備忘録として

タイトルのまま

かぞくのくに

2013-01-27 00:54:11 | 映画

”かぞくのくに”2012 監督:ヤン・ヨンヒ、出演:安藤サクラ、井浦新、ヤン・イクチョン、宮崎美子、京野ことみ、津嘉山正種、悲しくて切なくて怒りがこみあげてきた。イデオロギーやくにの論理で個人の自由が制限される。それに対して何もできない無力感。高校の友人Oは卒業後自分が在日だと名乗った。日本は自由だなんて幻想じゃないのか。この状況を生んだ責任の一端は自分にもあるのではないか。白いブランコに涙が止まらなかった。(ポスターはシネマトゥデイより)★★★★★

”ツナグ”2012 監督:平川雄一朗、出演:松坂桃李、樹木希林、母親に会う、親友に会う、婚約者に会う、死者をツナグ依頼者の願い事は1回きりしか叶えてもらえない。両親を亡くしているツナギ役見習いの主人公はツナギ役を祖母から引き継いだ時点で、ツナグの依頼者にはなれなくなる。死んだ人にもう一度会えるという映画は、”ゴースト・ニューヨークの幻”や”Hereafter”2010が思い浮かぶ。この映画も切ないけど、死んだ人に会っても会わなくても残されたものは、心残りを抱えたまま、ひとり生きていくしかない。★★★★☆

左:ポスター、右:死者を呼び出す銅鏡:ツナギ役以外の人が鏡面を見ると死んでしまう (映画official siteより)

”踊る大捜査線The Final”2012 監督:本広克行、出演:織田裕二、深津絵里、柳葉敏郎、小栗旬、テレビ放映も劇場版の過去3作も観ている。劇場版1作目で小泉今日子がオカルトばりの元看護婦役の犯人を演じ度肝を抜かれた後は、ずっと裏切られ続けている。番外編の”交渉人 真下正義”と”容疑者 室井慎次”もパッとしなかった。ずっと関わってきた責任上、あまり気乗りはしなかったがThe Finalを観ないわけにはいかなかった。警察機構に挑戦する犯人の設定は面白かったが、クリント・イーストウッドの”ダーティー・ハリー”の何作目かも犯人は身内だったことを思い出した程度で、特に驚きはなく、犯人と青島の真っただ中にすみれの運転するバスが突っ込んでくる場面も、”ありえない”と思わず叫んでしまった。いかりや長介が死んだ時点で終わりにしとけば良かった派である。今回でFinalにして正解だと思う。★★☆☆☆

”Bungo 注文の多い料理店”2012 監督:富永昌敬、出演:宮迫博之、石原さとみ 宮澤賢治の同名童話を映画化したもの。山中で道に迷った男女が偶然見つけた料理店「山猫軒」に入り、自分が料理されると気づき命からがら逃げだす。原作と違うが不倫関係にある男女の欲が露わになるところは面白かった。★★★☆☆

”Sparkle"2012 監督:サリム・アキル、出演:ジョーダン・スパーク、カルメン・エゴジョ、ホイットニー・ヒューストンの遺作で作中、教会で強烈な讃美歌を歌う。ホイットニー・ヒューストンのことはケヴィン・コスナーと共演した”ボディーガード”1992とその作中歌”Always Love You”しか知らない。映画で3姉妹の長女?が夫の影響で麻薬中毒になってしまうところなどが暗示的だった。★★☆☆☆

"Taken(邦題:96時間)"2008 監督:ピエール・モレル、”Taken2(邦題:96時間リベンジ)”2012 監督:オリビエ・メガトン、出演:リーアム・ニーソン、マギー・グレース、ファムケ・ヤンセン 1作目はWowwowで2作目は飛行機の中で偶然2本続けて観ることができLuckyだった。元CIA工作員のブライアン(リーアム・ニースン)は第1作”Taken"でパリ旅行中に人身売買の犯罪グループに誘拐された娘を助けるため悪者をこてんぱんにやっつけた。”Taken2”では犯罪グループにいた息子を殺された父親が復讐のためブライアン家族を狙う。イスタンブールを旅行中、犯罪グループに捕まったブライアンと妻を今度は娘が助ける。バイオレンスとアクションは激しく元CIAは超人的で強かった。憎悪のループは際限がない。★★★☆☆

”Trouble with the Curve(邦題:人生の特等席)"2012 監督:ロバート・ローレンツ、出演:クリント・イーストウッド、エイミー・アダムズ、ジャスティン・ティンバーレイク、老いた野球のスカウトとその血を引いた娘の話。娘は弁護士という職業を捨てて父親と同じスカウトの道を選ぼうとする。特にドラマチックでもなく面白いわけでもなく教訓的でもなかったが、クリント・イーストウッドとエイミー・アダムズが見られて良かったので、おまけで”マネー・ボール”2011と同じ評価とする。★★★☆☆


高山ユスト右近

2013-01-26 15:39:52 | 中世

正月明けからシンガポール、ジャカルタ、フィリピンを廻っている間にアルジェリアで天然ガス工場が襲われる事件が発生し他人事とは思えずブログに触れる気力がわかなかった。昨日、シンガポールに戻ってきた。

約1週間のフィリピン出張に合わせてH・チースリク著「高山右近史話」を携行して読んだ。正月に”今年もブッダ探求の年になりそうだ”と言った舌のねも乾かないうちに異教に手を出してしまった。

高山右近のことは戦国キリシタン大名で禁教令により国外追放になりフィリピンで死んだという程度の知識しか持っていなかった。本は聖母の騎士社が出版し聖母文庫と名づけられたシリーズであり、著者は日本に布教で来たドイツ人神父であることから、宗教色が強いことを覚悟で読み始めた。しかし、日本の古文書と文献、イエズス会文書やフロイス書簡などを広く引用し、高山右近の信仰と生涯を客観的に著述しようとする著者の姿勢が明瞭に伝わってきた。良著だと思う。

高山右近の生涯を本書から抜き出す。

  • 1552 摂津高山に高山飛騨守の長男として生まれる
  • 1564 12歳で受洗 クリスチャンネイムはユスト 父飛騨守はダリオ、母はマリア、妻ユリア
  • 1573 信長の配下荒木村重に属し高槻城主となる
  • 1578 荒木村重が信長に叛旗したとき、父ダリオは村重に従うが、右近は信長に味方する。
  • 1582 本能寺の変 山崎の合戦では秀吉の先陣となる。
  • 1583 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方との局地戦に敗れ敗走する
  • 1585 秀吉の紀州、四国征伐に従軍し、功を上げ明石に移封される
  • 1587 キリシタン禁令下り領地を没収され追放される。小西行長の所領・小豆島に匿われる。
  • 1588 前田利家に預けられ金沢に住まう
  • 1590 前田家に属し小田原攻めに参加する
  • 1591 千利休切腹
  • 1592 朝鮮出兵の際、名護屋で秀吉に引見し茶会にも招かれる
  • 1596 サン・フェリペ号事件
  • 1598 秀吉没
  • 1600 関ヶ原の戦い 東軍家康に味方した前田利長に属し北陸の西軍大聖寺攻略
  • 1614 徳川禁教令により国外追放 加賀を去り長崎からマニラへ到着
  • 1615 マニラ到着後40日目、2月3日に熱病のため64歳で死去

キリスト教と茶の湯

右近は千利休の弟子7哲とされ、同じく7哲の細川忠興や蒲生氏郷とは茶道によって結ばれた友人だった。忠興の妻は有名な細川ガラシャ(明智光秀の娘)で右近の影響でキリシタンになったという。7哲のうち蒲生氏郷、牧村政治、瀬田掃部がキリシタンであり、茶道に造詣の深い黒田如水と小西行長もキリシタンである。千利休の時代は茶の湯の黄金時代であるとともにキリシタンにとっても最も華々しい時代であったが、それは偶然ではなく、茶の湯の”和敬静寂”の精神とキリストの説いた清貧、貞潔、愛(アガペ)は相通ずるところが多いからではないかと筆者は言う。茶室に会する人々は強い精神体によって融和することから、キリスト教的な個人と神との一致に繋がるというのである。

セミナリヨ

若い信徒を教育し布教のリーダー、キリシタンのエリートを養成することを目的とする学校をセミナリヨといい、最初のセミナリヨは九州の有馬に建てられた。京都にも建設を計画していたが、右近の提案で信長の城下町・安土に建てることになった。安土のセミナリヨは本能寺の変が起こったため活動期間は短く、変後、高槻に移された。セミナリヨでは、キリスト教だけでなく、ラテン語、日本文学、日本の他の宗教学、オルガンやヴィオラなどの音楽の授業もあったという。

禁教令

秀吉は1587年と1596年に禁教令を出す。1987年の禁教令は宣教師の国外追放だったが、政治的圧力で高山右近は地位を捨て、対照的に黒田如水は棄教する。しかし、小西行長や有馬晴信はキリシタン大名のままだったようにこの時の禁教令は不徹底だった。1596年の禁教令では京都にいたフランシスコ派の教徒が捉えられ処刑された。

1614年の徳川禁教令では京都・長崎の教会が破壊され、伴天連(ポルトガル語のパードレ=司祭)は国外追放された。最後のキリシタン大名の有馬晴信は前年に切腹させられている。まだ南蛮貿易は続いていたので禁教は当初徹底的ではなかった。1616年に幕府は鎖国令を出し、それとともにキリスト教弾圧は強まる。島原の乱が起こったのは1637年のことである。

殉教

1587年の禁教令で、右近は秀吉か信仰のどちらを選ぶかを迫られるが、「2人の主に仕えることはできない」というキリストの教えをわきまえ即座にキリストを選ぶ。高山右近の信仰心は強固で1614年徳川禁教令でも”転ぶ”(背教)ことはなく、富も名誉もすべてを捨て信仰に生きる決心は揺るぎもしなかった。良心に従いKingdom of Conscienceを選んだのである。これは宗教そのものであり、それに比べると人間がいかに生きるべきかを説いたブッダの仏教は道徳であり哲学であるということが良くわかる。仏教が宗教になるのはブッダが神格化されてからなのだと思う。

右近夫婦は孫5人を連れ、他の追放者や伴天連の司祭たちとともに長崎を出港し、1614年マニラに到着する。信者だった息子夫婦は1608年に共に死んでいて、マニラに行った5人の孫の最年長は16歳だった。右近はマニラで歓迎を受けるがすぐに熱病にかかり滞在40日で亡くなる(本では”帰天”と記す)。1616年夏に妻ユスタと孫1人が日本に帰ったと記録されているが彼らのその後はわからない。マニラには1977年に建てられた高山右近の銅像があるらしい。

フィリピンはキリスト教信仰が盛んでどんなに小さな集落にも教会が建っている。普通の家に十字架があるので教会だとわかる小さなものから、下の写真のように立派な教会まで様々である。ミンダナオの南部はイスラム教が支配的な地域もあるが、北部は基本的にキリスト教が極めて盛んである。ブトゥアン市の役所や私邸にもキリスト教関係の像や十字架が飾ってある。当地では、聖歌を聞いたり、神にお祈りをしてから会議が始まることもある。

左:マニラ空港前の教会、右:ミンダナオのブトゥアン市空港近くの教会

左:ブトゥアン市のある役所に飾ってある神父像 右:ブトゥアン市のある人の私邸庭にあったマリア像

 


リトルブッダ

2013-01-06 00:49:08 | 仏教

年末年始はヘッセの「シッダールタ」を読み、1993年の映画「リトルブッダ」を観た。今年もブッダ探求の年になる予感がする。

ヘッセは「車輪の下」のあのヘッセである。「シッダールタ」というのでブッダのことを書いたものかと思って読み始めたら、実はシッダールタはブッダのことではなく主人公の名前で覚者ブッダは別にいる。シッダールタは一度はブッダ教団に入るがブッダの教えに納得できず間もなく教団を抜け祇園精舎を去る。遊女カマーラや商人カーマスワーミとの世俗に浸りきり堕落した生活を送るが、ある日空しさを覚えその生活のすべてを捨てる。そのとき遊女カマーラはシッダールタの子供を宿していたがそれを知らないままにシッダールタは渡し守との生活を始める。渡し守になったシッダールタは成長した息子に会い再び煩悩や執着に苦しめられる。それでも渡し守として川を見続けているうちに、シッダールタは川の流れに身をまかせることを学び運命と闘うことを止め悩むことを止める。その時彼は時間が実在でないこと悟る。川の流れから悟ったことは無常であり、基本的にブッダの教えと同じなのだが、その悟りはすべて彼の実体験から達成されたもので人から教わったものではない。だから、ブッダにくっついていてもいつまでたっても悟りは得られない。小説「シッダールタ」でヘッセが言いたかったことは個人的体験によってでしか悟りは得られないということだと思う。さらに言うと、出家者の境遇では悟りは得られないということだとしたら、仏教修行者は誰も悟りを得られないことになってしまう。「シッダールタ」の映画があるらしい。

映画「リトルブッダ」は、ラマ教老師の生まれ変わりを捜す旅とシッダールタ(ブッダ)の生い立ちから悟りまでの物語を絡ませた話である。ラマ僧の転生者がシアトルで見つかったというところから話は始まる。父親が建築家で母親が数学教師の9歳の子供ジェシーを、ブータンに連れて行って彼が真の生まれ変わりかを確かめるというのだ。ラマ僧が贈ったシッダールタの物語本をジェシーが読むという設定でシッダールタ(キアヌ・リーブス)の生い立ちが並行して語られる。シッダルータの有名な逸話である四門出遊、生、老、病、死、中道、縁起、悟りが物語として散りばめられている。カトマンズではジェシーに加えラジュとギータという名の生まれ変わり候補者2人が見つかった。実際チベット教ではダライ・ラマが死ぬと生まれ変わりとされる子供を捜しテストを通して継承者を決定する。このようにチベット仏教では輪廻転生が信じられているが、ブッダの原始仏教では解脱は輪廻からの解脱だったはずだ。映画の中でチベット僧が、般若心経の”ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スバーハー”と唱え始めたのには嬉しくなった。ギータの祖父が飢饉の年に我が身を飢えた虎に与えたという捨身飼虎の話も出てくる。以下は映画に出てきた仏教の教え。

  • Enlightment 悟り
  • Reincarnation 輪廻
  • Impermanence 無常
  • Every movement in the universe provoked by cause 縁起
  • Detachment of emotions 我執を捨てる
  • Compassion 慈悲
  • Middle way 中道
  • For lord of my own ego, you are pure illusion. you do not exist 無我

師ノーブが瞑想に入ったまま死んだようにチベット高僧は自分の死さえもコントロールできる。これは空海の最後と同じで、映画には呪術的密教的な場面がありチベット仏教は真言宗に近いのではと思わせる。死んだ師ノ-ブが現れ般若心経を唱える。色即是空、目も耳も鼻もない、苦しみもない、苦しみの原因もない、老いも死もない、死がなくなることもない、だから恐れもない、智慧の完成である。ジェシーの母親に宿った子は師ノーブの生まれ変わりを暗示しているような気もする。

Wikiより

”Little Buddha”1993、監督:ベルナルド・ベルトルッチ、出演:キアヌ・リーブス、ブリジット・フォンダ、クリス・イサク、ルオチェン・イン、同監督作品”ラストエンペラー”1987と同じくこの映画音楽担当も坂本龍一である。ビデオで観た”ラストエンペラー”の内容はほとんど覚えていないが衛兵が号令を唱える北京語が歌のようだったことと最後ラストエンペラーの溥儀が一市民となり文化大革命で総括されていたような不正確な記憶がある。あるいは間違った記憶かもしれない。同じくこの監督でマーロン・ブランド主演の”ラスト・タンゴ・イン・パリ”1987は学生時代に観た。母親役のブリジッド・フォンダはピーター・フォンダの娘でヘンリー・フォンダの孫である。”Seven Years in Tibet”1997でダライ・ラマがブラッド・ピットに手渡して印象的だった白いカタ―というスカーフがこの映画にも登場した。仏教とシッダールタが覚者ブッダになるまでの物語をかいつまんで知るにはいい映画である。仏教のエッセンスが満載で、それを見逃さないように集中して鑑賞した。しかし、仏教に興味がなければ面白い映画とは言えないかもしれない。★★★★☆

 


幼き日のこと

2013-01-03 17:55:30 | 他本

2013年元日の初詣は西新井大師の混雑を嫌い近所の八幡神社に行った。近くに有名な西新井大師があるので、社務所もない小さな神社にお参りする人は少なく、居合わせた参拝客は、父親と幼子2人の親子と若い女性2人と我が家の3組だけだった。規模の大小、神様・仏様、御賽銭の多寡、おみくじの有無は関係なく同じようにご利益があることを信じて、盛りだくさんに祈願した。

さて、井上靖と母親の関係を描いた映画「わが母の記」を観て抱いた違和感を持ったまま越年してしまった。映画の井上靖は、自伝小説「しろばんば」、「夏草冬涛」、「北の海」や西域訪問をはじめとした晩年の活動から受ける印象と根本的に違う、という違和感である。映画の井上靖は、6歳から13歳まで伊豆の血縁関係にない祖母に預けられたことで母親に対し幼くして捨てられ疎まれたという感情をずっと持ち続けていたが、その母親が老い痴呆となり他界する中で許していく。母親に捨てられたというわだかまりを持ち続け家族や周囲の人間に対しても偏屈な性格が強調されていた。実際、井上靖は母親のことをどう思っていたのだろうか?映画の原作である「花の下」、「月の光」、「雪の面」の三部作と、井上靖が父母のことを書いた随筆「幼き日のこと」を読んでみた。

結論として、井上靖の作品を読む限り、彼が母親に対し屈折した感情を持っていたとは言えず、映画は母子関係にドラマ性を持たせるために根本的なところを脚色しているということである。原作では母親の老耄する様子を淡々と語るいつもの井上靖がいるだけで、母親に対する感情を吐露する個所はなかった。「幼き日のこと」の中に「父・母への厳しい眼」という章がある。そこでも、どの子も親に対して抱く近親憎悪的な批判はあったが、自分を血のつながりのない祖母に預けたことで母親に対し恨みや憎しみの感情を持っていたとは思えなかった。以下は「幼き日のこと」から抜き出した両親批評である。

  • 自分はいつも父親に完全を求めていた。絶えず父親に対し批判の眼を向けていた。
  • 父親の性質に常にあきたらぬものを感じていた。所詮父親の持っているものから自分が脱出できないことを知っているからである。
  • 40歳から父親を別の眼でみることができるようになった。それは自分が父親とは別のものを身につけ始めたからである。
  • 子供というものは父母二人の持つ長所も短所も受け継ぎながら、父母に似ない自分を造りあげようと努力してきた。
  • 一生反発してきた父親が亡くなってから一番の理解者が父親だったことに気づいた。
  • 自分は父親から気の弱さや八方美人的な性格をそっくりそのまま貰った。
  • 母親からはかなり強烈なエゴイズムと物に感じ易い涙もろさをもらった。母の性格には強い反発を感じながらも、結局はそのエゴイズムを自分はそっくりそのまま受け継いでしまっている。
  • 自分は父母に反抗して父母とは別の生き方を強いてきたが、両親の生き方に最も同感し、それを理解していたのは自分だった。

「わが母の記」にある母親の性格についての記述は以下のとおりである。

  • 何事によらず自分が中心でなければ気がすまない。
  • 自尊心が強い
  • 人に奉仕されることを当然と考える
  • 同情心が強い
  • 几帳面
  • 協調的

この相反する性格はその時々で母親を支配し、ある人には優しい印象、ある人には邪険な印象、ある人には自分本位な我儘な印象、ある人には明るい社交的な印象を与えた。ただ一つ例外なく誰にでも見せたのは自尊心の強いところであった。

母親に対する強い反発はそのエゴイスティックな性格に対してであり、自分を捨てたという感情によってではないことは明らかである。祖母に預けられた事情についても以下のように客観的に述べていて、父母に対しての批判はまったく認められない。

”当時若かった私の両親は、私の妹が生まれたりして人手が足りなかったので、何かの時、ほんの一時的なつもりで私を祖母の手に預け、そのままずるずるとその状態を長く続かせてしまったものであろうと思う。祖母もおそらく愛情が移って私を手離せなくなったであろうし、私の方もまた祖母になついて、両親の許に帰る気持をなくしてしまったのであろう。”

「幼き日のころ」に、親が死んで次は自分の番だということを自覚した瞬間に、親が自分を守ってくれていたということに気付いたという記述がある。私の父は大正14年生まれの87歳、母は昭和5年生まれの82歳で郷里徳島に健在である。義両親(妻の両親)もほぼ同じ歳で仙台に健在である。今年の初詣は、自分が親に守られているということを意識して両親の長寿を祈願した。 


Les Miserables

2013-01-02 16:01:06 | 映画

牢獄から出たばかりのジャン・バルジャンは一宿一飯を乞うために立ち寄った教会で銀の食器を盗む。教会を抜け出たのち銀の食器を持っていることを警察に問い詰められるが、教会の司祭は”それは私があげたものだ。この燭台もあげたのに慌てて忘れて行ったんだね。”と銀の燭台を持たせジャン・バルジャンを助ける。その日から、ジャン・バルジャンは回心し、まっとうな人生を送り始める。ヴィクトル・ユーゴーの長編小説「レ・ミゼラブル」から銀の燭台の逸話だけを抜き出した「ああ、無情」は小学校の国語の教科書か、あるいは家にあった少年少女文学集で読んだ。高校2年の夏、恒例の現代国語の課題にヴィクトル・ユーゴーを選び規定の原稿用紙40枚の論文を書いた。800字詰原稿用紙を埋めるのが精いっぱいで、国語の授業の課題なのに文学は語らず「レ・ミゼラブル」の時代背景ばかりを書いた論文の点数が高いはずはなかった。ドストエフスキーや太宰治の論文で満点を取った級友たちに対し劣等感を抱いたことを思い出す。典型的な理系人間だからと自分を肯定し慰めるしかなかったことを思い出す。あれからもう40年が経つ。未だにドストエフスキーや太宰治を書いた級友の当時のレベルにさえ達していない自分を自覚している。文学的感性は音楽の才能や運動神経と同じで、訓練では埋めることのできない厳然とした天賦の才というものがあることを実感する日々である。

自分の書いた論文の内容だけでなく「レ・ミゼラブル」のあらすじさえも記憶のかなたに消えている。もう一度「レ・ミゼラブル」を読む気力はないので、封切中のミュージカル映画を帰国してすぐに観に行った。

 

”レ・ミゼラブル”2012、監督:トム・フーパー、出演:ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、ラッセル・クロウ、アマンダ・セイフライド、ヘレナ・ボナハム・カーター、”シェルブールの雨傘”以来、台詞すべてが歌からなるミュージカルだった。ジャン・バルジャンの生涯を駆け足で追ったので話の展開は目まぐるしかった。印象的な場面は、(1)物語の終盤、ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)を執拗に追いかけるジャベール警部(ラッセル・クロウ)はジャン・バルジャンが聖人であることに気づき彼の逃亡を放置する。法律の番人として生きて来たジャベール警部は法律を破ったことで生きる拠り所を失いセーヌ川に身を投げる。(2)エポニーヌ(コゼットが預けられた家の娘)はマリウス(革命に身を投ずる弁護士)を慕うがすでにコゼット(アマンダ・セイフライド)に魅かれていたマリウスは彼女のことを見向きもしない。しかし、エポニーヌは命がけでマリウスに尽くし革命の中、命を落とす。(3)ジャン・バルジャンは結婚したコゼットとマリウスに見守られ、すでに亡きコゼットの母親であるファンテーン(アン・ハサウェイ)に手を引かれ昇天する。話の展開が速すぎて感動が少し上滑りになってしまったようにも感じたが、それでも十分感情移入できた。★★★★☆ 

以下は、機中映画と最近観たWowwow映画

”Hope Springs"2012、監督:デイヴィッド・フランケル、出演:メリル・ストリープ、トミー・リー・ジョーンズ、スティーブ・カレル、セックスレスですれ違い夫婦がカウンセラー(スティーブ・カレル)のアドバイスで絆を取り戻すというお話。ベテラン俳優メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズの夫婦の本音トークが面白いけど、結局それだけだった。★★☆☆☆

”Kate and Leopold(邦題:ニューヨークの恋人)”2001、監督:ジェームズ・マンゴールド、出演:メグ・ライアン、ヒュー・ジャックマン、19世紀から偶然タイムトラベルして来た貴族の青年レオポルド(ヒュー・ジャックマン)と恋に落ちるキャリアウーマンのケイト(メグ・ライアン)は、最後彼を追いかけて19世紀にタイムトラベルする。私の中のメグ・ライアンは”恋人たちの予感”1989がピークで、”めぐり逢えたら”1993も、”You've Got Mail”1998も、この映画も魅力的ではなかった。★★☆☆☆

”Little Miss Sunshine"2006、監督:ジョナサン・デイトン、出演:グレッグ・キニア、スティーブ・カレル、トニー・コレット、アビゲイル・ブレスリン、7歳の娘オリーブ(アビゲイル)は少女コンテスト”Littele Miss Sunshine"に出ることになる。オリーブの叔父さん(スティーブ・カレル)はゲイのプルースト研究者でボーイフレンドにふられ自殺未遂をしている。オリーブの父親の事業は失敗続きで母親の家事は超手抜き。兄はジェットパイロットになるまで沈黙を続ける誓いを立てている。オリーブにコンテストでのパフォーマンスを教える祖父はヘロイン中毒である。家族はそろって黄色いバスに乗って800km離れたコンテスト会場に向かう。途上、兄は自分が色盲でジェットパイロットをあきらめなければならなくなったり、祖父が死んだりしてコンサート出場が何度か危うくなるが、何とか会場にたどり着く。そこでオリーブが披露した芸は祖父直伝の大人の踊りで会場の顰蹙をかってしまう。だが家族は彼女を守ろうとする。コミカルでめちゃくちゃだけど家族本来の絆を描いていた。★★★★☆

"Source Code(邦題:8ミニッツ)”2011、監督:ダンカン・ジョーンズ、出演:ジェイク・ギレンホール、マイケル・モナハン、ベラ・ファミルガ、シカゴで列車爆破事件が起こったあと、アフガン戦争で植物状態になった兵士の意識を、列車に乗っていた他人の意識の中に送り込み爆破犯を捜すというプログラムが実行される。爆発寸前の8分間が彼に与えられた時間で、何度も試行錯誤を繰り返しながら犯人を捜す。犯人を捜しあてたあと主人公は列車に乗っていた女性と新しい世界で生きていく選択をする。時間とパラレルワールドを意識下で行き来する設定が斬新だった。★★★★☆