備忘録として

タイトルのまま

月の運行

2007-06-05 23:18:15 | 徳島
はるか昔、40年近く前、母校富中の理科のM先生に月の運行図を教わった。先生は黒板に円やら線やら字を忙しく描きながら、この図は御自身の先生から教わったものだという注釈を加えつつ図の見かたを教えてくれた。先生の図は、どの月齢の月が何時頃どの方角の空に見えるかがすべてわかるすぐれものである。M先生の図をひょんなことから思い出したので、WORDで描いてみた。
図中央の丸は左から太陽光を浴びる地球である。地球の中央に”N”とあるのは北極であるが、観察者からは北の方角を表している。地球は西”W”から東”E”に回っていて、①の地点は昼から夜に入る箇所に当たり夕方18時頃ということになる。その時、三日月なら西の空に見えるのだが、すぐに西の地平に沈み見えなくなる。上弦の半月なら、夕方真上に見え夜が更けると西に動いてゆき②の地点に進むと(夜中の0時になったということ)西の地平に沈む。満月は、夕方①に居る時、東の地平に見え、夜が更けるとともに天に昇ってゆき②の夜中に中天に達し、明方西の地平に沈む。
先生からこの図を教わったとき、すぐ納得できたのは、遊び呆けて家路を急ぐとき眉山(我が家から見て西の方角になる)に三日月がかかるのを何度も見ていたからだ。
学生時代、これもはるか30年も前のことだが、学習塾で理科の先生のバイトをしていたとき、中学生相手にM先生の図を、「これは先生の先生から教わった図だが、その先生もそのまた先生から教わったものだよ」と講釈しながら教えたのだが、その後M先生の図は引き継がれただろうか。今や社会人や大学生になった3人の子供たちにも教えたことがあるのだが、一人として理系に進まなかったので覚えていないだろうな。

国家の品格

2007-06-03 17:20:29 | 他本
読む気はなかったのだけれど娘の本箱にあったので藤原正彦のベストセラーを読んでしまった。姜尚中が”愛国の作法”の中で、「”国家の品格”の作者は、云々」と名前を出すにも値しない扱いをしていたが、そのとおりだった。ちなみに、姜尚中は小泉前首相の名は出していたが、”美しい国へ”の作者名は出していない。

作者の主張で最大の問題は、真のエリートに国を任せるという箇所だろう。作者はエリートの関東軍参謀が統帥権の名のもとに暴走し日中戦争を起こし最終的に日本を亡国に導いた一事を知っていて、なおエリートという。作者の主張は、憲法(論理の成文化されたもの)を超えた統帥権の存在を是認する極めて危険なものだと思う。参謀らは武士道精神のない真のエリートではなかったと反論するかもしれないが、参謀たちは少なくとも自分は武士であり愛国のためなら何をしてもよい(戦争や暗殺を含む)という彼らなりの倫理観を持っていた。
作者が昨今の愛国心の欠如、拝金主義、情緒の欠如を嘆くのはわかるし、物事を情緒的にとらえることは決して悪いことではなく人間的だと思う。しかし、突きつけられた現実問題を情緒で解決されてはたまらない。情緒、倫理、善悪は時代とともに変化し普遍的なものではないのだから、解決策は法によるしかないのである。完璧な大局観を有し国家を間違いなく正しい方向に導いてくれる超エリートなど神にも等しい幻想である。だいたい人間の能力は平等に与えられていないと言っておきながら超エリートを待望するという論理そのものが破たんしている。

あと気になったのは英語教育の部分である。英語に関する作者の個人的体験と若者偏見は狭量である。私は20年以上シンガポールに暮らし、作者のように高名な学者や政治家とではないが、外国の普通の人々と付き合ってきた。英語のできない日本的教養を身につけた年配者は、まったく国際交流ができないが、若者たちが彼らなりに必死に日本を代弁する姿を見てきた。私の子供たちはいずれもシンガポールで育ち中等~高等教育は英語教育だった。上の娘は、さらに大学の学部から修士まで英語教育を受けている。日本の地理や歴史の知識は日本で教育を受けた人には到底及ばないが、日本人そのものであり、他国の文化・民族・宗教に心配りのできる愛国心を持っている。
シンガポールは政府主導で英才教育(IQ=Interigence)に力を入れ、飛び級や奨学金制度が充実している。同時に情緒(EQ=Emotional Q)も大切だということはわかっていても、バランスのいい人間を育てることは難しいとよく議論になる。シンガポールはエリートが国を動すことで東南アジアでは最高の経済成長を成し遂げたし国民の愛国意識も高い。しかし過剰な愛国心と経済的な優越感故に周辺国を民意が低い、文化程度が低い、教育が低いと見下す人も多い。

学生時代、作者の父親である新田次郎の山岳小説が大好きだった。”蒼氷””強力伝”に始まり”孤高の人”、”銀嶺の人”、”芙蓉の人”など朱色の背表紙の文庫本が本箱にずらりと並んでいた。ただ、”武田信玄”はいただけなかった。なぜなら、戦略家、統治者として主人公の信玄を高く評価したのはいいが、好敵手であるべき上杉謙信の能力をかなり低く設定していたため、逆に信玄の偉大さが伝わらなかった。新田次郎の郷土の偉人である信玄に肩入れしたのだろうが、小説の設定としては完全に失敗していた。そのため当時私は、新田次郎を自然を前にした人間を描くのは優れているが人間模様を描く歴史小説の手腕は二流と評価していた。