突し恐竜が絶滅し、生き残った哺乳類が進化を続け人類が誕生する。DNAによる情報伝達と不規則な偶然によるエラーには膨大な時間がかかったが、脳を与えられた人類は情報を蓄積し学習することができるようになり進化の時間が短縮された。言葉によって個人の情報は集団で共有され、個人よりも長く生き世代を超えて蓄積される。人類だけに与えられたこの能力を集団的学習(Collective Learning)と呼ぶ。アフリカを発した人類は集団的学習能力を発揮し地球各地の環境に順応し広がっていった。氷河期が終わり農業が始まると人口が飛躍的に増え、交通や通信の発明と発展によって人類は相互につながり、今では70億の人類がひとつにつながっている。ひとつになった脳はものすごいスピードで学習を続けている。

 集団的学習により人類は発展を続けているが、人類がそれを使いこなせるかという危険を内包する。核兵器の発明は人類滅亡の危険を生じさせ、石油の使い過ぎは地球環境を変え、ゴルディロックス条件を弱体化させた。Big Historyは、我々に複雑性と脆弱性を認識させ危険の本質を示すとともに、集団的学習の力も示してくれる。将来の世代に横たわる課題や機会に対処する不可欠な知的ツールになる。(了)

 Big Historyはこのように、天文学、生物・生命学、歴史学など多くの学問を包摂する。

 ビル・ゲイツは、”Big History Project”として高校などでBig Historyの授業を行うことを支援している。授業では以下の1~10の講座が示すように、宇宙の歴史を学び現在を学び人類の将来について考える。

 (注):ゴルディロックスの原理(Goldilocks principle):”ちょうどいい程度”が選択されるという原理で、イギリスの童話による。ゴルディロックスという女の子が森で見つけた3匹の熊の家に入り、3つあるお粥のうち熱すぎず冷たすぎないちょうどいいお粥を食べ、3つある椅子のうち大きすぎず小さすぎないちょうどいい椅子に座り、3つあるベッドのうちもっとも寝心地のいいベッドを選ぶ。このことからゴルディロックス経済=適温経済(過熱しすぎず不況でもない景気)、ゴルディロックス惑星=太陽からちょうどいい距離にある生命誕生が可能な惑星などという言葉が造られた。