備忘録として

タイトルのまま

尾道

2010-10-10 14:11:26 | 広島
  

 NHKの「げげげの女房」は面白かった。10月から始まった「てっぱん」は主人公のあかりが実は養子だったという設定に、以前「瞳」や「つばさ」の訳あり家族に相当裏切られていたので、ほとんど期待せずに見始めた。「ウェルかめ」も徳島人でなければ早々と見放していたと思う。トランペットを拾いに海に飛び込んだり富司純子のがんこぶりなど話に無理がありすぎるので、やっぱりはずれかと思い始めたところ、なんと今週は3回も泣かされてしまった。昨日は進水式での親父の話でボロボロになった。上の写真は一昨年の秋に千光寺から撮ったもので尾道大橋が見える。広島在住中、千光寺には何度も行った。大林宣彦の「時をかける少女」、「転校生」、「さびしんぼう」の尾道三部作などの影響もあって尾道には愛着がある。特に「時をかける少女」はシンガポールにいたときビデオを借りて繰り返し観た。「てっぱん」のあかりが駆けあがる寺の階段は「時を~」の原田知世が駆け降りた階段かもとか、「転校生」の二人が転げ落ちた階段かもとか思いながら観ている。あかりがいつも乗るフェリーは、「さびしんぼう」の富田靖子が乗ったフェリーに違いないと思いながら観ている。尾美としのりが「てっぱん」に出ているのもうれしい。
 
 時をかける少女は筒井康隆の同名SF小説で、中学のときNHKが「タイムトラベラー」という題でドラマ化した。主人公の芳山和子役の島田淳子はこのドラマで瞬く間にぼくらのアイドルになったが、NHKはあさはかにも原作にない「続タイムトラベラー」をつくり奇妙な未来人を出したので、ぼくらの島田淳子熱は一気に冷めたのである。そのノスタルジーの所為で「時をかける少女」を見たことを手始めに大林映画に入っていった。大林作品では香川県の高校生の青春を描いた「青春デンデケデン」が最も好きである。大林映画常連の岸部一徳や根岸季衣も味があっていい。

 1990年頃の尾道大橋は奥の旧橋しかなくて、しまなみ海道の一環として手前の新橋が計画された。そのころ地味な基礎調査に携わった。基礎が橋を支えているのだ。ラグビーのトライは何人もがパスを繋いだ結果だからトライしてもはしゃぐなと、高校時代ラグビー部監督の鬼のKに教わった。昨日の「てっぱん」で兄ちゃんが造船所の船を指さし、”親父の作ったてっぱんは見えないけれど、それがなければ船は動かない。社会を支えているのは親父のような人間がほとんどだ。”と弟に諭していた。ノーベル賞受賞者はたまたま脚光をあびたが、日の目をみないが、社会を縁の下から支える大事な研究、技術、仕事をしている人のほうが多いのである。理系ばなれも話題になったけど、理系の職業に関わらずどんな職業であっても地道に一生懸命働く人が報われる社会という根本が解決しないと理系離れは止められないと思う。と社会批判をしながら、親が典型的理系人間なのに子供3人全員文系では説得力はないわな。

宮島その2  空海の消えずの火

2010-04-17 18:22:34 | 広島
 写真は、2009年6月に友人と行ったときに撮影した鳥居である。鳥居は800年前に建てられ、今の鳥居は8代目で1875年に建ったというから、1884年の日清戦争直前に撮影したボンティングの鳥居と同じ鳥居ということになる。確かに形は同じように見える。

 その時登った弥山(みせん)の山頂近くに、空海の点けたという”消えずの火”があった。

 この火を納めている霊火堂が所属する大聖院のホームページの説明では、”806年に弘法大師がここで100日間の求聞持の修行を行なって以来、1190余年も消えることなく燃え続けており、広島平和記念公園の「ともしびの火」のもと火にもなっている貴重なものです。”とある。

 手元にある梅原猛著「最澄と空海」によると、”空海、闕期(けつご)の罪死して余ありといえども、窃(ひそか)に喜ぶ、難得の法生きて請来せることを。一懼一喜(いっくいっき)の至りに任(た)えず”と空海は、20年の留学期間を2年で切り上げ帰国した罪は死に価する、けれども得難い法を日本に持たらしたことはたいへん嬉しいことだと言っている。当初の留学予定に背いたため朝廷からは九州の太宰府・観世音寺でしばらく待つようにという命が下されている。
 だから、空海は806年10月の帰国後2年ほどは大宰府の観世音寺に止まっており、いわゆる蟄居状態だったはずなので広島まで来て修業するような状況にはなかったと思う。結局、京都に入れるのは809年のことだったらしい。

 弥山(みせん)という山名は須弥山(しゅみせん)に山容が似ていることから名付けられたという。古代インド(仏教やバラモン教)世界観で須弥山は世界の中央に聳える山で帝釈天が住んでいる。

 ボンティングは、
”海抜千八百フィートの最高峰に寺が建っているが、その寺で弘法大師が千年以上前に灯した聖火が燃えている。昔のローマで、女神ヴェスタの祭壇で不断の聖火が燃えていたように、この聖火は消えたことがない。”と書いている。
 女神ヴェスタは、英語版Wikiを転載すると、
”Vesta was the virgin goddess of the hearth, home, and family in Roman religion. Vesta's presence was symbolized by the sacred fire that burned at her hearth and temples.”(hearth=かまど)
 女神ヴェスタの聖なる火はトロイからもたらされ、ローマのヴェスタ神殿で燃え続けていたが、394年にローマ皇帝の命により火は消されたという。ボンティングの頃にヴェスタ神殿の聖なる火はすでに消えていたので、ボンティングは、”昔のローマで”とことわっている。ボンティングが空海の火を、ローマ神話の不断の聖火と比較して読者に伝えようとしていることから、英国人にとってもローマ神話やギリシャ神話は基本的教養のひとつだったということがわかる。

宮島

2010-04-02 21:31:28 | 広島
 宮島には何度も行ったので改まって書くことがなかったのだが、いざ広島を離れるといろいろな思い出が浮かんできた。写真は亀戸天神の写真を撮ったポンティングの撮影した明治時代の宮島の鳥居である。ポンティングは宮島の社殿に掛けられた多くのしゃもじを見て、宮島で日清戦争(1894年)への出陣を待つ兵隊の一人が幸運を願ってしゃもじを神社の壁に掛けたことに始まったと書いている。そういえば昨年末放映された「坂の上の雲」で東郷平八郎(渡哲也)と秋山真之(本木雅弘)が宮島で会う場面で、鳥居の沖合に大きな軍艦が数艘投錨していた。その時二人は清国の軍艦に乗り込んだので、しゃもじの話とまさに同じ頃、日清戦争前のことである。
 ポンティングによると6月17日の例祭に大勢の参拝者の乗った舟が鳥居を通ろうと列を作ると記している。干潮時には鳥居近辺まで干上がるので鳥居を通るのは満潮時ということである。6月17日(旧暦)の例祭とは管絃祭(かんげんさい)のことで、 公式ホームページによると、
”平清盛が都の「管絃の遊び」を模し、神様を慰める神事として執り行われたのが始まり。午後4時からの厳島神社本殿での発輦祭の後、御鳳輦を御座船に移し、管絃を演奏しながら対岸の地御前神社に向かいます。地御前神社からの御迎船を水先に地御前神社前の海上で祭典と管絃を奉納。続いて御座船は宮島に戻り、長浜神社と大元神社で順次祭典を行います。夜の大野瀬戸に浮かぶ五彩の幔幕や提灯で飾られた御座船。雅な平安絵巻は、深夜まで続きます。”
とある。

 安野光雅が描く下の宮島は、おそらくこの祭りだと思う。

この絵葉書は津和野の安野光雅美術館で買った。

平清盛から100年余り後、「とはずがたり」の二条も宮島に立ち寄っている。彼女は鞆の浦や三次にも立ち寄っているが行程に無理があり、実際には行ってなくて虚構があるとする学者もいる。

 宮島の個人的な思い出は、徳島の父が手にパイナップルを持っていて鹿に襲われたこと、牡蠣うどんという珍しいうどんがあること、牡蠣の炭火焼きが美味であること、渡しのフェリーをJRが運航していること、街から宮島まで市電で行けるけど時間がかかり過ぎるのでJRで行くべきだということ、フェリー乗り場前の有名あなご丼屋はいつ行っても1時間待ちなので断念し、ある時隣のあなご丼屋に入ったところがらがらだったこと、鳥居を通して遥か向こうに新興宗教の異様な建物が見えることなどである。有名なもみじの頃に行ったことはないし、夏の花火大会も見たことがない。弥山には2度ほどロープウェイで上ったがその話は次回に。

散歩

2010-03-21 21:53:58 | 広島
 散歩路にピカドンの碑があるのは世界中で広島か長崎しかない。

 他所で見たことはないのだが、市内の至る所に同じような碑が建っているのだろう。広島の原爆は、原爆ドームや平和記念公園や原爆資料館だけでなく、このような草の根的な活動もあるということに気付かされる。

 こちらは散歩中、太田川沿いの小路で激写した大ネズミ。慌てて携帯を向けて撮影したが、すぐにその先の草むらに消えた。

散歩中に見つけた巨大な鯉の話は以前報告したが、広島には巨大ネズミもいるのだ。体長30cmはあったと妻に話したところ、”ああ、それヌートリアだよ”とあっさり返された。ヌートリアは南米からの外来種でペットにしていたものが捨てられ野生化し、太田川沿いでは多数目撃されているらしい。そういえばもっと大きなネズミのカピバラも南米産だった。

 東京に転勤することになったので、ブログのカテゴリーに広島を加えることにした。今になって行っとけばよかったと思う場所がたくさんあってうろたえている。何よりも中国四国の万葉の旅が終わってないのが心残りだ。犬養孝の「万葉の旅・中巻」が待ってるからいいか。

2010正月

2010-01-01 23:28:03 | 広島
 雪はちらつくが昨日積もった雪はほとんど解けていたので、元日の午後、Fukuの散歩のついでに近所の神社に初詣に行った。神主さんのいない無人の小さな神社で、参拝客も私たちと入れ違いに二組を見ただけだった。そもそも神仏を信じないほうなのだが習慣として初詣は欠かさない。賽銭箱に五人分のお賽銭を投げ込み家族の健康を祈った後、おみくじを引いたが、妻は中吉で私は吉だった。無人なので、おみくじの入った木箱の脇にある紙箱に50円を落とすのである。買わなかったが、1本1000円の破魔矢も同じように置いてあった。

 今年の正月は結婚以来初めて妻と二人だけで迎えた。娘二人はカナダ、息子は東京にいて帰ってこなかった。29日からの年末は、ジム、大掃除、「遥かなる絆」や「紅白歌合戦」などのテレビ、ネットサーフィン、クッキングなどで2009年が暮れた。大晦日は、妻の作った餅、大根おろし、なると、なめこ、三つ葉の入った年越し蕎麦を食べた。





Big Fish

2009-10-11 00:19:36 | 広島

Fukuの散歩中、近くの川で
「1m以上の鯉を見た。」と、家族に話したところ、
「あんな小さな川にそんな大きな魚がいるはずがない。」
「ほんとに鯉だった?」
と、適当にあしらわれたので、撮った写真を見せて
「写真のコンクリートの橋脚の幅が1.5mくらいある」と言っても、
「ハイハイ。」
で終わってしまった。

今まで見た中で、最大の鯉だと思う。華麗なる一族でキムタクに寄ってくる鯉ぐらい大きかった---と思う。以前、テレビの”ナニコレ珍百景”で、通勤路沿いの小川にいる野生化した鯉がネコ面をしているというのがあったように、広島にはたくさんいろんな鯉がいるのだ。

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【珍百景No.166】「川にいるネコ」広島県広島市安佐南区

★○○○○さん(34歳・主婦)
新安川で群れをなす、野生化した錦鯉たち…
その中に、ネコの顔のような模様を持つ鯉がいた!
目や鼻だけでなく耳まであるこの鯉の噂は口コミで広がり、
地元ではちょっとしたブームになっているそう。
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http://www.tv-asahi.co.jp/nanikore/contents_pre/collection/090121.html


あまりに信じてもらえなかったので、昔見た映画”ビッグ・フィッシュ”を思い出した。
”The Big Fish”2003 監督:ティム・バートン 主演:ユアン・マグレガー アルバート・フィーニー ビリー・クラダップ 少しだけ大袈裟に誇張して面白おかしく話をするのは誰もがすることで、悪気があるわけでなく他人を害するわけでもない。双子がシャム双生児になったり、大男は5mだったり、サーカス団長が狼男だったり。こんなホラ話ばかりする父親に息子はついていけない。うちの妻や子供達が”ハイハイ!”と私の話を遮り話題を変えようとするのも、付き合いきれないということか。映画の孤独な親父への同情と最後は親父を理解する息子に、★★★★☆

ところで、今読んでいる「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」で、東北地方を旅しながら梅原猛は、”東北の人の話を聞いていると、嘘か本当かよくわからないことがある。多くの東北人は豊かな想像力に恵まれていて、奔放な想像力のままにいろいろ話をしているうちに、その話に酔って、自分でも嘘と本当のけじめが分からなくなってしまうのであろう。”と、啄木や太宰を代表に東北人を評している。また別の個所では、東北(縄文人)と関西(弥生人)には異なる価値観があり、東北人は正直だが、関西は古代からマキャベリズムが浸透しているため 嘘は悪ではないと述べている。梅原猛の基準では、東北人による想像力いっぱいの話は、ウソには入らないのである。

私の見た鯉はほんとうに、”大きかった!”
そして私は、想像力豊かな東北人でも嘘を肯定する関西人でもなく、”普通に正直な”四国人なのである。


もくれんが一斉に咲いた

2009-03-18 21:49:54 | 広島
約5.5kmのちゃりんこ通勤の途中、ハクモクレンが一斉に白い花をつけていた。昨日、火曜日に花が咲いたことに気がついたのは1本だけだったのが、今朝は10本以上が花をつけていた。一昨日の月曜日には、まったく花に気づかなかったので、桜と違って、モクレンは蕾が一挙に満開になるに違いない。背丈ほどの低い木でも大きな花を隙間なく咲かせる木、小さめの花をまばらに咲かせるのっぽの木など、花の付き方は様々だ。きちんと剪定したモクレンの木ほど大きく密に花をつけるようだ。

モクレンの芽を撮影したのは、昨年の12月6日だった。長い冬だった。日本に帰ってきて丸三年が経った。
ところで、もくれんが登場する小説が、三島の『永すぎた春』だったか、庄司薫の『赤ずきんちゃん気をつけて』だったか、まだ確認できていない。

2008-12-07 22:56:32 | 広島
昨日は雪が舞い本格的な冬が来た。Fukuの散歩中に見かけたモクレンの芽は冬を越すために暖かそうな綿衣をつけていた。春に咲く大きな白い花とあの芳しい香りが待ち遠しい。モクレン(白木蓮)の白い花を見上げて物思いにふけるのは、三島由紀夫の”永すぎた春”だったか、庄司薫の”赤ずきんちゃん気をつけて”の主人公だったか。その頃は、モクレンの白い花を見るたびに、モクレンのいい香りを嗅ぐたびに、主人公の心情を思い出していたはずが、長いシンガポール生活の間にすっかり忘れてしまった。モクレンの香も忘れてしまった。

モクレンの木のそばに立つ数本の銀杏の黄色い葉はほとんど落ちていたが、銀杏(ぎんなん)がないので雄株なのだろう。子供のころ徳島の瑞巌寺の天狗松の隣に立っていた大きな銀杏の下で遊んだ。広島の冬木神社では臭いぎんなんを拾った。北海道大学の銀杏並木の黄葉は絵のように奇麗だった。