備忘録として

タイトルのまま

大倉ダム

2010-04-30 21:26:28 | 仙台

 伊坂幸太郎原作の映画「重力ピエロ」は仙台を舞台にしているので、「ゴールデンスランバー」と同じように馴染みの地名がたくさん出てきた。特にこの映画は仙台各地で放火事件が発生し、「小田原」、「東照宮」、「木町通」、「霊屋橋(おたまやばし)」、「連坊小路」など馴染みの地名が満載だった。最初の放火現場の小田原二丁目は、学生時代下宿していた小田原八丁目のすぐ近くであり、放火の何番目かの霊屋橋はよくランニングをした場所のため、どこか見慣れた場所はないかと目を皿のようにして探した。結局、馴染みの建物や目印は見つからなかった。ただひとつ、主人公の兄・泉水が男を誘い出そうと計画するために開いたネット上の空中写真にはっきりと上の写真のダブルアーチダムが見え、即座に大倉ダムだとわかった。
 広瀬川の上流に位置する大倉ダムは日本に二つしかないダブルアーチ式コンクリートダムで、学生時代バイクのツーリングで友人と行った。そのときに見たダムは雄大だった。その頃は自分が後日、ダムを始めとした土木構造物に関わる仕事につくことなど想像さえしていなかった。大学のキャンパスもロケに使われたらしいが、泉水が通う研究室ではDNA分析をしているので、北四番町の医学部か青葉山の上にある理学部生物学科のどちらかのはずだ。
 ”重力ピエロ”2009年 監督:森淳一、脚本:相沢友子、出演:加瀬亮、岡田将生、小日向文世、鈴木京香 あの父だからこそ生み育てることを決断したのだが、それが正しい選択だったのか最後まで疑問を持ち続けながら観た。命とは家族とは人間とはという命題は重い。”ゴールデンスランバー”より惹きこまれた。伊坂作品を読みこんでいる妻は原作の方がいいと言った。映画をみながらうたたねをしたにも関わらずの妻の意見だったが、伊坂作品をひとつも読んでない私には反論のしようもなかった。★★★★☆


La Strada 道

2010-04-25 12:44:32 | 映画
 バンクーバーオリンピックで高橋大輔がフリーの演技曲として使った、映画”道”を観た。映画を通して流れるニーノ・ロータの曲は単なるBack Ground Musicではなく物語の重要な要素だった。場面場面に意味があり目の離せない結末が想像できない映画だった。見終わったあともいろいろと考えさせられた。
 ・ジェルソミーナはザンパノから逃れる機会が何度もあったのになぜ彼のもとに残ったのだろうか。
 ・ザンパノと別れ町でキリストの祭りを見るジェルソミーナと、人々のすべての罪を背負って十字架に架けられたキリストに意味が込められているのだろうか。
 ・ジェルソミーナの人生に意味があったのだろうか。
 ・フェリーニは、最後の海岸の場面によってジェルソミーナの人生に意味があったと言いたかったのか。
 ・仮に海岸の場面がなかったら、ジェルソミーナの人生に意味があったのだろうか。
 ・人生は他人に何かを与えることで意味を持つことになるのだろうか。
 ・ザンパノは人並みの心を取り戻したのか?、そして救われるのだろうか? 
"La Strada(邦題「道」)”1954年  監督:フェデリコ・フェリーニ 脚本:フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネッリ 製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス 音楽:ニーノ・ロータ、出演:アンソニー・クイン(ザンパノ)、ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ)、リチャード・ベースハート(綱渡りの道化師) この映画を先に見ていたら高橋をもっと応援していたかも ★★★★★
 フェリーニは”ローマ”と”ボッカチオ'70”を見ているだけ、ニーノ・ロータは何といっても”ゴッドファーザーのテーマ”

 ついでに最近観た映画評
 ”Slumdog Millionaire(邦題「スラムドッグ$ミリオネア」)”2008年 監督:ダニー・ボイル、製作:クリスチャン・コルソン、脚本:サイモン・ビューフォイ、出演者:デーヴ・パテール、マドゥル・ミッタル、フリーダ・ピントー この映画はストーリー展開がスピーディーで明快でクイズと尋問と過去の3場面をうまく使い分けエンディングまで話を盛り上げ、最後はボリウッドダンスのおまけまでついていて笑った。インドの抱える貧困や宗教問題もちゃんと散りばめられていた。★★★★☆ 

 ”I AM LEGEND”2007年 監督:フランシス・ローレンス、出演:ウィル・スミス テレビの映画劇場で観た。愛犬の結末にも腹が立ったし、はっきりいって面白くなかった。★☆☆☆☆

 ”You've Got Mail”1998年 監督:ノーラ・エフロン、出演:トム・ハンクス メグ・ライアン BS映画で観た。同じ監督・出演者の「めぐり逢えたら」を見ているけどあまり覚えてなくて、それよりリメイク元の「めぐり逢い」1957年の印象の方が強い。「王様と私」のデボラ・カーがとにかく美しい。この映画も普通だった。メグ・ライアンは結局「恋人たちの予感」に引きずられ脱皮できなかったのか? ワンパターン演技と思っていたサンドラ・ブロックが今年のアカデミー主演女優賞をとったので、まだチャンスがあるかもしれないけど。 ★★☆☆☆

空中庭園

2010-04-20 22:59:28 | 東南アジア
 先日シンガポールへ行ったとき、完成間近のカシノ”Marina Bay Sands"を撮った。3棟の高層ビルの屋上を繋いだ巨大なプレートの上に庭園が顔をのぞかせている。ホームページによると(http://www.marinabaysands.com/)、屋上は”SkyPark”と名付けられていて、世界七不思議バビロンの空中庭園(Hanging Gardens)を思い出す。Sands周辺には高層ビルが林立し、さらに地下鉄、高速道路、クルーズセンターなどの巨大建築物が建設中だが、このギャンブルの殿堂は他を圧倒していた。ユニバーサルスタジオを併設したセントーサ島のカシノは一足先に営業を開始した。ブラックジャックの最小チップ(最低の賭け金)がS$25(約1700円)だということが話題になっていた。
 3月、会社のシンガポール人役員が、”シンガポールはカシノによって汚染された”と言って、職を投げ捨て一族でカナダのバンクーバーに移住した。彼は中国本土から嫁入りしてきた奥さんの影響で敬虔なキリスト教信者になっていたので、ソドムのロトの家族のように神の使いが来たのかもしれない。 
 ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないけれど、ソドムとゴモラの話や、バベルの塔に匹敵する世界一の超高層ビルブルジュ・ファリファを建てたドバイの顛末などから神の審判をみるのは考え過ぎだろうか。先日読んだ”中国の中世”の歴史や今、手をつけている司馬遷の「史記世家」によると、奢り高ぶった王と彼の王朝は必ず滅びている。

中国の中世

2010-04-18 15:14:55 | 中国
 宮崎市定の「大唐帝国 中国の中世」を読んだ。
 はるか昔、この東洋史の巨人である宮崎の「科挙」を読もうとしたことがあったが、まだ自分にそれを読むだけの準備(知識、意欲、根気など)がなかったため数ページで断念したことがあった。「大唐帝国」を古本屋で見つけたとき、断念したことが頭の隅をよぎったが、本が安価だったので”とにかく買っとけ!”と本箱に放り込んでおいた。しばらくして読み始めると、これが読みやすくて面白い。それに史実の羅列に終わらず、比喩を多用して、ところどころ宮崎の史観や現代批判が散りばめられているのだ。
 
1.”古いことわざに、流れる水は腐らない、というのがある。春秋から戦国、秦にいたる時代は、まさに流れる社会であった。流動していく間に社会がみずから浄化作用を行うのである。ところが漢帝国はいわば溜り水である。”
2.”二十四孝の中に後漢の丁蘭の話が出てくる”丁蘭は死んだ父母を慕うため木像をつくり、それに仕えたが妻が木像を針でつついたのに怒り妻を追い出してしまった。これは”儒教の礼にもたえていわないことであり、ものずききわまりない行為であるが、そのために夫婦が別離せねばならぬとは笑えない悲劇である。ーーー当時のあまりにも苛烈な生活苦が人倫関係をゆがめてしまったのである。そしてそれがそのままながいあいだ、民国初年の思想革命に至るまで二〇〇〇年近くも中国庶民を苦しめてきたのである。”
3.”後漢にはいってから中国の社会は、不景気風におそわれてきたのである。厳密な意味では、景気ということばは資本主義社会にかぎって用いられるのだそうだが、そんなことはどうでもいい。”
4.関羽が董卓の武将華雄を切る場面は紙片を割いて三国志演義の文章をそのまま載せ、”『三国志演義』はもんくなく面白い。この場合なども、ちゃんちゃんばらばらをそのままに描写しないで、天幕をへだてて間接に記述しながら、しかも効果は百パーセントである。”
5.諸葛孔明の至誠を称賛し、”今日からみれば、特に若い人たちには、漢室の復興というような理想をこのように真剣に追求する心理は理解できないかもしれない。”ソ連の原爆に頼る威嚇的な外交を批判し、”国家というものにたいする考え方は、現今の世の中でもっとも時代に遅れたもののひとつであり、三国時代とじつはあまり変わっていないのではあるまいか。これは深く反省してみる必要がある。”(昭和43年刊行なので”ソ連”が出てくるが、核によるパワーゲームは当時と変わってない)
6.蜀が魏に降参するとき、呉に逃げて保護を求めようという意見があったのを「まけたときには思いきりいさぎよく降参するものです。」という重臣の意見を採用し無条件降伏を申し入れた。宮崎は、太平洋戦争の”責任者はだれひとり『三国志』の中のこの話を知らなかったとみえる。”こともあろうにソ連に平和の仲介を頼み、”さんざん翻弄されてひどい目にあい、物笑いのたねになった。ーーーどうしてこのような人たちが国政に参加するようになったかを三思する必要がある。”(三思=荀子のことばで、若い時には老後のこと、年をとったら死後のこと、豊かになった時は貧乏になった時のことを考えておくこと、やはり東洋史学者である。)
7.晋の末期、八人の王がかわるがわる武力を使ったことに、”一度武力が動き出すと、それがついには自分の力でとどまることができなくなるのである。それはちょうど、火薬庫に火がついたようなもので、つぎつぎに隣へ延焼しては誘爆し、全部爆発してしまわぬとおさまらない。他人事ではない。戦前に日本の蓄積した軍備がそうであった。現在世界各国が蓄積しつつある原子爆弾などが、そうでないと誰が断言しえようか。”
8.晋の貴族王衍(おうえん)が異民族の捕虜になった時にうろたえたことから、東京裁判に証人喚問された満洲国の溥儀の供述を引き合いに出し、「なんという性格の弱さだ。満州族の支配者もここまで落ちぶれたか」と慨嘆した人と、「なんという生にたいする執着の強さだ」といって驚嘆した人の二つの意見があったことを紹介する。
9.南北朝時代の軍人に対する貴族の自尊心は、一種のコンプレックスの裏返しとも見える。これは、現在の”ヨーロッパ人とアメリカ人との関係のようなものであって、もともと双方がコンプレックスをもっているのである。”
10.北魏の北辺に国防のために配置された軍閥と、満洲の関東軍を比較し、陸軍学校出の秀才は国内に残り出世するのに対し、鈍才組は辺境に派遣され唯一の望みは戦争を起こし手柄を立て勲章をもらうことであった。こうして中央の方針に違反して次々に事件を起こし支那事変はとめどもなく拡大し最後は太平洋戦争に突入した。これを中央のひょろひょろの秀才組はなすすべがなかった
11.唐では前朝(隋)の反省に立ち、天子の専横を防ぐため中央政府に三省を置き、政策決定から施行までを審議する制度が導入された。天子は責任を官僚と分かち合うことができるようになったが、自由を拘束され時間もかかるが過失は少なくなった。しかし、どんなにいい制度があっても運営がともなわなければ何にもならない。唐の政治は太宗の死後後退を始める。”暖かい春はけっして一時にやってこないように、新しい時代は急に出現するものではなく、一進一退ののちにやっと訪れるものなのである。”
12.唐の高宗がのちの則天武后である武氏を皇后にしたいと申し出た時、宰相の李勣は「陛下一家の家事であり、臣下が干渉すべきでない」と答えた。”この中に非情に封建的な思想がこもっている。封建制度とは、階級の上下が対立する社会であるがそれだけでは封建社会は成立せず、それぞれの縄張りを尊重する精神が並立する、大所高所から全体を優先すると封建制度は崩壊してしまう、という。
13.衰えた唐は困難を金銭の力できりぬけた。唐が新政策を採用できたのは古い勢力が一掃され新しい人材の登用が可能であったからだ。”この点は戦後の日本の状態と共通点がないでもない。敗戦後の日本の難局を背負わされた吉田首相は財務官僚を登用して、文化国家ならぬ財政国家を作り上げた。”
14.日本、中国の筋肉派の史学は、反乱さえ起きれば農民運動、王朝が滅亡すれば農民反乱と、なんでも農村へもちこむことを好む傾向がある。農民運動はいつも局地問題で終わっている。全国的な結社と結びついたときにはじめて大きな勢力になるが、そのときはもはや農民運動ではなくなっているのである。”(人間は大部分筋肉から成り立っているが筋肉の病気で死んだ人は少ない。社会は農民が圧倒的多数であるが、農民運動が王朝の命取りにまで発展することはない、と宮崎は批判する。)
15.唐の塩の専売に関し、”公定価格が高ければ高いほど、闇取引きはさかんになる。取り締まりが厳しければ厳しいほど闇取引きの利益は大きい。””取り締まりには官憲の数を多くする方法と、制裁を厳格にする方法がある。官憲の数を多くすればするほど、その費用が多くなり公定価格を引き上げなければ採算がとれない。法律を厳しくすればするほど、闇商人も対抗策を講じ、あるいは秘密結社を組織し、あるいは消費者と緊密に連絡するので摘発が困難になる。官憲が買収される機会も多くなる。”唐でも塩専売の反作用で反乱が起こるようになる。
16.中世は権力崇拝の時代であり、このような時代には宗教がもっとも受けいれられやすい。そういう時代の宗教にはそれだけの気概があった。玄奘、義浄、鑑真らの信仰は命懸けだった。

宮崎市定:1901-1995 東洋史学者、京都(帝国)大学文学部教授

宮島その2  空海の消えずの火

2010-04-17 18:22:34 | 広島
 写真は、2009年6月に友人と行ったときに撮影した鳥居である。鳥居は800年前に建てられ、今の鳥居は8代目で1875年に建ったというから、1884年の日清戦争直前に撮影したボンティングの鳥居と同じ鳥居ということになる。確かに形は同じように見える。

 その時登った弥山(みせん)の山頂近くに、空海の点けたという”消えずの火”があった。

 この火を納めている霊火堂が所属する大聖院のホームページの説明では、”806年に弘法大師がここで100日間の求聞持の修行を行なって以来、1190余年も消えることなく燃え続けており、広島平和記念公園の「ともしびの火」のもと火にもなっている貴重なものです。”とある。

 手元にある梅原猛著「最澄と空海」によると、”空海、闕期(けつご)の罪死して余ありといえども、窃(ひそか)に喜ぶ、難得の法生きて請来せることを。一懼一喜(いっくいっき)の至りに任(た)えず”と空海は、20年の留学期間を2年で切り上げ帰国した罪は死に価する、けれども得難い法を日本に持たらしたことはたいへん嬉しいことだと言っている。当初の留学予定に背いたため朝廷からは九州の太宰府・観世音寺でしばらく待つようにという命が下されている。
 だから、空海は806年10月の帰国後2年ほどは大宰府の観世音寺に止まっており、いわゆる蟄居状態だったはずなので広島まで来て修業するような状況にはなかったと思う。結局、京都に入れるのは809年のことだったらしい。

 弥山(みせん)という山名は須弥山(しゅみせん)に山容が似ていることから名付けられたという。古代インド(仏教やバラモン教)世界観で須弥山は世界の中央に聳える山で帝釈天が住んでいる。

 ボンティングは、
”海抜千八百フィートの最高峰に寺が建っているが、その寺で弘法大師が千年以上前に灯した聖火が燃えている。昔のローマで、女神ヴェスタの祭壇で不断の聖火が燃えていたように、この聖火は消えたことがない。”と書いている。
 女神ヴェスタは、英語版Wikiを転載すると、
”Vesta was the virgin goddess of the hearth, home, and family in Roman religion. Vesta's presence was symbolized by the sacred fire that burned at her hearth and temples.”(hearth=かまど)
 女神ヴェスタの聖なる火はトロイからもたらされ、ローマのヴェスタ神殿で燃え続けていたが、394年にローマ皇帝の命により火は消されたという。ボンティングの頃にヴェスタ神殿の聖なる火はすでに消えていたので、ボンティングは、”昔のローマで”とことわっている。ボンティングが空海の火を、ローマ神話の不断の聖火と比較して読者に伝えようとしていることから、英国人にとってもローマ神話やギリシャ神話は基本的教養のひとつだったということがわかる。

なくもんか

2010-04-12 21:12:45 | 映画
 シンガポール便の機内映画は、”アバター”がメーンだったが2度見る映画でもないので、以下の5本を行き帰りに観た。
”ラブリーボーン、恋するベーカリー、ゴールデンスランバー、なくもんか、チャップリン”
この順番は映画への期待度の順番でもあるのだが、実際はまったく違った。

 期待してなかった”なくもんか”が断然面白かった。竹内結子がとにかく良かった。”ゴールデンスランバー”の竹内結子はこれまで見た映画やテレビと同じで可もなく不可もない普通の女優だったが”なくもんか”の竹内は過去デブだったという設定以上に、はじけていた。特に、阿部との関係を隠そうとする瑛太に切れてその辺を蹴飛ばす竹内は最高だった。阿部サダオはNHKの朝の連続ドラマ「こころ」で小池栄子といい仲になる下町の兄ちゃん役で初めて知り、その後、「OLにっぽん」で観月ありさと張り合う準主役の「~~ってこってす。」で好きになり、「不毛地帯」の新聞記者役など少しづつ味がでてきた。”なくもんか”と思って見ていたが不覚をとってしまった。
”なくもんか”2009年 脚本:宮藤官九郎、監督:水田伸生、出演:阿部サダオ、瑛太、竹内結子 ★★★★☆

 ”ゴールデンスランバー”2010年 原作:伊坂幸太郎、監督:中村義洋、出演:堺雅人、竹内結子、吉岡秀隆、劇団ひとり うちでは妻と娘の間で伊坂幸太郎がブームになっていて、昨年以来、伊坂本が家にあふれた。伊坂を一冊も読んでない私が先に「ゴールデンスランバー」を観た。話は面白いのだが逃走中の出会いやエピソードが唐突で必然性がなく友情や信頼が十分に描き切れていないと思った。原作がその程度のものなのか脚本がだめなのか演出がだめなのか。ただ、堺雅人が仙台の街を駆け回るので、映画「眉山」を観たときと同じように映画の筋よりも「ここはどこだ?」に注目して観てしまった。定禅寺通り、一番町はもちろん名掛町の裏通りらしきところや国分町、広瀬川などが出てくる。あとはわからなかった。★★★☆☆

 仙台で思い出したけど、先日井上ひさしが亡くなった。「吉里吉里人」は文句なく面白かった。「青葉繁れる」はさとう宗幸の「青葉城恋歌」とともに思い出す。「ひょっこりひょうたん島」はもちろん見ていたし、NHKドラマ「国語元年」は、明治初頭に標準語作成を命じられた役人の家に住む、薩摩、津軽、江戸、会津、米沢、遠野、名古屋、京都出身者が入り乱れて大混乱するという喜劇で最高だった。

 ”恋するベーカリー”2009年 監督:ナンシー・マイヤーズ、出演:メリル・ストリープ
、スティーヴ・マーティン、アレック・ボールドウィン 離婚した元妻と元夫が再び交際し始めるのだが元夫は再婚して子供もいるのでそれは不倫になってしまうというComplicatedな話なのである。原題”It's complicated”がどうして”恋するベーカリー”になってしまうのか訳がわからない。だいたいベーカリーは重要な舞台でも何でもないのだ。★★★☆☆

 ”ラブリーボーン(原題The Lovely Bones)”2009年 監督:ピーター・ジャクソン、出演:シアーシャ・ローナン、マーク・ウォールバーグ、スタンリー・トゥッチ ピーター・ジャクソン監督だったので観なきゃと思って意気込んで最初に見始めたが、Fantasy仕立てにしてはあったが本来猟奇的な話で重く苦しく観なければよかった。”ラブリーボーン”のボーンはてっきりBorn(誕生)だと思っていたら、Bone(骨)だった。★★☆☆☆

 ”チャップリン”1992年 監督:リチャード・アッテンボロウ、出演:ロバート・ダウニーJr、ジェラルディン・チャップリン、モイラ・ケリー、ダン・エイクロイド  チャップリンの生涯がよくわかった。イギリス人で、4人の妻がいて、赤狩りにあってアメリカを追放されていたとは知らなかった。★★★☆☆ 

ペトロナスタワー

2010-04-11 21:51:33 | 東南アジア
 シンガポール、クアラルンプール、ジャカルタ、5泊6日の旅に行ってきた。
シンガポール・チャンギ空港のトランジットホテルで一泊し、翌日朝一番でクアラルンプールに飛び、忙しい一日の後、クアラルンプール国際空港近くのホテルに泊まり、翌朝また朝一番の便でジャカルタに飛んだ。その夜はジャカルタに泊まり、翌日朝一番でシンガポールに飛び、シンガポールで2泊し昨日帰国した。ジャカルタの空港では、Immigrationで1時間並んだうえに両手10本の指紋をスキャンされた。
 
 写真は、ヤシの木陰から見たクアラルンプールKLCCのPetronas Twin Towersの尖塔である。高さ452m88階建ての超高層ビルで1998年に完成したときは世界一高いビルだったが数年のうちに台北101に世界一の座を奪われた。

 Wikiより

 左から、1位ブルジュ・ファリファ828m(ドバイ)、ウィリス(シアーズ)タワー527m(7位塔を含まないと442m)、2位台北101・508m、6位ペトロナスタワー452m、エンパイアステートビル449m、上の絵にない3,4,5位は中国、香港のビルである。
 1位のブルジュ・ファリファビルは今年1月に華々しく竣工したが、2009年11月末にドバイショックがあり経済はすでに崩壊が始まっていた。2011年に完成予定の634mの東京スカイツリーは鉄塔なので、超高層ビルには分類されない。

 Twin Towersは日系と韓国の建設会社がそれぞれ建設したが、そのころシンガポールに駐在していたので建設にまつわるいろいろなエピソードがあった。
1.建設中からビルが傾いているという噂が絶えずマレーシアの大臣が”傾いてない”宣言を出した。
2.Twin Towersの間を41階でつなぐ通路Skybridge(下の写真)を地上で製作し釣り上げたところ長さが隙間に合わなかったことから、ビルが傾いているという噂に拍車がかかった。

3.ビルの建つ地盤は石灰岩で深度150mまで空洞(鍾乳洞)を処理するためのグラウトが施された。ビル基礎の地盤が堅固でないこともビルが傾いているという噂の基になっていた。
4.ショーン・コネリーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズ出演の映画”Entrapment”(1999)のアクションシーンがこのビルで撮影されたが、映画はあまり面白くなかった。
5.スパイダーマンが吸盤でビルをのぼったり、パラシュートで飛び降りる冒険家がいたり、その都度当局から厳重な注意を受けた。
6.ニューヨークのWorld Trade Centerが9/11に倒壊した翌日、ペトロナスタワーに爆弾を仕掛けたという通報があり大騒ぎになった。

 同じころ建設された421mのKLタワー(通信塔)には1996年の竣工後まもなく上ったが、こちらのペトロナスタワーには上ったことがない。KLタワーもペトロナスタワーもマハティール元首相時代の産物で、そのころのマレーシアは活気があった。今、クアラルンプールの街は車や人で混雑し当時と同様活気に満ちているが国内経済は停滞気味である。

宮島

2010-04-02 21:31:28 | 広島
 宮島には何度も行ったので改まって書くことがなかったのだが、いざ広島を離れるといろいろな思い出が浮かんできた。写真は亀戸天神の写真を撮ったポンティングの撮影した明治時代の宮島の鳥居である。ポンティングは宮島の社殿に掛けられた多くのしゃもじを見て、宮島で日清戦争(1894年)への出陣を待つ兵隊の一人が幸運を願ってしゃもじを神社の壁に掛けたことに始まったと書いている。そういえば昨年末放映された「坂の上の雲」で東郷平八郎(渡哲也)と秋山真之(本木雅弘)が宮島で会う場面で、鳥居の沖合に大きな軍艦が数艘投錨していた。その時二人は清国の軍艦に乗り込んだので、しゃもじの話とまさに同じ頃、日清戦争前のことである。
 ポンティングによると6月17日の例祭に大勢の参拝者の乗った舟が鳥居を通ろうと列を作ると記している。干潮時には鳥居近辺まで干上がるので鳥居を通るのは満潮時ということである。6月17日(旧暦)の例祭とは管絃祭(かんげんさい)のことで、 公式ホームページによると、
”平清盛が都の「管絃の遊び」を模し、神様を慰める神事として執り行われたのが始まり。午後4時からの厳島神社本殿での発輦祭の後、御鳳輦を御座船に移し、管絃を演奏しながら対岸の地御前神社に向かいます。地御前神社からの御迎船を水先に地御前神社前の海上で祭典と管絃を奉納。続いて御座船は宮島に戻り、長浜神社と大元神社で順次祭典を行います。夜の大野瀬戸に浮かぶ五彩の幔幕や提灯で飾られた御座船。雅な平安絵巻は、深夜まで続きます。”
とある。

 安野光雅が描く下の宮島は、おそらくこの祭りだと思う。

この絵葉書は津和野の安野光雅美術館で買った。

平清盛から100年余り後、「とはずがたり」の二条も宮島に立ち寄っている。彼女は鞆の浦や三次にも立ち寄っているが行程に無理があり、実際には行ってなくて虚構があるとする学者もいる。

 宮島の個人的な思い出は、徳島の父が手にパイナップルを持っていて鹿に襲われたこと、牡蠣うどんという珍しいうどんがあること、牡蠣の炭火焼きが美味であること、渡しのフェリーをJRが運航していること、街から宮島まで市電で行けるけど時間がかかり過ぎるのでJRで行くべきだということ、フェリー乗り場前の有名あなご丼屋はいつ行っても1時間待ちなので断念し、ある時隣のあなご丼屋に入ったところがらがらだったこと、鳥居を通して遥か向こうに新興宗教の異様な建物が見えることなどである。有名なもみじの頃に行ったことはないし、夏の花火大会も見たことがない。弥山には2度ほどロープウェイで上ったがその話は次回に。