備忘録として

タイトルのまま

シンガポールのオリンピック

2016-08-21 15:18:09 | 東南アジア

 

日本選手が活躍するリオオリンピックも早や最終日。陸上400mリレーは個々の力が結集し素晴らしい結果を出した。卓球やバドミントンは接戦が多く、観ているだけで1打1打に胸が締め付けられたので選手のプレッシャーはどれほどだったかと思う。レスリングの吉田は残念だった。後は男子マラソンを残すのみである。

シンガポールのオリンピックの話題は、ジョセフ・スクーリングが100mバタフライでUSAの伝説フェルペスを破りシンガポール初の金メダルを獲得したことと、卓球女子団体が日本、それも15歳の少女に敗れ銅メダルを逃したことで、連日テレビや新聞でその様子が報道された。

ジョセフ・スクーリングは現在21歳、テキサス大学の寄宿舎で学びながらトレーニングを積んでいる。シンガポールには徴兵制があり、男子は18歳で2年間の兵役につかなければならないが、彼はリオオリンピック終了まで徴兵延期されていた。シンガポールには韓国のような活躍したスポーツ選手に対する徴兵免除はなく、今回の活躍でスクーリングの徴兵はさらに延長されることになるらしい。一躍ヒーローになったスクーリングは先週帰国し凱旋パレードがあった。彼の父親はシンガポール生まれのイギリス人2世のビジネスマンで母親は中国系マレーシア人であることや、アメリカ人のガールフレンドがいることや、好物はダークソヤソースをたっぷり使ったキャロットケーキだといった情報がネット上にあふれている。キャロットケーキは日本人の間では大根モチと呼ばれ、スクーリングが好きなダークソヤの黒いのもいいが、卵と炒めた白いのをチリソースで食べるのも美味しい。

卓球女子団体について当地の新聞は、世界ランキング4位のフェン選手が15歳の伊藤美誠に0-3で敗れ、ロンドンオリンピックに続き再び日本に敗れ銅メダルを逃したと報じた。写真は、The Strait Timesより。

この二つの出来事がシンガポールで大きな議論になっている。

シンガポールには1993年に導入されたForeign Sports Talent Schemeという外国人スポーツ選手優遇制度があり、外国から有望なスポーツ選手をリクルートし移民させ政府が金銭面と待遇面でサポートするという制度である。その制度を使って最初に採用されたのが中国からの卓球選手で、2008年北京オリンピックでは女子団体が銀メダルを獲り、2012年ロンドンオリンピックでは女子個人が銅メダルを獲ったが、今回は終にゼロとなり、どんどん後退している上に、シンガポール人の卓球選手が育っていない。スクーリングより1歳年上の中国でスカウトされた男子卓球選手は政府のサポートを受け、さらに徴兵も免除されているのに、シンガポール人であるスクーリングは徴兵を免除されず、政府の援助もなく、スクーリングの両親は、アメリカで本格的なトレーニングを積ませるために家を売り自分たちを犠牲にして慎ましい生活をしながら彼をサポートしているというのである。自国の有望なスポーツ選手に対する徴兵と外国人スポーツ選手優遇制度が、大きな議論になっているのである。

 


Bridge of Spies

2016-08-13 14:07:07 | 映画

「The Bridge of Spies」2015、監督:スティーブン・スピルバーグ、脚本:コーエン兄弟、出演:トム・ハンクス、マーク・ライランス、弁護士のドノヴァン(トム・ハンクス)は引き受け手のいないソ連スパイの弁護を弁護士会の推薦により引き受けることになる。裁判の担当判事でさえ死刑が決まっているとして、まともに審理をしようとしない上に、マスコミや周囲からも激しいバッシングを受ける。ドノヴァンは法に基づき弁護を進めるとともに、ソ連のスパイを生かしておけばいずれ同胞がソ連の捕虜になったとき交換要員になると判事を説得し、死刑回避に成功する。何年か後、アメリカの偵察機に乗ったパイロットがソ連に捕らえられ捕虜交換の機会が訪れる。ドノヴァンはCIAより民間人として捕虜交換の交渉役を頼まれ、ちょうど東西ベルリンを分ける壁が築かれたばかりの治安の悪い東ベルリンに乗り込む。そこには東ドイツ留学中に捕えられたアメリカ人の学生がいた。ドノヴァンはこの学生も含め2対1の交換を主張するがCIAは学生は交渉が不利になるとして交換条件に含めないよう要求する。しかし、ドノヴァンはソ連と東ドイツ政府を相手に巧みな交渉で2対1の交換を成功させる。ベルリンの壁が築かれる場面が出てくる。1961年のことで、壁の崩壊は1989年である。

ソ連スパイを熱心に弁護するドノヴァンはCIAから愛国心はあるのかと問われ、憲法に忠実であるものが愛国者だと答える。憲法を都合よく解釈する政治家が多い昨今、立憲主義と愛国心について考えさせられた。憲法は国家(為政者)の暴走を防ぐためのもので、国民を管理するためにあるのではない。★★★★☆

「Hail, Caesar!」2016、監督:コーエン兄弟(「The Bridge of Spies」の脚本家)、出演:ジョシュ・ブローリン、ジョージ・クルーニー、アルデン・エーレンライヒ、スカーレット・ヨハンセン、チャニング・テイタム、1950年代ハリウッドの映画会社のプロヂューサー(ジョシュ・ブローリン)は、売れっ子女優(スカーレット・ヨハンセン)の父親不明の妊娠や滑舌の悪い西部劇のアクションスター(アルデン)を現代劇で売り出すなど多くの問題を抱えながら敏腕を発揮する。そんな時、キリストの生涯描く「Hail Caesar」を撮影中の主人公(ジョージ・クルーニー)が共産主義者、実は報酬に不満を抱く脚本家たちのグループに誘拐され、身代金を要求さる事件が起き映画製作が中断する。西部劇俳優の活躍で誘拐事件が解決しプロヂューサーにも日常が戻る。「True Grid」の監督作品で、「ベンハー」やジョン・ウェインの頃の懐かしいハリウッドの雰囲気が出ていた。昔のハリウッド映画とその頃のゴシップに通じていればもっと楽しめたかもしれない。★★★☆☆

「The Lobster」 2015、監督:ヨーゴス・ランティモス、出演:コリン・ファース、レイチェル・ワイズ、ジェシカ・バーデン、独身であることを認めない社会で、ホテルに集められた独身者は45日以内に相手を見つけ結婚できなければ動物に変えられてしまう。もし動物にされるのなら100年は生きるロブスターになりたいというデービッド(コリン・ファース)は心にもない相手(実は心がないHeartless woman)と結婚したもののそれがばれて森に逃げ出す。森には独身者を差別する制度に反対するグループがいて、逆に恋愛禁止というルールがあった。グループに加わったデービッドはいつしか近視のホテルメイドと愛し合うようになる。それがグループリーダーにばれ、メイドは盲目にされてしまう。デービッドとメイドはリーダーを縛り森を逃げ出し街のレストランに入る。そこでデーヴィッドは自分の眼をつぶすのである。映画はそこで終わるので、デービッドがなぜ自分の眼をつぶしたのか、二人がその後どうなるのかはわからない。主人公だけでなくホテルを経営するマネージャー夫婦も動物になりたくないための見せかけの愛でペアーになっているといったカップルが描かれている。また結婚を否定する森のリーダーにも偽善がある。映画ではしつこく偽善の愛を描くので、映画の最後に「春琴抄」の佐助と同じように真実の愛、永遠の愛を貫くために眼をつぶしたとも解釈できる。映画のポスターで主人公は空白を抱いている。何を抱いているのだろうか。幻覚?真実の愛?いずれにしても、視覚によっては確認できないものということである。設定も筋書きも登場人物たちのキャラクターも奇妙で不気味だった。でも妙に面白かった。★★★☆☆

「Allegiant」2016、監督:ロバート・シュウェンケ、出演:シャイレーン・ウッドレイ、テオ・ジェイムズ、エンゼル・エルゴート、ジェフ・ダニエルズ、能力別社会の外にはそこを監視する階級社会があったのだ。「ハンガーゲーム」同様、ますます荒唐無稽で面白くなくなっていく。主人公が「The Fault in Our Stars」のシャイレーン・ウッドレイでなければ観なかった。「Divergent」星3、「Insergent」星2ときて、終に、★☆☆☆☆

「Midnight Special」2016、監督:ジェフ・ニコルス、出演:マイケル・シャノン、ジョエル・エドガートン、キルステン・ダンスト、不思議な能力を持った子供を連れ去ろうとする教団から、父母と友人が必死に守る。実はその子は---だった。★★☆☆☆

「Oympus Has Fallen」2013、「London Has Fallen」2016、監督:アオントィン・フォークア、出演:ジェラルド・バトラー、アアロン・エッカート、モーガン・フリーマン、二作続けて観た。テロリストに襲われた大統領を救うシークレットサービスの話。2作併せて★★☆☆☆

リオオリンピックはほぼ中日で、日本は金7、銀3、銅14と大健闘である。体操、競泳、柔道の活躍が続いた。メダルは獲れなかったが男子ラグビーはニュージーランドとフランスに勝った。バスケ女子もがんばっている。Joseph Schoolingが100mバタフライでUSAのフェルプスなど強豪を抑え、シンガポール初の金メダルを獲得した。シンガポールは中国からの帰化選手の卓球だけではなかったのだ。オリンピックはまだしばらく楽しめる。


タシケント

2016-08-09 23:00:35 | 

ウズベキスタンの日中の気温は、35℃ほどになり大変暑いのだけれど、日本の夏やシンガポールよりも過ごしやすいような気がする。それは湿気がなく乾燥していることだけでなく緑が豊かできれいだからだと思う。オアシスとはまさにこのような土地のことを言うのだろう。中央アジアの旅の余韻が抜けず手元にあるシルクロード関係の本を読み漁っている。

シルクロードやインド関係の本を読むとかならず7世紀に玄奘三蔵が歩いた場所に出会う。そんなとき『大唐西域記』を紐解くのである。玄奘三蔵の『大唐西域記』は、大書店のPC検索でも古本屋でも見つからなかったので結局アマゾンで平凡社の中国古典文学大系22の分厚い古本を購入した。本の状態を心配したが新品同様で水谷真正成による訳本は、脚注、写真、地図、参考文献が豊富で単なる訳ではなく大唐西域記の研究書になっている。

今回行ったウズベキスタンの首都タシケントにも玄奘は立ち寄っていて、赭時国(石国)の巻として国の様子を記録している。

赭時国(タシケント)は周囲千余里で、西は葉河に臨んでいる。東西は狭く、南北が長い。産物・気候は笯赤建国(スージカンド=タシケントの東200余里)と同じである。城や邑は数十あるが、それぞれ主君を別にいただいている。全体の君主もなく、突厥に隷属している。これより東南のかた千余里で怖捍国(怖は本当は”りっしんべん”に市=フェルガナ=大宛国)に至る。

産物・気候が同じだとする笯赤建国は、”土地は肥え農業を十分に営み、草木は繁茂し、華や果は非常によくできる。葡萄が多く、これも貴ばれている。”とあり、脚注には”隋書石国伝は粟、麦、良馬を産する”と書かれている。今のタシケントにはチルチク川という川が流れていて、玄奘の言うタシケントが今と同じ場所にあったとすると葉河とはチルチク川ということになる。

タシケントの川

井上靖『遺跡の旅・シルクロード』によると、タシケントはウズベキ語で石の町という意味だという。玄奘が石国と記録したことに符合するので昔から石の国と呼ばれていたことがわかる。昔は石の城壁で囲まれていたらしいが井上靖の訪れたとき城壁はなかった。井上靖はよほどタシケントが気に入ったようで、以下のように絶賛している。

町はこれが中央アジアの町であるかと思うほど、明るく整然と造られた近代的大都市である。いつまでも昏(く)れない夜の町の感じは全く南方的で、出歩いている人の多いところはアテネなみであり、開放的な感じはハワイのようでもあり、広州のようでもある。私たちはホテルで久しぶりでうまい夕食を摂った。大きなどんぶりにはいったスープもうまいし、野菜もソ連へはいってから初めてありついた野菜らしい野菜であった。食後の苺(いちご)の味もいい。私たちはこの散歩でタシケントの町が街路樹で埋まっていることを知った。ちょっとした広場には必ず噴水が造られてあり、花壇が配されてあった。

井上靖が泊まり周辺を散歩したというタシケントホテルは、今回私の泊まったホテルやチムール像からは少し離れているが、50年前に井上靖の見た町の良さは今も変わっていないと感じた。もしかしたら、”土地は肥え農業を十分に営み、草木は繁茂し、華や果は非常によくできる。葡萄が多く、これも貴ばれている。”という7世紀の玄奘が見た町の様子とも変わっていないのではないだろうか。

下は地方都市で昼食を摂ったチャイハナと呼ばれるレストランで、井上靖によると”チャイはお茶、ハナは家の意味で、文字通りお茶を飲む休憩所である。京都の鴨川の床の如きものが木で組まれてあり、絨毯が敷き詰めてあって、その上に細長い座布団様のものが敷かれ、老人たちがそこに上がり込んで茶を飲んでいる。紅茶と緑茶が出た。緑茶は日本の緑茶とまったく同じである。サムサという肉饅頭も出る。”と解説してくれる。私もお茶とサムサを食べたがこれが大変美味なのである。チャイハナの天井は葦簀になっていて冷たい蒸気を出している。座敷に上って昼食をとり、お茶を飲みサムサを食べると、心地よくてそのまま居座り(居眠りをして?)午後の仕事などどうでもよくなる。

井上靖がタシケントに行ったのは昭和40年(1965年)58歳の時だった。それが最初の西域旅行で、その後、井上靖は昭和55年の73歳まで毎年のように西域を訪れる(『遺跡の旅・シルクロード』の巻末情報なので、この本以降も訪れている可能性が高い)。すごい執念である。私は西域を再訪できるだろうか。

今日8月9日は、シンガポールの51回目の建国記念日で休日である。ウズベキスタンの旅で溜まった仕事を片付けながら、リオオリンピックの録画放送を横目で見て日本選手の活躍を応援した。大会4日目で萩野400mメドレー、大野将平の柔道、体操団体の金3つである。 体操団体は予選の出だしが悪かったし、銅メダルをとった重量挙げの三宅宏実は腰痛ではらはらしたが、重圧を跳ね返した勇気と精神力に感動した。しばらくは応援に熱が入る。


チムール

2016-08-06 21:47:31 | 

  

アミール・チムールは14世紀サマルカンドを中心に大帝国を築いたウズベキスタンの英雄で、首都タシケントの中心に大きな銅像(上の写真)があり、お札(100スム=約3円)にも像や博物館が描かれている。チムールについては、長澤和俊『シルクロード』や植村清二『アジアの帝王たち』であらましを読んでいた。50年前に中央アジアを旅した井上靖も『遺跡の旅・シルクロード』でサマルカンドを訪れチムールの生涯を描いている。以下それらを参考にチムールの生涯と業績をまとめた。

チムールは1336年にサマルカンドの南の街ケシュで生まれた。チムールの墓石にはチンギス・カンの曾祖父の兄を祖とすると記されているが、一般にはトルコ系の一支族出身と考えられている。14世紀のアジアはチンギス・ハンの末裔たちによって分割統治された汗国が衰亡分裂し、サマルカンド周辺は西チャガタイ汗国として隣の東チャガタイ汗国から絶えず圧迫を受けていた。チムールは東チャガタイ汗国との戦闘で頭角を現し、1360年頃故郷の太守になり、1369年には西チャガタイ汗国を手中に収める。そのころ激しい戦闘で右腕と右脚を負傷し生涯、跛行することになる。黒田官兵衛と同じだ。1380年に東西チャガタイ汗国を統合し中央アジアの覇者となる。その後も戦いに明け暮れ、西はトルコの小アジアに攻め入りオスマン・トルコと戦いサルタンのバヤーズィード1世を捕虜にする。そのとき十字軍以来スミルナ(イズミット)にいたロードス島騎士団を駆逐している。南はインドのデリーを征服しトゥグルク朝を滅ぼし、北は南ロシアに攻め入る。チムールはイタリアのジェノア共和国、フランス、イギリス、カスチリア(後のイスパニア)に使節を送り、返礼の使節がサマルカンドを訪れている。1404年には中国の明朝征服の旅に上ったが、その途上病を得1405年死去する。明の鄭和の第1回航海は1405年なので、もしチムールが死なずに明と戦争を始め大戦争になっていれば鄭和の航海はなかったかもしれない。

チムールは、イスラム教を信奉しサマルカンドにモスク、王宮、学校、廟を建設し、各地から集めた工匠たちは、絨毯、刺繍、金銀細工、絵画、製紙、ガラス器、陶器、武具などの工芸を発展させた。チムールは都市、道路、バザール、隊商宿を整備し、学者や芸術家を集め、サマルカンドはシルクロードの一大中心地となった。また、トルコ語による文学も発展した。

チムールの死後、チムール帝国は100年あまり存続し、16世紀初頭に滅亡する。

上のチムール遠征概略図は長澤和俊『シルクロード』P373より

チムールはサマルカンドなどの都市の建設者であったと同時に、征服した都市で大虐殺を行っているので、「チムールは大征服者であるとともに、大殺戮者でもあった」(植村清二)や「チムールは中央アジアの遊牧文化とオアシス文化を融合させた」(間野英二)という評価である。

「チムールの姿を描いた肖像画は幾つかあるが、チムール朝時代の古いミニアチュールに描かれた肖像が、彼の壮年期の風貌を伝えるものとされている。日本の武士の甲冑に似た武具に身を固め、まる顔の両頬は黒い髯で覆われており、眼は小さく鋭い。」(井上靖) この井上靖が描写する壮年期のチムールとはおそらく左下の写真(Wiki)のことだろう。モンゴル系の顔をしている。晩年のチムールと対面したアラブシャーは、「背が高く肩幅が広い。大きな頭と濃い眉、あごひげを生やしていた。長い手足を持っていたが、右脚は不自由だった。目は蝋燭のようではあるが、光は無かった」と描写した。カスティリアからの使節クラビフォは晩年のチムールに謁見し、老いたチムールは視力が衰え上瞼が垂れ下がっていたという記録を残している。中下写真はタシケントのチムール像の顔部分で、髭が両頬を覆っているのは同じだが、よりコーカソイド系の風貌をしている。1941年ソ連の調査隊がチムール廟でチムールの遺体を調べ、モンゴロイドをベースにコーカソイドの特徴がいくらか加わった容姿(右下写真Wiki)と分析した。死後500年以上経つのに、特徴がつかめるほどの状態でよく遺体が残っていたものだ。

 

タシケントのチムール像近くのアミール・チムール博物館の外国人入場料は5000スムだった。ホテルで換金できず所持金は2000スムしかなかったので、ローカルの入場料が2000スムという料金表を指さし”これでだめでしょうか”と切符売り場の女性に頼み込んだが、やっぱりだめだった。心残りだが仕方がない。