備忘録として

タイトルのまま

2001年宇宙の旅

2014-06-21 10:00:07 | 映画

ANA機中映画は先月の最新映画「Saving Mr. Banks」に旧作「メリーポピンズ」を用意し、今月はコンピューターが感情を持つ「her:世界にひとつの彼女」に「2001年宇宙の旅」を配した。余命わずかで特効薬を手にするために行動するCIAエージェント「ラストミッションl」とエイズ患者「ダラスバイヤーズクラブ」が並んだのは単に偶然かもしれないけれど、番組編成者は観客の興味に配慮するプロだと感心している。ポスターはIMDbより。

「2001:A Space Odyssey 2001年宇宙の旅」1968、監督:スタンリー・キューブリック、出演:キア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、シンガポールの映画館で観て以来だから30年ぶりの鑑賞だ。この映画の映像、特殊効果、ストーリーは50年後の今もまったく色あせず、交響曲「ツァラトストラはかく語りき」から始まる物語にわくわくした。人類の進化は、類人猿から猿人に始まり、感情を持ったコンピューターHal(ハル)は人類に反乱を起こし、Halに勝った宇宙飛行士は宇宙の中心で胎児に遭遇する。石版は生物の進化を司る絶対者の存在を物語る。最新映画「Gravity」や「her」に比べても遜色なく古さをまったく感じなかった。2001年に惑星間飛行は実現していないし、感情を持つコンピューターもまだ出現していないので映画の先進性が先を行く。★★★★★

「Dallas Buyers Club」2013、監督:ジャン・マーク・ヴァリー、出演:マシュー・マコノーフィー、ジェアード・レト、ジェニファー・ガーナー、エイズに感染した男が病院で処方された薬に疑問を抱き、自から勉強して世界中から特効薬を買い集め同じエイズ患者に会員制販売する実話である。この映画が描く1985年頃、エイズはアフリカや東南アジアで流行し、性交渉、特にホモセクシャルに多く感染者が出たことから、エイズ患者は世間から迫害差別された。1985年はシンガポールにいた。その頃、東南アジアでもエイズが蔓延し始めていた。政府はエイズを水際で食い止めようと外国人の労働や滞在ビザ発行の条件としてエイズ検査を義務付けた。これを人権侵害だとして検査を拒否しシンガポール入国をあきらめた西洋人もいた。映画の主人公は製薬会社や医者の利益を優先し薬を規制する政府に戦いを挑む。エイズ患者への偏見や境遇に同情するよりも、主人公の自分や患者仲間の命をかけた戦いに喝采した。この映画は今年のアカデミー賞主演男優賞と助演男優賞を取った。★★★★☆

「3 Days to Kill 邦題:ラストミッション」2014、監督:McG、出演:ケビン・コスナー、ヘイリー・スタインフェルド、コニー・ニールセン、癌で余命3か月と宣言されたCIAのエージェントは最後の時を妻と娘と過ごす決心をするが、治療薬を手に入れるために最後の任務につく。ケヴィン・コスナーは最近の出演作「Man of Steel」や「Jack Ryan:Shadow recruit」で脇役だったので、もう主演はないのだろうかと気にかけていた。パリの自宅に住み着いた不法移民の家族に妊婦や子供がいたことから追い出すこともせず、捕まえた敵に可愛い娘がいたことから見逃してやり、娘のためにイタリア人の敵にパスタのソースの作り方を聞いたり、本来冷血で非情であるはずのCIAエージェントが温情家で家庭的なのが逆に新鮮だった。本来ならCIAエージェントをコミカルにしただけのB級映画レベルの出来なのだが売り出し中のヘイリー・スタインフェルドを嘉しておまけの、★★★☆☆

「Hours、邦題:ハリケーンアワー」2013、監督:エリック・ハイセラー、出演:ポール・ウォーカー、ジェネシス・ロドリゲス、ハリケーン”カトリーナ”が街を襲った日、病院で早産の娘を産んだ妻は出血多量で死んでしまう。ハリケーンのために医者や患者は皆、病院から避難したが、父親は生命維持装置に入れられた赤ん坊を動かすことができず2人だけ病院に取り残された。生命維持装置は手動充電器でかろうじて動く状態で、食料もない中、父親は昼夜手動充電器を回し続け救助を待つ。そこに病院荒らしが乗り込んでくる。これも設定やエピソードが安直なのでB級映画に近い出来なのだが、赤ん坊の命を必死で守る父親と救助犬との触れ合いと小さな命に感情移入したので、★★★☆☆

「武士の献立」2013、監督:朝原雄三、出演:上戸彩、高良健吾、西田敏行、余貴美子、見どころは料理上手の良妻を演じる上戸彩で、半沢直樹のときの明るい内助とは異なり、ダメな夫を支えたしっかりものの良妻振りが良かった。それに引き換え夫の幼稚さにがまんできなかった。脚本家の仕掛けにまんまと、はまってしまったのかもしれない。とにかく上戸彩の頑張りを嘉して、★★★☆☆

「His Last Vow」2014、テレビドラマ「Sherlock」の第3シリーズ3作目S3E3である。ワトソンの新婦メアリーが銃を持ち黒づくめの恰好で現れたときにはマジで驚いた。メアリーの驚きの正体が語られる。これで本シリーズ3回目の星5つだ。★★★★★


本四架橋

2014-06-08 23:56:40 | 徳島

韓国のセウォル号沈没事故は痛ましく他人事とは思えなかった。1988年に瀬戸大橋が架かるまで、私たち四国の人間が本州など他の地方に行くには船が頼りだった。小中高の修学旅行は3度ともすべて船を利用したものだった。そのずっと昔、1955年に旧国鉄宇高連絡船の紫雲丸が貨物船と衝突沈没し修学旅行生が100人以上も犠牲になっている。事故は濃霧の中で起こったとはいえ、速度を落とさず航行したことや目視確認が十分でなかったことなど船長や航海士の過失とされた。そんな事故があっても、四国で人が生活している以上、船を手放すことなどできるはずもなかった。幸い当時の国や地方自治体や教育者に修学旅行を廃止するという発想はなく、この事故を教訓として天候による運航停止判断などの安全管理、学校での水泳訓練などの安全教育が強化された。そのおかげで私たちは修学旅行による貴重な体験を享受し続けることができたのである。国は連絡船を継続運航する一方で、台風や濃霧に影響されない本四架橋の建設計画を急ピッチで進めた。修学旅行ではしゃいでいた頃、自分が後日、本四架橋の仕事に関わることになるなどとは夢にも思っていなかった。

左:宇野港にあった宇高連絡船の模型、2008年頃に撮影した 右:歌川広重の阿波鳴門之風景 (https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige226/より拝借)

上の浮世絵は淡路島から鳴門方面をスケッチしたものでここに大鳴門橋が架かっている。先に建設された大鳴門橋は瀬戸大橋同様に鉄道を併設したが、後年建設された明石海峡大橋に鉄道はなく、徳島と神戸を鉄道橋で結ぶ構想は消滅した。今後鉄道が復活するとすれば海底トンネルである。大鳴門橋は1985年に開通、明石海峡大橋の開通は1998年のことである。明石海峡大橋の仕事のために1987年3月10日から7月19日まで5か月ほど神戸にいた。1987年2月にシンガポール赴任を解かれ、約半年間の明石海峡大橋の仕事に従事するため家族を妻の仙台の実家に預け単身赴任した。日付まではっきり覚えている理由は、3月の自分の誕生日を家族で祝ってすぐに現地へ行き、7月20日の長男誕生ぎりぎりまで神戸で仕事をしていたからである。長男は姉二人同様に帝王切開で手術日が決まっていて、出産に間に合うように夜遅くまで残業し仕事の完成を急いだことを思い出す。長男誕生を確認したあと家族をそのまま仙台に残し、8月から今治で来島海峡大橋の仕事に就いた。家族と合流したのはその年の10月になった。

左:2007年夏、しまなみ海道を渡り松山へ行ったときに撮った来島海峡大橋の夕景   右:明石海峡大橋(Wiki)

明石海峡大橋の工事完成(閉合)は1996年9月で、前年の1995年1月に阪神淡路大震災が起こったときは工事真っ最中だった。震災が起こったとき橋桁はまだ架設されてなくて主ケーブルを張り渡したところだった。写真の2本の主塔の中間付近を野島断層が走り、震災のとき断層が1mほど横にずれた。野島断層がそこにあることは建設前の地質調査でわかっていた。断層のずれによって2本の主塔の間の距離が1mほど広くなった。明石海峡大橋の支間長は1990mで計画されていたのが地震で1991mになったのである。この支間長は今も吊り橋として世界最長である。橋とその基礎には耐震設計が施されていたので構造的なダメージはなく、ケーブルを若干補正することで工事は続けられた。(注:野島断層と明石海峡大橋と長男のことは以前”出雲大社”の巻で書いた。) 


平凡と非凡

2014-06-07 13:34:41 | 話の種

今日の「花子とアン」で編集長が新作を読んで花にかけたことばが、”洗練された平凡は非凡につながる”だった。ところが、凡人にとっては平凡に磨きをかけることがむずかしいのだ。昔、プロ野球チーム阪急の西本監督が、”選手はみんなへたくそなので、練習でプロにするのがコーチや監督の仕事だ”という意味のことを言った。プロに入るくらいの選手だから潜在的な能力があり、そもそも素材が違うはずだと、そのときは思った。

洗練された平凡にはどのようなものがあるだろうか。

今日の花子の立場なら、料理家の栗原はるみはどうだろうか。ふつうの主婦の料理が今ではプロのわざになっている。栗原はるみは、たぶん日々の料理に人より少しだけ余分に時間を使い、少しだけ工夫することを心掛けているのだと思う。その少しだけをこつこつと繰り返しているうちに磨きがかけられ、いつのまにかその分野の先頭を歩いていたのではないだろうか。司馬遷は史記世家で張良について、老子のことばを引用し”困難なことを容易なことから考えていき、大きなことを小さなことから行っていった”(図難於易、為大於細)と絶賛している。司馬遷は張良を天才(非凡)だとは言っていない。列子の”愚公山を移す”の愚公は平凡な人である。山を削る行為も平凡そのものである。でも、山を移そうとする志と子孫は無限で山は高くならないという発想は尋常ではなく非凡である。”少しづつ、こつこつと愚直に志す”が、平凡を非凡に変えるキーワードかもしれない。

振り返れば、このブログも2005年12月に始めてからもう8年半になった。この間、記事をほぼ週1のペースで掲載し、チリが積もって500近くになった。このまま100歳まで続ければ、3000チリくらいになるので自分チリ史くらいは出版できそうな気がする。途上で命運尽きればそれまでのこと、その時は諦観するしかない。

ところで、男児はまず「赤毛のアン」を読まない。「トムソーヤの冒険」は読んでも「赤毛のアン」には見向きもしない。ところが、娘が二人いた所為で、ミーガン・フォローズ主演のテレビ映画「赤毛のアン」シリーズを横から観ているうちに、今ではアンの物語のファンである。それでも小説を読む気にはならないので、映画に映し出されたプリンスエドワード島の美しい四季がファンになった理由のような気がする。娘がカナダにいる間にプリンスエドワード島とGreen Gablesを見てみたいと思っている。

”赤毛のアン”は幼馴染のギルバートと結ばれる。花子は村岡印刷の村岡花子になることがわかっているので、幼馴染の朝市が今後どうなるのか気になる。兄の吉太郎が軍隊に入ると言い始め、蓮子が与謝野晶子の”君死にたまうことなかれーーー”を送ったときには、朝市も戦死し、花子とは結ばれないという勝手な筋書きを予想していたが、完全に外れそうだ。

上はIMDBより

  • 1作目「Anne of Green Gables」1985、★★★★☆
  • 2作目「Anne of Green Gables、The Sequel」1987、★★★☆☆
  • 3作目「Anne of Green Gables、The Continuing Story」2000、★★☆☆☆

シリーズものの通例どおり後編ほど減点となるが責任上見届けた。


中東

2014-06-01 18:36:40 | 

日本は猛暑日が続いているが、先週シンガポールからカタールのドーハ経由で行ったアブダビの日中気温は45℃まで上がった。サウナ並を想像していたが、やや風があったので日中最高気温が35℃のシンガポールよりも少し暑い程度だと感じた。シンガポールの湿度が90%でアブダビは60%程度の所為かもしれない。それでも夕方50mほど外を歩いただけでもすぐ全身が汗びっしょりになったので、やはりシンガポールより暑い。アブダビではタクシーとバスを利用し、街ではショッピングモールやレストランに立ち寄ったがすべて英語が通じた。19世紀からイギリスの保護国だったからだろう。イギリスの保護下から離れたのは1971年で、独立してまだ40年と少しである。バスには出稼ぎだと思わしきフィリピン人やインド人が大勢乗っていた。バスの前方半分はLady Onlyと記された女性専用部で、後方の男性の座る場所と区分されていた。イスラムの戒律によるのだろうか。しかしマレーシアでよく見る黒ずくめのベール(ヒジャブ)で顔と体をすっぽり隠し眼だけを出した女性は空港以外ではまったく見かけなかった。テロ対策としてUAEではヒジャブの着用が禁止されているのだという。現地の男はアラビアのロレンスに出てくるような、ゆったりとした白い衣装をすっぽり身にまとい頭にはヘッドスカーフをかぶっていたが、多くは見かけなかった。現地の人は裕福で街を出歩くようなことはしないのか、現地人の人口より外国人労働者人口が多い所為かもしれない。

中東の国々についてはその位置や首都などの知識があいまいだったので今回の訪問に合わせて少し勉強した。アラブ首長国連邦United Arab Emirates(UAE)はアブダビ、ドバイ、フライジャなど7つの首長国から構成される。アブダビはUAEの首都で、ドバイは隣の首長国になる。エミレーツ航空のEmiratesは首長国の意味である。Emirates航空に乗りたかったのだが、シンガポールからはドバイにしか行かないため、ドーハ経由アブダビ行のカタール航空を使った。

下の地図にあるようにカタールやバーレーンは近隣の別の国である。サッカー日本代表の”ドーハの悲劇”の舞台となったドーハはカタールの首都である。アブダビの暑さを直に体験した後では、ここでサッカーをするのは狂気の沙汰だと思った。選手は称賛に値する。ブラジルの次のワールドカップを本気でカタールでやるつもりなのか。UAEと同様カタールも石油資源によって極めて裕福な国なので、金にまかせてスタジアムを空調の効いたドームにするなどしなければ、まともな試合は望めないように思う。ワールドカップ誘致のためかドーハ空港ターミナルは新築され大きく立派だった。地域のハブ空港として機能しているらしく夜中にも関わらず大勢の旅行客でごったがえし、中でも中国人観光客をさばく中国人職員が大勢働いているのが目についた。シンガポールからドーハまでは7時間で、現地滞在12時間、機中2泊の老体に鞭うつ強行出張だった。

ドーハやアブダビやドバイでは写真のような大規模リゾート開発が進められていて、外国からの投資を呼び込んでいる。基本的にアブダビもドーハも街のまわりは砂漠なので景色が茶色で、炎熱と無味乾燥の地に長期滞在するのは精神的にも過酷だろうと思ったが、シンガポールも季節がなく暑くて住めないという人がいるにも関わらず当方は長く住んでいるので、結局慣れかもしれない。アブダビには日本料理店もあるという。

中東地図とアブダビ郊外の緑化中の地区

ドーハ上空から撮ったリゾート開発とドーハ空港ターミナル

お土産のペルシャ絨毯(コースター)にのるラクダ