備忘録として

タイトルのまま

亀跌

2008-01-12 22:52:54 | 
亀跌(きふ)とは、石碑を支える亀形の台座のことである。亀は相当古くから長寿の象徴とされ、石碑を末永く後世に伝えたいということから亀跌が作られ、日本各地、アジア各国で見られる。日本の亀跌は江戸時代に流行り、大名の墓、神社、寺院、孔子、個人(文人、僧侶、功臣など)を顕彰するため建てられている。(平勢隆郎) ネットで確認したところ、朝鮮半島、中国、モンゴル、ベトナムに亀跌があった。

一昨日松江の松平家の菩提寺である月照寺へ行ったときに小泉八雲ゆかりの大亀を見た(上の写真)。大亀は大きな石碑(寿蔵碑という)を載せている。亀は首を大きく空に突き出し今にも歩き出しそうなほど迫力がある。小泉八雲はこの亀が夜な夜な松江の町を徘徊していたという奇談を自著”知られざる日本の面影”に書いているらしい。
そして翌日訪れた益田の柿本人麻呂神社にも亀に載った石碑があったが、こちらの亀は月照寺に比べると随分おとなしい。
(柿本神社の亀)
柿本人麻呂のことはいずれ書くことになると思う。

10年ほど前仕事で行ったハノイで、石碑を載せた亀をたくさん見たことを思い出したのでネットで調べると、1070年に建てられた文廟という孔子廟に科挙試験に合格した82人の名前を刻んだ石碑だったことがわかった。
(この写真は”PORTALSITE、VIETNAM”というHomepageより拝借)

ハノイの文廟では参拝者は頭が良くなるように亀の頭をなでるということだが、月照寺では長寿を祈るそうだ。
浦島太郎が亀にまたがるのも亀跌に繋がるものがあるように思う。

亀跌文献・参考資料
”亀の碑と正統”平勢隆郎 白帝社
平勢隆郎ホームページ ”http://kande0.ioc.u-tokyo.ac.jp/kande/hirase/”(亀跌の説明、写真多数あり)
”亀趺をもつ石碑の系譜”藤井直正 大手前女子大学論文集
関野卓の亀跌研究

関野卓は明治~昭和初期の建築史家(東大教授)で、例の法隆寺再建論争では非再建派の中心論者であった。彼は”一つの時代には一つの建築様式が対応する”ことを論拠とした。