備忘録として

タイトルのまま

武士の家計簿

2011-06-25 21:09:41 | 映画

今回の機中映画は、「武士の家計簿」、「あしたのジョー」、「Ali」だった。

「武士の家計簿」は、茨城大学の磯田准教授が神田の古本屋で見つけた加賀藩の猪山家の家計簿をもとに書いた「武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新」を脚色したものである。自分のいるべき場所・領分を守ってまじめに愚直に生きていれば人生何とかなるのである。武士だからと言って剣術がうまい必要はない。直之(堺雅人)の息子直吉に対するスパルタはちょっと行きすぎだと思うが、後日の直吉の活躍と父を尊敬する姿から育て方は間違っていなかった。逆に、あの能天気な父母(中村正俊と松坂慶子)から直之がどうやって謹厳実直に育ったのか想像できない。二人とも若いころは直之が直吉に対したのと同じように直之を育てた後、人生を達観した人生後半の究極の姿を見せているのかもしれない。自分の宝物(小袖と茶碗)への執着はおかしかった。妻のお駒(仲間由紀恵)は夫唱婦随でしっかり夫を支えていた。仲間由紀恵の演技は抑制がきいていて、文句のつけようがなかった。らしくないと言えば彼女らしくない。おばばさま(草笛光子)の出した鶴亀算は、直吉に先を越されてはいけないと思い出題と同時に計算に没頭した。鶴と亀が100匹で足が合わせて272足としたら、鶴は何羽、亀は何匹の鶴亀算の解き方はすっかり忘れていたので、全部2足として、272÷2=136、100匹からはみ出す36匹が蛇足の2足なので、4足の亀は36匹、2足の鶴は100-36=64羽という答えができたのは、幸いにも直吉が答える前だった。おかげでその間、映画に集中できなかった。直吉の元服祝いの目出鯛席は、剣術指南で堅物と思っていたお駒の父(西村雅彦)に救われた。「武士の家計簿」2010、監督:森田芳光 とりとめのない感想だけど「たいじゃ、たいじゃ」と十分楽しめたので、★★★★☆

「あしたのジョー」2011、監督:曽利文彦、出演:山下智久、伊勢谷友介、香里奈、香川照之。「あしたのジョー」、「巨人の星」世代なので、かつて見て読んだ場面を思い出しながら感情移入した。”あしたのためにその3”のクロスカウンターは、友達とスローモーションでよく遊んだ。パンチを食らってひしゃげる顔もスローモーションで再現した。大リーグボール1号、2号、3号やエキスパンダーを体に巻いたトレーニングも野球で遊んだ時は必ず誰かがやった。ボクシングシーンはもう少し迫力があればと思うが、一応及第としておく。山下も伊勢谷も合格。ただし、力石徹の減量後の体は残念ながら再現しきれてなかった。クリスチャン・ベイルなら完璧にガリガリに痩せたと思う。丹下段平役の香川にはもっと毒がなきゃと感じたのは、丹下の声をやった藤岡重慶の印象が強すぎる所為かもしれない。香里奈の白木葉子もそこそこ良かった。もうすこし気品があればとは思うが、他に誰ができると問われてもすぐには思い浮かばない。力石の握手がジョーの手をすりぬける場面は当時を思い出して泣ける。★★★★☆

「ALI」2001、監督:マイケル・マン、出演:ウィル・スミス、ジェイミー・フォックス、ジョン・ボイト、元世界ヘビー級チャンピオンのモハメッド・アリの伝記映画。これもリアルタイム世代である。ほら吹きアリは蝶のように舞い蜂のように刺すと言われたが、ジョージ・フォアマンとの試合はガードを固めてフォアマンにいいように打たせて打ちつかれたところで反撃するクレバーなボクサーという印象だった。このあと先駆的な異種格闘技戦をアントニオ猪木と闘うが、猪木がアリの強力パンチを避けるためリングに寝転がってアリの足にローキックを放つという面白くない試合で僕らの間では相当物議をかもした。真剣勝負だから猪木はあのような戦法を取らざるを得なかったという肯定的な意見が多かったが、金を取ってみせる以上はもっとエキサイティングであるべきで猪木は玉砕しても自分のプロレス技を仕掛けるべきだったと思っている。映画は、当時の世相とともに、ベトナム戦争への徴兵拒否問題や黒人差別に対するアリの信念や宗教観が語られ、当時僕らの知らなかったアリの素顔に触れることができて興味深かった。アリと番組でやりあう”かつら”のスポーツ・キャスターをジョン・ボイトが演じていたとは気付かなかった。今回の映画はいずれも面白かった。★★★★☆

その前の帰国便で、「ガリバー旅行記」と「Unknown」を観たがこちらはいずれもはずれだった。

「Gulliver's Travel(ガリバー旅行記)」2010、監督:出演:ジャック・ブラック、エミリー・ブラント、ジェイソン・シーゲル、ゴールデンラズベリー賞(アカデミー賞の逆バージョン)を受賞したし特にコメントなし。「プラダを着た悪魔」に出ていたエミリー・ブラントは、美人だとは思わないが、最近、「The Young Victoria(若き日のビクトリア女王)」(これも以前機中で観たが特にコメントも評価もなし)で主演するなど売り出している。★☆☆☆☆

「Unknown」2011、監督:ジョウム・コレット・セラ、出演:リーアム・ニースン、ダイアン・クルーガー、ジャヌアリー・ジョーンズ。 マット・デイモン主演の「ボーン・アイデンティティ」の設定と全く同じで、「なんだ?」という感じだった。☆☆☆☆☆

 頻繁に海外と日本を行き来し、映画鑑賞で現在と過去を行き来する。まさに、4次元空間を生きてるということではないか。と言いながら現実は四畳半世界に生きているにすぎないことを自覚している。人生はパラドックスなのである。


無常

2011-06-18 16:54:14 | 賢治

息子が撮ってきた4月初旬の仙台。

 がれきは放置されたままだけど。それでも、もくれんは美しく咲く。3.11から100日が経過したが、復興の道は遠く、福島原発も先は見えない。

 今日、NHK番組「こころの時代」で山折哲雄”私にとっての3.11”を放送していた。山折は、4月半ばに被災地を訪れ圧倒的な惨状を目の当たりにし、物質的な復興とともに被災者の心の問題、精神的復興ができるのだろうかという思いを抱く。そのとき、遺体が埋まった”がれき”の向こうで、きらきら輝く海と緑萌える美しい山々の情景を見て自然の残酷さと無常を感じたという。(注:無常=常に変化流動する。たとえば”諸行無常”。仏教用語) 山折は自然が猛威を振るう地に住む日本人は、仏教渡来以前から無常観を持っていたという。万葉集に挽歌が多いように、古代人は自然の中に鎮魂を詠っている。自然は絶望的な猛威をふるい人間に襲い掛かるが、人間は自然とともに生きるしかない。死んだ人の魂は自然の中に存在する。人麻呂の妻は石川に雲が立ち渡るのを見て死んだ人麻呂を偲ぶのである。100年前の宮沢賢治は人間と自然の関係に気付いていた。賢治のいう”世界全体が幸福にならないうちは、個人は幸福になれない。”という世界とは、自然界を含む現在の水平の世界と、あの世や先祖のいる垂直の世界を合わせたものである。「よだかの星」のよだかは、自分が虫を食べないと生きていけないことを拒否して死を選び星になった。「グスコーブドリの伝記」のブドリは世界を救うために自分を犠牲にする。人間は誰か(何か)を犠牲にしなくては生きていけない自然の一部なのである。自然と共生するということは共死も受け入れるということである。それは”雨ニモマケズ”の”デクノボウトヨバレホメラレモセズ、クニモサレズ”、人と自然に寄り添った謙虚な生き方である。自然をコントロールできるという傲慢な西洋的自然観ではなく、賢治の謙虚な自然観を持ち、猛威と癒しの二面性を持つ自然の無常を受け入れて人間は生きるしかないのである。 


紫陽花

2011-06-13 00:22:02 | 江戸

 シンガポールは毎日のようにスコールがあるが、帰国した日本も梅雨だった。シンガポールの雨は激しいだけで風情も何もないが、東京のような都会でも紫陽花がとてもきれいに咲いて心がなごむ。昨日浅草からかっぱ橋道具街を散策する中、路上に咲いていたのを思わず撮った。

Wikiの”アジサイ”に面白い記事が出ていたので転載する。

シーボルトとあじさいと牧野富太郎 [編集]

鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。その中で花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイを Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini と命名している。しかしこれはすでにカール・ツンベルクによって記載されていた H. macrophylla (Thunberg) Seringe var.macrophylla のシノニム(同一種)とみなされ、植物学上有効名ではない。にもかかわらず、牧野富太郎が自著の各種植物図鑑において Hydrangea macrophylla Seringe var. otaksa Makino の学名を用い種の記載者が Seringe で変種の記載者が牧野自身であるとする事実と異なる処置を行っていることから、一部の植物学書であたかも H. otaksa が植物学的な有効名であるかのような誤解が広まってしまっている。

牧野は上記の植物学的に不可解な処置と矛盾する言動をまた、著書の中で行っている。シーボルトは自著の中で otaksa をアジサイが日本で「オタクサ」と呼ばれていると命名の由来を説明しているが、牧野は日本国内でこの呼称が確認できなかったことからシーボルトの愛妾の楠本滝(お滝さん)の名を潜ませたと推測し、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難している。

牧野のこの推測によって「オタクサ」の名はシーボルトとお滝さんのロマンスをイメージさせて文人作家の創作意欲を刺激し、詩歌にこの名を詠み込むことなどが盛んに行われている。

*wikiの記事を学術論文で参考文献にすることは禁じられているのだが、あたりまえだがブログは学術論文ではないので勝手に参考にさせてもらうことにする。

 牧野は実証を常とする科学者としては考えられないような一方的な思い込みで南方熊楠を非難したように、ここでも推測でシーボルトを非難している。あるいは牧野は外国人や外国かぶれ(熊楠)に対してだけ厳しいのかもしれない。と、こちらも推測で疑問を呈しておく。

 かっぱ橋道具街にある台東区図書館の池波正太郎コーナーで江戸古地図を買った。池波正太郎は浅草生まれなので台東区の図書館が特設コーナーを持っているのだ。下は古地図のうちの浅草と隅田川付近をスキャンしたもの。

 天保14年(1843)の江戸古地図に「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」の舞台が示されている。舞台は圧倒的に神田から上野、浅草、両国周辺が多い。秋山小兵衛がおはると暮らす鐘ヶ淵の隠宅、大治郎の道場、不二楼、元長、小川宗哲宅は大川沿い(隅田川)にある。軍鶏鍋屋の五鉄や大滝の五郎蔵とおまさの家も大川沿いだ。愛宕山亀戸天神湯島天神もあり、いくら見ても飽きない。


老子

2011-06-05 21:13:46 | 中国

 金谷治の「老子」を読むまで、道教は後漢末の五斗米道の道教教団や魏の世俗から超越した竹林の七賢人などから、現実離れした厭世的な思想という印象しか持っていなかった。老子の説く根本は”無知無欲”、”無為自然”である。でもそれは逆説的で、知識を得ることを否定しているわけではなく、何もするなということではない。何もかもわかった上で、枝葉末節を捨てて本質(道)に生きよということである。孔子の儒教が礼を重んじ形式に堕していくことを批判し、本質論を主張した。老子道徳経は、孔子の「論語」のように具体的な場面でどのように行動するかやどう評価するかを論じるのでなく、抽象的で哲学的で難しい。同じ老荘思想の流れにある列子は比喩を使った寓話・説話が多く庶民的で分わかりやすい。例えば老子に、国家を治めるには民に知恵をつけさせないほうがいいという話があるが、これは老子をきちんと理解しないと愚民政治をすすめているように捉えてしまう。本来老子が言わんとするところは世俗の知恵を超えたところの真の明知(自分を知るということ)に民を導いておけば政治はたやすいということである。為政者に対してもことさらに政治をするなとするが、これは何もするなということではなく何もしなくても済むような状態に予め手を打っておけということなのである。これは孫子の戦争の最善は戦わずして勝つというのと同じ考え方である。

上編 道教 

第一 世界の始源、道は名であらわせない究極の原理(無名=道=始源)

第七 天長地久 天も地も無心であるから悠久なのである

第十七 無為自然の政治 自然とは”おのずから然(しか)りで、他の力に頼らずそれ自体でひとりでにそうであること。儒教的な仁愛の政治も法家的な刑罰の政治もだめで民衆に政治を意識させない政治が最上だという。

第十八 大道廃れて仁義有り 儒教は真実なものが失われた結果生まれたものだ。

第二十 学を断てば憂いなし 末梢的な知識を増やし本質的なものから遠ざかることを戒める。

第二十二 企(つまだ)つものは立たず かかとを上げても長くは立っていられない。大股で歩いても遠くまでいけない。自分の才能を誇って尊大にかまえるものは長続きしない。無為自然の道を身につけた人はそんなことはしない。実力以上に背伸びをしたり、自己宣伝をしたりしても墓穴を掘るだけだ。

第二十三 曲なれば則(すなわ)ち全(まった)し 道を守って万事控えめにしていれば目的を達せられる。前章を受けた処世術。

第二十六 重きは軽きの根たり 軽挙妄動を戒めることば。

第三十三 自らを知る者は明智 自分で自分のことがわかることは、他人のことがわかるよりもすぐれている。他人に打ち勝つのは力があるからだが、自分で自分に勝つのは本当の強さである。

第三十七 道は常に無為 道は常に無名 道を模範とした政治論で、自然な全体の秩序からはみ出すものには、道の素朴なありようを持ち出して民を無欲の状態に導く。

下編 徳経

第三十八 上徳は徳とせず 徳の十分な人は無為を守り、ことさらな仕業をしない。仁愛の十分な人も無為。礼儀というものは徳、仁愛、正義が失われてからあらわれたものであり、そのような薄っぺらなものに身を置かず、道に従って実質を取るのだ。前出第十八の流れ。

第四十 大器晩成 大音希声 大象無形 ”大”ははかりしれない大きさのことで、大器は未完のままでいい、大音は無声に近い聞き取れないほどの沈黙の中に響く真実の声、大象(道)は形がない。大器晩成は大人物の完成には時間がかかる意で使われるが、それは老子の真意でなく出来上がってしまうと用途が限られ大器とは言えず、未完こそ大器としての特色がある。

第四十六 足るを知る 欲望の害の大きさ、満足を知ることの重要さが反戦とともに語られる。

第五十六 和光同塵 才知を隠し世間に隠れる。多言を戒める不言の教えである。

第六十五 愚民政治 前に解説した。

第六十七 三宝の徳 聖徳太子の十七条の憲法の”篤く三宝を敬え”は仏教の”仏、法、僧”であるが、老子では”慈(いつくしみ)、倹(つつしみ)、天下の先にならないこと”

第七十一 知りて知らずとする 孔子は”知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す、是知るなり”とする当たり前の教訓だが、老子は知っていることでも知らないとするのが上だとする。知ってるとか知らないとかを問題にするな。知を捨てて自らを道に近づけていくのだ。

第八十 小国寡民 陶淵明の”桃花源記”であらわされるユートピア。小国の無為の理想政治が大国に集合していく。

 史記列伝に老子伝がありその素性が記されているが、3つの異伝を載せている。司馬遷の時代にはその素性がわからなくなっていたということである。老子の実在を疑う説もあるらしい。金谷は戦国後期の思想界が活発な時期に老子の書物は作られた(老子その人が存在したとは言ってない)と考えるのが妥当だとしている。老子道徳経は、漢初(紀元前2世紀-司馬遷と同時代)の馬王堆墓で発見されている。そこでは上編と下編が逆になっていたらしい。

 孔子を読み列子・老子を読んで、今、荀子に手を出し頭の中が混乱状態である。さらに孟子、荘子、墨子に手を出すと、頭の中が百花繚乱、百家争鳴の収拾のつかない状態になるのは目に見えてる。列子や老子によれば、そんなことは些末なことで、仕入れた知識はどんどん捨てて和光同塵し道に迫ればいいのだ。でも、ブログを書くこと自体、多言を戒める老子の思想に背いているので道家にはなれそうもない。