備忘録として

タイトルのまま

東京タワー

2013-08-26 00:46:13 | 江戸

シンガポールの日系人向けテレビで「三丁目の夕日」3話が連続放映されたのを観たので帰国を機会に妻と東京タワーにのぼってきた。都営三田線の御成門駅からの途中、増上寺に立ち寄った。増上寺では将軍家墓所を特別公開していた。2代秀忠、14代家茂ら将軍6人に彼らの正妻のお江や皇女和宮らの墓所である。

左より増上寺本殿と東京タワー、東京タワーから本殿、秀忠とお江の墓、御霊屋内部 (先々週iphoneをハノイで紛失したので写真は古い携帯で撮った)

スカイツリーに客を取られて閑散としているのではないかと思っていたが案に相違し、地上のチケット売り場には行列ができ展望台は満員だった。東京タワーにのぼったのは、高校の修学旅行(1971年)、次女が学生の時(2004年ごろ)、そして今回が3度目である。40年前の修学旅行は東京観光がグループによる自由行動で、5人の仲間と東京タワーや銀座を回った。東京タワーでは仲間5人のうち3人が250mの特別展望台にのぼり何を思ったのかそのまま蝋人形館へ入ったため、残された二人は全然戻ってこない仲間を待ちきれず東京タワーを先に離れた。私たち3人はグループ行動が原則だったので仲間とはぐれたことに狼狽し、途方に暮れて旅館に戻った。しかし、先に戻っていた二人が旅館の前の喫茶店で私たちの帰りを待ち受けていてくれたので、合流した5人は何食わぬ顔でそろって旅館に入り引率の先生に帰着を報告した。今なら携帯があるので迷子になる心配はないのだが、1971年当時は駅の伝言板が頼りだった。同じクラスの女子グループは10分ほど帰着時間に遅れたため先生からこっぴどく叱られていたことを覚えている。以下、はるか昔の修学旅行のかすかな記憶である。

  • 富士山を初めて見て感嘆の声を上げたこと
  • 東京ではひもの両端についたおもりをはじいて遊ぶおもちゃが流行っていたこと
  • 船、バス、新幹線を乗り継いで行ったこと
  • 高校1年の春休みだったこと
  • 箱根のホテルの朝は凍えるほど寒かったこと
  • 東京タワーの特別展望台は揺れたこと

特に修め学んだことはなかったし東京にあこがれることもなかった。それよりも高校2年で淡路島に行った1泊研修旅行や文化祭の思い出がはるかに大きい。

展望台の窓枠は今は白だが、「続・三丁目の夕日」で鈴木オートの4人がのぼった昭和33年完成時は赤だった。東京タワーてっぺんのアンテナは、愛宕山(2011年5月)から見たときに3.11の地震でまがっていた。アンテナはまっすぐに修繕されていて、修繕の時にアンテナ基部の隙間から出てきた軟式野球のボールが展示されていた。誰が何の目的で入れたのかは不明と説明されていた。妻曰く、見つけてほしいというボールの願いを3.11の地震が叶えたに違いないという。自分にはそんな霊的な発想は出てこないが、3.11がなければほぼ永久に陽の目を見なかったはずのボールだと思うと、3.11とボールに何らかの因縁を思わざるを得ない。単にタワー建設の作業員が悪戯心に入れたような気もする。

東京タワーから神谷町へ歩く道すがら、日本橋まで5㎞という道標が立っていたので日本橋は今も道路の起点になっているということを実感した。「三丁目の夕日」の日本橋には無粋な高速道路はなく、空が広がり夕陽がきれいだった。公共事業は来年度から削減されるらしいが、首都高は老朽化が進んでいるのでこれを機会に日本橋周辺だけでも高架を撤去して地下化してほしいと思う。公共事業の妥当性を評価するB/C すなわちBenefitとCostの比(費用対効果)の考え方は合理的かもしれない。しかし、それは不採算路線の鉄道やバスは、たとえそれが沿線住民の唯一の交通手段だとしても利用者が少なければ廃止しろという考え方である。それではあまりに冷たい。国の借金が1000兆円を超えた今ではそんな余裕はないといわれるかもしれないが、公共事業は採算性だけで判断するのではなく、景観、文化、歴史、精神面など個別の配慮があってもいいと思うのである。


異常気象

2013-08-17 21:28:01 | 話の種

 昨日まで出張していたベトナムも暑かったけど日本はその上を行っていて、高知の四万十や山梨の甲府などではここは中東の砂漠かと見まがうような気温40度を記録し、熱中症で倒れる人が多発している。気温だけでなく記録的な集中豪雨により土石流や崖崩れが日本各地で発生している。異常気象は日本だけでなく、ハノイでは普段来ない台風が今年は3度も来たことが話題になっていた。フィリピンの東方海上で発生する台風はフィリピン北部をかすめて右カーブを描いて北上するのが常で、滅多にハノイ方面へは来ないのにである。気象庁ホームページによると異常気象の定義は、30年に一回程度で起こる現象とされているが、観測史上初めてなどという言葉が使われるほどの異常気象が発生しているのである。

熱帯雨林気候の赤道直下シンガポールでさえ、下図に示すように35℃が最高で平均最高気温は30℃~33℃、平均最低気温は25℃~26℃なので、明らかに今年の日本の夏のほうが厳しい。

Source;https://weatherspark.com/history/34047/2012/Singapore

 シンガポールの降雨量をみると、昨年2012年の最大降雨量は時間当り89㎜、イベント当り最大134㎜だった(シンガポール環境局資料)。今年7月末の山口県豪雨は時間降水量が143㎜で、日降水量は255㎜だったし、日本全土をみると毎年のように日雨量が400㎜を超える豪雨が繰り返されているので降雨でも日本の方が激しい。シンガポールにいると日本の異常性が際立っているという印象である。

日本では異常気象の原因を地球温暖化に求める意見が多くなっているようだが、シンガポールでは日本のような異常気象がないので温暖化を実感できない。ところが、政府は10年以上前に温暖化による海水準の上昇を見越して埋立地の高さを海抜2.8mから海抜4.6mに変更している。シンガポールは国土の15%以上を外国から購入した砂による埋め立て地が占めるが、最近では隣国のマレーシアとインドネシアが砂の輸出を禁止したため砂を遠くベトナムやカンボジアから輸入しなければならず、埋め立て砂の増量はそのまま土地の造成価格に跳ね返ってくるにも関わらずの地盤高の変更である。小さな島国では水没による国土の喪失は絶対に避けなければならないからだろう。

地球温暖化による海水面の上昇は、海水の膨張と北極南極の氷の融解が原因となると言われている。統計的に、温度の上昇、氷の融解、海水面の上昇は証明されているし、その原因が温室効果ガスであることもわかっている。地球温暖化による、砂漠化、耕作地の減少、食糧不足、集中豪雨やハリケーン・台風の激甚化に伴う災害の増加も以前より指摘されている。温室効果ガスが原因ということはずっと前から分かっているのに、いっこうに有効な対策が取れない。

各国の利害がぶつかるために足並みをそろえた対策が打てないのだ。下のように人類学の視点から導かれた他の生物種と異なる人類の特性が共同性であるとしたら、各国が共同で実施する温暖化対策は容易であるはずなのに、これまでのところ個体の利害ばかりを優先し有効な対策は実現できていない。新たな<生のかたち>を構想し、その実現に向けて行為することができていないのである。人類の特性が共同性にあるとするのは幻想なのだろうか。個人の利害で制約される限定的な共同性なのだろうか。

人類学の視点 田辺明夫(京都大学大学院アジアアフリカ研究研究科)

 <人間と環境>の相互作用的な構築への視点はさらに、人間の個体性と共同性の媒介についての思考へと発展した。人間は一個の身体存在として固有の経験を持つものであると同時に、自らの経験を人にコミュニケートし、また他者の経験を理解・想像・類推することができる。そして人間は他の人間の経験だけでなく、他の生命体や物の立場に立って感じたり考えたりすることもできる。荘子を引くまでもなく()、人は、水に泳ぐ魚の楽しさを人なりにわかるのだ。さらに人間は、自己、他の人間、生命体、物との新たな関係性の可能性を想像・構想し、その実現のために世界に対して働きかけることができる。
 これは人間と環境の新たな関係性のありかた、つまり新たな<生のかたち>を構想し、その実現に向けて行為することができるということだ。このことは人間が自分以外の立場に立ってものを考えたり想像したりする能力をもつことと関連している。人間は身体を持ちつつ、共感と記号の能力を通じて、「今ここ」から脱した思考をすることができる。こうして人間は、<その場に在る>ことを基盤としながら、自己と環境における過去と現在の関係性を再帰的に吟味し、その未来の新たな可能性を想像・構想できるのだ。

http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/tanabe/etc7.html

ここで言う共同性はサンデル教授の共同体主義とは少し違う。震災後をどう生きるかを議論したとき、ルソーの、”人は遠隔地で起こった災害をその場の人と同じようにとらえられない。人間の共感と感心は限定的でグローバルにはならない。”という意見についてどう思うかというサンデル教授の問いに、ルソーに同意する意見が多い中で、ハーバードの女子学生が、自分は日本の震災に衝撃を受け日本人の取った行動に深く共感できたと述べた。これこそが人類の特性の共同性に通じるものだと思う。さらに田辺の思想は、人類と環境の共生、西洋文明の自然を支配する考え方からの脱却、大量消費から循環型経済への転換など梅原猛の思想に近いと思う。 

哺乳類が6500万年前の恐竜絶滅時の急激な環境変化に適応し生き延びたように、人体も生物学的に異常気象に適応できるように思うのだが、クーラーなどの小手先の文明の利器があるので6500万年前のように環境に適応する必要がなくなった。そのため人類は個体として生物学的にも脆弱化の道をたどっているのかもしれない。

)荘子を引いてみるとこの話は秋水編「濠上に知る」にあった。

荘子が流れをゆうゆうと泳ぐ魚を見て、「あれが魚の楽しみだよ」と言うのに対し、恵施が「君は魚じゃないのにどうして魚が楽しんでいるとわかるのかね」と尋ねた。荘子はすかさず「君は私でないのだから私が魚の楽しみを知っているかどうかわかるはずがあるまい」と答えた。恵施は「なるほど私は君ではないから君の心はわからない。でも君だって魚じゃないから魚の気持ちはわからないだろう」と反論した。すると荘子は答えた。「では最初から順を追ってみよう。最初に君が『君にどうして魚が楽しんでいるとわかるのか』といったのは、すでにそのとき君は私の心を察して、私の心が魚の楽しみを知っているかどうかを知り、私に問いかけてきたわけだ。とすれば魚でない私が、魚の心を知ったとしても不思議ではあるまい。私は濠水の上に立ったままで、魚の心がわかったのだよ。」 これが出典となり他人の心を察することを「濠上に知る」という。


法華経

2013-08-11 13:58:15 | 仏教

 法華経では、ブッダ(シャカ)は仏の仮の姿(応化身)であり、ブッダの教えは方便で真実の仏の教えはほかにあるという。これまでブログに書いてきた聖徳太子最澄宮沢賢治は法華経を根本思想とする。聖徳太子は、「法華義疏」を著し、天台宗は法華経を根本経典とし、賢治は18歳で法華経に心酔しその所為で父親とも諍いした。法華経を読むことで彼らをもっと理解できるようになるのではないかと期待して鎌田茂雄著「法華経を読む」講談社学術文庫を読んでいる。

 法華経原典は「Saddharma Pundarika Sutra」”正しい教えの白蓮のお経”の意で、紀元前1世紀ごろに成立したとされる。有名な鳩摩羅什は400年ごろに漢訳し「妙法蓮華経」と題した。「法華経を読む」を読み進めてはいるのだが難解で一向にはかどらない。解説本の解説をしてもらわないと理解できないような状況にいる。いつになっても読破できそうもないのでとりあえずここまでの理解をまとめておく。法華経は28品から成るが、もっとも重要と言われる「方便品」、「安楽行品」、「寿量品」、「普門品」の4品に賢治が独自の解釈をした「常不軽菩薩品」と冒頭の「序品」を加えた。

序品

「如是我聞、かくのごとく我聞けり」、王舎城の耆闍崛山ギジャクッセン(霊鷲山リョウジュセン)に1200人の僧が仏の説法を聞くために集まった。舎利弗(シャーリプトラ)、目連、阿難(アーナンダ)らブッダの弟子たちや阿羅漢たちである。さらに2000人の声聞や修行中の者の中にはブッダの出家前の夫人であるヤショダラがいる。その周りには8万の文殊菩薩、月光菩薩、観世音菩薩、弥勒菩薩などの菩薩もいる。帝釈天や四天王、八大竜王もいる。阿修羅迦楼羅などの八部衆もいる。俗人で父王ビンビサーラを殺害したアジャセ王も家来を連れて来ている。

方便品

”仏は舎利弗に告げたもう。---”で方便品は始まる。舎利弗(舎利仏)は、ブッダの弟子で長老、智慧第一のシャーリプトラのことで、般若心経の”舎利子”と同じである。ブッダは舎利弗に、仏の智慧は広大深遠で難解であり、悟りを開いた仏だけが諸法実相(ものごとの真実の姿)を理解することができると話しかける。ブッダの弟子で智慧第一の舎利弗でさえ理解することはできないというのである。そこで仏は方便を用いて、弟子たちのレベルに落として説法する。目的は衆生一切を仏の道に導くためである。開示悟入、すなわち仏の真実の道を明らかにし(開)、それを衆生に見せ(示)、衆生に理解させ(悟)、仏の道に入らせる(入)ことが仏がこの世に出現した唯一の目的だというのである。仏道に入ることのできる人は、布施、持戒(戒を守る)、忍辱(にんにく=苦難や迫害に耐える)、精進(修行する)、禅定(心を統一し動じない)、智慧の六波羅蜜を行じることのできる人である。仏に帰依することが大切で、それを合掌と南無仏と唱えることで表現する。次に縁があって仏に出会い説法を聞くだけでは仏道を極めることはできない。最高の教えを記した法華経を読むだけでもだめである。仏の教えを実践することが大切である。

安楽行品

文殊菩薩が仏に修行者の心構えを尋ねる。仏の説く修行法は、身の処し方(忍辱と心を平安にして身を処すこと)、口の利き方(人を批判しない)、心の持ち方(嫉妬しない)と、仏の教え弘めることの4つである。四安楽行を実行すれば夢に如来や観音があらわれ、霊感となり如来や観音と観応することができる。

如来寿量品

仏が80歳で入滅されたのは仮の姿(迹仏)であり、生前は仮の教えを説かれた、すなわち方便だったというのである。本来の仏の寿命は無限で、仏は常住し、真実の教えは別にある。なぜ仏は仮に入滅し真の教えを説かなかったのか。それは衆生側に真の教えを聞く準備ができてなかったからである。だから仏は方便でもって衆生を教化したのである。この品で重要なのは、我々は本来の仏(本仏)の久遠の大生命の中に生かされていると自覚することである。これを自覚するとき人は宗教的安心を得ることができるらしい。

宗教者と無宗教者の違いは、仏や神の神格化された永遠の絶対者の懐に抱かれていると自覚するか否かにあると気づく。

観世音菩薩普門品(観音経)

観音経として独立して信仰される。観音様は世の中の人々の悩みを観て救ってくださる。一心に”南無観世音菩薩”と称名すれば観世音菩薩が現れ一体化することができる。称名し念ずれば7難である火難、水難、風難などの災害や人からの迫害や危害から逃れられる。また心の中の欲望(三毒=性欲、怒り、愚痴)をどう転換するかを教えてくれる。

円仁は唐への渡海中に海が荒れたとき住吉大神にお祈りしているが仏教にもちゃんと災難除けの念仏があるじゃないか。

常不軽菩薩品

常不軽菩薩という人はどんな人間にも仏性があると確信し、深い人間愛を持ってあらゆる人を礼拝した。そうすることで人々に自分も仏になれるという自覚を促したのである。どんなに遠くにいる人のところへも出かけていって礼拝したという。人に笑われても、罵られても、石をぶつけられても、杖で叩かれても、黙って耐え弁解しない。日蓮上人は幾多の迫害に耐え法華経の教えを弘めたのはその迫害者がいずれ仏の信奉者となることを確信していたからだという。

ここまで書くと常不軽菩薩が賢治の「雨ニモ負ケズ」の私に重なることに気づく。

法華経のブッダは、原始仏教の生身の人間であるブッダとはまったく異なり神格化されている。法華経では生身のブッダは迹仏(仮の姿)だったという。人生訓や人生哲学だったブッダの教えは法華経で宗教になったのである。


Hari Raya Puasa

2013-08-10 12:31:25 | 東南アジア

一昨日8月8日のHari Raya Puasaは、1か月続いたRamadan(断食)の開ける日でイスラム暦の元日である。マレー語またはインドネシア語でHariは”日”、Rayaは”素晴らしい”、Puasaは”断食”である。イスラム教を国教とするマレーシアやインドネシアだけでなくシンガポールも祝日になっている。当日はシンガポールで最も有名なMasjid Sultan Mosqueへ行った。内外ともにイスラム教徒はほとんど見当たらず、いるのは観光客ばかりで元日初詣の雰囲気は感じられなかった。朝一からお祈りの集いがあったらしく、モスクへ行った15時ごろは早、元日の飾りつけを撤去中だった。下の写真はモスク内部のホールでイスラム教徒しか入れない。写真の青いガウンの外人二人につられて入った私と妻もすぐ退出するように注意された。青いガウンは肌が露出している訪問客に着せるものである。イスラム教は偶像崇拝を否定するのでキリスト教会やヒンズー教、仏教の寺院と異なりモスク内部はガランとしている。ホールの正面は当然メッカの方向を向いているはずである。

会社のマレー系シンガポール人やマレーシア、インドネシアやバングラデッシュ出身の社員は皆イスラム教徒ということもあり、1日5回のお祈り、豚肉を食べない、ハラル、禁酒、断食月などとても身近なのだが、その教義にはまったくのところ疎い。イスラム教の友人からもらった英語のコーランを読めずにいる。その友人はもとキリスト教徒でイスラム教に改宗した。世界3大宗教のひとつであるイスラム教信者はキリスト教に次ぎ16億人と言われている。それにサラディンも魅力的だったように、多くの人を惹きつける宗教には非常に魅力的な教義があるに違いないのである。

唯一神アラーのもと、神の慈悲、平等、神の審判を説き、信徒は、信仰、礼拝、喜捨、断食、巡礼を義務付けられている。イスラム教徒は生涯に一度メッカに巡礼(Haji)に行く。写真はモスク隣のMalay Heritage Centreの展示でシンガポールからメッカへの巡礼航路である。Kapalは船のこと。年配者にとってメッカ巡礼は過酷で毎年のように巡礼者の中に死者が出てニュースになる。帰ってきた巡礼者はHajjと呼ばれ特に白い帽子を被ることが許され尊敬される。 イスラム教徒だった鄭和の艦隊の一分隊も15世紀初頭にメッカに行ったと記録されている。