備忘録として

タイトルのまま

亀戸天神

2009-09-21 23:51:53 | 江戸
先週、東京へ行った時、藤で有名な亀戸天神へ行った。菅原道真を祀っている。境内の太鼓橋を描いた広重の浮世絵(江戸末期1856~58年)、英国人ポンティングの写真(明治末年、1901~1902年、または1906年)と今回の写真(2009年9月19日)を比べてみよう。


広重、江戸末期1856~58年
浮世絵 名所江戸百景、亀戸天神境内(浅草仲見世で買った絵葉書)


ポンティング、明治末期1901~6年
In Lotus-Land Japan by Herbert George Ponting 1910
(英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本 ハーバート・G・ポンティング 長岡祥三訳)

今、2009年9月

広重とポンティングの写真では、橋は木製で橋脚で支えられている。広重の橋脚は4本だが、ポンティングは2本に見える。また、ポンティングでは太鼓橋の脇に橋高の低い渡りが設けられている。今の橋はコンクリート製で橋脚はない。ポンティングに比べ桁の曲率(太鼓の曲がり)がゆるくなっているように見える。今は橋の向こうにビルが林立しているが、広重もポンティングも橋の背後には何もない。

江戸末期の広重の時代から、50年経った明治末期までの変化にくらべ、明治末期から現代までの100年間の変化は著しい。これを科学の進歩というのである。

亀戸天神を見物したあと、やはり広重の浮世絵”亀戸梅屋舗”の臥龍梅跡にも行った。屋敷はなく碑と若そうな梅だけが立っていた。その後、本所や吾妻橋を通り浅草まで歩いたが結構な距離だった。

ポンティングの本は、シュリーマンがどんな風景を見たのか知りたくて明治日本というタイトルに飛びついて買ったのだが、シュリーマンが日本へ来た1865年からは40年が経過している。今回、亀戸と浅草へ行った同じ日に神田の古本屋で江戸末期の写真集”甦る幕末 ライデン大学写真コレクションより”という古本を見つけたので即座に買った。この写真集にはシュリーマンが訪問した場所の同時代写真がいくつも掲載されており、その紹介はまた後日としたい。

最新の画像もっと見る