T百貨店の食料品売り場で”ドリアンサイダー”なるものが並んでいたので買った。栓をひねった瞬間、あの強烈なにおいが噴き出してきた。
写真は昨年5月にシンガポールへ行った時、娘のアパートで食べたドリアン(Durian)である。においが強烈なため、公共交通機関でドリアンを運ぶことは禁止されているので、このドリアンをどのようにして家に持ち帰ったのか覚えていない。家の近くで売っていたか友人の車で運んだかのどちらかだと思う。
初めてドリアンを食べたのは、1980年マレーシアの東海岸にあるCukaiという小さな町の市場である。ドリアンを食べようと薦めたシンガポール人の同僚は、最初からドリアンを食べられる日本人はあまりいないと言ったが、においは別にしてその時のドリアンは美味しかった。以来、6月と12月の出荷シーズンには必ず食べるようになった。最初は受け付けなかった妻も、生まれたときからドリアンに触れて育った子供たちも我が家は皆、ドリアン好きで、窓を開け放し床に広げた新聞紙の上で果肉を並べ、車座になってむさぼり食べるのが常だった。
鼻や胸にググッとくるほど発酵したものが最高なのだが、淡白なものや水ぽいものもあり、同じ棚から買ったものでもドリアンの味は千差で飽きない。私のベストドリアンは以下のとおり。
1.シンガポール人の同僚の家の木に成っていたドリアン
2.シンガポールの首相も好物だというDurian24という銘柄のもの
3.マレーシアの道沿いの屋台で売っていたドリアン
4.インドネシアのパレンバンで、手こぎ舟に山盛り(5~60個はあった)をUS$5で買って食べまくったドリアン
最近はシーズンがなくなったのか、ドリアンは年がら年中売られている。
シンガポールに長く住んでいる人でも、においがだめでドリアンを嫌う人が多かった。それにもかかわらず、ドリアンの強烈なにおいを売りにするドリアンサイダーがそれも日本のスーパーマーケットに並んでいることが不思議だ。もの珍しさで買った人の多くが栓をひねった瞬間、その場から逃げだすだろうと想像できる、ほど、ドリアンのあのにおいが封じ込められている珍品だ。
ドリアン食いてぇ~!!!!
柿本朝臣人麿、石見国より妻に別れ上り来たる時の歌
石見の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺をさして 和多豆(わたづ)の 荒礒(ありそ)の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振(はふ)る 風こそ寄せめ 夕羽振(はふ)る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を(A)
露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)毎に 万(よろづ)たび かへりみすれど いや遠に 里は放(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ(B)
夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門見む 靡(なび)けこの山(C)
恋人と別れた寂寞は石見の海の情景と重なるように自然と融合し(A)、別離の自覚は苦悶焦燥となり(B)、恋人への思慕は、あたかも恋人が目の前にいるがごとく想像させ、”靡けこの山”という激しい衝動に完結する。と犬養はこの長歌を解説する。
5月に都野津の海岸を真島より撮影した。
砂浜が犬養の頃(昭和40年前後)に比べ痩せているように見える。遠方には工場の煙突が見え、海岸沿いの開発は著しい。犬養は「万葉の旅」で、”真島の砂山に立てば東西ともに波音さえ人麻呂の楽を奏するようである”と述べ、人麻呂と同じ古代の空気を吸っているかのようだ。砂浜と海だけを見れば犬養と同じ感覚に浸ることができる。
真島。鳥居があったが何を祀っているかわからなかった。
上の長歌への反歌
石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の際(ま)より わが振る袖を 妹見つらむか
小竹(ささ)の葉は み山もさやに さやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば
AFI Web-site(http://connect.afi.com/site/PageServer?pagename=100YearsList)
Wiki(http://en.wikipedia.org/wiki/AFI%27s_10_Top_10)
観た映画に星マークを点けた。
ファンタジー分野
1 The Wizard of Oz 1939 ★★★☆☆
2 The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring 2001 ★★★★★(これより第2作が好きだ)
3 It's a Wonderful Life 1947
4 King Kong 1933 ★★★★☆ (こんな昔に特撮がすごい)
5 Miracle on 34th Street 1947
6 Field of Dreams 1989 ★★★☆☆
7 Harvey 1950
8 Groundhog Day 1993
9 The Thief of Bagdad 1924 ★★★☆☆(シンドバッド物はほとんど観ているはず)
10 Big 1988
ギャング映画
1 The Godfather 1972 ★★★★☆(マイケルの変貌が怖い)
2 Goodfellas 1990 ★★★☆☆
3 The Godfather Part II 1974 ★★★★★(マイケルがさらに凄味を増す)
4 White Heat 1949
5 Bonnie and Clyde 1967 ★★★☆☆
6 Scarface: The Shame of a Nation 1932
7 Pulp Fiction 1994
8 The Public Enemy 1931
9 Little Caesar 1931
10 Scarface 1983
SF
1 2001: A Space Odyssey 1968 ★★★★☆(石板の意味が今もよくわからない)
2 Star Wars Episode IV: A New Hope 1977 ★★★★☆(封切時にシンガポールの映画館で観た)
3 E.T. the Extra-Terrestrial 1982 ★★★★☆(LAのユニバーサル・スタジオで空飛ぶ自転車に乗った。)
4 A Clockwork Orange 1971 ★★☆☆☆(高校の時に観たがわけがわからなかった)
5 The Day the Earth Stood Still 1951
6 Blade Runner 1982 ★★☆☆☆
7 Alien 1979 ★★★★☆(ジェームズ・キャメロンの2作目の方が好きだ)
8 Terminator 2: Judgment Day 1991 ★★★★☆(1作目も好きだ)
9 Invasion of the Body Snatchers 1956
10 Back to the Future 1985 ★★★★★(3部作全部が面白い)
西部劇
1 The Searchers 1956 ★★★☆☆
2 High Noon 1952 ★★★☆☆(グレース・ケリーが美しい)
3 Shane 1953 ★★☆☆☆(あまりいいと思わなかった)
4 Unforgiven 1992 ★★★★☆(暗い)
5 Red River 1948 ★★★☆☆
6 The Wild Bunch 1969 ★★★☆☆(連射銃の場面は迫力はあったけれど?)
7 Butch Cassidy and the Sundance Kid 1969 ★★★☆☆(高校生にとってキャサリン・ロスは眩しかった)
8 McCabe & Mrs. Miller 1971
9 Stagecoach 1939 ★★★★★(西部劇のすべてがここにある。数十回観ている。)
10 Cat Ballou 1965
ロマンティック・コメディー
1 City Lights 1931 ★★★★☆(泣いた記憶がある)
2 Annie Hall 1977
3 It Happened One Night 1934 ★★★★★(おそらく数十回見ている)
4 Roman Holiday 1953 ★★★★★(おそらく数十回見ている)
5 The Philadelphia Story 1941
6 When Harry Met Sally... 1989 ★★★☆☆(食事するシーンは笑える)
7 Adam's Rib 1949
8 Moonstruck 1987
9 Harold and Maude 1971
10 Sleepless in Seattle 1993 ★★★☆☆
史劇
1 Lawrence of Arabia 1962 ★★★★☆(高校の時おふくろと見た)
2 Ben-Hur 1959 ★★★★★(戦車シーンの迫力は今のCGも及ばない)
3 Schindler's List 1993 ★★★★☆(重いテーマで観るのに躊躇したが見始めたら引き込まれた)
4 Gone with the Wind 1939 ★★★☆☆
5 Spartacus 1960 ★★★★★(高校の時感動して史劇ファンになった)
6 Titanic 1997 ★★★☆☆(普通。シンガポールでクリスマスイブに観た。)
7 All Quiet on the Western Front 1930
8 Saving Private Ryan 1998 ★★★★☆(戦場に流れるエディット・ピアフが印象的だった)
9 Reds 1981
10 The Ten Commandments 1956 ★★★☆☆
アニメ、スポーツ、法廷ドラマ、ミステリーはあまり観てないので省略した。
お盆休みを利用して岡山県笠岡市神島(こうのしま)にある神島神社へ行った。犬養孝が上の写真を撮った年がわからない。本には玉島から船で西航20km、神島に着いたといい、さらに昭和45年神島大橋架橋とあるので、少なくとも写真は昭和45年以前のものだと思われる。下の写真の今と比べると、昔は①鳥居の前に海岸パラペットがなく砂浜が見える、②大きな松の木がある、③狛犬が大きい
海岸は石積みで固められ砂浜はなくなっていた。変わらないのは、鳥居と遠望の島々の形状だけである。
「こんにち島は半農半漁ながら外浦(南側)には神島化学の工場もあり、神島・笠岡間の干拓も計画されているから、いずれは大いに変貌をとげることだろう。」と犬養孝が危惧したとおり、神島の北側は完全に埋め立てられ本州と一体化し、讃岐の沙弥島とまったく同じ状況である。
昭和30年代以前はパラペットがなく鳥居の目の前が海岸なので、波浪の大きい日の社殿は波に洗われたに違いない。鳥居脇の狛犬は新しく、平成18年奉納の文字が彫られていた。古い狛犬はなぜ撤去されたのだろうか。
ネット(http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/kounoshima/kounoshima.htm)で探してきた古い狛犬--これが犬養の写真に写っている狛犬だと思う。
神島神社は、神社縁起によると726年創建で、神日本磐余彦命(神武天皇)と皇后の興世姫尊(おきよひめのみこと)を祀る。神武は日向から大和への東征の途中、吉備に8年間滞在しており、興世姫は東征に同行せずこの神島にとどまり亡くなった。
高松塚古墳とキトラ古墳と、同時代で被葬者と築造年がほぼ確定している天武・持統天皇陵(野口陵)を比較してみた。いずれも646年の薄葬令以降に築造されたと考えられている。
我々は高松塚とキトラ古墳の壁画の鮮やかさ、豪華さに驚かされたが、両古墳の被葬者より位の高い天武・持統天皇陵には壁画がない。盗掘された副葬品が豪華で、壁画はそれほど重要ではなかったということか。あるいは、たまたま天武・持統陵に壁画がないだけで、他の天皇陵から豪華壁画がぞろぞろ出てくるかもしれない。宮内庁は早く他の天皇陵の発掘調査を許可すべきだと思う。
薄葬令とは646年(大化2年)に出された詔で、墳墓の縮小化、簡素化を規定したものである。薄葬令前後の陵墓を以下に比べてみた。
621年聖徳太子 磯長(しなが)陵 円墳(径55m)
628年推古 山田高塚古墳 方墳(63mx55m)
641年舒明 段ノ塚古墳 上八角・下方墳(80mx110m)
---646年薄葬令---
654年孝徳 磯長陵 円墳(径32m)
661年皇極・斉明 車木ケンソウ古墳(他説あり) 円墳(径45m)
672年天智 御廟野(山科)陵 上八角・下2段方墳(上辺46m、下辺70m)
687年天武・持統 上八角・下方墳(45mx50m)
薄葬令前後では、薄葬令直前の舒明陵だけが、他の陵墓に比べ例外的に大きく、推古陵は、薄葬令以後と比べて舒明陵のように大きいわけではない。推古が女帝だったから小さく作られたのか、馬子の墓と言われる石舞台古墳から推定されるように蘇我氏の古墳のほうが大きかったのかもしれない。
孝徳天皇陵は中大兄皇子らに難波に一人見捨てられた後に亡くなったことを反映したのか、かなり小さい。一方、天智陵の規模はそこそこ大きい。日本書紀にあるように斉明天皇は薄葬令以降も民衆から怨嗟の声が出るほど土木工事を好んで行っているので、薄葬令は華美を禁止したり経済的な理由で出されたものではないことは明らかである。その頃、官制の大きな仏教寺院が多く作られているので、持統天皇をはじめ火葬が普及し始めたように葬儀を仏教色に変えていこうという宗教的な理由か、天皇陵への適用を目指したものではなく臣下の墳墓の巨大化を規制するための詔だったようだ。
テープに残された各人の発言はすべてが率直で、歴史の真実を語り残そうという姿勢が感じられた。しかし、日本国民だけでも300万人以上の死者を出し、戦場となったアジアでそれ以上の死者を出したという責任を第1に負うべき人たちの発言としては、他人事のように淡々とし過ぎているようにも感じた。ただ、25年の空白があったからこそ、責任や良心の呵責から離れ、自身の過去の言動を客観的に評価することができたとも言える。
番組から感じたことを並べると、
◎ 組織防衛が目的になって国民や戦況、国際情勢の理解がおろそかになったところなどは、現在の企業組織や官僚組織が抱える問題と同じだ。
◎ 住民を人間として扱うという感情がなかったという海軍上層部の感覚が住民の虐殺や捕虜虐待を助長した。
◎ 中国に小さな飛行場を作る時にさえ住民を虐殺をしたという事実がある以上、南京大虐殺がなかったという論は成立しないと思う。
◎ 海軍トップの会話では英語があたりまえに使われていたので、敵性語というのは国民向けの政策だったのだろう。
◎ 海軍トップの海軍大臣を守ることを目的とした戦争裁判対策では、捕虜の処刑を上層部からの命令ではなく現場の判断だっとしたことで、結果的に自分たちの保身と下士官たちの極刑につながった。
◎ 戦争犯罪は、開戦の責任と捕虜や住民の虐殺などの戦争犯罪によって裁かれ、海軍にA級戦犯はいなかったが、特攻隊を組織するなど日本国民を無為の死に追いやった責任は、国民に対する犯罪だと思う。戦犯とは戦勝国に対する犯罪者であり、自国民に対する犯罪では裁かれない。
◎ GHQは占領を容易に進めるため陸軍と東条英機に戦争責任をすべて押し付け裁判の幕引きを図った、いわゆる司法取引を持ちかけたという。真実や正義を振りかざすだけでは世の中は上手く回らないということか。
◎ 巣鴨プリズンから出てきたA級戦犯の陸軍トップは海軍トップのような反省会あるいは戦争総括をしたのだろうか。
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PS 14日
今日朝のNHK・BSの”証言記録 兵士たちの戦争「重爆撃機 攻撃ハ特攻トス~陸軍飛行第62戦隊~」”と”「人間魚雷 悲劇の作戦~回天特別攻撃隊~」”を観た。生き残った元特攻隊の人たちの証言は生々しく未だ戦争を引きずっていて、軍令部の人たちの反省会での冷静な議論と比べると対照的だった。軍令部は机の上で戦争し、元特攻隊の人たちは生死の境に身を置いていたということだろう。
海軍の自爆装置のあった「回天」も同じだけど、陸軍航空隊の「さくら弾」という爆撃機は、戦争の産んだ化け物だった。
今週初め、ケイト・ウィンスレット(Iris)とキャメロン・ディアズ(Amanda)主演の恋愛映画をMoviePlus(ケーブルテレビ)で観た。ケイト・ウィンスレットは1997年のジェームズ・キャメロン監督“タイタニック”の時は、小太りで悲劇のヒロインとしての魅力に欠け、配役ミスだと思ったが、この映画の彼女は魅力的だった。今年、彼女は“The Reader(愛を読むひと)“(未見)でアカデミー主演女優賞を取ったように、その後さらに成長したのだろう。
ロンドン郊外とLAに住む見ず知らずの二人の女性が、失恋の傷を癒すために、お互いの家をクリスマス休暇中交換するというもので、それぞれの休暇先で新しい出会い(a "meet cute")がある。Amandaの相手はジュード・ローで、奥さんと死別し二人の子供を育てているという設定は同情票稼ぎが見え見えで、かっこ良すぎる。Irisの相手のジャック・ブラックはIrisと同じく不誠実な恋人と別れ、同じ境遇で引かれあうという設定が安易すぎる。
二人の新しい恋より、昔オスカーを受賞した老いた脚本家が良かった。彼は歩行器なしでは歩けず世間から隠遁した生活を送っていたが、Irisによって心を開いていく。この老人が、“Here’s looking at you, kid.”(邦訳では、“君の瞳に乾杯”という名訳で有名)の映画“カサブランカ”の名セリフを考えたという設定になっている。その他、ニューシネマパラダイスが流れたり、ダスティン・ホフマンが通りすがりに出てきたり、遊びが満載だった。
The Holiday(2006)監督:ナンシー・メイヤーズ 出演:キャメロン・ディアズ、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロー、ジャック・ブラック ★★★☆☆
注:"meet cute"とは、ロマンチック・コメディにおいて、まったく関係のない男女が不思議な縁で出会うこと。”It happens one night”で、クラーク・ゲーブルとクローベット・コルベールがバスの席をめぐって争うことから始まる出会い
アメリカ映画協会(American Film Institute)に名画100年名セリフトップ100というのがあって、カサブランカのハンフリー・ボガードがイングリッド・バーグマンに言う“Here’s looking at you, kid.”は、第5位にランキングされている。1位は“風と共に去りぬ”でクラーク・ゲーブルが言う“Frankly, my dear, I don't give a damn”(うちにあるDVD邦訳”知らないね。勝手にするがいい“)。2位はゴッド・ファーザーの” I'm gonna make him an offer he can't refuse.“で、マーロン・ブランド扮するビトーが弟に言って聞かせる怖いセリフ。3位もマーロン・ブランドで”波止場“のセリフなので、セリフとマーロン・ブランドの個性がマッチしたということだろう。波止場は観ていないが、学生時代に観た”ラスト・タンゴ・イン・パリス“でタンゴを踊りながら自身の股間を指して叫ぶ、”This is my happenis!“は、よく覚えている。でもこの下品なセリフはトップ100にはなかった。
100位内の主なセリフ
8位 "May the Force be with you." スター・ウォーズでハン・ソロの言う、“ルーク、フォースのあらんことを“
13位 "Love means never having to say you're sorry." “愛とは決して後悔しないこと”これは当時、私が高校生の時、映画のポスターや原作本「Love Story(ある愛の詩)」の帯広告に使われた。
31位 "After all, tomorrow is another day!" “風と共に去りぬ“でビビアンリーが最後に言う名セリフ
37位 “I’ll be back”ターミネーター
85位 “My precious”ロード・オブ・ザ・リングのゴラム
洋画の長いセリフは聞き取れないから、短いセリフばかりなのは御愛嬌。
私の邦画名セリフは、何といっても“七人の侍”の次の二つである。
「他人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ」
勘兵衛(志村喬)が、離れの農民が自分の家を諦めることが不満で戦列から離れようとするのを、抜刀して追いかけ一喝する場面は、最も好きな場面の一つである。これで一気に勘兵衛への求心力が高まり、集団が一体となり戦闘モードに入るのである。
最近、仕事で使った。
「自分の首が危ないときに、髪の毛の心配をしてどうする」
侍を村に入れることで風紀が乱れることを心配する藤原鎌足に、藤堂国典扮する村長がたしなめるセリフである。
これも仕事で使った。
“寅さん”の
「おう? お前、さしずめインテリだな」
この前買ったAERAの姜尚中の話で思い出した。
引き続き、翌日”There's Something About Mary(メリーに首ったけ)”を観た。
これはかなり下品な映画だったが、キャメロン・ディアズが若くきれいだった。監督:ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー 出演:キャメロン・ディアズ、ベン・スティーラー、マット・ディロン ★★☆☆☆
対談はもちろん漱石の目を通して見た現在の日本や日本人についてだった。二人の話を拾ってみると、
1.コメディアンが総理候補になるような状況は、”皮相上滑りの開花”と漱石が言ったように、政治も日本もどこか浮ついて劣化が著しい。
2.漱石はロンドン留学で人間がお粗末になって国が傾くのを目の当たりにしたので、日本は米国とうまくやりさえすればいいという思考停止状態は、漱石には安普請と映ることだろう。
3.漱石は利己主義でも他人本位でもなく、自己本位、自分を律して自由と向き合った。現実から距離をおいてアイロニカルに見ていた。
4.日本もやっと内省の時代に入ってきた。自分の身の丈を生きようと考え始めている。まじめに自分のことを考えて、漱石の”まじめであれ”を忠実に守る。
ちょっと短かったけれど、二人の共通項がよくわかった。
雑誌の付録で姜尚中が日本国憲法の前文を読む場面があるけど、そこにある日本国憲法の精神はすばらしい。憲法改正なんてどこの誰が言っているのだろうか。もうすぐ衆議院選挙があるけど、護憲が少数派なのがもどかしい。
田原総一郎、上野千鶴子、宮崎学、梁石日、辻元清美など様々な人たちの姜尚中評も面白い。北海道大学の中島岳志が筑紫哲也がニュース23の後任は姜尚中がいいと言っていたという話は姜尚中の筑紫評と合わせて面白かった。目線の先には視聴者しかないような今のニュースキャスターたちのレベルの劣化はひどい。
ブッシュの3つの罪は、①国際社会に対し傲慢だったこと、②金融危機に対し無策だったこと、③反対意見や宗教を排除したこと。
編集後記は、姜尚中がよく「○○を抱きしめる」という表現を好んで使うことを、”身に起こることを不都合な部分も含めて積極的に丁寧に包み込む”と解釈しているけど、「抱きしめる」とは、漱石の”何事もまじめに深く考える”ことでいいと思うのだけど。