備忘録として

タイトルのまま

こっちもWorld Cup

2011-07-31 23:42:34 | 話の種

 先週は女子サッカーのWorld Cupで盛り上がったけど、シンガポールではネットボール(Netball)のワールドカップ(本当はWorld Netball Championshipで4年ごと開催)に12か国が参加し全試合ESPNで放映していた。ネットボールなんて聞いたことがなかったので、見るつもりはなかったのだけれど日曜日にたまたまテレビをつけたら決勝戦をやっていて、それがサッカー決勝と同じで1点を争う拮抗したゲームだったものだから、つい見てしまった。

 ネットボールはバスケットに似ているけどドリブルがなくボールを受けると止まってパスをしなければならない。板のないゴールに入れると1点が入る。ゴールサークルというのがあってその中にいる2選手しかゴールを狙えない。バスケットほどのスピード感がなくあまり面白いとは言えないスポーツなのだけれど、オーストラリアがニュージーランドを降し世界チャンピオンになった決勝戦は接戦だったので結構楽しめた。Wikiによると、ネットボールをやっているのはかつてのイギリスの植民地だった国(Commonwealth)が中心で、世界70か国で競技されているらしい。シンガポール大会のベスト4は、イギリス、ジャマイカ、ニュージーランドとオーストラリアだった。過去の大会を見ると1963年から優勝と準優勝はほぼオーストラリアとニュージーランドが独占している。シンガポールとマレーシアも参加していたが、前出4か国との力の差は大きく大差で敗れていた。発祥国はアメリカとなっているが、アメリカは参加していなかったので、おそらくアメリカではバスケットに押されてネットボールは衰退したのかもしれない。オリンピックゲームへの採用を働きかけていると書いてあったが、いつも同じチームが勝ってるゲームでは難しいと思う。それより女子ソフトボールを復活させろと言いたい。

 そのソフトボールだけれど、女子サッカーワールドカップとほぼ同じ7月21日から25日の間アメリカのオクラホマでWorld Cup of Softball (http://www.usasoftball.com/events.asp?uid=6375)が開かれていて、日本は決勝で宿敵アメリカに4-6で惜敗し準優勝している。

上は、決勝のスコアと日本チームの出場選手で、USA Softball Official Site (http://usasoftball.com/folders.asp?uid=1)より転載した。北京オリンピックで活躍した山田と峰の名前が見える。日本のメディアは見向きもしていなかった。上野もブストスもオスターマンもいないけど、あの北京オリンピックのときの過熱ぶりはどこにいったのだろうか。女子サッカーは引き続きオリンピックがあるからソフトボールの様にはならないだろうけど、一過性の人気にしないためには勝つしかない。

 もひとつ、南半球は冬でラグビーシーズンということで、今、南半球の三カ国対抗が行われている。今日は、Invictusの南アフリカラグビーワールドカップ決勝と同じ、スプリングボックス(Springboks)とオールブラックス(All Blacks)の試合をやっていた。

 オールブラックスは運動量でスプリングボックスを完全に上回っていて大差で勝った。先週はスプリングボックス対ワラビーズだったが、こっちもワラビーズが勝ち、南アフリカのラグビーはInvictusのときの元気はないように見えた。黒人選手は3人ほどが試合に出ていた。ラグビーワールドカップは、今年9月、10月にニュージーランドで開かれる。日本も出場が決まっていて、予選はプールAで、ニュージーランド、フランス、トンガ、カナダと闘う。世界トップクラスのニュージーランドとフランスには歯が立たないけど、同じ二番手グループにいるトンガとカナダには何とか勝ってもらいたい。


Women's World Cup 2011

2011-07-24 23:50:50 | 話の種

 宮間のコーナーから澤のヒールシュートはすごかった。海堀の2度のPKセーブもしびれた。過去23戦して一度も勝てなかったUSAに2度リードを許し、見てる方はもうだめだと思ったのに、その都度追いついた日本選手の不屈の精神力は素晴らしかった。PK戦の完勝はソロも言ってたけど何かが日本を後押ししていたのかもしれない。この試合は、北京オリンピックの女子ソフトボール決勝のデジャブのようであり、準決勝のUSAvsブラジル戦のデジャブのようでもある。沢が上野で、USAチームの大黒柱のワンバックがブストスで、キーパーのソロがオスターマンに被った。準決勝のブラジルがUSAで、USAが日本に被った。準決勝と決勝はちょうど日本にいたので生で見ることができた。決勝の延長、PK、表彰式を観た後、11時発のシンガポール便に飛び乗った。それにしても宮間のフリーキック技術は、中村俊輔や遠藤より上かもしれない。このサッカー小僧は、間違いなくなでしこJapanの大黒柱の一人だった。

 左は宮間のゴールと右はMVPの澤と優秀選手のワンバック(産経フォトより) 

7月18日の決勝からもう1週間も経っているのに、余韻にひたりたくて、YouTubeでなでしこ関係ビデオを渉猟している。女子サッカーは沢しか知らなかったが、宮間がなぜ岡山の湯郷にいるのか、鮫島がアメリカでプレーする理由、澤が20歳そこそこでアメリカのプロリーグでプレーした話とか、2007年のワールドカップや2008年の北京オリンピックでもドラマがあることを知った。その中で見せるプレーヤーたちの思いや努力や涙が、今回のワールドカップでのパフォーマンスに結実したことがよくわかった。

 もうひとつ感動したのは、決勝戦後のインタビューでワンバックとソロが、それぞれ敗れてHeartbreakだと言いながらも、日本の戦いぶりを称賛していたことだった。さらに帰国してCBS Sports番組に出たソロが、試合前に宮間から結果がどうあれ試合を楽しもうというメールを受け取り、PK戦後、宮間が日本チームの歓喜の輪に加わらずUSAチームのところに歩み寄っってきて健闘を称えた(http://www.youtube.com/watch?v=lsEalYxYRAM&NR=1)という話を紹介していたことだ。ソロと宮間はアメリカの女子プロサッカーチームのセントルイス・アスレティカで一時チームメイトだったからだ。澤の試合後のコメントも含め、宮間、ソロ、ワンバックともに素晴らしいスポーツマンシップを見せた。

 ところで、決勝戦を見ながらソロはキャサリン・ゼタ・ジョーンズに似てると娘に言ったら即座に否定された(見出しの写真・毎日新聞より)。 今後も、こんな感動を見逃してしまうのはもったいないから、もうちょっと女子サッカーにも注目しとかなければ。


フィラデルフィア

2011-07-17 19:03:09 | 映画

今日17日、東京の日中の気温は35度でシンガポールより暑い。ので、外には一歩も出ず。映画三昧で、録画してあった「フィラデルフィア」と「黄昏」を観た。

「フィラデルフィア」1993は法廷ものの秀作だった。評判は聞いていたが、同性愛嗜好とエイズへの偏見という重いテーマだということで、これまで手を出さずにいた。トム・ハンクスがエイズを発症した弁護士でデンゼル・ワシントンが社会派弁護士を演じ、エイズを理由に不当解雇した大手弁護士事務所に戦いを挑む。エイズや同性愛への偏見との戦いというよりは、法廷での攻防がスリリングだった。トム・ハンクスはエイズでやせ細っていく患者を熱演し、デンゼル・ワシントンはいつものようにクールで知的だった。自分が証言台に登る前夜、マリア・カラスのオペラを聞きながら瞑想する場面のトム・ハンクスは、死期が迫る人間の不安や絶望と裁判のクライマックスに臨む決意を、表情だけで表現した出色の演技だった。大手弁護士事務所を弁護する憎たらしい女性弁護士は”どこかで観た顔だ”と観劇中ずっと考えていて映画の終盤で「バックトゥーザフューチャー3」のクララ役の女優(Mary Steenburgen)だということに気が付いた。これまでに観たデンゼル・ワシントンとトム・ハンクスの映画を古い順にリストしておく。監督:ジョナサン・デミ 出演:トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、ジェイソン・ロバーツ、アントニオ・バンデラス、メアリー・スティーンバーゲン フィラデルフィアは独立宣言の起草が行われたようにアメリカ建国の精神である自由と人権を象徴するということが映画の題名に込められている。トム・ハンクスの母親役として大好きなポール・ニューマン夫人のジョアン・ウッドワードが出演していたのは、ポール・ニューマン主演の法廷映画の名作「評決(The Verdict)」に対するオマージュのつもりなのでは。★★★★☆

     デンゼル・ワシントン

  • グローリー 1989 ★★★★☆ 南北戦争の北軍黒人兵
  • ペリカン文書 1993 ★★★★☆ ジュリア・ロバーツを助ける記者
  • フィラデルフィア 1993 ★★★★☆ 社会派弁護士
  • マーシャルロー 1998 ★★☆☆☆ ブルース・ウィリスの暴走を止めようとする捜査官
  • ボーン・コレクター 1999 ★★★★☆ アンジェリーナ・ジョリーに指示を出す天才犯罪捜査官
  • マン・オン・ファイアー 2004 ★★★☆☆ 「I am Sam」のダコタ・ファニングのボディーガード
  • デジャブ 2006 ★★★☆☆ 殺害された被害者を助けるためにタイムトリップする捜査官
  • ザ・ウォーカー 2010 ★★☆☆☆ 聖書を持って歩く人。「Mad Max」の流れを組む世界崩壊後の話で、ケビン・コスナーの「Postman」や「Water World」並みの駄作。
     トム・ハンクス
  • プリティー・リーグ 1992 ★★☆☆☆ 女子プロ野球リーグのマネージャー。マドンナが出ている。
  • めぐり逢えたら 1993 ★★☆☆☆ メグ・ライアンの相手役の一人息子のいる男やもめ
  • フィラデルフィア 1993 ★★★★☆ エイズの弁護士。アカデミー主演男優賞。
  • フォレスト・ガンプ 1994 ★★★☆☆ 自閉症のフォーレスト・ガンプ。評判ほどいいとは思わない。
  • アポロ13 1995 ★★★☆☆ 船長
  • You Gotta Mail 1998 ★★☆☆☆ メグ・ライアンの相手役の本屋の店長。軽い。
  • Private Ryan 1998 ★★★★☆ 第2次世界大戦の分隊長。戦場に流れるエディット・ピアフに戦争の残酷さと理不尽を感じた。
  • Cast Away 2000 ★★★☆☆ ロビンソン・クルーソーになるとWilsonもが友達になるということに笑うより納得した。
  • Catch Me If You Can 2002 ★★☆☆☆ デカプリオを追いかけるFBI捜査官
  • The Da Vinci Code 2006 ★★★☆☆ 宗教象徴学の教授。マグダラのマリアのことを初めて知った。

 このリスト中では、「フィラデルフィア」が一番面白い。デンゼル・ワシントンの「デジャブ」は大した映画ではないのだが、タイムトラベルで過去を変え結末を変えてしまおうという発想は、小学生のころ読んだSF小説「タイムマシン」に始まり、テレビの「タイムトンネル」、「時をかける少女」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と親しんできたテーマなので思い入れが強い。特に、広瀬正の一連の小説「マイナス・ゼロ」、「ツィス」、「エロス」、「鏡の国のアリス」を学生時代に読み耽り、夭折した彼の墓標が”タイムマシン”だったという話に憧憬したことを思い出す。全作品を読んでいる広瀬正のことはいずれ書きたいと思っている。

  「黄昏(原題Carrie)」1952 監督:ウィリアム・ワイラー、出演:ジェニファー・ジョーンズ、ローレンス・オリビエ、エディー・アルバート、田舎から出てきた世間知らずの若い女とその魅力に溺れていく上流階級の妻も子もある男の話で、逃避行の末、女はその若さと美貌で最後は舞台女優として成功するが、男は浮浪者にまで落ちぶれていく。「ローマの休日」や「ベン・ハー」のウィリアム・ワイラー作品ということで期待したが、そこまで落とすかという感想しかない。★★☆☆☆

 機中で観た映画は以下のとおり。

「The Adjustment Bureau」2011 監督:ジョージ・ノルフィ、出演:マット・デイモン、エミリー・ブラント、人間の運命は決まっていて、それから外れることがないようにAdjust(調整)する神のような集団(Bureau)がある。マット・デイモンがエミリー・ブラントと付き合うことは運命から外れることになるのだが、その調整者の存在を知ったマット・デイモンは運命に逆らい自分で自分の運命を決める行動にでるというSFもの。最近よく見かけるエミリー・ブラントはここでもあまり美人ではなかった。それが理由ではないのだけど、★★☆☆☆

「Red Riding Hood」2011 監督:キャサリン・ハードウィック、出演:アマンダ・セイフライド、ルーカス・ハアド、童話”赤ずきんちゃん”を題材にしたファンタジーもの。魔女狩りや狼男の伝説を取り込んで、赤ずきんちゃんが活躍する。見るべきものは何もなかったけど、一応赤ずきんちゃん役のアマンダ・セイフライドの将来性に期待して、★☆☆☆☆


渋江抽斎

2011-07-10 02:13:40 | 他本

 今日7月9日が命日の森鴎外は小学校の絵本で読んだ「山椒大夫」と中学の時に読んだ「ヰタ・セクスアリス」以来である。息子が読んでるというので何気なく青空文庫を開いたところ、話に引き込まれ気が付いたら読み終えていた。

 鴎外が小説の題材を探すために江戸時代の「武鑑」を渉猟しているときに偶然、”渋江氏蔵書”とか”抽斎云”という書き込みに出会い、自分と同じような蒐集をしていた先人がいることに興味を抱く。それからの鴎外は、渋江抽斎の子孫を探し当てて話を聞くなど、抽斎という人とその周辺を細大漏らさず調べ、この本を書き上げる。医者の渋江抽斎を中心に抽斎に関わる人々の消息が年代を追って細かく語られる。例えば妻の実家の兄の子供がいつ生まれいつ死んだか、抽斎の子供の儒学の先生がいつ生まれ死んだかまで、とにかく少しでも抽斎に関わる人はすべてなのである。安政の地震、幕末の動乱、明治の変革など幕末から明治の時代背景が散りばめられ、当時の人々の生活や習慣、考え方までがわかる。また、谷文晁、安積艮斎、福沢諭吉、中江兆民など聞きなれた人も関わっている。話は抽斎が死んでも残された抽斎の妻や子供の話を中心に鴎外のいる時代まで続く。

 ところが、抽斎の伝記のつもりで読んでいると、いつのまにか抽斎の4番目の妻五百(いお)の伝記じゃないのかという気がしてくる。抽斎の話より彼女の逸話が面白いのである。家に三人の侍が金目当てで押し入ったときちょうど沐浴をしていた五百は匕首(あいくち)を片手に腰巻ひとつで飛出してきて侍を追い出した話は龍馬のお龍のようである。結婚前言い寄る男を池に突き落とした話や五百という名に雅がないとして伊保と書いていたとか、放蕩を続ける腹違いの息子に切腹のような名誉を与えては申し訳ないとして事を納めた話とか抽斎の話より小説的である。分量的にも「渋江抽斎」は119章から成るが、抽斎は半分の62章あたりで死んでしまいあとは五百と子供の話が中心になるのである。先に話は年代順に進むといったが、実は五百が抽斎に嫁いだ驚きの秘密は、五百が死んだ後の107章で明かされ、ちゃんと小説仕立てになっているのである。五百があまりに魅力的に書かれているので、鴎外は抽斎に名を借りて、実は五百の話が書きたかったのではないかという気さえしてくる。

 抽斎は人間の修養として六経を読んだ上で、”過ぎたるは猶及ばざるがごとし、を身行の要とし、無為不言を心術の掟となす。この二書(論語と老子)をさえ能く守ればすむ事なり”と考える。六経とは、”詩経、易経、礼記、書経、楽経、春秋”である。論語と老子はかじったが、六経は読んだことがない。”過ぎたるは猶及ばざるがごとし”は中庸を説く論語で、”無為不言”はまさに老子であることは先般勉強した。

 「渋沢抽斎」は、漢文の難しい言葉が多い中にカタカナ英語が散りばめられ、斬新な感じを受けた。順不同だが、contemporain, dilettante, antipathy, situation, possibility, reconstruction, definition, dissonance, approximatic, recitation, corps diplomatic, reaction, generation, spelling, reader, mutualism, paditism, bibliography。ひとつだけ、ボンヌユミヨオルがわからなかった。Bonne~というフランス語かもしれない。また、クルグスは臨床講義という医学用語である。

 2年前、津和野で、”自分は石見の森林太郎として死にたい”、官職や小説家など表向きの肩書とは無関係に素の人間として死にたいという鴎外の言葉に接し感動したが、抽斎の一生を振り返れば、藩医や考証家という表向きの肩書の背後に、その何倍もの時間と労力で家族や友人と接した生身の人間の一生があることに気付かされるのである。


荀子

2011-07-05 23:43:18 | 中国

 ゲーム三国志の曹操の部下に荀(じゅんいく)や荀収(じゅんしゅう)という武将がいるが、知力と政治力が100近くもあり、配下に置くと頼もしい軍師として使える。荀は曹操から、”我が子房なり”と評されたほど、その才能を買われていたという。荀は映画「レッドクリフ」にも曹操の軍師として出ていたが曹操の南征には批判的で、”たった一人の女のために(これほどの戦いを始めたのか)”と嘆いている(これは記憶違いでもう一人の軍師の程が言った言葉だったかもしれない)。荀も荀収も、戦国末期のあの性悪説で有名な儒家・荀子の子孫なのである。

内山俊彦の「荀子」を読んだが、読む側が悪いのだろうけど白川静の「孔子伝」を読んだときと同じで、荀子の人間像がわかったようでわからなかった。たぶん内山の提供する情報量が多すぎてレベルの低い読者では情報整理がつかないためだと思う。ネット情報を借りながら自分なりに何とか本から拾った荀子の思想が以下である。

人の性は悪にして、其の善なるものは偽なり

性悪説である。人間の性(生まれつきがそうであるもの)は悪なのである。善が偽とは、善は作為の結果という意味である。だから、人は礼や学問によって善を作っていかなければならない。荀子は性の中に心があるとし、心は五官(耳、目、鼻、口、感覚)を統御し、偽として悪である性を善に変えるのである。心は性の中にありながら性を変える働きをするということである。”性悪→心→五官統御(偽)→善”という流れだろうか。この”心”は人間が本来持っているものだというから話がややこしくなる。それなら、性悪を善に変える力を、本質的に持っていることになるのだから、結局、孟子と同じ性善じゃないかと思うのだが、どうもそう単純ではないらしい。そう単純じゃない理由が内山の説明からはよく理解できない。

青は藍より出でて藍よりも青し

よく聞くことばだが、これが荀子のことばだとは知らなかった。藍の色は藍草から取るが、もとの藍草より青い、さらに続けて、氷は水よりなるが水よりも寒(つめ)たし。そのように人も学問を続けていれば師を凌ぐことができる。と学問を勧め、性悪を善に変えなければいけないと荀子は言うのである。

天人の分

天すなわち自然と人間を分離し、水火、草木、禽獣、人間の順に人間を自然より優位に置く。人間は天に対して客観的で主体的に自然に働きかけることができる。ところが荀子は別に”人の運命は天にあり”と言っているので、この天は老子列子の道教の天(道)に近い超自然的・観念的なものになっている。天を物質的な自然と見る天人の分とは矛盾するように思える。内山は矛盾ではないというのだが、この論理も理解できないし、彼の本のどこに矛盾でない理由が書かれているのかわからなかった。”人間は、自然を変化させて自分の目的に役立つようにし、自然を支配する。”という意味のことを言ったのはエンゲルスで、荀子も自然を統御するという考え方らしい。梅原猛山折哲雄も宮沢賢治も、このような西洋的(荀子は東洋だけど)な自然観を捨て、もっと自然に謙虚であれと、声を高くするのである。

韓非と李斯

二人とも荀子の弟子のあと秦に仕えた法家である。性悪を心や礼ではなく、法によって人を治めようとした。性悪である人間に礼を行わせ善にするのだが、当然、性悪なので、孔子や孟子が言うように君主が模範的に道徳的なら民は収まる(徳治主義)ということにはならないので、荀子が言わなくても早晩、法家のような考え方が出てくるのは当然だったと言える。だから、仁や徳の徳治主義をとなえる儒家としての荀子はここでも矛盾を抱えていたことになる。

孔子、孟子、荀子ともに儒家の理想を掲げて現実の政治に関わろうとしたが、儒家思想そのものが現実から乖離した理想論だったため誰も彼らを使おうとはしなかった。結局、戦国時代の儒家は夢想と矛盾のなかにいたのだから、荀子の思想に矛盾があってもどうってことはないのである。

内山の「荀子」を熟読もせず理解もせずに論ずることに若干忸怩たる思いを持つが、荀子で立ち止まると先に進めないのでこの辺で勘弁してもらおう。誰に許しを請うているかといえば、もちろんお天道様に決まってる。お天道様ってもしかして道教から来ているのかも?若干は少しの意、忸怩は深く恥じ入ること。この組み合わせは完全に矛盾している。”矛盾”は法家の韓非が孔子や儒家の教えを批判するために使ったと言われている。孔子様でさえ矛盾を犯すのだから、ましてや私ごときが矛盾を犯しても誰も非難はすまい。


カルロ・ウルバニ医師

2011-07-02 21:03:26 | 東南アジア

 昨日、サイゴン河畔のホテルから空港に向かう道端で、Pasteur(パスツール)という看板のPharmacyを見つけ、さすが旧フランス領と感心していたら、通りの名前もPasteurだった。ベトナム語以外の道路名を見たことがないので、パスツールはよほどベトナムでは尊敬されているのだと思う。パスツールは狂犬病のワクチンを発明したと学校で教わった。ベトナムにはフランス系やアメリカ系の病院があり医療レベルは相当高いらしい。そこで思い出すのが、”SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)”の危険性を最初に世界に警告したハノイの病院にいた医師カルロ・ウルバニのことである。SARSは感染後の致死率がきわめて高く2003年当時中国、香港、シンガポールなどで猛威をふるい、世界中で700人以上が死亡した。

 イタリア人のカルロ・ウルバニ(Calro Ulbani)は、WHO職員として2003年当時、寄生虫病研究のためハノイの病院にいた。2003年2月末、ウルバニ医師は中国からの旅の途中ハノイの病院に搬送された患者が、単なる肺炎でなく新種の感染病にかかっていて、飛沫感染するという危険性にいちはやく気付き、患者を隔離するとともに世界保健機構に警告を発した。これにより世界中に危険性が伝えられ、特にベトナムではウルバニ医師の指導の下、SARSは完全にコントロールされ大規模な流行を抑えることができた。中国と香港でそれぞれ300人前後、シンガポール、台湾、カナダで30~40人の死亡者が出たが、ベトナムでの死亡者数はわずかに5人で、それも最初の患者を診た病院の職員だけだったのである。ウルバニ医師は学会で訪れた出張先のバンコクでSARSを発症し、2月末に患者を診てからわずか1か月後に亡くなる。私より1歳若い1956年生まれで妻と3人の子供を残し46歳の生涯を閉じる。WHOの最高責任者は、“His life reminds us again of our true work in public health. Today, we should all pause for a moment and remember the life of this outstanding physician.”(医者の本当の仕事は人々の健康を守ることであることをウルバニ医師は教えてくれた。今日、我々はこの素晴らしい医者の生涯をじっくりかみしめなければならない。)という声明を出している。

http://www.who.int/mediacentre/news/notes/2003/np6/en/  

それは、司馬遼太郎が「洪庵のたいまつ」で紹介した緒方洪庵のことばとまったく同じなのである。

”医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。”

 2003年当時、私はシンガポールにいたが、SARS患者を扱う病院から逃げだす医者がいたり、保菌を疑われ自宅待機を命じられた人が市場に行ったといって周辺がパニックになったりしたことを思い出す。空港や公共の場だけでなく、それぞれの事務所でも出入りする人間に体温検査が義務付けられた。私の事務所もSARS患者のいる病院へ通っていた社員に対し他の社員が感染の危険性を危惧したため自宅待機させたり海外出張を取りやめたりした。シンガポールでは医師を含め30人以上が死亡しシンガポール中が一種のヒステリック状態に陥ったため、ウルバニ医師とはかけはなれた人間の本性が露わになる話が噴出したのである。

 話が重くなったので、ホーチミンのレストランで撮影した一枚を載せておく。優雅な音色の民族楽器で、民族曲に加え、”涙そうそう”を演奏してくれた。何度食べても、このレストランの生春巻は絶品である。