備忘録として

タイトルのまま

Hindu Wedding

2017-06-28 23:28:32 | 東南アジア

 先週の土曜日6月24日、知り合いのインド人の娘さんの結婚式レセプションに招待された。会場はシンガポールで有名なヒンズー教寺院”Sri Thendayuthapani Temple" 略して"ST Temple”で、夕方7時に行くと寺は点灯されていた。この寺が有名なのは、信者が体に針を刺して街を練り歩くタイプーサム(Thai Pusam)の終点になるからだ。タイプーサムはテレビのニュースでは見ても、実物は痛々しくて見たことはない。寺のweb-siteによると、シンガポールで最も古いヒンズー寺院のひとつで1859年創建とある。

 新婦はシンガポール大学土木学科を今年6月トップクラス(Honour)で卒業したばかりで、新郎はカナダのトロントで育ちアメリカのミシガンで仕事をしている。親が決めた結婚で、二人は会ったこともないまま結婚している。親が決める結婚はインドでは普通だということだ。双方ともインドのチェンナイ出身で、式はそのチェンナイの寺院で挙げたという。レセプションすなわち披露宴の次第は、下の写真のように新郎新婦が舞台に立ち、招待客が順番に舞台に上がり二人を祝福する。そのとき、中国正月などで使うアンパオ(お年玉袋)に入れたご祝儀を新婦関係者なら新婦に渡し、それを脇に控えた兄弟か親戚が預かる。それから招待客は新郎新婦と並んで写真を撮る。このとき両親は招待客を寺院の前で出迎えているので舞台にはいない。舞台の新郎新婦は仲睦まじく、到底、知りあって日の浅い夫婦には見えなかった。

 招待客のほとんどがインド人で女性は色鮮やかな民族衣装のサリーで着飾っている。インド人でないのは、妻と私以外では若い中国人女性が数人だけだった。おそらく新婦の大学の友人だと思われる。招待客は数百人はいただろうから、この祝福の儀式に一時間以上はかかる。そのため、舞台のある2階で祝福を終えた招待客は三々五々、1階に設けられたテーブルで料理を御馳走になる。振舞われる料理は、写真のようなバナナリーフの盛るカレー中心のベジタリアン料理で、セルフサービスのビュッフェスタイルである。カレーは少し辛いが美味であった。

下は、引き出物の置物。


沈黙

2017-06-04 13:55:01 | 中世

 遠藤周作原作をマーティン・スコセッシが映画化した。江戸初期、幕府によるキリスト教弾圧下で布教するイエズス会宣教師の実話をもとにしている。原作は読んでない。写真はIMDbより。

 イエズス会の若い宣教師ロドリゲスとガルぺは、自分たちを指導した宣教師フェレイラが日本での布教中に棄教したという噂を聞く。その真偽を確かめるため、ふたりはキリスト教弾圧下の長崎に上陸する。そこには、幕府の弾圧から逃れ信仰を貫く隠れキリシタンがいた。拷問を受けながらも信仰のために死んでいく人々を目にし、ロドリゲスはキリストの絵を踏めと教え、ガルぺは信仰を貫くべきだと主張する。別々の場所で布教を続けるがやがて二人とも捕らわれの身となる。ロドリゲスの目の前で、簀巻きにされたまま海に投げ込まれる信者たちを必死で助けようとしガルぺはおぼれ死ぬ。幕府の責任者である井上は、ロドリゲスが棄教すれば拷問を受けている村人たちを助けてやると持ち掛ける。拷問を受け死んでいく村人を前にロドリゲスは神に祈るが神は何も教えてはくれなかった。どうすればいいかわからず苦悶するロドリゲスの前に、棄教し仏教徒の沢野忠庵として幕府の為に働くフェレイラが現れ棄教を勧める。葛藤の後、ロドリゲスは棄教し、幕府の監視下で日本人妻を娶り仏教徒岡本三右衛門として江戸で生涯を全うする。火葬されるロドリゲスの手には十字架が握られていた。

 信仰に殉じ命を落とすガルぺと、棄教するロドリゲスが対照的に描かれる。殉教と棄教と結果はまったく異なるが、信仰を貫こうとする崇高な意志に違いはなかった。カソリックは自殺を禁じているため、ロドリゲスは自死によって自責の苦しみから逃れることはできなかった。二人の関係は、小説『李陵』で中島敦が描く、李陵と蘓武の関係に似ている。匈奴に捕えられた李陵は心の中ではいずれ匈奴から逃れ漢のために働くことを決意し、一次的に匈奴に恭順したように見せかけ匈奴の妻をめとり匈奴のために働く。一方、同じく捕えられた蘓武は匈奴の説得に応じず、荒野に人知れず打ち捨てられながらも漢への忠誠を貫きとおしている。李陵がいかに「やむを得なかった」としても、蘓武の生き様はそれを許さない。蘓武の存在はずっと李陵を苦しめる。

 今まで、悩んだとき道に迷ったとき宗教は答えを用意してくれると思っていた。ところが生死を賭けるほどの信仰心が試されるとき、神は何も語り掛けてはくれない。結局、無宗教の人間と同じように自分で決めるしかない。黒田官兵衛は秀吉の禁教令下で棄教するが、秀吉の死後行った自身の葬式はキリスト教式だった。棄教はうわべだけだったのである。映画のロドリゲスも同じだった。やむ負えず棄教した人間は死後救済されるのだろうか。映画のキチジローはキリスト教を信じてはいるが自分の身が危うくなれば躊躇なく背教する。仲間さえ密告し裏切る弱い人間だとロドリゲスに告白し、ロドリゲスは躊躇しながらも彼に神の祝福を与える。浄土真宗なら悪人が救済されることははっきりしている。キリスト教も死後の救済があるのだろうか。高山右近は信仰を貫き追放されマニラで没し、死後400年にして福者になった。後世の評価として背教者と福者には天地ほどの差があるが、その烙印は神の意志なのだろうか。神の前で信仰心の厚い薄いが試されるのだろうか。

 ザビエル来日から禁教までのキリスト教関係史を理解するため略年表を記す。

  • 1549 ザビエル来日
  • 1580 フロイスが織田信長に拝謁
  • 1587 細川ガラシャ入信、秀吉禁教令のため高山右近は領地を没収される
  • 1596 サン・フェリペ号事件
  • 1597 二十六聖人の殉教(カソリック信者が長崎で磔の刑に処せられる)
  • 1604 黒田官兵衛死去しキリスト教式葬式を行う
  • 1613 支倉常長が仙台を発つ
  • 1614 徳川禁教令
  • 1615 高山右近マニラで死去、支倉常長がローマで法王に謁見
  • 1616 鎖国令
  • 1620 支倉常長が仙台に戻る
  • 1633 拷問の末フェレイラ棄教
  • 1637 島原の乱
  • 1643 拷問の末ジュゼッペ・キアラ(映画のロドリゲスのモデル)棄教
  • 1685 ジュゼッペ・キアラ(岡本三右衛門)火葬

 『Silence 邦題:沈黙』2016、原作:遠藤周作、監督:マーティン・スコセッシ、出演:アンドリュー・ガーフィールド(ロドリゲス)、アダム・ドライバー(ガルぺ)、リーアム・ニースン(フェレイラ)、イッセー尾形(井上様)、浅野忠信(通訳)、窪塚洋介(キチジロー)、塚本信也(モキチ) ★★★★★