本木はうまい。映画を観終わった後なぜか、山田洋次監督の”武士の一分”はキムタクでなく本木が演じるべきだったと思った。
”おくりびと”2008年 監督:滝田洋二郎、出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努
この映画で、死生観、宗教、神など最近ずっと気になっていることを自分自身の人生や死ではなく、別の視点(納棺師や遺族の側)から考えることができた。これまで肉親を送り出し遺された者の心の有り様については考えたことがなかった。臨終までは死にゆく者との人生を振り返る余裕などないだろうし、肉体の消滅した火葬後ではすでに過去のできごとになってしまう。納棺師の仕事を見守る遺族の反応から死者と遺族の人生が垣間見えたように、その時間は死者との人生を振り返る最も大切な時間であり、だからこそ通夜があるのだが、葬式などの形式に忙殺され静かな時間が持てないのが常だ。古代、持統天皇は2年も殯(もがり)の期間(死から火葬まで)があったそうだ。映画で杉本哲太が泣き崩れたように、棺桶に点火される瞬間が遺族にとって一番つらい時というが、老父母を持ち唯物論者で、無宗教、無神論者である私は、その瞬間をどう迎えるだろうか。広末の演技に目をつぶり★★★★★
山片蟠桃、毛沢東、アシモフ、マルクスらは無神論者として有名で、アインシュタインを無神論者とする説もある。逆に、アインシュタインさえ晩年は神を信じたという説もあるが、今年5月ロンドンで競売にかけられた哲学者に宛てた手紙の中で「宗教は子どもじみた迷信にすぎない」、「わたしにとって『神』という言葉は人間の弱さの産物という以上の何物も意味しない」など、神の存在を否定する内容となっているので、これは嘘だといえる。科学で宇宙の摂理を証明しようとしたとき、宇宙や生命の深淵に直面する科学者が絶対者のような存在を感じ取ることはありうるが、それが世俗の宗教における神と同等のものとは到底思えない。
無神論をネットでサーフィンしているとき、Wikiのパロディーサイトである”アンサイクロペディア”を発見した。”アンサイクロペディア”では、昭和天皇も「マッカーサーからあなたはもう神ではないと言われたとき、”あっそう”と即答した」ことを理由に無神論者とされる。