備忘録として

タイトルのまま

金瓶梅

2008-02-27 23:25:35 | 中国

先日シンガポールのチャンギ空港の本屋で中国語の金瓶梅を見つけた。お堅いシンガポールで金瓶梅が売られるようになるとは、30年近く前のシンガポールとは隔世の感がある。写真ではよくわからないが、ビニールでカバーされている、いわゆるビニ本で売られているのが御愛嬌だ。
さて、私と金瓶梅の出会いは高校2年の35年前にまで遡る。文化祭のクラスの出し物で色男の西門慶と絶世の美女潘金蓮を主人公にした脚本を書いた級友がいた。その時は級友に金瓶梅のあらましを聞いただけだった。その後、大学の図書館で読み耽った駒田信二の全訳”水滸伝”の中で西門慶と潘金蓮に再会した。水滸伝の梁山泊に集う108人の英雄のひとりである虎退治の武松のエピソードで、西門慶と通じた毒婦潘金蓮が夫の武大を殺し、それを知った武大の弟である武松が二人を惨殺する。この水滸伝の西門慶と潘金蓮の話を膨らませたのが金瓶梅なのだが、金瓶梅を読んだことはない。


Elizabeth the Golden Age

2008-02-25 22:11:20 | 映画

行きはヨイヨイ帰りは吹雪の中、自転車に乗って”Elizabeth the Golden Age”を観てきた。ケイト・ブランシェット主演”Elizabeth”の続編である。前作が、少女が即位して女王の威厳を備えるまでの成長を描いていたのに対し、続編は、メアリー・スチュアートとの確執、愛人ウォルター・ローリー卿との関係や無敵艦隊との戦いを通して、公と私の間で揺れる心の葛藤や女王の孤独を描いている。

エリザベスとメアリー・スチュアートの関係がはっきりしなかったので系図を作ってみた。括弧の数字は即位年である。エリザベスと並ぶ二人はいずれもヘンリー8世を父親にする異母兄弟である。スコットランド女王であるメアリー・スチュアートは、系図にあるようにエリザベスの伯母マーガレット・チューダー(ヘンリー8世の姉)の孫にあたりイングランドの王位継承権も持つ。エリザベスを妾の子呼ばわりして自分がイングランドの正式な王位継承者であることを公言していた上、彼女はフランス王妃でカソリック信者で、スペイン王フェリペ2世の支持を受けていたため、エリザベスにとっては非常に危険な存在だった。史実ではエリザベス暗殺未遂事件に関与したという証拠が見つかったため処刑される。
ネタばれだけど映画では、危険なメアリーの処刑に踏み切れないエリザベスに決断させるため、暗殺の首謀者(実はフェリペ2世の手先)がメアリーにエリザベス暗殺指示の手紙を書かせた後、暗殺を未遂に終わらせ、その手紙を根拠にエリザベスにメアリーの処刑を決断させる。そしてメアリーの処刑を口実に、スペインのフェリペ2世は無敵艦隊(Armada)にイングランド攻めを命じるのだ。

無敵艦隊は、”見果てぬ夢”の回に書いたようにドン・キホーテの作者セルバンテスも食料調達の官吏として関わっていた。無敵艦隊の顛末は、ネタ本の”物語 スペインの歴史”岩根圀和著に詳しく書いてある。戦力的に優位だった無敵艦隊がなぜイギリス海軍に敗れたのか。その原因のほとんどは総司令官の能力にあったようだ。
本来、無敵艦隊の総司令官はレパント海戦の勇者サンタ・クルス侯爵アルバロ・デ・バサンが務めるはずであった。しかし、1588年イギリスに向けて出撃する年にサンタ・クロス侯爵が死去したため、海戦の経験のない優柔不断のメディナ・シオニア公が急遽後任の総司令官に任命されたのである。一方、イギリスは海賊あがりのフランシス・ドレイクが艦隊を指揮していた。ドレークは射程の長い大砲を使ったヒットエンドラン戦法や火船(爆薬を満載し火をつけた船)を突っ込ませたりする戦法で無敵艦隊を潰走させた。

比較的史実に忠実なので当時のイギリス周辺の歴史の勉強になる。映画の出来は女王の葛藤の描き方がありきたりで活劇場面も今一つだった。人間の描き方、戦闘場面などすべてが昔の”ベン・ハー”や”スパルタカス”や”エル・シド”にははるかに及ばない。

エリザベスは遺言で自分が処刑したメアリー・スチュアートの子供を後継に指名し、ここにチューダー朝は終わりスコットランドのスチュアート朝にイングランドは統合される。


山片蟠桃

2008-02-23 12:53:15 | 江戸
今年度の山片蟠桃(やまがたばんとう)賞は、万葉集などの研究家である米ハーバード大学のエドウィンA・クランストン教授に授与された。山片蟠桃は江戸時代の升屋という大阪商人の番頭だった。蟠桃は号で番頭にかけたシャレである。

山片蟠桃のことを知ったのは、司馬遼太郎の”街道をゆく-仙台・石巻”である。江戸時代の大阪商人がなぜ仙台と関係があるかといえば、天明(1780年代)のころ財政破綻していた仙台藩から頼まれて蟠桃が藩財政を立て直したのである。司馬によると米中心経済、農本主義を金中心の貨幣経済に仕立て直したというのだが、具体的にはサシ米と米札によって利益を出したのである。サシ米とは、米俵の品質チェックのために1俵あたり3合程度の米を抜き取り、本来はチェック後、俵に戻すところ蟠桃はこれを換金後、貸金して利益をあげた。米札とは、農民の年貢米に対して支払った私設の紙幣であり、米を売った代金をそのまま仙台藩や農民に返さずに米札とすることで、実際の金はやはり貸金に使って利益を得たのである。詳細は、同時代の海保青陵が自著”稽古談”や”升小談”を解説した、ネットで見つけた五郎丸延氏の”寉渓書院 江戸思想史への招待”(http://www.geocities.jp/goromaru134/index3.html)による。

山片蟠桃は、末木文美士著”日本仏教史”にも登場し、科学的な立場から仏教批判をしたことが紹介されている。蟠桃は地動説を主張し仏教の世界観である須弥山説(世界の中心には須弥山がありその周囲を山脈と大海が囲み、四方にある大陸のうち南閻浮提に人間が住む)を批判する。また、地獄・輪廻・極楽などは非合理的であると批判し、唯物論者とされている。
今読んでいる梅原猛の”聖徳太子”で、蟠桃は激しく聖徳太子を批判している。日本を仏教国にするために蘇我馬子の崇峻帝暗殺に積極的に加担したとか、自分が天皇になるために本来男神であった天照大神を女神にし歴史を改竄したとか、その批判は痛烈である。また、太子は馬子に暗殺されたという説も述べている。

山片蟠桃賞は、大阪府が司馬遼太郎の提唱で昭和57年に制定した「国外において刊行された日本文化の国際通用性を高めるためにふさわしい著作とその著者。」を表彰する賞で、第1回はドナルド・キーンが受賞した。


羅漢

2008-02-17 13:53:28 | 江戸
今月初めスノボの7人が遭難し2日後に発見された広島のスキー場は”恐羅漢(おそらかん)”という名だった。羅漢とは、”悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人”(大辞林)、”釈迦如来の直弟子をいい、正式には阿羅漢と言う。尊敬・布施をうける資格を持ち悟りをひらいた高僧を言い、十大弟子・十六羅漢・五百羅漢が代表的な存在”(どこかの寺のホームページ)、”仏の別称。後には仏弟子を指す言葉となり、声聞と同義とされた。中国や日本では、正法を護持することを誓った弟子達であると解釈し、直弟子に十六羅漢、さらに第一結集に集まった五百人の弟子を五百羅漢という”(曹洞宗関連用語集Livedoor Wiki)
聖徳太子が道後温泉を訪れときに立てたという伊予湯岡の碑文に、”実相五百之張蓋”(五百羅漢が五百の衣笠をさしているように思われる)という一節があり、五百羅漢は法華経に典拠があるのだそうだ。(梅原猛”聖徳太子”での福永光司の訳)

石見銀山の五百羅漢(写真)には昨年11月に行った。写真の橋の左手の岩をくり抜いた石窟内に五百羅漢像が並んでいたが、写真撮影は禁止だった。喜怒哀楽様々な表情の羅漢さんだったので、羅漢とは煩悩をかかえて仏に救いを求める一般衆生だと思った。前述のような悟りを得た釈迦の高弟とはとても思えなかった。

(島根県太田市のホームページより転載)

石見銀山の概要を一応述べておくことにする。
地下深くマグマで熱せられた地下水が周囲の金属成分を融かしながら地層の割れ目に沿って上昇し地表近くで冷やされ固まり鉱脈を形成したもので熱水鉱床という。
石見銀山の間歩(まぶ)とは鉱脈に沿って掘り進んだトンネルの跡である。
精錬には、まず採った銀鉱石は鉛とまぜて焼き不純物を除き鉛との化合物を作る。その後灰吹き法という灰と混ぜて化合物を焼くと鉛だけが灰とくっつくので銀を取り出すことができる。
石見銀山は佐渡金山などと同様、戦国時代から江戸時代にかけて盛んに採掘された。





Jane Austen Book Club

2008-02-17 01:09:56 | 映画
1月19日~22日の間、所用でシンガポールへ行った。1年半ぶりである。機中で観た映画が”Jane Austen Book Club"である。Jane Austenの”高慢と偏見”は、以前NHKの”平積み大作戦”での紹介が女性向の惚れた脹れたの筋書きだったので読みたいと思わなかったため、この映画も見る気はまったくなかった。面白い映画がなく、”喜劇駅前団地”とアニメ”ルイスと未来泥棒”を観た後、まだ時間が余ったのでしかたなく観はじめたのがこの映画だったが、これが一番面白かった。

女5人と男1人がJane Austenの作品6作の読書会を始めるのだが、恋愛、結婚、悩み、友情など様々な問題を抱えた読書会のメンバーと作品の登場人物の性格や行動、テーマが交錯しながら話が進み望外に楽しめた。Jane Austenの6作品の内容やテーマがどの程度、脚本の中に取り込まれているのか気になったので、ネットで映画評を片っ端から拾ってみたのだが、「ジェイン・オースティンの著作についての深い考察とか、オースティンの小説が物語の伏線になるとか、基本的にそういうことはないので、オースティンを知らなくても問題なし」「オースティンの登場人物の生き方と自分の人生を重ね合わせる」が代表的な意見で映画がどれほどAustenの作品を取り込んでいるかは、結局自分でAustenの作品を読まなければわからないということか。NHKの”ちりとてちん”で主人公や周りの人々と落語話が絡み合って話が進んでいくのと同じ手法であり、既存の物語と対比させることでドラマに深みを加える効果がある。

”駅前団地”(1961年)久松静児監督 森重久弥、伴淳三郎、フランキー堺、淡島千景、坂本九
”ルイスと未来泥棒”(2007年)ディズニー作品 未来で起こる悪い出来事のきっかけを取り除くために未来人が現代にタイムマシンで来るというドラえもんで見たような話だった。
”Jane Austen Book Club”ジェーン・オースティン読書会(2007年)ロビン・スウィコード監督・脚本 カレン・ジョイ・ファウラー原作 キャシー・ベイカー、マリア・ベロ、ヒュー・ダンシー


ガス燈

2008-02-12 00:26:04 | 映画
テレビで”ガス燈”(1944)を観た。筋と結末がすぐわかるミステリー映画だったけれど、精神的に追い詰められていく中にも気品が漂うイングリッド・バーグマンを観るだけで十分楽しめた。最後は精神錯乱を装って逆に夫を追い詰める演技は秀逸だった。バーグマンはこの映画でアカデミー賞主演女優賞を取っている。彼女の出演作は他に”カサブランカ”(1942)と”誰がために鐘はなる”(1943)を観ているが、27~29歳(1915年生まれ)のイングリッド・バーグマンだけを見ていることになる。実は”オリエント急行殺人事件”(1974)も封切りのときに観たことがあるのだが、彼女が出ていたという記憶がない。
”Gaslight"ガス燈 1944年 監督:ジョージ・キューカー 原作:パトリック・ハミルトン 脚本:ジョン・ヴァン・ドルーテンら 主演:イングリッド・バーグマン、シャルル・ボワイエ、ジョセフ・コットン

わが命つきるとも

2008-02-11 02:43:14 | 映画
ケーブルテレビのMovie Plusで、表題の”わが命つきるとも”(原題”A Man for All Seasons”1966)と”エリザベス”(原題”Elizabeth”1998)を続けて観た。

”わが命つきるとも”はイギリス国王ヘンリー八世が王妃を離婚し王妃の侍女アンと結婚するために、離婚に反対するカソリック教会と絶縁しイギリス国教会を分離独立し国王自身が国教会の首長になろうとするのだが、官僚で最高位にあった大法官のトーマス・モア(法律家、思想家で”ユートピア”の作者、1535年没)は賛成も反対もせずに沈黙したまま職を辞する。名声ある法律家のモアに賛成させたい国王やその取り巻きは、説得、脅迫、幽閉、家族の情など様々な手段を使って彼に賛成させようとするのだが、モアは沈黙したまま査問委員会にかけられ最後は処刑されてしまう。モアが新しく出来た国王を国教会の首長とする法律の”条文によっては賛成できるかもしれない”と言ったので、法律家として法律の文言を変えさせる行動に出るのではと思って見ていたのだが、最後まで沈黙したままだった。査問委員会の場面でも、告発側のクロムウェルが「沈黙には死人のような完全な沈黙と、沈黙することで何かを主張する沈黙の二つがあり、モアの沈黙は反対と見なされる」と主張するのに対し、トーマス・モアは「法廷では沈黙は必ず肯定だとみなされる」と反論したところから、事態が変わってくると思って観ていたのだが、賄賂があったという偽証で陪審員から有罪の判決を受ける。処刑の場で、モアが処刑人に言った「王の忠実なしもべとして死ぬが、神の方が先だ」という言葉から、王に忠誠を誓いながらカソリックに忠実であろうとしたことによる沈黙であったのかと気づかされた。ミステリー仕立ての話に引き込まれてしまった。
”わが命つきるとも”(1966年 原作、脚本:ロバート・ボルト 監督:フレッド・ジンネマン 主演:ポール・スコフィールド)

”エリザベス”は、ヘンリー八世とアンの娘であり、権謀渦巻く宮廷、国際問題、結婚問題の中でエリザベスが大女王になっていく姿を描いている。写真はWikipedia から拝借したエリザベス1世の肖像画(Public Domainすなわち著作権は消滅或いはExpireしている)だが、映画の最後でケイト・ブランシェットが髪を切って顔を白塗りにし”the Virgin Queen”を宣言するメークはこれを模しているに違いない。エリザベス1世(即位1558年)のころのイギリスや時代、国際関係を知ることができておもしろかった。続編”エリザベスGolden Age”を観なければ。
”エリザベス”(1998年 脚本:マイケル・ハースト 監督:シェーカル・カプール 主演:ケイト・ブランシェット)

”エリザベス”は悪くはなかったが、トーマス・モアの信念・信仰・家族愛をミステリー仕立てにしていろいろと考えさせられた”わが命つきるとも”に軍配。
梅原猛の”聖徳太子”が二冊目に入ったところだが、6世紀末女帝推古天皇の時代は、親仏派と排仏派の闘争、朝鮮や中国との国際関係、権力闘争など映画の描く16世紀のイギリスとそっくりだ。