備忘録として

タイトルのまま

The Theory of Everything

2015-04-30 22:28:13 | 映画

 

「The Theory of Everything、邦題:博士と彼女のセオリー」2014、監督:ジェームズ・マーシュ、出演:エディー・レッドメイン(レ・ミゼラブルの弁護士マリウス)、フェリシティー・ジョーンズ、宇宙理論物理学者スティーブン・ホーキングの伝記映画で、前夫人ジェーンの回顧録「Travelling to Infinity」をベースにしている。主演のエディー・レッドメインは筋委縮症のため徐々に自由を失っていく姿を熱演しアカデミー主演男優賞を獲った。学生の頃、ホーキング博士が宇宙の起源にベビーユニバースが出現するという説を発表したとき、購入した科学雑誌ニュートンで見た、ベビーユニバースを表すしずくが無数に垂れ下がっている原色のイメージ図を思い出す。映画ではブラックホールの中心に無限に小さい場で無限大の重力を持つ特異点(Singularity)があることを発表する場面が描かれていた。ホーキング博士は最近、タイムマシンで過去に遡るには無限大のエネルギーが必要であり実質的に過去への時間旅行はできないという説を、未来から観光客が来ていないことがその証拠だとジョークを交えて発表し、SFファンをがっかりさせた。映画の博士も、雑誌ペントハウスを看護師に見つかったとき、ちゃめっけたっぷりに言い訳していた。先日観た「The Imitation Game」の数学者アラン・チューリンもそうだったように、天才はだいたいが変人である。映画は、博士が業績を上げ高名になる一方で、ホーキングの看病に疲れてしまった妻の心の揺れを描く。結局、離婚し双方が新しいパートナーを見つける。二人とも筋委縮症を承知で結婚し覚悟の上で子供を設けているので、それが負担になったからと言って別れたことに共感できない。しかし、妻の負担が相当なものだったことは容易に想像できるので非難はできない。ホーキングはアインシュタイン同様、無神論者(atheist)で、映画ではそれがジェーンと離婚した理由の一つのように描かれていた。映画の題名の「The Theory of Everything」万物の理論とは、一般相対性理論やニュートンの力学や量子力学などの自然界に存在する力を統一する理論で、ホーキング博士ら多くの理論物理学者が追及している。博士とジェーンを見ていると人間相互の力学は複雑で、それを統一的に説明する理論はないのだと思った。★★★☆☆

「Birdman:or (The Unexpected Virtue of Ignorance)、 邦題:バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」2014、監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、出演:マイケル・キートン、エマ・ストーン(The Help)、ナオミ・ワッツ、エドワード・ノートン、アカデミー賞の多部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞を獲ったこの映画の前評判は高く期待して観た。かつてのスーパーヒーローで今は落ち目の俳優(マイケル・キートン)が、ブロードウェイの舞台で再起をはかろうとしている。しかし、共演の男優の傍若無人な振る舞いや薬物依存症だった娘や不倫相手に振り回され、観客や評論家からの重圧もあり、精神分裂症状態になり、バードマンの幻影があらわれ自分を嘲り始める。主人公とまわりの人々との会話は「Silver Linings Playback」と同じようにかみ合わないのだが、Silverの二人の会話は相手にお構いなく自分の話をしているだけで、不思議とコミカルに通じ合う部分に楽しさがあったが、こちらの会話は暗くネガティブで、分身は主人公を嘲るばかり、主人公の鬱屈した感情だけが際立ち、見てる方も気分が暗くなった。劇場から締め出され、下着のままで表通りを歩く主人公は痛々しくて笑えなかった。舞台のプレビューで評論家からひどい評価を受け、舞台初日、精神的に追い詰められたヒーローは、おもちゃのピストルを本物に持ち替え舞台の上で自殺を図る。病院で目覚めた彼は、Birdmanとなって窓から飛翔し魂を解放する。しかし、ずっと主人公に共感できないままだったので「カッコーの巣の上で」の最期に大男のチーフが精神病院を飛び出す場面で受けたような解放感をまったく感じられなかった。映画の副題(無知がもたらす予期せぬ奇跡)、直訳すると(予想外の無知の美徳)に映画を理解するヒントがあるのかもしれないが、とにかくよくわからない映画だった。★★☆☆☆

「Night Museum Secret of the Tomb、邦題:ナイトミュージアム/エジプト王の秘密」2014、監督:ショーン・レビイ、出演:ベン・スティラー、ロビン・ウィリアムズ、オーウェン・ウィルソン、今度は大英博物館に出張してドタバタ劇を繰り広げる。アーサー王の騎士ランスロットがあばれまわり大英博物館を飛び出し、近くのホールで上演中のアーサー王の舞台に乱入し、アーサー王役のヒュー・ジャックマン(本人)と対決する。博物館の目玉であるロゼッタストーンは残念ながら出てこなかった。セオドール・ルーズベルト役のロビン・ウィリアムズは昨年自殺し、本作が遺作になった。スミソニアン博物館を舞台とした前作「ナイトミュージアム 2」はアメリア・イアハート役のエイミー・アダムズが魅力的だったのでおまけの星を上げたが、今回の太った警備員(レベル・ウィルソン)におまけ星はあげられないので、★★☆☆☆

「Taken3」2014、監督:オリビエ・メガトン、出演:リーアム・ニースン、マギー・グレース、妻殺しの容疑を受けたブライアン(リーアム・ニースン)は、警察から追われながらも仲間の手助けで犯人を追いつめていく。1作目2作目で発揮された元CIAとしてのスーパー能力は見られず、ありきたりのアクション映画になっていた。保険金目当てに妻を殺すストーリーもありふれたもので意外性もなかった。シリーズものが徐々に面白くなくなる典型だった。★☆☆☆☆

「Foxcatcher」2014、監督:ベネット・ミラー、出演:スティーブ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ、大富豪が金にものを言わせてレスリングの有力選手を集めアメリカ代表チームをコーチする。兄がコーチで弟が代表選手になるが、ソウルオリンピックで金メダルが獲れず弟はチームを離れ、残った兄に悲劇が起こる。とにかくこの映画は暗く救いがなかった。実話なので、映画にするよりドキュメンタリーにしたほうが少しはましになったような気がする。★☆☆☆☆

「バンクーバーの朝日」2014、監督:石井裕也、出演:妻夫木聡、亀梨和也、上地雄輔、佐藤浩市、石田えり、鶴見慎吾、高畑充希、宮崎あおい、バンクーバーの日系人たちのチームは、カナダチームに比べ体力差が大きく、当初はまったく勝てなかったが、徐々に日本人の俊敏さを活かしてバントや盗塁を多用し勝利を重ねるようになる。戦前に入植し差別の中で苦闘する日系人を描くストーリーが、かつてどこかで見たようなありきたりのエピソードばかりだったので、彼らの苦労や喜怒哀楽に共感できなかった。同じ史実を扱った映画「Kano」では甲子園での試合に迫力があり、劇中の応援団といっしょにチームの勝利を応援できたが、「バンクーバー・・」はクライマックスの試合にドラマ性がなく、ワクワクさせてもらえなかった。題材はいいのだから脚本次第で感動の映画にできたのにと思うと残念である。バンクーバーでもロケをしたというが、主要な場面はセットばかりで、バンクーバーの雄大な風景がほとんど活かされていなかったのも残念だった。★★☆☆☆

「バンクーバーの朝日」のポスターは公式サイトより、他はIMDbより


大学・中庸

2015-04-26 15:04:28 | 中国

NHK大河『花燃ゆ』の評判は芳しくなく視聴率は10%を切っているらしい。私は視聴率とは関係なく視聴を楽しんでいる。史実にもとづく幕末を背景に、若い志士たちの性格を踏まえ、身近で生身の人間を描く脚本は野心的でレベルは高いと思う。ただ、ドラマの中心にある松陰の妹・文の心情に、私はまったく関心がないので、ドラマとして面白いかどうかは別の話ではある。

安政5年(1858)、幕府は日米通商条約を一方的に結び、松陰はこれを激しく批判し討幕を唱え始める。再び野山獄に幽閉された松陰は、文天祥同様、獄中で国を憂い浩然の気を養っていたが、幕府の弾圧は厳しく、安政6年(1859)に江戸送りになる。江戸に発つ前日、松陰は野山獄から自宅に戻り、弟子たちを前に最後の講義をする。

至誠にして動かざる者は、未だこれ非ざるなり

弟子たちと唱和し、野山獄で高須久子が松陰に贈る手拭いに縫い付けたこのことばは「孟子」で、その意味は”誠を尽くして心を動かさないものはいない”である。ところが、今日の『花燃ゆ』で松陰は至誠をもって井伊直弼の説得を試みるが、井伊の心は動かず松陰は斬首され小塚原回向院に埋葬される。松陰、享年30歳、いわゆる安政の大獄である。

松陰の行動規範は、当時の若者たちが学んでいた儒学、朱子学、陽明学、国学にある。萩の明倫館、松下村塾、野山獄の塾生たちは四書(論語、大学、中庸、孟子)と五経(詩経、易経、礼記、書経、春秋)をはじめいろいろな書物を勉強している。それら儒家の書に加え、兵学書、医学書、さらには禁書だった林子平の『海国兵談』なども読んでいる。森鴎外著『渋江抽斎』の抽斎は松陰らと同じ幕末から明治の知識人で、五経に楽経を加えた六経を読んだうえで、論語と老子の二書を守って修養すれば十分だと言っている。

『花燃ゆ』の志士たちに刺激を受けて金谷治訳『大学・中庸』を読んでいる。

『大学』『中庸』は『礼記』49編のなかにあり、その第31篇として伝えられてきた。『大学』は孟子より古く、孔子の弟子の子思子が書いたとされるが、その内容からは孟子よりあとの漢の時代の成立であろうとされている。『中庸』は孔子の孫である子思(BC483-402)の作だという言い伝えがあると『史記』の孔子世家に書かれている。しかし、本中の語句からは『大学』同様、漢代のものとするのが妥当であるとする。金谷は、中庸前半は史記の記すとおり子思の作で、後半の誠は後年付け加えられたのだろうと推測している。たくさんある儒家の書物の中より、大学・中庸を重要視したのは1200年頃の朱子で、自分が解釈した『大学章句』と『中庸章句』を書いた。

大学 

儒教は自己の修養を求める道徳と人を治める政治を中心とする思想(修己治人)であり、6章からなる『大学』はそれを組織的に簡潔に表現した書物である。大学教育、すなわち大人の最後の総仕上げ教育の目的は、個人の修養を国の政治に連続的に結び付けることである。それは、格物致知から始まり、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下へと進む。格物致知とは、知識を極めるなら物事の理(ことわり)を極めつくすべきだということである。正しい知識を身に着けたなら、意を誠にする。意を誠にするとは、”小人閑居して不善を成す。至らざるところなし”(朱子)なので、悪を戒め誠実になれということである。次に、心を正しくし、身を修める。心を正しくするとは、怒りや恐れや好楽を去り心を平穏にするということである。正心がなって身を修めることができる。身が修まったなら家が平らかになり、家が平らかなら国が治まり、天下は平定される。このように朱子は『大学』の注釈書である『大学章句』を表し修身の根本として致知格物を特に重視する。

中庸

中庸ということばは、極端に走らず中ほどをとることであり、『論語』の中で、”中庸の徳たるやそれ到れるかな”と孔子が讃嘆する。中庸は、アリストテレスの「メソテス」やブッダの「中道」に通じる。書物である『中庸』は、その中庸の徳を解説するだけでなく、後半では中庸の完成の基になる”誠”が重視される。

”天の命ずるをこれ性という” が『中庸』冒頭のことばである。人間の本性は天が命じるもので、本性のままに従っていくのが道である。道を踏み外さないようにするのが教育である。喜怒哀楽が動き出す前の平静な状態を、”中”という。感情の乱れがなく調和がとれていることを”和”という。”中”と”和”を実行すればあらゆるものが健全になる、中と和、すなわち中庸は最高の徳であると孔子は言う。『中庸』の後半、誠が中庸の実践に重要だと繰り返し述べられる。誠は大学にある誠意のことで、孟子の性善説に基づく人間の徳であり、松陰たちが唱和した至誠の誠である。天命の本性=誠であると解釈される。天が命じる人間の本性こそが善にもとづく誠意であるという天命の誠を説くのが本書『中庸』本来の目的であるが、書名を『中庸』としたところに含意があると金谷は解説する。

朱子は『中庸章句』の中で孔子、顔回(顔淵)、曾参、子思、孟子と連なる正当性を主張する。

孔子の”七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)をこえず。”という境地が大学と中庸の目指すところで、私もそうありたいと思っているが、それは平時の個人目標である。松陰は世を憂え信条を曲げずに30歳で刑死した。平天下という目的は同じでも、中庸とは程遠い炎のような志は、70歳の老人の言葉とははるか遠いところにあった。孔子もブッダもアリストテレスも、心の平安を追求したが、平時ならいざしらず、乱世において中庸で人が動き世の中を変えられるのだろうかと思うのである。


多謝

2015-04-18 11:51:57 | 中国

 

上の竹簡を同僚から還暦祝いにもらった。多謝多謝。諸葛亮孔明の子を戒める書、すなわち子への遺訓である。読み下し文は以下のとおり。

夫れ君子の行は、を以って身を修め、倹(けん=つつましい)を以って徳を養う
澹泊(たんぱく=無欲)に非ずんば以って志を明らかにする無し
(ねいせい=穏やか)に非ずんば以って遠きを致(きわ)むる無し
夫れ学は須(すべから)くなるべきなり、才は須く学ぶべきなり
学に非ずんば以って才を廣むるなし、に非ずんば以って学を成すなし
慆慢(とうまん=怠惰)なれば則ち精を研く能わず
険躁(けんそう=心がとげとげしい)なれば則ち性を治むる能わず
年、時と興(とも)に馳せ、意、日と興に去り、遂に枯落を成す
多く世に接せず、窮蘆(きゅうろ=)を悲しみ守るも、将復(はたまた)何ぞ及ばん 

平静に修養しなさい。無欲でなければ志を実現できない。穏やかでなければ道の達成は遠い。学問は静から才能は学ぶことで磨かれる。学問が成らなければ才能は発揮できない。平静でなければ学問は成らない。怠惰なら精進できないし心がとげとげしければ性格を制御できない。年をとるのは早く、日々意志はなくなり老いぼれる。世間と接触せず、貧乏暮らしを悲嘆しても取り返しがつかない。

”静”が4回出てくる。孔明は、若いうちから冷静に怠けず修養し学問をしろと子を諭す。”少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず”(朱子)である。学問が成らなければ才能を発揮できない。1度目の人生は”将復何及”となってしまったが、2度目の人生への戒めとしたい。再次多謝。


写楽北斎説

2015-04-12 17:54:16 | 江戸

田中英道の『写楽は北斎である』を読み、梅原猛の『水底の歌ー柿本人麻呂論』を読んだ時以来の衝撃を受けた。写楽は齋藤十郎兵衛で決まりと思いながらも「素人にあのようなリアルな絵が描けるだろうか」というささやかな疑問が自分の中でくすぶりつづけていた。この美術史家は、実はそこが最も重要なポイントだとして、美術の様式論より写楽の絵を分析し、写楽は北斎以外の何者でもないと断定する。写楽の絵は天才でないと描けない。そして写楽が活躍した寛政6,7年(1794、1795年)当時、天才と呼べる浮世絵師は北斎と歌麿の二人であり、様式論から歌麿ではなく北斎であったと断定する。

田中の写楽北斎説の根拠は以下のとおりである。

  • 写楽の浮世絵は、役者絵を長く描いてきたかなりの腕前の絵師によるもので、素人が手すさびで描けるものではない
  • 勝川春朗(北斎35歳までの名)は写楽が現れる寛政6年まで15年もの間役者絵を描いていた
  • 春朗は勝川派を寛政6年に離れ、あるいは破門され、写楽が活動中の寛政6年から7年は作品がなく空白期となっている
  • 春朗の作品の中に写楽に通じる画風が認められる。あるいは写楽の役者の構図が春朗と同じものが数多く存在する
  • 春朗であれだけ役者絵を描いていたのが後年の北斎でまったく見られなくなった。春朗と北斎の間に写楽が位置し、天才的な役者絵を世に出すが、その絵は「あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきなせしゆえ、長く世に行ハれずして一両年にて止めたり」と世間的には不評であった。写楽後に北斎が名乗った俵屋宗理と可候では役者絵をやめ、写楽が描かなかった美人画を描き始める。写楽で役者絵はし尽したと考えたのか、あるいは世間の不評によるものか北斎は役者絵のジャンルを捨てる。
  • 写楽の役者絵に後年の北斎の絵に通ずる絵が認められる。特に、数少ない写楽の武者絵と北斎の武者絵は同一人物としか思えない
  • 写楽絵のなかに時に漫画的な人物が登場するが、後の北斎漫画に通ずる
  • 写楽の人物デフォルメは北斎の風景デフォルメに通ずる
  • 写楽の役者絵を出版した蔦谷重三郎と北斎には春朗時代から深いつながりがある
  • 写楽と北斎が同一人物であることを示す史料『風山浮世絵類考』1821年がある。ここでは、写楽を二代目北斎と書き、「歌舞伎役者の似顔絵を写せしが、あまりに真をーーー」に続き、「隅田川両岸一覧の作者にて、やげん堀不動前通りに住す」と書いている。別に、同じ1821年の史料『坂田文庫本浮世絵類考』でも写楽は、「俗名金次薬研堀不動前通り、隅田川両岸一覧の筆者である」と書かれている。隅田川両岸一覧は1806年ころに作成された北斎の傑作である
  • 写楽の『大童山土俵入り』の版木の裏に北斎の狂歌絵本『東遊』が彫られている。北斎が写楽を捨てたことがわかる

田中英道はこの本の中で写楽作品の1点1点を、北斎が勝川春朗と名乗っていた写楽以前の作品および、以降の宗理、可候や北斎時代の作品と細かく比較する。そのため、解説に合わせて絵を逐一確認しながら読まなければならなかったので時間がかかった。田中は写楽作品全145点について感想を書いているが、特に田中が類似点があるとする絵の中から代表的な作品を、まずは写楽前の春朗と写楽を以下に比較する。

 

写楽『三代目市川高麗蔵の弥陀次郎、実は相模次郎』(寛政6年、1794年11月)と春朗『市川蝦蔵の山賊、実は文覚上人』(寛政3年、1791年11月)、写楽と春朗の『恵比寿』 (当ページの絵はいずれも田中英道『写楽は北斎である』から転載した)

北斎の若いころ春朗時代の研究は少ないという。春朗は20歳から15年間勝川派に属しずっと役者絵を描いていたが、その絵は勝川派特有の類型的で単調な絵が多く、北斎としての才能はまだ開花していないとされてきた。上の絵は他の多くの単調な絵の中では、後の写楽画を彷彿とさせるものである。しかし、20歳から35歳という年齢は人生の中でもっとも才能が開花する時代のはずで、天才北斎がそんなに長い間ずっと凡庸であったはずはないのである。春朗は寛政6年36歳の時、勝川派を離れ(破門されたという説もある)、ぷっつりと役者絵をやめる。入れ替わるように写楽が現れ、蔦屋から役者絵を出版し始める。そしてわずか10か月間に145点の作品を発表し、忽然と姿を消す。春朗が勝川派の中でくすぶらせていた才能を写楽と言う名のもとで突如開花させたのである。春朗は写楽が終わった寛政7年から俵屋宗理(そうり)、可候(かこう)と名を変え、寛政11年には北斎と名乗っている。後の北斎漫画に見られるように北斎の人物描写は多彩なのだが、北斎の描く人物画は類型的である。北斎ほどの天才が人物画を極めなかったはずはないというのが田中英道が写楽北斎説を探究するきっかけだった。

以下に、写楽と写楽後の北斎を比較する。

写楽『紅葉狩』の平惟茂(これもち)と北斎の孔子、鼻、ひげ、太い眉の描き方と炯炯たる眼光が似ている。偶然か、着物の紋が丸に鶴と同じである。

写楽『曽我五郎と御所五郎丸』と北斎『水滸画伝』、脚や腕の筋肉やすね毛、横顔の描き方が極似している。

写楽『紅葉狩』と北斎『和漢、絵本魁』天保7年(1836年)、鬼の描き方が同じである。

歌舞伎の役者と舞台の場面を切り取った役者絵を後年の北斎の絵の中にみることはない。北斎は役者絵を残さず、人物画は絵本の挿絵などが中心になるからだ。ところが、上の武者絵や鬼など数少ない役者絵以外の人物画の中に、写楽が北斎とつながる表現が認められる。 北斎説は以前、由良哲次(1968)や横山隆一(1956)が提唱したが、春朗が写楽の活躍した時期に作品を出していたとして活動時期が一致しないことなどから反論されていた。それについては田中が春朗作品の年代比定が間違っていると再反論している。

基本的に写楽であるためには、(1)浮世絵師であり作品に類似性があること、(2)寛政6,7年に歌舞伎三座を見ることができること、(3)蔦屋重三郎と関係があることなどが必要である。特に(1)の残された作品と比較できることが写楽であることを証明する絶対条件であり、他の多くの条件は状況証拠にしかならないというのが田中英道の見解である。そういう意味で、北斎以外の説は、齋藤十郎兵衛説を含め絶対条件を満足していないとする。田中は他説を以下のように批判し排除する。

齋藤十郎兵衛説 

十郎兵衛が絵画に関わったという史料と作品がまったく存在しない。写楽絵のなかに能に関係する表現も見当たらない。故坂東三津五郎は、「写楽絵は歌舞伎の細部まで知っていなければ描けない」と述べたという。能役者のにわか作家では描けないというのだ。「写楽、天明寛政年中の人、俗称齋藤十郎兵衛、阿波侯の能役者也」と斎藤月岑が記した『増補浮世絵類考』は写楽から50年もあとの史料で、その信憑性を証明する他の史料が存在しない。写楽の名が最初に現れるのは大田南畝の『浮世絵考証』で、そこに「写楽、これまた歌舞伎役者の似顔をうつせしが、あまりに真を画かんとて、あらぬさまにかきしかバ、長く世に行われず、一両年にて止ム」とある。大田南畝は写楽や北斎と同時代の人であり、蔦屋重三郎の顧問格で、当然写楽の正体を知っていたはずであるが、名前のあとに書かれるべき生没年、住所、俗称などがない。南畝の考証には、宗理や春朗の名もあるが、写楽と同じように、北斎との関係が述べられていない。これは知らなかったのではなく、正体を隠すことを了解していたことを示唆している。なぜなら当時は松平定信の寛政の改革真っ最中で文化面でも華美が禁止され、山東京伝は手鎖50日の刑を受け、蔦谷重三郎も財産を半分没収という刑を受けているように、万一の場合、写楽の正体がばれないようにしたのではないかというのだ。蔦屋重三郎と深い関係にあった山東京伝は『浮世絵考証』に追記し『浮世絵類考追考』を書いたが、写楽についても北斎についても追記や修正をしていない。

豊国説 

特に梅原の豊国説に対しては、写楽のあとにも関わらず豊国の画力が写楽に遠く及ばないことを指摘し批判する。形が似ていても質が全く違うのである。「北斎のデフォルメされた風景画の起源を考えてゆくとき、私は写楽絵に到着せざるをえなかった。なぜなら、北斎が風景をデフォルメして描いたように、写楽は人物をデフォルメして描いたからである。」という梅原のことばを取り上げ、「こういうなら、なぜ北斎が写楽ではないか、という説に梅原氏が行き着かなかったのだろうか」と田中は梅原の結論を不可解に感じている。

歌麿説

北斎と並ぶ天才の歌麿については、寛政6,7年に写楽と同じ役者を題材に役者絵を描いているが、その筆致はまったく異なっている。歌麿の役者図を描く線は、「おおらかでふくらみがあるが、決して強く緊張感のある写楽の線ではないのである。」と田中は言う。また、歌麿自身、自分の絵は、「わるくせをにせたる似つら絵にはあらず」、美しい舞台を「かはゆらし風情とを画きて、誠に江戸役者の美なるをとつうらうらまでしらせまほしく」と述べているのである。すなわち、写楽の絵のような「わるくせをにせたる似つら絵」(リアルな絵)ではなく、自分は「かはゆらしき風情」(美人画)を描くのだと、本質的に画風が違うことを強調し、写楽でないことを自ずから証明している。 

その他の説

基本的に推理小説の域をでない。 

ということで、臆面もなく齋藤十郎兵衛説から、北斎説に宗旨替えを宣言させていただく。他の絵師の浮世絵と見比べながら写楽と北斎の非凡さを再認識できた。


The Imitation Game

2015-04-06 08:57:59 | 映画

3月に観た機中映画は親子の絆を描いたものが2編と天才を扱ったものが2編で、いずれも平均点以上、優劣を付け難かった。不本意だがすべて星3つとした。ポスターはIMDbより。

「Interstellar」2014、監督:クリストファー・ノーラン、出演:マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・アーウィン、マット・デイモン、マイケル・ケイン、異常気象のために地球は滅亡の危機にある。移住可能な惑星探査に出た主人公は、時空間のゆがみに入りこみ、過去の自宅にいる過去の娘に救出を依頼する。かつて娘といっしょに娘の部屋で見た規則的に本が本棚から落ち、床の砂が幾何学模様に配列される超常現象は、実は未来の自分がつくったものだったのだ。時空を超えた親子の絆が地球を救う。今年のアカデミー賞では美術賞、作曲賞、音響編集賞、録音賞でノミネートされ、視覚効果賞でオスカーを獲得し、前評判も良かったので期待して観たが、地球を救う重大なミッションが個人の能力、感傷、偶然に大きく依存するストーリーに若干の違和感を持った。でも結局、科学的で合理的に計画されたミッションであっても、想定外の事象の発生は避けられず、現場の人間の対応能力に依存するのだろう。主人公が宇宙船の船長に選ばれた理由もそこにあったし、アポロ13号事故への宇宙飛行士たちの処置もそうだった。親子の絆では、ジョディー・フォスターが死んだ父親に会う「コンタクト」と過去と未来がつながる「オーロラの彼方へ」を思い出していた。★★★☆☆

「イミテーションゲーム」2014、監督:モルテン・ティルドム、出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイ、マシュー・グッド、第2次世界大戦中、ドイツ軍の暗号エニグマを解読した天才数学者アラン・チューリンの実話。アラン・チューリンは暗号解読チームの一員となり解読作業を始めるが、彼の人間嫌いと同性愛の性向はチームの中で浮いてしまい、解読ははかどらず何度となく解雇やチーム解散の危機に陥る。そんなとき解読チームで雇った女性のジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)の機転とユーモアに救われる。アランはコンピューターの前身となる機械をつくり不可能と言われた暗号を解読する。しかし、解読に成功したことが知られるとドイツが暗号を変更するだろうから、ドイツ軍の攻撃が事前にわかっても警告を出さないこともあった。それでも、ノルマンディー上陸作戦など要所要所で暗号解読は活かされ戦争終結に貢献したのである。カンバーバッチはシャーロックの変人ぶりとはまた違う変人を熱演好演し、本作は今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞など主要9部門にノミネートされた。結局オスカーは脚色賞のみだった。映画には、クラークという女性を登場させたことでアラン・チューリンの同性愛者としての人物像が正確に描かれなくなったという批判があるらしい。しかし、クラークによってアラン・チューリンの愛すべき人間性があぶりだされていたので、彼女がいなければ味気ない映画になっていただろうと思う。そもそも映画はドキュメンタリーではなくエンターテインメントなのだからクラークの出てくる脚本で正解だと思う。同じ天才数学者と暗号解読を扱った「ビューティフルマインド」の方はもっと意外性があった。歴史はひとりの天才で動くことがあらためてわかったし、天才は孤独だということもわかった。★★★☆☆

「Whiplash」2014、監督:ダミアン・チャゼル、出演:マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、高校の楽団の指導者フレッチャーは、天才演奏者を発掘するために劇団員を支配し理不尽なほどの厳しい指導をしていた。新入団のドラマーのアンドリューは偉大なドラマーになる野心があり、厳しい練習を受け入れ、練習時間を惜しみ恋人とも別れる。しかし、大事な演奏会に遅刻し、けがもしていて演奏を失敗してしまい楽団を追われるように辞めてしまう。後日、以前の教え子が厳しい指導のため自殺したことから高校の指導者を解雇されたフレッチャーと偶然出会ったアンドリューは、フレッチャーの指揮する楽団で演奏することになる。演奏会でアンドリューは、フレッチャーの指揮に従わず、自分の演奏で劇団を支配し天才性を発揮する。フレッチャーは最初からアンドリューの才能を認めていたと語る。スポ根ドラマの音楽版である。異才の人はまともに恋人もつくれないのだ。★★★☆☆

「The Judge」2014、監督:デイビッド・ドブキン、出演:ロバート・ダウニー・Jr、ロバート・デュバル、優秀な弁護士ヘンリー(ロバート・ダウニー・Jr)の父親(ロバート・デュバル)は田舎の判事を何十年も務めてきた。判事に、かつて有罪にした男をひき逃げしたという嫌疑がかかり、ヘンリーが父親の弁護を引き受けることになる。ヘンリーは、ひき逃げ時に父親が心神喪失状態だったことから、それを理由に有罪を回避しようとする。しかし父親は、心神喪失だったとしたら、そのとき判事として自分が担当していた事件の判断に疑念が生じ社会秩序が揺らぐことを懸念し、息子の法廷対策を認めず、結局有罪判決を受け入れる。ロバート・ダウニー・Jrは父親に対しコンプレックスを持つ息子を好演していた。★★★☆☆