備忘録として

タイトルのまま

仙人

2016-09-22 21:28:18 | 中国

北斎は孔子や水滸伝や竹林の七賢人など、中国に題材をとった読み物の挿絵を描いている。Ukiyo-e.org databaseを検索すると他にも中国の歴史や故事に由来する人々の絵を描いていた。下の人物は、北斎が描いた羅子房(らしぼう)、鄭思遠(ていしえん)、王倪(おうげい)、憑長(ひょうちょう)という名の中国の仙人たちである。

この仙人たちの名前はネット検索に引っかかってこなかった。わずかなヒントを頼りに探っていくと、国立国会図書館のコレクションの中の『有象列仙全傳』という書物にその名前があった。この本は江戸時代、慶安3年(1650)に藤田庄右衛門が出版した中国の仙人列伝で、著者は明の時代の王世貞らとある。列伝は、老子に始まり、同じ道家の荘子列子はもちろんのこと、馴染みの墨子、帝舜、黄帝、西王母、秦の始皇帝をだました徐福、邯鄲の夢の盧生がいる。三国志に出てくる左慈と干吉、唐の詩人・白居易と李白もいる。目録に並ぶ人名を数えると581人だった。杜子春は仙人になれなかったから当然この列伝には入っていない。道教の神のひとりで仙人になることを目指した張良はこの列伝にない。あまりに実業の人すぎるという評価なのだろうか。

下に老子の部分をコピペしたが、記事は返り点付き漢文で書かれ老子が牛にのった挿絵がある。この本の挿絵は北斎のものではないので、この本以外にも北斎の挿絵になる別版があったということだ。江戸時代には返り点付き漢文を読める読者が相当数いたということがわかる。『殿、利息でござる!』の田舎の庄屋や商人をみても、一茶が村々を廻り庶民を集めた句会で教授料をとって生計をたてることができたことなどからも、江戸時代の庶民の教養は高く、それは日本の隅々にまで行き渡っていたと想像できる。一方、現在を生きるブログ主は漢字の語彙量が少なすぎて漢字辞典なしには読めず、北斎の挿絵にある4人の短い記事を苦労して読んだ。老子の記事はがんばってはみたが長すぎるのでかなり読み飛ばした。

  • 羅子房が乗っている船は空飛ぶ船らしい。雲に浮いている様を描く。
  • 鄭思遠は山中で母親を人間に殺された子虎を2頭連れ帰り育てる。父虎も思遠を慕うようになり思遠はいつも父虎と2頭の子虎を従えて出歩くようになる。上の北斎の絵のなかで思遠がよりかかっているのは虎である。
  • 王倪は老子の弟子で”飛走之道”を行い、いろいろな時代に現れて天に昇るところを目撃されている。
  • 憑長は天文を観る役人だったとき真人(仙人)に会い”太上隠書”(おそらく老子の書いた奥義)を授かり”仙用術”を得て、天に昇って去ったという。
  • 老子は”太上老君”なり。混沌の図にいわく。三皇、伏義、女媧、尭、舜などの世に化身となって出現する。玄妙玉女の胎内に81年いたのち楚の苦県の瀬郷の曲仁において左脇より生まれる。姓は李、名は耳である。大秦(ローマ)や竺乾(インド)に遊ぶ。孔子が老子に道について尋ねる。その後も様々な時代に老子の化身があらわれる。 

 


The Path

2016-09-10 19:00:06 | 中国

カナダにいる娘が贈ってくれた本書のタイトル『The Path』は中国哲学に限定すれば、道家の道(Tao)の英訳である。儒家と道家の道は異なる概念なのだが、副題が”What Chinese Philosophers can teach us about the good life"とあるように、本の目的が中国哲学から人生訓を学ぶということなので、人生訓=道と考えればいいのだろう。

本はピュエット教授が教えるハーバード大学での講義を書き起こしたもの(訳者:熊谷淳子)で、卑近な例を引いて中国の哲学者たちの教えをわかりやすく解説してくれる。それぞれの解説はわかりやすいのだが、儒家や道家の思想で聞きなれた中庸、性善説、性悪説、無為自然などの語句がなく面食らってしまった。ただ、宗教や哲学は、身近なものとして人生の道しるべにならなければ意味がないということに気付かされる。これまで中国哲学を単なる知識として詰め込んでいただけで、それを人生の中でどう活かしていくか、実践していくかという視点にまったく欠けていた。若い頃、荘子の万物斉同を知らないまま五体満足について友人と熱く語り合ったあの感覚を思い出していた。すなわち、万物斉同説などという難しいことばよりも、五体満足について真剣に考えて実践することに、より大きな意味や価値があるのだということである。そして哲学はその議論を深め行動するために補完的な知識を与えてくれればそれでいいのである。

ビュエット教授は、西洋哲学は、トロッコ問題のようなパラドックスに普遍的な答えを見出そうと躍起になったが、中国哲学は、トロッコ問題など日々の暮らしを生きるのに何の役にも立たないと断じたとする。孔子は弟子が死後のことを尋ねたとき、”いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん”と答え、今ここでできることに集中すべきだという姿勢を貫いたように、中国哲学は抽象的な西洋哲学よりもはるかに実践的なのである。先進世界で急増する不満や広がる格差社会、地球規模の環境破壊や人道上の危機に直面しているのに、西洋哲学は解決策を示せていない。中国哲学を日々実践することで我々が世界を変えられると本書は述べる。

孔子

これまで自分らしく生きること、あるがままの自分を受け入れることが重要だと考え、孔子が重視する儀礼的、形式的な礼には意味がないと思っていた。ところが、ビュエット教授は、あるがままの自分を受け入れることこそが無条件に自分にレッテルをはり自己をパターン化し向上心を失くすことになるという。”いくら自分探しをしても、単一の真の自己など存在しない”というのだ。礼こそがパターンだと思っていたが、礼が自分を変えてくれる。どういうことかというと、礼によって自分を仮の型にはめ、仮の役割を演じることで少しづつ自分が変わる。日常実践するあいさつや丁寧な言葉遣いを続けることで、感情を抑えることができるようになり、まわりの人に親切にするすべを感じとる能力が身につく。この能力が、””、すなわち人間の善性である。孔子は仁を定義せず、弟子たちにその都度状況に応じた仁を説いた。ドイツの哲学者カントはどんな人にもどんな状況にも当てはまる普遍的な法則になりうるような行動をとるべきだと論じ、カントにとっては、たとえ真実を述べて身内を不利にする状況であってもウソを禁じることが絶対だった。しかし、孔子は仁を実践するためにはウソをついてもいいとする。現実世界は複雑でそれを凌駕する普遍的な道徳や倫理は存在しないというのだ。

孔子の”七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)をこえず”と言う言葉は、礼を意識せずとも仁を実践できる境地のことだろう。

孟子

孟子は自身の挫折体験から世界は転変するものととらえた。だから複雑な世界において全容を見極めて決断を下すには、状況を見抜く能力を培う必要があると考えた。その能力は感情と理性の双方を合わせたもの、すなわち心でなければならない。人間はそもそも善の素質を持って生まれてきた(性善説)から正しい決断を下す能力を持っている。井戸に落ちた子供を救うというような単純明瞭な状況下だけでなく、もっと複雑な状況下でも、日頃訓練を積んでおけば心のままにものごとを広く大局的にとらえ正しい決断を下すことができるようになる。世界は転変し不安定だから、人生がどう進展するか予測不能である。しかし、それを運命として受動するのではなく、能動的に積極的に関わっていくことで、人生の岐路で心のままに正しい決断をし運命を方向づけることが可能になるのだ。そうすることで不安定だった世界が、無限の可能性に満ちた世界に見えてくる。

孟子”人事を尽くして天命を待つ”とは、運命を受容するという受動的消極的なことばではなく、能動的に天命に働きかけることだったのだ。

老子

老子はいかなる状況下でも、もっとも影響力のあるのは無為を実践する人だという。真の影響力は、あからさまな強さや意志ではない。影響力は、あまりに自然でだれも疑問を持たないような世界を作り上げる。それを実行した歴史上の人物として、リンカーンやルーズベルトをあげる。リンカーンは、すべての人が平等であるという概念はアメリカ建国の理念だとゲティスバーグの演説で聴衆に訴えたが、独立宣言にそのようなことは書いてないのに今やアメリカ人の一般通念になっている。それどころか独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンは奴隷を所有していたという。世界恐慌のときルーズベルトはかつてない累進課税を課し経済を規制し金融機関を監督し、社会保障と福祉制度を導入し高齢者や貧困困窮者を救済し、その後アメリカは景気拡大期に突入した。しかし、多くのアメリカ人は政府が経済の規制や金融機関の監督に果たす役割を限定すべきだと考えている。そうした規制や監督が経済成長を鈍らせると信じているからだ。二人とも国民に気づかれないうちに国の方針を大変換したのだ。

老子第十七の無為自然の政治とは 儒教的な仁愛の政治も法家的な刑罰の政治もだめで、民衆に政治を意識させない政治が最上だとする。

荘子

荘子にとっての道とは、たえまなく流転し変化するあらゆるものと完全に一体化することである。理性は道との一体化を阻害する。訓練した自発性が身につけば、意識的な理性から自由になれる。これは、テニスプレーヤーがゾーンに入った時、無意識に絶妙のロブをあげるようなものである。自分中心から脱却し、自分の見方だけが唯一の見方ではないことを常に意識し、ものごとを違った目で見る。視点を変えれば、新鮮さと情熱をもって人生を経験できるようになる。区別や差別のない視点でものを見られるようになれば、人生のあらゆる局面をいとおしんで受け入れられる。死でさえも、道の終わりなき循環の一つにすぎないとして受け入れられる。らしい。

荘子の道において、差別と対立は人間の心が生じさせるもので、本来万物は斉(ひと)しい。だから、貴賤も賢愚も禍福も有用無用の区別もないのである。人間社会の価値体系そのものが絶対不変ではないのである。変化は無限に展開していく。だから、偏見を去り執着を捨て、さらには人間という立場をも捨て去り、世界の外からふりかえるとき、もはや生死の区別さえもが消え去るのである。

荀子

荀子は人為的に構築された世界をつくりだす人間の能力をよいものととらえていた。人間の自然への介入は、時に多くの危険な結果をまねく。しかし人間はずっとそうしてきたし、多くの問題を抱えているけれども、だからといって世界をよりよいものに変える人の力を放棄すべきではない。この世界を構築したのはわたしたちなのだから、わたしたちなら変えることができるとビュエット教授は述べている。

荀子もビュエット教授も自然は統御すべきものという考え方である。梅原猛山折哲雄も宮沢賢治も、このような西洋的(荀子は東洋だけど)な自然観を捨て、もっと自然に謙虚であれと、声を高くするのである。 


殿、利息でござる!

2016-09-04 06:52:53 | 映画

映画『殿、利息でござる!』をシンガポールからの帰国便機中で観て”感動のドミノ倒し”に取り込まれた。その勢いのまま出張先の仙台で本屋に飛び込み磯田道史の原作『無私の日本人』を購入し一気読みをしてしまった。磯田がこの本を書くことになった由来は、『武士の家計簿』を読んだある読者から磯田のもとに手紙が届いたことに始まる。手紙には自分の故郷の吉岡宿に涙なくして語れない立派な人がいるので本にしてほしいという依頼が書かれていた。磯田がその人物である穀田屋十三郎についての史料『國恩記』を読んだところ、涙がボロボロこぼれたという。磯田の感動は、『無私の日本人』の読者を通してまわりまわって中村義洋監督の知るところとなり映画化されることになるのである。この感動の連鎖が”感動のドミノ倒し”である。

18世紀末の江戸時代、仙台城下より北六里にある黒川郡吉岡宿は、仙台藩から伝馬役という荷役を課せられていた。宿場を通る物資輸送のため藩が毎年のように人馬を強制的に徴発することによる負担は大きく宿場は疲弊していた。この負担を軽減するために、酒屋の穀田十三郎(阿部サダオ)と茶師の菅原屋篤平治(瑛太)は藩に貸金して、その利息を課役に当てようと考える。当時の利子は年1割で1000両貸せば100両の利息を得ることができ、それを人馬の費用に当てようというのである。穀田屋と菅原屋の計画に賛同した吉岡宿の有力な商人たちや大肝煎(おおきもいり=庄屋)の千坂家らは日々の生活費を削り家財を売って元手の1000両を捻出する。中でも十三郎の実家である造り酒屋で質屋の浅野屋はひときわ多く出資した。元金の目途が立ち代官の橋本権右衛門(堀部)を通して藩に貸金したいという前代未聞の嘆願書を出すが、藩の財政の実権を握る萱場杢(かやばもく=松田龍平)は即座に却下する。萱場は、富貴は利息をとる側にまわるか、取られる側にまわるかで決まるという考えを持つ男だった。却下されてもあきらめない穀田屋らの再度の嘆願を聞き届けた橋本代官は萱場に直談判する。藩の財政難に付けこみ高利貸をするような話は許可できないというのが萱場の答えだった。橋本はそうではないと延々と説く。浅野屋の先代である甚内というものが生涯をかけて小銭をため、臨終の床で、その銭をお上にさしあげ、吉岡宿を救えといって死んだのであり、それが人々の感銘をよび、宿場救済の基金に私財を投じるものが、ひとりふたりと増え、八、九人にいたったのだと直言する。実のところ藩は金に窮していたため、萱場は昨日今日のものではなかったということが判明したという理由で嘆願書を許可する。こうして吉岡宿は、毎年藩から利息をとり永代にわたり荷役の負担を免れたのである。利息が払われたのは、1766年に穀田屋と菅原屋が発案してから5年目の1771年のことである。

穀田屋十三郎は浅野屋の先代である甚内(山崎努)の長男だったがなぜか穀田屋に養子に出され、弟(妻夫木聡)が浅野屋を継いでいた。長男が養子に出された理由、弟が父親の遺言を守り私財を投げ出す話に泣かされる。他者よりも多く出資したことにより浅野屋は身代が傾くほどになっていた。彼らの行為に感動した伊達の殿さま(羽生結弦)が浅野家を訪れ、酒の銘柄を名付ける。殿さま拝領の銘柄、寒月、春風、霜夜は評判となり浅野家はつぶれずにすんだ。吉岡宿を守ろうとする人々のやさしさ、公共心、家意識が、藩から利息をとるという不可能と思える行為を成功させたのである。彼らは自分たちの計画を密かに進め、成功しても手柄を吹聴するようなことはなかった。まさに無私の行動だったのである。

磯田道史の語る江戸の庶民

  • 江戸時代、特に後期は庶民の輝いた時代で、庶民は親切さ、やさしさを持つことでは地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさを見せた。倫理道徳において、一般人が、これほどまでに、端然としていた時代もめずらしい。
  • 公共心は世代をタテにつらぬく責任感に支えられていた。そんなことをしてはご先祖様に合せる顔がない。きちんとしなければ子孫に申し訳がないという意識である。
  • 子孫繁栄こそ最高の価値と考える宗教と思えるほどの家意識は極めて強かった。

磯田道史の余談

  • 江戸時代の米は寒冷種がなく冷害で不作になる年が多かった。にもかかわらず江戸で金に換えるため、年貢は容赦なく徴収され領内に餓死者が出るほどだった。江戸に米を送らされたみちのくは、昭和になって原子力発電所の立地とされ、東京に電気を送らされた挙句、東北の山野は放射能に汚染された。いつの世も金を持つ強者は弱者を翻弄する。行政側の利ではなく、民の利をはかる者が、能吏といわれる時代がくるならば、それは人類が永々とめざす理想国家の入り口に、ようやく、たどりついたということであるにちがいない。
  • 江戸時代、あり余った大勢の武士に仕事を割りふることと責任を不明確にすることのために、複数の武士を同役につけ、行政上の決めごとを複雑にし、誰が決めているかわからない組織にしていた。あちらこちらに書類がまわり、ものすごい数の武士がハンコを押すのである。たらいまわしも増えた。(黒澤明『生きる』の渡辺課長を思い出した。byブログ主)
  • 古来、心ある者には才知がなく、才知ある者には心がないといわれる。(才知も心もあるが、それを発揮する場を与えられなかった孔子のような人もいた。byブログ主)

大阪商人の山片蟠桃が仙台藩の財政を立て直したのは1780年のことだから、この物語のすぐあとのことになる。仙台藩は萱場杢の奮闘むなしく財政破たんしていたのである。山片蟠桃のことは原作にも映画にも出てこなかった。

『殿、利息でござる!』2016、監督:中村義洋、出演:阿部サダオ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子、西村雅彦、寺脇康文、松田龍平、堀部圭亮、山崎努、実話を基にした脚本は笑いの中に涙ありで、『武士の家計簿』よりも数段面白かった。原作にはない飲み屋の女将(竹内結子)が右往左往する男たちをしっかり支え映画の芯になっていた。彼女は今や日本を代表する大女優だと思う。妻夫木は『家族はつらいよ』に続きいい人に嵌っている。映画を観てから原作を読む方がより感動が深まるのでお勧めである。★★★★★

『A Hologram for the King』2016、監督:トム・タイクワー、出演:トム・ハンクス、アレクサンダー・ブラック、サリタ・チャウドリー、サウジアラビアのリヤドでホログラムを使った通信技術をサウジアラビア国王に売り込むセールスマン(トム・ハンクス)の奮闘を描く。リヤドでイスラム教徒の女性医師と異教徒の主人公の恋愛が許されるとは到底思えない。私の理解では、トム・ハンクスはイスラム教に改宗しなければならない。そうしなければ宗教警察によって逮捕され宗教裁判にかけられるはずだ。★★☆☆☆

『マネーモンスター』2016、監督:ジョディー・フォスター、出演:ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツ、ジャック・オコーネル、資産運用を紹介する生番組に男が乱入し司会者(ジョージ・クルーニー)を人質にする。番組が紹介したアイブス社の株が暴落し大損したことが理由である。人質事件が生中継される中で、アイブス社の株が実は社長の指示で意図的に操作されていたことが徐々にわかってくる。番組のディレクター(ジュリア・ロバーツ)と司会者は連携し、テレビ中継を通して社長の犯罪を暴いていく。新自由主義、市場原理主義の世の中で人々は金銭至上主義に走る。江戸時代の無私の人々と何と違うことだろうか。★★★☆☆ 

ポスターはいつものIMDbより