備忘録として

タイトルのまま

オケ老人

2017-04-14 15:40:47 | 映画

『オケ老人』2016、監督:細川徹、出演:杏、笹野高史、左とん平、小松政夫、藤田弓子、石倉三郎、坂口健太郎、黒島結菜、高校教師の小山千鶴(杏)は新任地のアマチュアオーケストラにバイオリン奏者として入団する。楽団は、いつ天国に旅立つかわからない老人ばかりで、団員の確保に苦労していたので、千鶴は大歓迎される。団員それぞれが無秩序に活動する楽団のレベルの低さに驚く千鶴は、実は似た名前のエリート楽団と勘違いしたのだ。もともと老人楽団にいた連中が脱退してつくったのがエリート楽団で、残された老人たちは新楽団を敵視していた。レベルの高い楽団で演奏することを望んでいた千鶴はエリート楽団の入団試験をひそかに受け合格する。入団はしたものの、統制的で自由がなく演奏技能だけを重視する楽団で息苦しさを覚え老人楽団に戻る。そんなとき老人楽団の演奏会が開催されることになる。指揮者の笹野高史は街の小さな電気店の店主で、近くの家電量販店の所為で売り上げ不振が続いていたことや、商売敵の量販店からの買収話で持病が悪化し、千鶴が代わりに指揮をすることになる。ある日、エリート楽団が招待した世界的音楽家フィリップ・ロンバールの持っていた古いアナログテープレコーダーを笹野が修理したことからロンバールは、老人オーケストラに肩入れするようになる。演奏会で楽しそうに演奏する老人たちとそれに歓声をあげる聴衆やロンバールをみて、エリート楽団の主催者で量販店社長も音楽本来の楽しみを思い出し老人楽団にもどる。上のポスターは公式ホームページより。

 映画で演奏する左とん平をみて、学生のとき友人Sの部屋で左とん平の『ヘイユーブルース』のレコードを聞いていたことを思い出した。

ヘイユーブルース https://www.youtube.com/watch?v=dPVIXgfZSZI) 

Sは同じ曲を何回も聞くという性癖を持っていたので「ヘイユー、ホワッチューネイム? 人生はすりこ木だ!」の歌詞は耳にこびりついている。Sの部屋でたくさん曲を聞いたがその多くは素養のないクラシックだったので、覚えているのは、この左とん平の『ヘイユー』とエディット・ピアフのシャンソンだけである。シングル盤『ヘイユー』をSは何度も何度もかけ直した。エディット・ピアフはLPだったのでシングルほどではなかったがそれでもSの部屋に入り浸っていたので聞いた回数は数えきれない。その所為で、はるか後年、映画『プライベイト・ライアン 原題:Saving Private Ryan』でパリの戦場にエディット・ピアフが流れたとき「あっ!」と反応したのも、マリオン・コティヤール主演映画『エディット・ピアフ 原題:La'Meme』を観たのも、今、大竹しのぶのエディット・ピアフの舞台を観たいと思うのも、すべてSの影響である。

 IMDbより

 元気な老人はどこにでもいる。うちの親父は92歳でまだ自転車に乗っている。沖縄小浜島で活動する天国に一番近いアイドルグループKBG84は、昨年12月、92歳を筆頭にシンガポールを訪れ、ボタニックガーデンで公演した。高齢化の進むシンガポールで老いをどう生きるかのヒントにするため地元メディアChannel News Asiaが招待したのだ。グループの公演顛末を紹介するNHK海外向け英語放送NHK Worldの番組がYoutubeにupされている。

NHK World動画 https://www.youtube.com/watch?v=8DQ7ylIGh3g 

Channel News Asia記事 http://www.channelnewsasia.com/news/cnaconnect/event/okinawa

映画評は元気なオケ老人たちに加え、KBG84の踊り出すおじいもおばあも総まとめで、★★★★☆ 

 今日4月14日(金)、シンガポールはGood Fridayの休日である。キリストが磔にされた受難日である。朝から雨模様だ。3月中旬、最高気温35℃のシンガポールから最低気温5度のトルコへ現地2泊機中2泊の強行軍で行き、シンガポールへ戻るとすぐ最低気温5℃から最高気温20℃を日替わりで反復する日本へ行き、また35℃のシンガポールへ戻った。トルコで引いた風邪が治らないのは歳の所為か? 来週は帰国し週末にはハーフのレースが待っている。ハーフ2時間切りを目指していたが、練習不足は明白なので完走できればいいと控えめ(弱気?)だ。

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PS. エディット・ピアフとSのことは2008年5月7日”GW映画漬け”の回で言及済みだった。何度も同じことを言う健忘期の痴呆初期症状は何年も前から出ている。もの忘れもひどい。自分も十分”〇ケ老人”ということだ。(2017.4.15記)


2017春

2017-04-09 20:01:20 | 話の種

3月中旬、旅先の黒海から吹き付ける北風で引いた風邪をこじらせた上、引越しで忙しく雨もあって、しばらく日課のランニングから遠ざかっていた。そうこうしているうちに季節はめぐり春が来た。写真は、引越し先自宅近くの公園で、一周1.1㎞の水源地周りが桜並木になっている。雨上がりの夕方、3週間ぶりに満開の桜の下を走った。コースには雨上がりを待って繰り出したランナーが大勢いた。

これで何度引越しをしただろうか。覚えている限りでは、徳島、仙台、広島、東京、シンガポール、そして千葉と計24回になる。それでも、93回転居したという北斎には遥かに及ばない。次の引っ越しは老人ホームか棺桶になるだろう。


Hermaphroditus

2017-04-08 15:17:45 | 西洋史

イスタンブールの考古学博物館を散策しているとき両性具有のヘルマプロディートス(Hermaphroditus)の大理石像(BC3世紀頃)があったので思わず下の写真を撮った。ギリシャ神話で、彼はヘルメスを父、アフロディテを母とする美少年だったが、nymphと合体し両性具有になった。これが両性具有(hermaphrodite)の語源である。ヘルマプロディートスとは形態が少し違うが、プラトン(BC427~347)の著した『饗宴』でアリストパネスが語った二重人物がいる。

人間はもともと背中合わせの一体(下の絵)であったが、神によって2体に切り離された。このため人間は互いに失われた半身を求め、男らしい男は男を求め、女らしい女は女を求め、多くの中途半端な人間は互いに異性を求める。

これがプラトンのいう男女の愛と同性愛の起源である。上の説明を信じるなら、同性愛の方が異性間の愛よりも優れていることになる。古代ギリシャはLGBTに肯定的な社会だったことがわかる。田中英道は著書『レオナルド・ダ・ビンチ』と『ミケランジェロ』の中で、彼らの作品に二重人物が描かれているという説を提唱している。

上左:イスタンブール考古学博物館のHermaphroditus、上右:田中弘道『レオナルド・ダ・ビンチ』から二重人物

レオナルドやミケランジェロらが活躍したルネサンスは、古代ギリシャやローマの文学、芸術、音楽、建築を復興しようという運動で、イタリアでは14世紀のダンテらに始まり、1453年のコンスタンチノープルの陥落で多くのギリシャ人がイタリアに亡命したことで運動は一気に加速された。プラトニズム(プラトン主義)もその時に持ち込まれたもののひとつで、フィレンツェのフィチーノ(1433~1499)はメディチ家の後援でプラトンの著作をラテン語翻訳し、集まった彼の友人たちは、愛や美を語り合った。フィチーノの集まりはプラトンが設立したアカデメイア学園にちなみプラトンアカデミーと呼ばれた。フィチーノの集まりで朗読されたプラトンの『饗宴』は、ソクラテス、アリストデモス、パウサニアスらが集まり“愛(エロース)”について語り合った様子を描いたもので、その中のひとりであるアリストパネスが二重人物について語った。

下の絵に示すように、レオナルドの『三王礼拝』には3対、『岩窟の聖母』では2対の二重人物が描かれている。ミケランジェロは『ドー二家の聖家族』で背景に二重人物を配している。

上左:レオナルドの『三王礼拝』と二重人物、上中:レオナルドの『岩窟の聖母』(Wiki)上右:ミケランジェロの『ドーニ家の聖家族』(Wiki)

レオナルドもミケランジェロも同性愛者だったことが知られている。厳格なキリスト教が支配する中世のイタリアでは同性愛は罪悪だとされ、レオナルドも同性愛者の嫌疑を受け訴追されている。そのため、プラトンの愛はキリスト教と折衷しなければならなかった。プラトンの二重人物は対等であったものを、フィチーノは二重人物の一方を魂とし神と同じ立場に置き、一方を肉体的な存在とした。肉体は神を愛そうとする存在と解したのである。すなわち、愛を神への愛に限定した。ミケランジェロの『ドーニ家の聖家族』はフィチーノのこの解釈を踏襲したと田中は解説している。この構図はミケランジェロのレオナルドに対する挑戦であり、プラトン・レオナルド的な人間の至福を否定し、キリストを強調することで神による愛のみが人間の救済となることを示したのだとする。

『饗宴』で肉体的な愛よりも優れているとされた精神的な愛(プラトニック・ラブ)は今や死語だそうである。