NHK衛星放送は毎日のように震災特番を放映している。被災者が語る深い悲しみがずしんと響いてくる。
津波に流される中、兄は弟の手を放してしまった。船を津波から逃がすため家を空けた漁師は戻ると家族が家ごとなくなっていた。記録ビデオに残された津波を避けようと歩く老いた父親の最期が形見になった。家に残った自分が助かり指定避難所に行った家族が亡くなってしまった。避難生活の中、病気の母を亡くした娘は母との思い出がいっぱい詰まった汚染地帯の故郷へ一時帰郷する。辛い体験を思い出すので震災遺構を残さないでほしいと願う人、家族の思い出が風化してしまうから遺構を残してほしいと願う人。そこには、被災した人の数だけ後悔と悲しみがあった。
昨日こそ君はありしか 思わぬに浜松が上の雲にたなびく (万葉集 3-444 大伴三中)
昨日生きていた君が今は海岸の松の上の雲になってたなびいている。番組を観ながら突然死んだ友人を偲ぶこの大伴三中の万葉歌を思った。この4年、当事者でない自分も3.11震災に無関係ではいられなかったように、折々に科学技術、先人の教え、政治、文化、精神面などから震災について考えたことを過去のブログを読み返し思い出した。
- 2011年3月26日 3月11日14時46分
- 2011年4月3日 想定外
- 2011年4月17日 科学技術と原発
- 2011年5月29日 末の松山波越さず
- 2011年6月18日 無常
- 2011年12月29日 寺田寅彦
- 2012年7月7日 Regulatory Capture
- 2014年5月24日 日和山
未だ仮設住宅に住む人は2万人以上、故郷に戻れない避難者はさらに多く、震災復興は道半ばである。それなのに遠くシンガポールに住んでいると、寺田寅彦が『津波と人間』で警告したとおり、月日と共に関心が薄れていくのをどうしようもなかった。寺田は、”地震や津波被害にあった地域の人でさえ月日とともに教訓を忘れ、人間はまた同じ悲劇を繰り返す”と80年も前に警告している。被害を予防するために神戸や東北の震災の日に繰り返し繰り返し警告を発するメディアや学校教育の役割は重要である。終戦記念日に不戦を誓うのも同じことだと思う。
数日前、還暦を迎えた。還暦にこれといった感慨はないが、歳を重ね人生の終盤に入り、このままではいけないという思いは年々強くなっている。松陰が高杉晋作にかけた「君の志は何ですか?」という問いに、「わからん!」では済まない歳なのである。早く第2の人生をスタートしなければという焦りだけがつのっている。