備忘録として

タイトルのまま

南越

2010-10-30 23:09:24 | 東南アジア

 10月23~26日までホーチミンに行ってきた。
  
 マジェスティックホテルの前の道をサイゴン川沿いに少し歩くとチャン・フン・ダオ像が立っている。元の攻撃を3度防いだベトナムの英雄である。像の周りには何の説明もない。像の台座には元軍と戦うレリーフが飾られているがこちらも説明文はなく、台座の前に置かれた大きなの意味もわからない。知り合ったベトナム人の話では、川の中に元軍を誘い込み船上の戦いで撃破したという。そのベトナム人に日本も元軍をやっつけたと言ったら、日本は台風に助けられたのであり陸戦で元を破ったのはベトナムだけだと言われた。


携帯の写真の映りが悪いのでWikiのチャン・フン・ダオを掲載しておく。

 読み終わった史記列伝4巻目に南越列伝がある。
秦の時代に、漢人の趙侘が桂林と像郡(ハノイ付近を含む)を合わせて建国し南越王を称した。南越国は5代93年で漢に滅ぼされた。漢の楼船将軍は南越軍を激しく攻めた。一方、同じ漢の伏波将軍は使者を南越軍にやって降伏を呼びかけた。楼船将軍に攻められた敵兵はみな伏波将軍のもとに逃げ降伏したため、伏波将軍は加増を受けた。太史公曰く、”楼船将軍は欲望のままに動き、怠惰傲慢で、前後の判断をあやまった。伏波将軍は困難な状況に立たされて、智謀ますます盛んで、禍いを転じて福とした。成功と失敗の変転は、たとえばあざなえる縄のごとく、かわるがわるやってくるものである。”この太史公のことばで、聖徳太子の十七条の憲法の
第十条 相共(あいとも)に賢愚なること、鐶(かん=金属の円い輪)の端なきがごとし。”を思い出した。人間の禍福や賢愚は表裏一体なのである。
 だから、謙虚に生きなければ。

 ホーチミンではベトナム料理を堪能した。phoフォーは格別で毎日のように食し、最終日26日は朝、昼、夜の3食フォーだった。食欲は謙虚とは程遠かったので、帰国してからダイエットしようと誓った。
 


史記列伝3巻目

2010-10-23 10:30:15 | 中国
 このところ中国では反日デモで騒がしい。修学旅行やどこかの知事の訪中は中止になったが、私の史記を読む中国の旅はだれも止められない。なんてね。奈良の旅で寸時中断したもののやっと全5巻を読了した。蘇秦・張儀の合従連衡のあと、3巻では股くぐりの韓信の淮陰侯列伝など漢成立のころの英雄たち、4巻では李陵の祖父の李広利の李将軍列伝、匈奴列伝、衛青と霍去病の衛将軍・驃騎将軍列伝など匈奴関係を中心に周辺国の列伝、5巻は張騫の活躍する大宛列伝が面白い。今日はこのあとベトナムに行くため時間がないので、とりあえず3巻からの感想だけ。

 項羽と劉邦が覇権を争う中、韓信が斉を降し劉邦に斉王の位を要求したころ、蒯通(かいつう)は韓信に自立するよう進言した。決断をためらう韓信に、
”決断は知ることの結果であり、ためらいは物事のさまたげなのです。ごくわずかな細かい計算を充分立てていても、天下の大きな見通しをおろそかにし、知識ではよく承知していながら、決断を下して行動する勇気のないことは、何をするにも不幸のたねです。”
と決断を迫るが、韓信は進言を取り上げなかった。後日、謀反を起こし捕えられた韓信は、蒯通の策に従わなかったことを悔いたが時遅く斬首された。
 トップの仕事は大局観と決断だぜ。

 大史公曰く、季布のような”すぐれた人物は、その死がいかに重要であるかをよく認識している。死刑に処せられる危険が迫り奴隷に身を落としても、なお死ななかった。辱めを受けても恥とは思わず、自分の才能の生かしかたがまだまだ不充分なのだ、と考えていたのだろう。だから、(後日)ついに漢の名将軍とうたわれるようになったのである。”
欒布(らんふ)は謀反により処刑された彭越(ほうえつ)のために泣いたことを劉邦に咎められ死刑を言い渡された。逍遙と死に向かう態度を見て、”かれが本当に死に対処する仕方を理解しており、死それ自体を重大だとは思っていなかったからである。”
この部分の訳注で、死にまさる屈辱の宮刑という辱めを受けてもなお生き延びて史記の著述に打ち込む司馬遷の志の表明だと解説している。
 大志と自信があれば、ぶれない生き方ができるということか。

前にも書いたけど、史記は単なる歴史書ではなく司馬遷の哲学や志の書でもあるのだ。
ハーバード白熱教室のサンデル教授がはるか昔から多くの哲学者は普遍的な哲学を模索してきたがいまだに答えが出ていないと言っていた。史記にはすべての種類の人間が網羅されているので、史記の登場人物から普遍的な哲学が導き出せるのではと思ったりする。いずれにせよ今の中国の人も日本の人も感情をあらわにしすぎだ。史記を読んで司馬遷にならえと言いたい。

マラソン大会

2010-10-17 21:36:33 | 話の種
 今日、荒川の河川敷で開かれたタートルマラソン10kmの部に出場した。参加者数14,000人で千葉真子がゲストに来た東京ならではのマンモス大会だった。同時に開催されたハーフマラソンの出場者は特に多くて全出場者がスタートラインを出るのに15分近くかかった。

 昨年3月からスポーツジムでトレーニングを積み華々しくデビューするつもりが、完走はしたものの給水所で立ち止まってアクエリアスを3杯飲んでしまった。最後はへたり込むようにゴールしたが、途中、白髪のおじいさんにも、スポーツをしているとは思えないようなおばちゃんにも、伴走者が押す車いすランナーにも抜かれた。正確な完走時間は靴につけたタグで読み取るので後日連絡が来るが、60分前後で目標の70分は切ったが納得のできるデビューではなかった。敗因は、河川敷の舗装は固くて足にきたのと、周りのランナーに刺激されて最初飛ばし過ぎた上に気温が25℃まで上がり後半にバテたことだ。スポーツジムは空調の利いたアップダウンのないゴムの上を飛び跳ねペースも機械が管理してくれるが、現場は刻々状況が変わるということだ。高校の校内マラソン大会で10kmを36分で走ったときにはそんなことは当たり前だったはずなのに、いつのまにか箱入りランナーになっていた。 そのころに比べると体重は約10kg増え筋力は落ち、歳は55/17倍になった。今日のような走りではハーフマラソン出場など夢のまた夢である。60歳を超えた高齢者がハーフマラソンを走っていた。歳はどうしようもないが地道なトレーニングを続け、まずは体重を5kg落としたい。次週から地道にランニングを再開しようと思う。    
 
 

餃子

2010-10-12 23:57:38 | 東南アジア

 
 9月29日から10月3日までシンガポールへ行った。
航空券をネットで購入したが、2日帰国便だと20万円で3日帰国便だと5.4万円だった。どうしてこんな料金になるのか不思議でならない。2日土曜日は時間が空いたので、ラッフルズホテル、Esplanade、マーライオン、Empress Place(ラッフルズ像)、チャイナタウン、リトルインディア、Vivo Cityなどを観光した。Vivo City以外はかつて何度も行った場所である。チャイナタウンでは数年ぶりで懐かしい餃子屋に入った。以前と同じように行列ができていたので味が変わっていないことを確信した。30分ほど待って定番の小籠包と水餃子と餃子ピザを頼んだ。小籠包のスープが”じゅわ~”と口の中いっぱいに広がる。餃子はたっぷりの千切り生姜としょうゆで食べる。餃子ピザはお好み焼きかピザのように大判の焼き餃子である。フィッシュヘッドカレーと、よく昼時に食べていたプローンバクテミーも食べた。シンガポールは美食天国なのである。
 
餃子と小籠包の写真をみて食べたくなったので、昨日は夕食に餃子と麻婆豆腐と中華スープを作った。見かけは悪いが味はなかなかのもので家族の評判も悪くない。餃子の皮はまだ市販を使っている。

 機中映画を、2本見た。
”エアーベンダー”2010、監督:ナイト・シャマラン、出演:ノア・リンガー、デヴ・パテル あの衝撃の”シックスセンス”のナイト・シャマランだからと思って観たが、ホラーにしたかったのかミステリーにしたかったのか意図の見えない”サイン”のレベルにも達しないと思った。CGだけの映画を作るなと言いたい。★☆☆☆☆

”恋人はパパ ひと夏の恋”1993、監督:スティーブ・マイナー、出演:ジェラール・ドパルデュー、キャサリン・ヘイグル 前回機中で見た恋愛映画特集の”The Last Song”とほとんど同じシチュエーションで、父親と過ごすリゾート地で土地の若者と恋に落ちる14歳の少女の話だが、”The Last Song”とは雲泥の差があった。娘の重ねる嘘に辟易した。時間つぶしにもならなかった。★☆☆☆☆

”Grown Ups”2010、監督:デニス・デュガン、出演:アダム・サンドラー、ケビン・ジェームズ、ロブ・シュナイダー これは面白かった。高校時代のバスケットコーチが亡くなり30年ぶりにチームメートが葬式のために集まり、その後、家族同伴で別荘で過ごすことになる。それぞれ家庭の事情を抱えているのだが若い時ののりで乗り越えてしまうハチャメチャコメディー。今回の機中映画では駄作に遭遇し前の2作は時間の無駄だったが、この映画は少なくとも笑える場面があった。主演のアダム・サンドラーの出来は、前回観た”50 First Dates”には遥か及ばなかった。シンガポールの餃子屋の餃子と自家製餃子ほどの差があった。★★☆☆☆


法隆寺

2010-10-10 23:03:22 | 古代

 今回の奈良旅行の最大の目的は法隆寺を見ることである。
 上原和の「斑鳩の白き道の上に」「聖徳太子」「世界史上の聖徳太子」、梅原猛の「聖徳太子」「隠された十字架」、吉村武彦の「聖徳太子」、武澤秀一の「法隆寺の謎を解く」、その他、聖徳太子の業績や存在に疑問を投げる大山誠一の「聖徳太子の誕生」、古田武彦の「法隆寺の中の九州王朝」など法隆寺に入れこんでいるのに一度もいったことがなかった。上原和に質問を出した時も電話で詳しく話したいと言われたが、法隆寺に一度も行ってないのにそんな資格はありませんと逃げた。
 
 期待どおり法隆寺は、他の寺とは違って格調高く静かに泰然としていた。連休前の平日だったことと修学旅行生がいなかったことも幸いした。

 上原和の「法隆寺を歩く」を片手に、南大門から中門に向かう。いっしょに行った娘は読みかけの「隠された十字架」を手にしている。

  

中門の真ん中の柱を見て、これが怨霊封じでエンタシスかと確認し、五重塔を下から上に裳階、雲形斗供、相輪を見、続いて金堂に目を移し同じく裳階と雲形斗供を見る。

  

 五重塔内に横たわる釈迦の涅槃像や嘆き悲しむ弟子たちに目を凝らし、議論する維摩居士と文殊菩薩を薄暗い中に捜す。次に金堂に入り、釈迦三尊像、薬師如来、阿弥陀如来、邪鬼を踏みつける四天王、壁画に見とれる。釈迦三尊像の光背銘は像の背後からの鑑賞ができないので見られない。

 その後、大宝蔵院にまわり、中学の教科書で出会った百済観音像、上原和の人生を変えた玉虫厨子、不比等の心をつかんだ橘夫人厨子に接し感動する。玉虫厨子の捨身飼虎図や施身聞偈図は暗くてよく見えない。グループ拝観者の案内人がライトを照らすのを盗み見する。薩埵王子が我が身を与えた虎の子どもの数を数え、須弥山を探し、屋根の斗供を確認した。玉虫厨子の鑑賞に時間をたっぷり使う。百済観音の光背の支柱は竹だった。

 聖徳太子の顔を模したという夢殿の救世観音は決められた時にしか見られない。夢殿は当時の天皇陵と同じ八角形で、梅原猛は聖徳太子の怨霊(救世観音)を墓(夢殿)に封じ込めているという。秘仏として1100年あまり非公開だった救世観音は明治11年フェノロサが強要して開帳させたときミイラのように白い布でぐるぐる巻きにされていたという。



 法隆寺再建論争に決着をつけた若草伽藍跡は公開されていなかった。

 これでかねてからの念願がかなった。でも、上原和も「法隆寺を歩く」で批判しているように五重塔の塑像も金堂の仏像も皆、金網越しでしか見られないのは無粋すぎる。研究者でもない一介の見物客には金網越しで十分ということだろうが、シンガポールの動物園のほうがもっとましだ。

 ところで、今日10月10日は31回目の結婚記念日で、法隆寺のブログで飾ることができて私は大満足である。妻も法隆寺には満足しているはず---なので、ひとまず筆を置く。

おまけ
 法隆寺限定販売というお守りキーホルダー。昨年、娘たちが一足早く法隆寺へ行ったときに買ってくれたのだが、ひもが切れて失くしたのを今回再購入した。

     


尾道

2010-10-10 14:11:26 | 広島
  

 NHKの「げげげの女房」は面白かった。10月から始まった「てっぱん」は主人公のあかりが実は養子だったという設定に、以前「瞳」や「つばさ」の訳あり家族に相当裏切られていたので、ほとんど期待せずに見始めた。「ウェルかめ」も徳島人でなければ早々と見放していたと思う。トランペットを拾いに海に飛び込んだり富司純子のがんこぶりなど話に無理がありすぎるので、やっぱりはずれかと思い始めたところ、なんと今週は3回も泣かされてしまった。昨日は進水式での親父の話でボロボロになった。上の写真は一昨年の秋に千光寺から撮ったもので尾道大橋が見える。広島在住中、千光寺には何度も行った。大林宣彦の「時をかける少女」、「転校生」、「さびしんぼう」の尾道三部作などの影響もあって尾道には愛着がある。特に「時をかける少女」はシンガポールにいたときビデオを借りて繰り返し観た。「てっぱん」のあかりが駆けあがる寺の階段は「時を~」の原田知世が駆け降りた階段かもとか、「転校生」の二人が転げ落ちた階段かもとか思いながら観ている。あかりがいつも乗るフェリーは、「さびしんぼう」の富田靖子が乗ったフェリーに違いないと思いながら観ている。尾美としのりが「てっぱん」に出ているのもうれしい。
 
 時をかける少女は筒井康隆の同名SF小説で、中学のときNHKが「タイムトラベラー」という題でドラマ化した。主人公の芳山和子役の島田淳子はこのドラマで瞬く間にぼくらのアイドルになったが、NHKはあさはかにも原作にない「続タイムトラベラー」をつくり奇妙な未来人を出したので、ぼくらの島田淳子熱は一気に冷めたのである。そのノスタルジーの所為で「時をかける少女」を見たことを手始めに大林映画に入っていった。大林作品では香川県の高校生の青春を描いた「青春デンデケデン」が最も好きである。大林映画常連の岸部一徳や根岸季衣も味があっていい。

 1990年頃の尾道大橋は奥の旧橋しかなくて、しまなみ海道の一環として手前の新橋が計画された。そのころ地味な基礎調査に携わった。基礎が橋を支えているのだ。ラグビーのトライは何人もがパスを繋いだ結果だからトライしてもはしゃぐなと、高校時代ラグビー部監督の鬼のKに教わった。昨日の「てっぱん」で兄ちゃんが造船所の船を指さし、”親父の作ったてっぱんは見えないけれど、それがなければ船は動かない。社会を支えているのは親父のような人間がほとんどだ。”と弟に諭していた。ノーベル賞受賞者はたまたま脚光をあびたが、日の目をみないが、社会を縁の下から支える大事な研究、技術、仕事をしている人のほうが多いのである。理系ばなれも話題になったけど、理系の職業に関わらずどんな職業であっても地道に一生懸命働く人が報われる社会という根本が解決しないと理系離れは止められないと思う。と社会批判をしながら、親が典型的理系人間なのに子供3人全員文系では説得力はないわな。

東大寺

2010-10-09 10:39:38 | 古代

東大寺の大仏は、聖武天皇の発願で752年に開眼したが、1180年の平清盛の五男の重衡や後の松永弾正の焼き討ちにより当時の大仏は欠片しか残っていないという。鑑真はこの大仏の前で日本初の授戒を行った。翌日、唐招提寺に行くつもりだったが、法隆寺からのバスに乗り遅れ行けなかった。薬師寺と唐招提寺はまた今度にする。


門の上に掲げる扁額は、聖武天皇直筆の字を複製したものだそうだ。左が阿像、右が吽像。南大門の金剛力士像は迫力があるけれど、金網をなんとかしてほしい。



修二会が行われる二月堂では上の舞台に登った。以前、二月堂の内陣で行われる修二会の儀式をテレビで見た。隣の三月堂(法華堂)は入り口まで行ったが、その日は仏像が7体しか見られないということで拝観しなかったので日光月光菩薩を見逃した。

 東大寺には小学校1年か2年生の時およそ40年前に天理教の集団にひとり放り込まれて来たことがあり、大仏殿の柱の穴をくぐったことと若草山を登ったことだけを記憶している。今回、修学旅行生が並んで柱の穴をくぐっていた。若草山は柵がめぐらされ入山料を払わないと登れなかった。暑くて歩き疲れていたので登らなかったが、誰ひとり登っているひとはいなかった。40年前も入山料を払ったのだろうか。ふもとのみやげ物屋は閑散としていたので柵がなければもっと人が来るだろうにと思った。
 なぜ、天理教に何の関係もない親が幼子をひとり旅に出したのかは両親に確かめていないので未だに不明である。その旅は、徳島を出て船で和歌山にあがり高野山から奈良に抜け、天理教の本山、東大寺、奈良のドリームランドという遊園地を回って帰ってくるものだった。天理教の寺では勤労奉仕として、もっこで土を運んだり、不思議な踊りを踊らされた。ネットを見ていると下の写真が見つかった。”こどもひのきしん”という布教活動のひとつに駆り出されたようなのだが、愚考するに客商売をしていた親が天理教信者の客の頼みを断れずに子供を差し出したのが真相だと思う。自分も息子がまだ幼稚園のころ知り合いの勧めを断り切れずキリスト教会の行事に参加させた。教会から帰ってきた息子は子羊になっていた。自分も奈良から戻ったときに、”ておどり”(不思議な踊り)をしたかもしれない。


 東大寺は人が多すぎた。大仏も大き過ぎた。三月堂は惜しいことをしたが、東大寺はもう十分というのが感想である。



十二神将

2010-10-08 22:42:06 | 古代


興福寺で買った東金堂の十二神将のはがき

興福寺東金堂に立つ十二神将は魅力的だ。同じ日に行った新薬師寺の十二神将は間近に見ることができる。薄暗いお堂の中で外から入る自然光を受けて静かに、でも力強く1300年間変わらぬ姿そのままに薬師如来を取り巻いて立っていた。十二神将は本尊の薬師如来を守る天部で十二支が充てられる。

  • 伐折羅(バサラ)大将 戌
  • 丈寶胃羅(アニラ)大将 未
  • 波夷羅(ハイラ)大将 辰
  • 毘羯羅(ビギャラ)大将 子
  • 摩虎羅(マコラ)大将 卯
  • 宮毘羅(クビラ)大将 亥
  • 招杜羅(ショウトラ)大将 丑
  • 真達羅(シンタラ)大将 寅
  • 珊底羅(サンテラ)大将 午
  • 迷企羅(メイキラ)大将 酉
  • 安底羅(アンテラ)大将 申
  • 因達羅(インダラ)大将 巳

自分の干支の未である丈寶胃羅(アニラ)大将は両手に矢を持ち口を真一文字にして参拝者を見降ろしていた。丈寶胃羅(アニラ)大将にろうそくを灯し祈った。興福寺の丈寶胃羅(アニラ)大将は右手に三叉槍を地面に突き立て左手を腰にあてているように、新薬師寺の十二神将とは持っている武器や顔つきが違う。

興福寺の国宝館で見た人気者の阿修羅像をはじめとした八部衆は、ガラスケースの中で上手に照明を当てられ現代風に脚色されていた。

明日香や奈良のあと、近代ビルと多民族で雑然としたシンガポールへ行ったので、奈良でもらった神々しい古代の香が逸散してしまった。もう一度、写真と本で気持ちを引き戻さないと感動が蘇らない。