備忘録として

タイトルのまま

孟子

2011-08-28 23:55:29 | 中国

 

 貝塚茂樹の「孟子」は、内山俊彦の「荀子」より初心者向けだった。孟子は、孔子から200年ほど後、曽子、子思の流れを汲む正統の儒家である。孟子の生きた時代背景や思想を概説したあと、孟子の言葉や対話をまとめた書「孟子」を順に紹介し、性善説、孟母三遷、五十歩百歩、人事を尽くして天命を待つ、など有名な話を解説しながら、孟子の人となりがわかる構成になっている。「孟子」は、「論語」、「中庸」、「大学」と合わせ儒教の四書と呼ばれる。

性善説

人間は誰でも人の悲しみに対する同情心を持っている。子供が井戸に落ちかけているのを見た人は誰でも驚きあわて、いたたまれない感情になり、救けに駆け出すに違いない。このいたたまれない感情は仁の端緒である。これに対し墨子学派の告子が、人間は善でも悪でもないし、どちらにも成りうると反論したが、孟子は感情的に答弁したという。人間の善なる本性を拡充するには非常な意志力が必要であり、浩然の気を養わなければならないとする点で性善説はあまり説得的ではなかった。性悪を礼や学習で善に変えるという荀子の性悪説のほうが説得力がある。

孟母三遷

孟子が小さいころ、家が墓場のそばにあり孟子がいつも墓場で遊んでばかりいるので孟子の母は市場の近くに引っ越した。ところが今度は、孟子が市場で商人のまねばかりするので学校の近くに引っ越す。ここでは孟子は礼を学び始めた。母親が教育熱心だったから孟子という偉人が誕生したという逸話であるが、これは後世の作り話だろうとされる。

五十歩百歩

高校の漢文で習った。梁の恵王が自分は他国よりも善政によって国を経営しているのに、どうして自国の人口が増えないのかを孟子に問うたとき、孟子は戦争で50歩逃げた兵隊が100歩逃げた兵隊を笑ったという比喩を持ち出し、人口の増加よりも質を上げるべきだと諭す。孟子はこのような比喩が得意な雄弁家であった。

泰山を小脇に抱えて北海を飛び越える

などということは現実的にできないが、按摩をしてあげよと言われてできませんと答えるのは、できないのではなく、やろうとしないだけだ。王に仁政をするように促す際に、このような比喩を持ち出し、不可能なことと意欲しないことの差を説明している。

浩然の気を養う

孟子は弟子に何が得意かを尋ねられたとき、人の議論が理解できることと浩然の気を養うことの二つが得意だと答える。浩然の気とは天地に充満し、義と道を通じて養われる。浩然の気を養うとは、道義を体得すること、気を支配する志を重要視する。吉田松陰は、”大敵を恐れず小敵を侮らず、安逸に溺れず、断固として励むことができる気力である”とし、それを養うには、”一日一日、志に向かってやるべきことを積み重ねることである”と言った。西郷隆盛も浩然の気を養っていると述べている。らしい。孟子は浩然の気を養う勇者だと自負している。貝塚はこれを、”何か大人げない感じがする”うえに、”孔子のような穏健で時宜に適した行動をするのとは、たいへん相違し、孟子はつまらないことにこだわりすぎて、大事な仕えている王との間に仲違いの原因を作ってしまった。”と、孟子の人格を否定的に見ている。

天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず

戦争を孫子が重要視する軍事学的、地理的な状況よりも、人間の問題がもっと重要だとする。戦争は儒教的な政治学の問題であるとした。

男児は、天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行く

大丈夫の心意気。

誠は天の道

孔子、曽子、子思を経て孟子に伝わる儒教の道徳哲学。まごころがこもっていれば動かされない人があるはずがない。

人の患いは、好みて人の師となるにあり

人に自分の説を押し付けようとしてはならない。

人事を尽くして天命を待つ

孟子は運命論者であるが宿命論者ではない。

 人間の本性は善であるという性善説や、仁義を説く姿から、孟子はどんな聖人君主かと思っていたら、結構人間臭い。貝塚茂樹によると、孟子は派手好み贅沢好みで、権力主義的で、自信家でへりくだることがない性格で、情に欠けるところがあり、”人間として欠点の多い人であった”ことになる。穏健な性格の孔子とは大分違う。仕えていた斉国国王に隣国の燕を攻めることを勧めたり、その後燕国の支配に失敗すると今度は燕国を捨てるように進言するといったご都合主義が見られる。斉国国王によって自分の理想を実現することを焦ったのか、仁政や忠恕を説く儒家の立場と矛盾する言動が見られる。貝塚茂樹は、孟子のことがあまり好きではないように感じたし、孟子が貝塚の言うとおりだとしたら、儒家が孟子を孔子と並列して孔孟と呼ぶことに違和感がある。

(注:貝塚茂樹は、ノーベル賞の湯川秀樹や史記を訳した小川環樹の兄)


Ghost Festival

2011-08-20 16:13:08 | 東南アジア

 日本のお盆と同じように、シンガポールにも中国暦中元の7月15日にGhost Festivalというお祭りがあって、ご先祖様がこの世に帰ってくる。日本と同じようにというのは語弊があり、こちらが日本のお盆の起源かもしれない。街中いたるところに仮設舞台がつくられ、歌や劇が数日にわたって演じられる。家のそばにも舞台ができ、中国人歌手の歌声が大音量で流され数日間は騒々しかった。各家の戸外では、線香を焚き、あの世の紙幣を燃やす。

 昨日は7月15日を過ぎているのだが事務所でもシンガポール人スタッフが中心になってお祀りをした。一人一人に3本ほど線香が渡され赤い箱状の爐(ろ)のなかに刺していく。仕事の安全を祈りGhostが悪さをしないようにお祀りするのである。Ghostは天にいるので、祭壇は屋外の空が見えるところに設けられた。

  

 Ghost Festivalは、道教では”中元節”、仏教では”盂蘭盆節”、民間信仰では”鬼節”といいうように、道教と仏教と中国の民間信仰が混合したものだ。下は燃やした紙の一部で、上は聖人らしき人が3人並んでいるので三皇だと思うが、そうなら中国の民間信仰、下は南無阿弥陀仏と書いてあるので仏教である。あの世で使う紙幣も燃やした。7月15日前後の期間、天国や地獄の門が開かれているのだという。

 三皇は誰かということでは諸説があるらしい。司馬遷は、史記「秦始皇帝本紀」で、秦の始皇帝が皇帝という称号を決めるくだりで、学者たちが、”いにしえ、天皇があり地皇があり、泰皇があった。”と述べているので、これを三皇とする説、また中国神話の伏羲(ふくぎ)・女媧(じょか)・神農を三皇とする説などがある。後者は下半身が蛇などの半人半獣なので、紙に描かれた3人は司馬遷の言う三皇のように見える。司馬遷の史記本紀は「五帝本紀」から始まるので五帝に先行する三皇のことは前述の始皇帝の章にしか出てこない。史記「五帝本紀」に最初に登場する黄帝(五帝のひとり)が泰山で天と地を祀り封禅の儀を行うが、ここに司馬遷のいう三皇の”天、地、泰”が揃う。いずれにしても三皇は神話や儀式上の存在であるということだ。

 中国に広く流布する宗教的な道教と老子・荘子の哲学思想である道家は同じでない。自分も混同してしまっていた。道教は老子を教祖に祭り上げているので、道家と道教は同じだと勘違いしてしまう。確かに老荘思想には神仙思想があるが、基本的に無為自然を唱えているので、道教のように寺院を構えたり、先祖の霊魂を華々しく迎えるような儀式をしたり、教団を造るという発想はでてこないはずである。道教は、不老不死などの怪しい教義を持つ民間信仰の発達したものである。娘が小さい時に流行った、お札を額に張って動きを封じるキョンシーにも怪しいナントカ道士が出ていたが、これは道教である。不老不死といえば、秦の時代に徐福が東海にその薬を求めると始皇帝を騙し若い男女3000人を船に乗せて日本に流れ着いたというあの徐福伝説がある。徐福は方士で、道教の道士も方士も神仙の術を操る怪しい連中である。まじめに道教を信奉する道士も存在するらしく、彼らは仏教の僧侶やキリスト教の聖職者と同じような存在である。

 日本のお盆は、お墓詣り、法要、檀家など宗教色が強く、仏教行事のように思っていたが、考えてみれば各地に宗教とは関係ない盆踊りがあり、その起源は知らないが現在の阿波踊りも宗教とは全く関係がない。もうしばらくお盆に帰省していないので阿波踊りを見ていない。昨年から徳島空港が、徳島阿波踊り空港という名に変わったらしい。徳島といえば阿波踊りだからそれでいいのだけれど、高知の龍馬空港には負ける。


宇宙人

2011-08-16 23:06:25 | 話の種

 甲子園が始まったころ一時帰国していたが、東京はシンガポールよりも暑かった。シンガポールの日中の気温はだいたい32~33℃、東京は35℃を超えていた。シンガポールも暑いけど夕方はスコールがあり、体感温度は気温差以上にあるので東京より過ごしやすい。日本にいる間は、あまりに暑くてブログに向かう気力もなかったが、シンガポールに戻り若干精気が戻った。

 さて、数日前にNASAは、隕石中に宇宙起源のDNAを発見し地球上の生命の起源は宇宙にあると発表した。原始の地球に落ちた隕石が生命の起源にとって重要な物質を持ちこんだというのである。結局、我々は宇宙人だった”We could be aliens after all”という見出しの記事も出ていた。これまでは、隕石が地球に衝突しその熱と圧力で海の中のアミノ酸や酢酸が有機物に変化し生命の起源となったという説を聞いていたが、火星にも生命体があるらしいし、生命の起源が宇宙でも特段驚く話ではない。たまたま機中で宇宙人の映画を2本見たので取り上げたまでである。

NASA Web-siteより (http://www.nasa.gov/topics/solarsystem/features/dna-meteorites.html)

 機中で観たのは「Thor」と「I am Number Four」という映画で、どちらの宇宙人も人間型(ヒューマノイド)で英語をしゃべり、なぜか地球に逃げていて悪い宇宙人と闘うのである。この辺はスーパーマンと全く同じで、いずれもすごいパワーを持ち、同じく地球人の女性と仲良くなる。最後はお決まりのように地球を破滅から救う。「Thor」の主演はたぶん無名のクリス・ヘムズワースというマッチョだったが、共演はオスカー俳優のナタリー・ポートマンとアンソニー・ホプキンスやレネ・ルッソ、浅野忠信もチョイ役で出ているという豪華版だった。「I am Number 4は、主演も共演も知らない俳優さんたちばかりだった。仲間の女宇宙人Number 6は強かった。どちらかと言えば、「I am Number 4」の方が面白かったが、五十歩百歩なのでどちらも★★☆☆☆。

 これまでに個人的に遭遇した宇宙人(地球外生命あるいは異星人とも言う)を覚えているかぎり書き連ねておくが、残念ながら、テレビ、映画、本を通して遭遇しただけなので実見した宇宙人はいない。

 火星人マーティン(口元か耳をピクピク動かして魔法をかけていた)、H.G.ウェルズのタコ足の宇宙人、スーパーマン(テレビと映画のスーパーマンは二人とも非業の死を遂げる)、コメットさん(九重佑三子。大場久美子は知らない)、宇宙人ピピ(漫画と実写の合成だった)、かぐや姫、マグマ大使の宇宙の帝王ゴア様と人間モドキ(このときXXモドキが流行った)、バルタン星人、ウルトラマン他、宇宙怪獣キングギドラ、ドラえもん、宇宙戦艦ヤマトのガミラス星人、エドガー・ライス・バローズの火星人、金星人、木星人、月人、石原藤夫のユニークな宇宙人たち、2001年宇宙の旅のモノリスを作ったやつ(姿は見えなかった)、地球が静止する日、スタートレックの耳の尖ったやつ、未知との遭遇、ET、V、エイリアン、プリデター、スターウォーズ(でかいナメクジ野郎が印象的)、マーズアタック、サイン、メンインブラック、インディペンデンスデイ(これはウェルズの宇宙人と同じくタコ足)、インディー・ジョーンズ第4話、缶コーヒーのジョーンズ、姿は見えなかったがジョディ・フォスターのコンタクトにも宇宙人がいた、アバタ―