備忘録として

タイトルのまま

火花

2015-08-09 15:37:15 | 他本

帰国と同時に文藝春秋を買って又吉直樹『火花』を読んだ。

漫才師の主人公・徳永と先輩・神谷の日常のやりとりは漫才そのものなのだが、実は又吉の漫才を見たことがない。又吉が出ているNHKの経済番組「オイコノミア」はシンガポールで放映されていてずっと見ている。この番組は又吉と経済学者の大竹文雄のまったりとしたやりとりが出色で、時に又吉のユニークな視点に驚かされる。小説の徳永が物事を斜めから見て語る姿は、番組での又吉の姿勢そのものである。漫才の世界では、”人を笑わす”ことが大原則であり、その原則のためなら何でもありの神谷は「芸の為なら女房も泣かす」的な、あるいは又吉のことばを使うと「人におもねることをしない」芸人である。そんな神谷の生き方は、非日常の芸人の世界でも認められず、結局、女に捨てられ、借金にまみれ、芸の世界からも締め出される。それでも、全身全霊で自分の信じた道を歩む神谷や徳永の熱い生き方は、まぶしいくらいきらめいて見える。ほとんどの人間は適度に世間と折り合いをつけながら、時には原則を捨て妥協しながら生きていくのだと思うし、残念ながら自分もそうやっておろおろと生きてきた。解散漫才の場面では不覚にも、うるっときた。

又吉の印税収入に貢献したことにはむかつくが、面白かった。


脳死は死であるか

2014-01-31 19:33:41 | 他本

 今日1月31日は中国正月でここシンガポールは休日である。この期間は市場が閉まり多くのスーパーマーケットや飲食店が閉店になるので、昨夕6時の閉店ぎりぎりにスーパーに飛び込み、4~5日分の食材を買い込んだ。中国系の人々は今日1日は家族で過ごし、2日に親戚や友人宅を訪問する。その2日にはトラックの荷台に乗ったライオンダンスチームがにぎやかな太鼓の音を響かせながら町中に繰り出す。裕福な家庭は個人的にライオンダンスを招き入れ、その年の福を願うのである。

正月早々、脳死の話題を取り上げるとは、風水や習わし(因習?)を大切にする中国人からすれば縁起でもないということになるのかもしれない。続けて梅原猛の1990年の表題の論文を読んだので仕方がない。ところでこの縁起でもないの「縁起」は仏教用語で、あらゆる物には因果関係があり悪いことをすれば悪いことが起こるということである。でも結局は縁起は空と同義で諸行無常なのだから気にすることはない。と、わけのわからない言い訳をしておく。

梅原は日本人は何千年もの間、心臓の停止を死としてきたのに、臓器移植が進まないことを理由にして死の定義を変えるのには反対であるという立場に立つ。臓器移植を否定しているのではなく、心臓の停止という死の定義は変えずに、個人や家族の意思によって脳の機能が停止したら臓器移植をしてもいいという契約はあってもいいというのである。要するに医者の都合や移植待ち患者の都合で死の定義を変えるなというのである。梅原はこのように自分の立場を明確にしたのち、反対の理由を哲学者の立場から説明を始める。

  1. デカルトの「我思う故に我あり」という言葉があるが、”我思う”脳の機能が停止した時点で自己は存在しないというデカルトの思想が西洋哲学の根底にあり、西洋で脳死が死とされるのは必然であろう。西洋哲学では”我思う”をしない人間の体はもはや単なる物質である。
  2. アメリカで生まれた哲学のプラグマティズムは、アメリカ人の常識を理論化したもので極めて合理的である。脳死が臓器移植にとって都合がいいならそれを受け入れることに寛容であるはずだ。
  3. 梅原はデカルトの哲学には断固反対する。思惟する人間は絶対的に優越するというデカルトの思想は、人間を思い上がらせ、科学技術によって自然を支配できるという思想を生んだ。人類は、核戦争の危機、環境破壊の危機、人間の内面破壊の危機の3つの危機に直面していると梅原は別の論文で言っている。
  4. 自然界に存在するものはすべてDNAの組み合わせで成り立つのであり、すべての生命はDNA構造をもつ。これは、思惟する人間が優位ということはなく「山川草木悉皆成仏」の考えに通じるものである。だから、自然支配ではなく謙虚に共存共生を目指すべきである。
  5. 脳死を認めることは、結局、思惟を持たない動植物の生命を認めないことと同じである。思惟しない生物にも人間の知らない生命の神秘が隠されているかもしれないのである。(例えばクオリアとか?)
  6. 臓器移植を否定するものではなく、臓器移植はむしろ菩薩行である利他(捨身飼虎)の精神に通ずる。しかし、利他は本人の強い菩薩行の意思でもって行われなければならないので、あらかじめ脳死での臓器移植の表明をしておくべきである。
  7. 脳死を死とせずに臓器移植を行うことは殺人に値するとして医者が臓器移植を回避するようになることに対しては、医者の行為を容認する法律を整備することで対応すべきで、死の定義を変えるべきではない。
  8. 移植医自身がドナーであることを率先しなければ臓器提供は進まないだろう。

さて、梅原の意見がよくわかったところで、自分の立場も表明しておく必要があるので一応今の考えを書いておく。

自分はどちらかと言えば梅原が否定するプラグマティズムに近い考えを持っていて、人間は死(脳死)ねば物質になるという考えに近い。脳死が不可逆的であるのなら、死の定義を変えてもいいと思っている。臓器移植で人が救われるなら功利的かもしれないが利他業の満足を覚えることができるし、それに自分の臓器が他人の体で生き続けることで遺族の喪失感を幾分か緩和できるような気がするのである。梅原の言う自然との共生には共感するが、それは別の問題としてとらえればいいと思うのである。

昨日、STAP細胞という画期的な万能細胞が発見されたというニュースが流れた。細胞の培養で再生医療が急速に進歩し、臓器移植が必要のない時代がくるのはそう遠くないと思われる。そうであるなら、梅原は臓器移植を前提とした死の定義の変更など必要ないだろうと言うに決まっている。でもそれは梅原が過信するなと警鐘を鳴らす科学技術の進歩がもたらす恩恵なのである。科学技術の進歩は人間が類人猿から進化した生物学的な進化過程と同じ延長線上にあると考えてもよいと思っている。科学技術の進化は人間中心主義を助長するのではなく、これも自然の法則の一部であり進化の必然であると思うのである。科学技術の進化と共に哲学や倫理などの人間の内面の進化も進み、試行錯誤をしながら人間は技術と精神と自然のバランスをとることができると信じている。科学技術や人間の智慧は万能ではないけれど梅原がいうほどひどいとは思えないのである。 


クローン人間についてのパンセ

2014-01-19 23:46:51 | 他本

久しぶりに梅原猛を読んだ。1998年に出版した「芸術と生命」という本の書下ろし論文である。パンセとは思考。クローン人間誕生が避けられないとすれば、その危険性について考えておかなければならないという論文である。クローン人間は人間の不老不死への願望を満たしてくれる技術だからカソリック教会や政府が禁止しても誰かがひそかに推進し法律では止められないだろうという。

梅原はクローン技術を論ずるに先立ち、人間の不死の願いをまず次のように分類する。

  1. 個体の不死としての不死 (物質的な不老不死)
  2. 再生としての不死 (キリストの復活や輪廻再生のこと)
  3. 遺伝子の継承としての不死

道教では個人が不老の体を持つことができる神仙思想があり、秦の始皇帝は徐福に命じて不老不死の薬を探させた。始皇帝は不老長寿の薬として道士により水銀を服用させられていた疑いもある。これが第1の物質的な不死である。第2の不死は霊魂の不死である。肉体が滅びても魂は不死であるとする宗教は死に対する恐怖や苦痛を克服するために発展した。キリストは復活し人々を救済する。浄土真宗では念仏を唱えることで極楽浄土に往生し再生する。ここに人間は不死と永遠を勝利することができるとする。第3の遺伝子の継承としての不死は王朝や家系の血縁継続願望である。同じ遺伝子を持つ子孫に自分の王朝、家、会社を継いでほしいと願うことである。

クローン人間は、上の3つの願いをすべて満たしてくれるというのだ。第1の願いは、カズオ・イシグロが「Never let me go」で描いたような臓器移植のために育てられるクローン人間が満たしてくれる。第2は死者の細胞が残っていればクローン人間を再生することができるというものである。マンモス再生プロジェクトが進行中である。第3は自分のDNAを100%有するクローン人間を永久的に作り出すことである。DNAは子の代で2分の1になり孫の代で4分の1になるように世代を重ねるにつれて薄くなるが、クローン人間だとDNAは100%受け継ぐことができる。芸術家や役者や技術者のクローン人間は、芸や技術を正確に伝承できる。

このようにクローン技術の発展は人間の不老不死に対する願望を満たし人間にとって有意義のように思えるが、梅原は負の側面を挙げ、”クローン技術は原子力と同じくらい危険な技術であり、人間は、科学が人間を幸福にするという幻想から目覚めなければならない”と警鐘する。

負の側面とは、たとえば孫悟空は自分の毛を抜いて息を吹きかけると分身が現れる術を持っていて、大勢の孫悟空の分身が化け物と戦ったように、クローン人間の軍隊をつくることや、子供のない人間が自分の細胞を保存しておいてクローン人間を作る技術ができた時点で財産をそのクローンに相続させるという遺言を残すことが可能になるがそれでいいのかという疑問である。

さらに、これまで道教やキリスト教や浄土教の宗教が不死や再生を扱ってきたが、クローン技術の発展により科学が不死や再生問題を扱うことで、宗教はさらに失墜してしまう。”近代世界は、人間というものは他をもって代え難い個性的な人格を所有していることをその存在の原則としている。ーーー近代法は人格をもつ個人の権利と義務をその法思想の根底においている。だから同じような人格を持つ人間が増えると、近代世界の秩序が崩壊することは必然だ”という。性的交渉なしで子孫をつくることができるようになれば、ますます非婚や晩婚や離婚が増え、家庭はもはや子供の生産と育成の場ではなくなり、家庭の崩壊が進む。このようにクローン技術は家庭崩壊を促進し、人間が生きていく根底を破壊するに違いないという。

思うに、流行りの形成外科で、クローン技術によっていくらでも体のパーツ交換ができるようになれば、髪型と同じように鼻や目を取り替えられるようになり、同じ顔や体型の人間ばかりになる。昨今、生物多様性を保全することが地球環境を守る最も重要なテーマと叫ばれているが、画一化の技術であるクローンはそれと逆行する技術であり、梅原の危惧する人間社会の秩序の崩壊だけでなく、地球環境の破壊の原因にもなりうるのではないかと思うのである。ということは以前クローンの巻で書いた。


銀の匙

2013-10-26 20:00:40 | 他本

娘に薦められて中勘助の「銀の匙」を読んだ。夏目漱石や和辻哲郎が絶賛するこの名作を知らなかった。

明治後半の時代を背景に、伯母に背負われた幼児から、近所の女の子だけが友達だった小学生時代、自分を男らしく矯正しようとする兄に反発する中学生時代、老僧や美しい若妻に出会う17歳までの主人公”私”の心情が美しい文章で描かれている。心理描写がその年齢の者でしかできない迫真性をもって語られているのである。大人が記憶を掘り起こして子供の頃の心情を語るのではなく、子供が大人の文章を借りて語っているようにしか思えないという和辻哲郎の解説以上のことばが浮かばない。繊細な者にしか感じ取れない心情や風景を美しい言葉で修辞し、その修辞がくどくはなく文章は短く平易である。それに明治時代の文豪である師匠の夏目漱石や森鴎外の文章で感じるような古くささがない。強いて言えば、「しろばんば」や「夏草冬涛」の井上靖の文章を思いだした。また、小説には主人公の心理描写だけでなく、明治末年ごろの子供の遊び、庶民の生活、文化、教養、信心と宗教の細部が生き生きと描かれ、民俗学的資料としても貴重だと思った。

主人公の”私”の心情はよく理解できるものの、自分の幼少期を振り返ると彼とは真逆で、無神経で人の気持ちなどお構いなく仲間と群れて尖っている、”私”のような繊細なおとなしい者は弱者だと決めつける側にいたと思う。伯母さんの庇護のもと、お国さんやおちゃんのような女とばかり遊ぶ男を軟弱だと軽蔑し、餓鬼大将の富公の後ろではやし立てる雑兵の一人のようなものだった。”私”と同じところがあるとすれば、小学校に入ったとき、ひらがなをまともに書けない落第生だったところである。友達に手紙を書くという授業では”ぬ”や”ね”の難しいひらがながわからず隣の席の友達に教えを乞いながら手紙を仕上げたことを思い出す。いたずらが過ぎて母親が学校に呼びつけられたのも1度や2度ではなかった。通信簿の成績は5段階の3がほとんどで2,3個の2と体育だけが4だった記憶がある。毎日かばんを放り出して眉山で遊びほうけ、体には生傷が絶えず、額や足の縫い痕も含めそのころの傷跡が体中に今も残っている。小学4年生のある日、落第生の自分に危機感を持った母親が無理やり学習塾に通わせたのがきっかけで、”私”と同じように勉強に目覚めていった。あのまま親が自分を放置していたらどうなっていただろうかと思ったりする。子供はちょっとした環境の変化によってその後の生き方が変わるほどの影響を受けるので、親の責任は大きいと思う。

話の後編、中学生の”私”は、外面の男らしさを要求する兄に反発しながらも、内面ではしっかりとした自我を持つまでに成長している。世の中が富国強兵で日清戦争へ突き進む中にあって、クラスでひとり反戦を主張し、こわい修身の先生にも堂々と意見を述べる。そこには女々しい”私”はもういない。自分は木から落ちた猿(頼りになるものがなくなりどうしていいかわからない)だと言い、すぐに涙ぐむ性癖は変わらないけれど、ちゃんとした自分を持っているのである。

中勘助の他の作品も読んでみたいと思う。


幼き日のこと

2013-01-03 17:55:30 | 他本

2013年元日の初詣は西新井大師の混雑を嫌い近所の八幡神社に行った。近くに有名な西新井大師があるので、社務所もない小さな神社にお参りする人は少なく、居合わせた参拝客は、父親と幼子2人の親子と若い女性2人と我が家の3組だけだった。規模の大小、神様・仏様、御賽銭の多寡、おみくじの有無は関係なく同じようにご利益があることを信じて、盛りだくさんに祈願した。

さて、井上靖と母親の関係を描いた映画「わが母の記」を観て抱いた違和感を持ったまま越年してしまった。映画の井上靖は、自伝小説「しろばんば」、「夏草冬涛」、「北の海」や西域訪問をはじめとした晩年の活動から受ける印象と根本的に違う、という違和感である。映画の井上靖は、6歳から13歳まで伊豆の血縁関係にない祖母に預けられたことで母親に対し幼くして捨てられ疎まれたという感情をずっと持ち続けていたが、その母親が老い痴呆となり他界する中で許していく。母親に捨てられたというわだかまりを持ち続け家族や周囲の人間に対しても偏屈な性格が強調されていた。実際、井上靖は母親のことをどう思っていたのだろうか?映画の原作である「花の下」、「月の光」、「雪の面」の三部作と、井上靖が父母のことを書いた随筆「幼き日のこと」を読んでみた。

結論として、井上靖の作品を読む限り、彼が母親に対し屈折した感情を持っていたとは言えず、映画は母子関係にドラマ性を持たせるために根本的なところを脚色しているということである。原作では母親の老耄する様子を淡々と語るいつもの井上靖がいるだけで、母親に対する感情を吐露する個所はなかった。「幼き日のこと」の中に「父・母への厳しい眼」という章がある。そこでも、どの子も親に対して抱く近親憎悪的な批判はあったが、自分を血のつながりのない祖母に預けたことで母親に対し恨みや憎しみの感情を持っていたとは思えなかった。以下は「幼き日のこと」から抜き出した両親批評である。

  • 自分はいつも父親に完全を求めていた。絶えず父親に対し批判の眼を向けていた。
  • 父親の性質に常にあきたらぬものを感じていた。所詮父親の持っているものから自分が脱出できないことを知っているからである。
  • 40歳から父親を別の眼でみることができるようになった。それは自分が父親とは別のものを身につけ始めたからである。
  • 子供というものは父母二人の持つ長所も短所も受け継ぎながら、父母に似ない自分を造りあげようと努力してきた。
  • 一生反発してきた父親が亡くなってから一番の理解者が父親だったことに気づいた。
  • 自分は父親から気の弱さや八方美人的な性格をそっくりそのまま貰った。
  • 母親からはかなり強烈なエゴイズムと物に感じ易い涙もろさをもらった。母の性格には強い反発を感じながらも、結局はそのエゴイズムを自分はそっくりそのまま受け継いでしまっている。
  • 自分は父母に反抗して父母とは別の生き方を強いてきたが、両親の生き方に最も同感し、それを理解していたのは自分だった。

「わが母の記」にある母親の性格についての記述は以下のとおりである。

  • 何事によらず自分が中心でなければ気がすまない。
  • 自尊心が強い
  • 人に奉仕されることを当然と考える
  • 同情心が強い
  • 几帳面
  • 協調的

この相反する性格はその時々で母親を支配し、ある人には優しい印象、ある人には邪険な印象、ある人には自分本位な我儘な印象、ある人には明るい社交的な印象を与えた。ただ一つ例外なく誰にでも見せたのは自尊心の強いところであった。

母親に対する強い反発はそのエゴイスティックな性格に対してであり、自分を捨てたという感情によってではないことは明らかである。祖母に預けられた事情についても以下のように客観的に述べていて、父母に対しての批判はまったく認められない。

”当時若かった私の両親は、私の妹が生まれたりして人手が足りなかったので、何かの時、ほんの一時的なつもりで私を祖母の手に預け、そのままずるずるとその状態を長く続かせてしまったものであろうと思う。祖母もおそらく愛情が移って私を手離せなくなったであろうし、私の方もまた祖母になついて、両親の許に帰る気持をなくしてしまったのであろう。”

「幼き日のころ」に、親が死んで次は自分の番だということを自覚した瞬間に、親が自分を守ってくれていたということに気付いたという記述がある。私の父は大正14年生まれの87歳、母は昭和5年生まれの82歳で郷里徳島に健在である。義両親(妻の両親)もほぼ同じ歳で仙台に健在である。今年の初詣は、自分が親に守られているということを意識して両親の長寿を祈願した。 


渋江抽斎

2011-07-10 02:13:40 | 他本

 今日7月9日が命日の森鴎外は小学校の絵本で読んだ「山椒大夫」と中学の時に読んだ「ヰタ・セクスアリス」以来である。息子が読んでるというので何気なく青空文庫を開いたところ、話に引き込まれ気が付いたら読み終えていた。

 鴎外が小説の題材を探すために江戸時代の「武鑑」を渉猟しているときに偶然、”渋江氏蔵書”とか”抽斎云”という書き込みに出会い、自分と同じような蒐集をしていた先人がいることに興味を抱く。それからの鴎外は、渋江抽斎の子孫を探し当てて話を聞くなど、抽斎という人とその周辺を細大漏らさず調べ、この本を書き上げる。医者の渋江抽斎を中心に抽斎に関わる人々の消息が年代を追って細かく語られる。例えば妻の実家の兄の子供がいつ生まれいつ死んだか、抽斎の子供の儒学の先生がいつ生まれ死んだかまで、とにかく少しでも抽斎に関わる人はすべてなのである。安政の地震、幕末の動乱、明治の変革など幕末から明治の時代背景が散りばめられ、当時の人々の生活や習慣、考え方までがわかる。また、谷文晁、安積艮斎、福沢諭吉、中江兆民など聞きなれた人も関わっている。話は抽斎が死んでも残された抽斎の妻や子供の話を中心に鴎外のいる時代まで続く。

 ところが、抽斎の伝記のつもりで読んでいると、いつのまにか抽斎の4番目の妻五百(いお)の伝記じゃないのかという気がしてくる。抽斎の話より彼女の逸話が面白いのである。家に三人の侍が金目当てで押し入ったときちょうど沐浴をしていた五百は匕首(あいくち)を片手に腰巻ひとつで飛出してきて侍を追い出した話は龍馬のお龍のようである。結婚前言い寄る男を池に突き落とした話や五百という名に雅がないとして伊保と書いていたとか、放蕩を続ける腹違いの息子に切腹のような名誉を与えては申し訳ないとして事を納めた話とか抽斎の話より小説的である。分量的にも「渋江抽斎」は119章から成るが、抽斎は半分の62章あたりで死んでしまいあとは五百と子供の話が中心になるのである。先に話は年代順に進むといったが、実は五百が抽斎に嫁いだ驚きの秘密は、五百が死んだ後の107章で明かされ、ちゃんと小説仕立てになっているのである。五百があまりに魅力的に書かれているので、鴎外は抽斎に名を借りて、実は五百の話が書きたかったのではないかという気さえしてくる。

 抽斎は人間の修養として六経を読んだ上で、”過ぎたるは猶及ばざるがごとし、を身行の要とし、無為不言を心術の掟となす。この二書(論語と老子)をさえ能く守ればすむ事なり”と考える。六経とは、”詩経、易経、礼記、書経、楽経、春秋”である。論語と老子はかじったが、六経は読んだことがない。”過ぎたるは猶及ばざるがごとし”は中庸を説く論語で、”無為不言”はまさに老子であることは先般勉強した。

 「渋沢抽斎」は、漢文の難しい言葉が多い中にカタカナ英語が散りばめられ、斬新な感じを受けた。順不同だが、contemporain, dilettante, antipathy, situation, possibility, reconstruction, definition, dissonance, approximatic, recitation, corps diplomatic, reaction, generation, spelling, reader, mutualism, paditism, bibliography。ひとつだけ、ボンヌユミヨオルがわからなかった。Bonne~というフランス語かもしれない。また、クルグスは臨床講義という医学用語である。

 2年前、津和野で、”自分は石見の森林太郎として死にたい”、官職や小説家など表向きの肩書とは無関係に素の人間として死にたいという鴎外の言葉に接し感動したが、抽斎の一生を振り返れば、藩医や考証家という表向きの肩書の背後に、その何倍もの時間と労力で家族や友人と接した生身の人間の一生があることに気付かされるのである。


ランゲルハンス島

2010-07-19 17:57:16 | 他本
 今日は海の日。イチローのシアトルマリナーズと松井秀喜のロスアンゼルスエンジェルスのMLBの試合を見ていたら、聞き覚えのある”ランガーハンス”という名前の選手が出ていた、ので、記憶の糸をたどり、体内に”ランゲルハンス島”という島があることを理科の時間に教わったことを思い出した。さっそくネットで確認すると、ランゲルハンス島はすい臓にある血糖値を下げるインスリンを分泌する細胞群で、ドイツのランゲルハンス博士が発見し、Inseln(ドイツ語の島=island)と名付けた。インスリン(insulin)という言葉自体がラテン語の島(insula)に由来するという。

 ネットで調べる中で、村上春樹が「ランゲルハンス島の午後」というエッセイを出していることに行き当たった。村上春樹は「遠い太鼓」と「村上朝日堂の逆襲」というエッセイ集を走り読みした程度で、有名な「1Q84」や「ノルウェーの森」などの小説は読んでない。村上はエッセイでマラソンにも出て極めて健康なように書いているが、もしかして隠れ糖尿病かもしれないと思ったりした。
 「遠い太鼓」は前にも書いたがギリシャやイタリアに長期滞在しながらその土地の歴史や文化にまったく興味を示さず自分のスタイルを貫く姿勢にあっけにとられた。「村上朝日~」は日常の出来事や思い付きを洒脱な文章と安西水丸のユニークな挿絵でつづったもので、こちらのほうは村上のユニークな視点が満載で面白かった。たとえば、「教訓的な話」では、堀辰雄の「風立ちぬ」を読んだ村上のつれあいの姉が、学生時代に”健康というものは大切なものだと思いました”という感想文を書いたところ先生に大笑いされたということを、村上自身も笑ったが、”これは笑うほうが間違っている”とし、続けて、”彼女が健康の重要性を痛感できたのだとしたら、これは間違いなく文学の力である。教訓というものは類型に堕してしまうこともあれば、ある場合には別の意味での類型を突き崩してしまう力を有することもあるのである。”と書く。
 以前書いたように、私は「風立ちぬ」を読んで、余命を知らされた「死ぬ瞬間」の人の心情や遺された者の喪失感を考えた。特に教訓を得たわけではなかったが、死を反芻するきっかけにはなった。 
 松岡正剛がWeb-siteの千夜千冊で「風立ちぬ」について書いている。(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0641.html) 松岡の千夜千冊には時々行くのだけれど解説が難解すぎて何を言っているのかわからないのが常で、希少にも「風立ちぬ」の巻だけは内容がすんなりと理解できた。”どのように他人の不幸にかかわれるのか”という教訓を書いているようなのだが、本題は市原悦子のラシーヌ観劇の途中でデート相手が帰ってしまうという松岡の若き日の切ない失恋の告白なのである。松岡は、太宰治の「女性徒」の巻でもラシーヌ事件を書いている。こちらは「女生徒」の女性観にとらわれ、ラシーヌ観劇をデートに選んだために失敗した、本の知識に頼ったらろくなことにならないという教訓のようだが、松岡がラシーヌ事件と相手の女性を相当引きずっていることがわかる。
 松岡の言いたいことは、そうじゃなくて全然違っているかもしれないけど、村上春樹に言わせると「教訓は硬直したものではない。」のだから、私が松岡の文章から何をどう受け取り解釈しようと勝手なのである。

 ところで、ラシーヌって何?

司馬作品に思う

2010-01-11 23:37:39 | 他本

 1月10日付朝日新聞”終わりと始まり”で池澤夏樹は、”優れた指導者を抱えていたから日露戦争に勝つことができたというのが「坂の上の雲」の結論だろう。”とし、”天才がいなくなったからその後の日本は駄目になったのか?”という疑問を投げかける。そして、”歴史とは天才ではなく無数の凡人たちがおろおろと紡いでゆくもの”と自説を展開する。

 司馬遼太郎作品はあまりに人気があり、晩年彼が歴史観を頻繁に発表したため、作品で述べられた時代や登場人物があたかも史実であったかのような錯覚に陥る傾向がある。私が「峠」の河井継之助や「燃えよ剣」の土方歳三に心酔するのもフィクションも含めた司馬作品に完全に取り込まれているからである。
 かなり前に読んだ「いろは丸異聞」(こんな書名だったと思うが本棚に見当たらない)で、紀州藩に対し老練な交渉術を駆使する龍馬が描かれていた。それまで司馬の「龍馬がゆく」の明るくくったくのない性格とは異なる龍馬像を見せられ違和感を持ったことを思い出す。龍馬は、いろは丸衝突事件で万国公法に則り正論で紀州藩から賠償金を勝ち取ったと「龍馬がゆく」では述べられていたと記憶していたが、その本の龍馬は賠償金を取るために、紀州藩の法律に疎いことや、交渉術や議論が稚拙であることにつけ込み恫喝も辞さない交渉術を見せている。鞆の浦沖でのいろは丸潜水調査では、賠償金算定の基準となった積荷であるはずのミニエー銃は見つからなかったので、龍馬が賠償金を釣り上げるために嘘を言ったと考えられている。
 小説中の人物像は大半がフィクションで司馬の好みの反映だということは頭ではわかっているけど、つい作品に惹きこまれ感情移入してしまうのだから始末が悪い。歴史上の人物評が司馬作品に依存している人は私の周りには何人もいて、司馬マジックとでも言うしかない。

 半藤一利の「聖断」も司馬と同じように歴史資料や証言を積み上げて書き上げた小説で、主人公の鈴木貫太郎や昭和天皇に対する作者の思い入れを感じる。この本では、池澤が言うように”天才ではなく無数の凡人たちがおろおろと紡いだ”結果としての昭和史が描かれ、「坂の上の雲」の天才たちはいない。鈴木貫太郎は日本海海戦の勇者であり司馬の描く天才に匹敵するが、彼は結局、日露戦争以降は終戦の局面でその存在感を示すに止まった。傑物とされている山本五十六も当時の組織や政情の綱引きのなかで日本を破滅から救うことはできなかった。

 忘れないうちに書いておくけれど、私の最も好きな歴史上の人物は、”聖徳太子”である。私は聖徳太子を一次資料(日本書紀や上宮聖徳法王帝説や三経義疏や法隆寺の遺物など)を基に好きになったわけでなく、上原和や梅原猛の描く聖徳太子が好きになったことは言うまでもない。昨年の春ごろからもうすぐ出ると言われていた上原和の「法隆寺を歩く」がやっと12月に出たのを今読んでいる。法隆寺を隅から隅まで歩きながら聖徳太子ゆかりの御物と太子の人物像を解説してくれるファンにはたまらない作品である。聖徳太子虚構説などありえないと思っている。上原和も怒っているらしい。
 上原和の聖徳太子に対する思い入れは司馬の比ではない。上原和の描く聖徳太子像と司馬の描く歴史上の人物像の違いはどこにあるかというと、上原和は実証を生業とする学者であり、根拠をすべて示したうえで聖徳太子を独自の視点で解釈しフィクションはない。上原和の短いWikiが昨年末頃にやっと掲載された。教え子あたりによるものではないかと愚考している。


姜流

2009-08-02 11:19:29 | 他本
「AERA Mook」の新聞広告に姜尚中半藤一利の対談と出ていたので、1400円は高いと思ったけれどすぐに買って読んだ。
対談はもちろん漱石の目を通して見た現在の日本や日本人についてだった。二人の話を拾ってみると、
1.コメディアンが総理候補になるような状況は、”皮相上滑りの開花”と漱石が言ったように、政治も日本もどこか浮ついて劣化が著しい。
2.漱石はロンドン留学で人間がお粗末になって国が傾くのを目の当たりにしたので、日本は米国とうまくやりさえすればいいという思考停止状態は、漱石には安普請と映ることだろう。
3.漱石は利己主義でも他人本位でもなく、自己本位、自分を律して自由と向き合った。現実から距離をおいてアイロニカルに見ていた。
4.日本もやっと内省の時代に入ってきた。自分の身の丈を生きようと考え始めている。まじめに自分のことを考えて、漱石の”まじめであれ”を忠実に守る。

ちょっと短かったけれど、二人の共通項がよくわかった。

雑誌の付録で姜尚中が日本国憲法の前文を読む場面があるけど、そこにある日本国憲法の精神はすばらしい。憲法改正なんてどこの誰が言っているのだろうか。もうすぐ衆議院選挙があるけど、護憲が少数派なのがもどかしい。

田原総一郎、上野千鶴子、宮崎学、梁石日、辻元清美など様々な人たちの姜尚中評も面白い。北海道大学の中島岳志が筑紫哲也がニュース23の後任は姜尚中がいいと言っていたという話は姜尚中の筑紫評と合わせて面白かった。目線の先には視聴者しかないような今のニュースキャスターたちのレベルの劣化はひどい。

ブッシュの3つの罪は、①国際社会に対し傲慢だったこと、②金融危機に対し無策だったこと、③反対意見や宗教を排除したこと。

編集後記は、姜尚中がよく「○○を抱きしめる」という表現を好んで使うことを、”身に起こることを不都合な部分も含めて積極的に丁寧に包み込む”と解釈しているけど、「抱きしめる」とは、漱石の”何事もまじめに深く考える”ことでいいと思うのだけど。

悩む力

2009-07-26 21:14:22 | 他本
姜尚中はその著「悩む力」で、夏目漱石やマックス・ウェーバーの生きた1900年前後の時代とほぼ100年後の我々が生きる今の時代がよく似ているという。今、引きこもりや鬱が社会現象になっているが、100年前社会問題になった神経衰弱という心の病が漱石の小説によく登場するし、世紀末的病的な文化や猟奇的な事件が起こったことも現代と似ているという。そして、100年前にその時代を見通していた二人の書いたものから、現代の悩みを解決するヒントを見つけ出そうとする。

1.自我(とは自分とは何かを自分自身に問う意識)は他者との関係の中でしか成立しないのだが、自我が肥大すると、すなわち自尊心、エゴ、自己主張、自己防衛が過大だと社会から孤立し、鬱になったり宗教やスピリチュアルに助けを求めたりするようになる。「心」の先生は昔自分と今の奥さんをめぐって争った友達が失恋のために自殺したのではなく自分との友情を失くした孤独感で死んだと知ったときに自ら命を絶つ。漱石も自我のために何度も神経衰弱になり胃潰瘍を患った。自我の悩みを解決する方法は、まじめに悩み、まじめに他者と向き合うほかないという。

2.かつてお金は労働の報酬であったが、今やお金のためにお金が回り、回れば回るほど増えていくという”金融寄生型(パラサイト)資本主義”になり、これこそが先端的とされている。「それから」や「明暗」には親の金で暮らす人間が出てくるし、「明暗」や「道草」には”たかり”が出てくる。彼らはいわば資本主義のパラサイトである。”金はあるところにはあり、だから取ってもいいのだ”という論理である。我々の世界は100年前よりも金融寄生型の仕組みにがっちりと組み込まれていて、株、保険、預貯金、年金などすべてマネーゲームの所産である。我々はもはや清貧には生きられないので、”できる範囲でお金を稼ぎ、できる範囲でお金を使い、心を失わないためのモラルを探りつつ、資本主義の上を滑っていくしかない”という。

3.科学や合理化は人間本来の生き方について何も教えてくれない。わけもわからないまま時代に流されるのはいやだが、だからといってそれにこだわって旧時代に生きるのはもっと愚かであると「夢十夜」は教えてくれる。情報過多の時代では、身の丈に合った知識を身につけていくことが大切だ。

4.「三四郎」は美禰子からストレイシープという言葉を突然ささやかれる。青春とは未熟で不器用だけど純粋に何かを探し求めることである。青春は、挫折があり、失敗があるからいいのであり、年齢とは関係ない。

5.宗教は、私はなぜ生まれてきたのか、私はなぜ不幸なのか、なぜ病気になったのか、なぜ人を敬わなければならないのか、なぜ働かなければならないのか、死とは何なのか-----といったことに予め答えを用意してくれている。だから、信仰に入ると人は悩む必要がなくなる。「門」や「行人」の主人公のように宗教に頼らず、漱石もウェーバーも、自分の知性を信じて自分自身と戦いながら気が狂いそうになりながらも独力で立ち向かった。一人一宗教的に自分を信じ、自分でこれだと確信できるものを見つけるまでまじめに悩み続ける。

6.「それから」の代助は”金があるから働かない”という。働くことの意味は、”社会の中で自分の存在を認められる”ことにある。働くことで自分が社会の中で生きていていいという実感を得ることができる。

7.漱石は小説の中で不毛のを描いているが現在はもっと不毛になっている。現代人は誰を愛するのも自由、何を愛とみなすかも自由になったが故に、判断基準を失っている。誰もが口にする”自分が幸せになりたいから”という考え方で選ばれた愛は代替可能な愛であり、愛が消耗品になっていく可能性がある。代替可能な愛を選んだあと、”ちょっと違う”と気づいた人は、”本物の愛はどこにある”ということになり、ティーンエージャーの時に卒業したはずの純愛や即物的な性愛という極端な行動に走ってしまう。漱石は妻にときに厳しい、時に思いやりあふれる手紙を書いていて、小説の主人公たちの愛も一生懸命で決してお手軽ではない。愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうという意欲のことで、そのときどきで愛の形は変わり、幸せになることが愛の目的ではない。

8.「硝子戸の中」で漱石は、悲痛な身の上にある女性の生きるべきか死ぬべきかという問いに対し、の尊厳を尊びはするが自分の命は自分のものではなく父祖から与えられたものという考えから”死なずに生きていらっしゃい”という。現在、この考えに説得力はない。人とのつながりを求めることで生と死を考えてほしい。自分が相手を承認し、自分も相手に承認され、そこでもらった力で生きることができる。生きている意味に確信が持てたら鬱にはならない。

9.老人力とは、撹乱する力である。死を引き受ける力である。小悪党とかプチナショナリストとかプチ潔癖症とかちょい悪おやじとかが流行っているが、”小”や”プチ”や”ちょい”などはやめて、横着にスケール大きな二生目を生きたい。若い人にも大いに悩んで突き抜けたら横着になって破壊力を持ってほしい。

読み飛ばした後は姜尚中の言いたいことが、ピンとこなかったけど、こうして書いてみると何となくわかってくる。何となくわかったと思ったことは、実は姜尚中の言いたいことではなく、自分の思い込みに合致する言葉を意識せずに巧妙に拾いだしただけなのかもしれない。別に読書感想文に点数が付けられるわけじゃないので、それでもいいや。


「あの世」の思想

2008-12-29 07:59:23 | 他本
”日本人の「あの世」観”梅原猛によるとアイヌや沖縄に残るあの世観は縄文時代の原日本人が持っていた「あの世」観であるという。
1.あの世はこの世とはあべこべの世界である。天国も地獄もない。
2.死ぬと魂は肉体を離れ、あの世で神になり先祖といっしょに暮らす。
3.人間だけでなくすべての生き物に魂があり、あの世へ行く。
4.あの世へ行った魂はやがてこの世へ帰ってくる。

葬式は仏教の専売のようになっているが、そもそも仏教は葬式専門の宗教ではなく葬式の風習に原”あの世”観が色濃く残っている。
1.死人に着物を左前に着せることや夜送り出す通夜は、時間や空間があべこべであることによる。
2.死ぬことを”お陀仏する”と言うが、本来仏教では悟りを開いた人が仏になり、死んで仏にはならない。
3.針供養、人形供養などに名残がある。
4.再生は、天照大神の岩戸の話や歌舞伎で同じ名を襲名することなどに残っている。

梅原猛が「あの世」観を具体的に示した上で主張したかったことは、
。”キリスト教や仏教などの高等宗教は本来日本人が持っていた生命の思想を歪めてきた。人間は動植物と共生することを忘れ、自然を征服することを文明の進歩だと考えた。地球上のすべての生命は個を犠牲にすることで種の存続をはかるという精妙な知恵に学び、人間も生命の永遠の循環運動の中に自分を置き、人間の未来を長いスパンで考える”という思想である。”地球を食いつぶす人間の文明と自然破壊は行き着くところまで来ており、人間の文明を発生の原点に立ち戻って考える必要がある。”

同本に宮沢賢治の世界観についての論文があり、日本の仏教がどのように日本古来の思想と結びつきインドや中国の仏教とは異なる独自のものになってきたかということが述べられ、さらにその仏教観に基づく賢治の世界観は人間や動植物が一体となり時空(あの世とこの世)をも超えたものであると説く。賢治の世界観は梅原の主張する思想と同じようだが、賢治の思想のすべてが明らかになってはいないという。


環境と精神論

2008-12-15 23:07:11 | 他本
梅原猛の”百人一語”後半にも注目する一語はたくさんあったが、中でも南方熊楠、田中正造、新井白石の巻に展開される環境論が面白かった。宮沢賢治では真の共生について考えている。
明治末に発令された神社合祀(神社の統廃合)は、鎮守の森をつぶす環境破壊であるとして、南方熊楠はただ一人合祀に反対し、「ドン・キホーテのようにこっけい」に「森をつぶして何の伝統ぞ。何の神道ぞ。何の日本ぞ。」と絶叫する。仏教と神道の信者であった熊楠は、神道は森の生んだ宗教であり、神々は森に坐すゆえに、伐採は許されないと反対運動を起こす。今、私たちが見る神社の楠、松や銀杏の大木は熊楠に救われたのである。世界遺産の熊野古道も彼のお陰なのである。
有名な足尾鉱毒事件は、日本の近代化の途上で起こった最初の公害訴訟である。田中正造は、民を困苦に陥れて「何が国家の発展か」と農民とともに抵抗運動を続ける。梅原は、公害を容認する思想は近代化と営利の精神であり、これに対抗するには、田中正造のように正義を貫き悪に屈しない人間が必要だという。
新井白石は、イタリアの宣教師と接見した後、キリスト教の植物や動物に霊を認めない教説を批判的に言及している。明治以降、日本は韓国などに比べキリスト教の導入は著しくはなかったが、近代化の過程で「キリスト教は近代思想にもそのまま受け継がれ」、白石の拠り所とした儒教や仏教を忘れ、結果として地球環境の危機を招いた。梅原は、自然保護より経済発展を優先するキリスト教的西洋思想に対し、「現代ほど新しい形の宗教批判が必要な時はない」と厳しい。
本の最後は、宮沢賢治の「おお小十郎、おまへを殺すつもりはなかった」で締めくくる。熊の猟師である小十郎は、熊を何頭も殺してきたが、最後は熊が小十郎をあの世へ送る。人間は食う側にいて何の反省もしない。宮沢賢治は人間を食われる側に置いて、人間のエゴイズムを反省し、熊と人間の真の共生を描いた。コンクリートと鉄の技術に頼った形だけの共生ではなく精神的な共生である。

温室ガスの抑制のために、炭素クレジット(Carbon Credit)による二酸化炭素削減目標値が国ごと、企業毎に設定され、このクレジットは売買できる仕組みになっている。二酸化炭素を削減しきれない分を、目標以上に削減した企業や国から余剰分を購入できるという仕組みである。もともと環境破壊は人間の営利活動が最大の原因であるのに、対策としてクレジットという営利的な仕組みを用いるとは何と言う皮肉であろうか。これを合理的とか実利的とかいうのだろうが、自然を大切にする精神や賢治の言う真の共生からは、はるか遠くにいる。精神論や理想論では何も変えられないということか。悲しいことに梅原の訴えが虚しく響く。しかし、今こそ信念の思想家で行動する南方熊楠や田中正造が必要なのだ。



風立ちぬ

2008-11-27 22:41:50 | 他本

上原和は“トロイヤ幻想”の中で、戦後の混迷の時代を生きる上で堀辰雄の作品に救われたと述べている。代表作の”風立ちぬ”は、高校の現代国語で一度読んでいるはずだが、サナトリウムに入院したカップルの話程度の記憶しかなく、今回古本屋で購入し読み返した。
1年に満たないサナトリウムでの日々。入院した春から夏にかけては、ゆったりと時が過ぎるのに、冬に入ると、日付に追われるように急速にその時が近づいてくる。節子の病状の悪化につれて二人の気持ちが微妙に揺れるが、相手を思いやる気持ちがあふれている。会話し、無言で見つめあい、手を握り、ほほを寄せ、心を通わせる二人に、確実に死は訪れる。一年後、喪失感の中、風は思い出を運び、残された者には“いざ生きめやも”(生きなければならない)が課されているということか。

高校時代に原作を読み映画も観た”ある愛の詩”や黒澤明の”生きる”など、映画やドラマ、小説、ドキュメンタリーなどに見る、余命を宣告され死に向き合う人々の姿は多様である。それぞれ性格、環境、背負うもの、生への執着が異なるからだろう。自分が同じ境遇に置かれたら、どのように振舞うだろうかなどと想像しても明確な姿は見えてこない。
でも身近な人、特に同年代の知人が亡くなった時には、自身に置き換えて考えてしまう。今は亡き中学・高校の同級生は、実母を幼い頃に亡くし義母に育てられた。修学旅行に親の出迎えがなかったことや運動会に親が来なかったことから、幸せとは言えない環境で成長したことは想像に難くない。結婚し家庭を持ち2人の娘を授かった幸せの絶頂で、実母が死んだ年齢で突然ガンを宣告される。娘たちに自分と同じ不幸を味わわせたくない、少なくとも娘たちが成人するまでは生きたいと願ったであろう、その心境を思うとやりきれなくなる。別の知人は高校生と中学生の子供を残し心臓発作で突然亡くなった。旅先のホテルで発見された時にはすでに息絶えていて、家族に何も語らずに逝ってしまった。息子の同級生の父親だったので、この時は人間、突然何が舞い降りてくるかわからないと思い、遺書を書こうと思った。父親が居なくてもしっかりと生きていくようにといった内容の遺書を書こうと思ったのだが、結局何も書けなかった。その時は、日頃から自分の生き方や考え方は伝えてきたのだから改めて書くことがないのだと自分を納得させた。あれから早や8年が経ち、年齢の所為か葬儀に出る機会が増え、手にする本も生死を論じるものが多くなったが、やはり遺す言葉が思い浮かばない。

自分の死とは逆に、愛するものを亡くした喪失感についても想像するしかない。喪失感を宗教で埋める人も多いようだが、知り合いの一人は、息子が急死した喪失感をペットの犬で埋めようとしている。野良犬を保護し育て、いまや21匹に達している。上原和は学徒出陣の19歳で土浦の海軍航空隊すなわち特攻隊に入り、20歳までの人生しか考えられなかった。死の一歩手前で生きて帰った上原和は、その後の人生を余生と考えたという。文字通り”風立ちぬ いざ生きめやも”で生きたのである。


武部本一郎

2008-10-28 22:42:24 | 他本

中1坊主の頭の中のヒロインは、武部本一郎が描いた火星のデジャー・ソリス(上)であり、金星のドゥーアーレー(下)だった。火星や金星のイメージは彼の挿絵そのままである。当時まだなじみのなかったヒロイック・ファンタジーのブームに火を点けたのは武部本一郎の挿絵だったと信じている。なぜなら、火星・金星シリーズに続けて、私が武部本一郎の挿絵のある本を選んで読んだように、多くの読者もそうしたに違いないと信じるからであり、それはコナン、ペルシダー、ゴル、ゾンガーなどのヒロイック・ファンタジーシリーズであったからである。

シリーズは、中学1年生(1967年)のとき、徳島駅前の小山助学館で、たまたま表紙の絵にひかれて第3巻の”火星の大元帥カーター”を手に取ったことに始まる。創元推理文庫から第1巻”火星のプリンセス”が刊行されたのが1965年であり、第7巻”火星の秘密兵器”が1967年で、次回作を今か今かと心待ちにして読んだ。火星や金星シリーズと並行して、創元推理文庫の新刊SF本に目を光らせ、面白そうなSFがあれば躊躇なく買って読んだ。
SFに始まり、ジェームズ・ヒルトンやデュマの冒険物も蔵書に加わり、中でも”紅はこべ”、”三銃士”、”黒いチューリップ”、”モンテクリスト伯”などフランス革命の頃の話に夢中になった。同じ頃に刊行された別の出版社のジュール・ベルヌシリーズにも手を出し、”海底2万マイル”、”2年間のバカンス”、”神秘の島シリーズ”、”80日間世界一周”、”地底旅行”などを読みふけった。”シナ人の苦悶”の苦悶の読み方がわからず長い間”クノウ”と読んでいたことを思い出す。
中学時代、なぜか推理小説には手を出さなかった。後年になって、”シャーロック・ホームズ”のファンになり、全作品を読んだあとは、オタク度の極めて低いシャーロッキアンを自称したが、友人たちが勧めるエラリー・クィーンやアガサ・クリスティなどの推理小説に、なぜか興味が湧かなかった。
先日のブログに書いたが、高校に入って級友の影響で、読書がSFから難解文学に移っていったが、本質は変わりようがなく、ファンタジー好きなのである。長くファンタジー小説は読まなくなったが、魔法と剣、ファンタジー映画は好んで観る。


SF

2008-10-26 12:36:07 | 他本
教科書や絵本以外で、自発的に本に興味を持ったのは、小学校3年か4年の頃、担任の先生が休みかなにかで自習になり、図書館から好きな本を持ってきて読むということになり、ロビンフッドの本を読んだことに始まる。弓を操るロビンフッドの神業、大男なのにリトル・ジョンや愛嬌のタック坊主の活躍にわくわくした。その後、小学校6年(1966)のとき教室の学級文庫に並んだ真新しいSFシリーズをクラス中で争って読んだ。堅い表紙の挿絵たっぷりのSFで内容も覚えていないのだが、シベリアの隕石と宇宙人の話があったので、ソ連の作家シリーズだったように思う。ネットでその頃、ソビエトSF作家シリーズというのが出版されていたという情報があったので、これかもしれないが、本の装丁や表紙の写真が確認できなかったかったので確実とは言えない。
中学になると、創元推理文庫のSFにのめり込んだ。アイザック・アシモフ、ハインライン、アーサー・C・クラークなどの有名どころから、エドガー・ライス・バローズの火星、金星シリーズなどを貪り読んだ。高校に入ってもSF熱は冷めずある時期までコナンシリーズ、石原藤夫、広瀬正シリーズ、小松左京を読んでいたのだが、高校1年の終わりごろに級友達の愛読書と違うことに愕然として徐々に本の種類が変わっていった。級友らは、その頃すでに三島由紀夫、太宰治、ドストエフスキー、トルストイやその年の芥川賞作品などを読んでいたのだ。焦って読み始めてはみたものの、純文学を受容する素養が育ってなかったこと、受験勉強が始まっていたこと、読み始めたのは彼らに負けられないという不純な動機だった所為で、最初は読書が苦痛だった。がまんして読み続けるうちにいつの頃からか、本の魅力に徐々に魅せられていった。それでもSFを捨てたわけではなく今も好きで細々と読んではいる。ファンタジー物も含め私のSFベストは、懐かしさも込めて---

石原藤夫の惑星シリーズ(不思議な生物がいっぱい出てくる)
広瀬正の作品群(タイムマシンの不思議)
ハインラインの宇宙の戦士や銀河市民(主人公の成長に共感)
エドガー・ライス・バローズの火星・金星シリーズ(武部本一郎の挿絵が絶品)
ハワードのコナンシリーズ(シュワルツェネッガー主演で映画化された)
宇宙船ビーグル号(不思議に進化した生物に総合科学の主人公が対処する)
マキャフリーの竜騎士シリーズ(竜は”ライラの冒険”のダイモンの先駆か?)
アシモフの銀河シリーズや映画”I,Robot”の原作も読んだが、アシモフ作品は面白かったという記憶がない。有名なロボット3原則を主題にしている”I,Robot”は面白かった。
1.A robot may not injure a human, or allow a human to be injured.
2.A robot must follow any order given by a human that doesn't conflict with the First Law.
3.A robot must protect itself unless that would conflict with the First or Second Laws.
3原則に従いながら、ロボットが人間に危害を加える映画である。人類存続の大義の前には、目の前の人間を抹殺することは可能であるとスーパーコンピューターの””は解釈するのである。これはどこか戦時中の仏教者の解釈”一殺多生”に通じる。
フランク・ハーバートの”砂の惑星Dune”は、原作を読み2種類の映画を観た。これは不思議な本だったが、映画もおどろおどろしていた。
”猿の惑星”も原作と映画シリーズを観た。原作の最後と映画(第一作)の結末は異なる。
”指輪物語”は”ホビットの冒険”で終わったが、映画は繰り返し繰り返し見ている(現在進行形)。劇場版より中身の濃いDVD版をマレーシアのJBで手に入れた。
映画”スターウォーズ”は、はじめシンガポールの映画館でリアルタイムで観ている。Episod1もシンガポールでリアルタイムで見たが、銀河系をバックに字幕が流れジョン・ウィリアムスの音楽が流れ始めると、劇場内(ほとんどが白人)は拍手に包まれた。今まで待って、やっと再会できたという熱烈なファンの心理だったに違いない。
”2001年宇宙の旅”も30年近く前にシンガポールの映画館で観た。未だにあの石版の意味がわからない。

実家の倉庫が解体されたときに、何冊かは娘が持って行ったが、大半の蔵書はどこかに消えてしまった。