備忘録として

タイトルのまま

三足のわらじ

2018-12-31 23:10:57 | 話の種

今年もあと1時間を切った。3月にシンガポールから帰国し、しばらくブログから離れていたが来年は再開するぞ。

4月より、三足のわらじをはいている。週3.5日大学生、週1.5日サラリーマン、週2回ジョガー

大学の授業は、週に英語2限、第2外国語1限、体育1限、必修4限、その他7つの授業(1限90分)で、同級生は18歳。7月末の期末試験が終わり夏休みには野外発掘実習もあった。10月より後期が始まり、今は冬休み明け提出の課題レポートに追われて、4編のうち2編がまだ終わってない。

2018年のまとめ

  • 1月東大島ハーフマラソン
  • 3月板橋Cityマラソン
  • 4月大学入学
  • 4月高校同窓会(東京)
  • 4月さきたま古墳、鋸山
  • 6月館山
  • 8月トルコ・ミュンヘン
  • 8月長男入籍
  • 9月発掘実習
  • 9月徳島
  • 9月シンガポール・KL
  • 11月学園祭
  • 11月成田ハーフマラソン
  • 11-12月妻バンクーバー
  • 12月徳島
  • 12月広島
  • 12月二女が出産(男)

2018春

2018-04-01 16:15:24 | 話の種

 昨日シンガポールから帰国し、今日は桜が満開の自宅近くの公園をジョギングした。気温約20℃のもと15kmを平均速度6分/kmで快適に走った。一昨日、気温30℃のシンガポールでは8㎞を6分45秒/kmでやっとの思いで走ったのとは大違いだ。風が吹くと桜吹雪になり、花びらが口に入った。桜の下に咲く紫の花は、おそらくムラサキハナナだと思う。家の前では菜の花が満開だ。明日からいよいよ新生活が始まる。

 3月中旬に一時帰国したとき、板橋Cityマラソンを走った。この2回目のフルマラソンは完走したものの1回目よりも記録は悪くほろ苦いものだった。1回目よりも事前の走り込みを増やし、走ったあとの疲労回復は早かったから、30kmを過ぎてから苦しいときの気持ちの問題だったと思う。それでも5時間を切るために40㎞からは必死に走った。板橋Cityは出場者1万人のマンモス大会で馴染みの荒川河川敷を押し合いへし合い走る。夏場に向けて走り込みと今回弱点と判明した上半身の筋トレを続け今秋からのシーズンでは雪辱したい。


My Last Run

2018-03-30 12:49:22 | 東南アジア

 昨日、引越しが終わり近くのホテルに入った。3月末をもってシンガポールを引き払い帰国する。今後シンガポールに出張することはあっても再び駐在することはないだろう。今朝は、ホテルで『わろてんか』に続き声を潰した有働アナの『あさイチ』を観てから、馴染みのEast Coast Park(ECP)でLast Run 8kmを楽しんだ。今日のシンガポールはGood Fridayの休日で、ECPはジョギング、ウォーキング、サイクリング、太極拳、エアロダンス、スイミング、キャンプなど様々に休日を楽しむ人々で溢れていた。

ヤシの木の下に見える自転車は、今シンガポールを席巻するレンタサイクル。

幼児をストローラーに乗せてランニングする女性。西洋人に多い。

Lifeguardがいないので自己責任で水泳をしろという看板。左手に見える太陽光パネルは、海を監視するビデオカメラ。数十年前、インドネシアの海賊がこのあたりに上陸し付近を荒らしたことがあった。今は、インドネシアからのテロ攻撃や密輸団に対し監視を強化している。

広場でフリスビーをしている若者たち。背後の左手に建つ白と青の高層ビル群が昨日まで住んでいたコンドミニアム。休日には高速道路の下を通る歩行者トンネルを抜けてこちらのECPに渡った。

East Coast Parkway高速道路。向かい側中央の高層ビルとその左の低層ビル(壁に銀行や商店のロゴ)がParkway Paradeというショッピングセンターで、その左が昨日までの我が家。ショッピングセンターには伊勢丹、ベスト電器、ダイソーや様々な商店、レストラン、スーパーが入る。この右脇に歩行者トンネルがある。

ランニングのあと公営住宅(HDB)の中のキャンティーン(フードコート)で食べた朝食 Egg Roti PrataとKopi-O。卵の入った小麦粉を焼いたインド風パンとカレーとコーヒーブラックで、併せてS$4(約320円)美味である。

ホテルの部屋の窓から。Parway Paradeショッピングセンターと右手が旧宅。一番左手の棟の8階に5年間住んだ。ショッピングセンターの前は、建設中の地下鉄(Thomson-East Coast Line)で、2023年開通予定である。あと5年いれば利用できた。

ホテルにもう一泊し、明日31日、早朝便で帰国する。4月から千葉で新しい生活が始まる。


Darkest Hour

2018-03-17 14:18:28 | 映画

Success is not final.
Failure is not fatal.
It is a courage to continue that counts. 

  • 映画字幕:成功は最終形ではない。失敗も最終形ではない。大切なのは継続する勇気だ。
  • ネット訳:成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない。大切なのは続ける勇気だ。

 イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルのことばである。このことばを紹介する第二次世界大戦初期のチャーチルを描いた映画『Darkest Hour』2017をよりよく理解するために、彼の略歴をWikiをもとにまとめた。

 チャーチルは1874年にイギリス貴族で政治家の父とアメリカ人の母を両親として生まれる。パブリックスクールでの成績が悪かったので18歳で王立陸軍士官学校に入る。当時イギリスは世界中に植民地を持っていて、キューバ独立戦争、英領インド駐在、スーダン侵攻に従軍したチャーチルは文才があったため、都度従軍記や小説を書き出版する。1899年に除隊し、保守党から選挙に出馬するが落選する。そのとき南アフリカで第2次ボーア戦争が勃発し「モーニング・ポスト」の特派員となり戦地に赴くが、すぐに捕虜となってしまう。民間人だからすぐに釈放されると思っていたが、特派員としてイギリス軍を称揚する記事を書いていたため身の危険を感じ収容所から脱出する。モザンビークのイギリス領事官に逃げ込んだあと軍に戻りボーア戦争を戦う。

 戦争後の選挙に保守党から立候補したチャーチルは、脱走劇などで有名になっていたことから初当選する。1900年、26歳のことである。議会では、所属する保守党の陸軍予算案や保護貿易に反対したため、保守党執行部との対立が深刻となり、1904年の選挙では自由党から出馬し当選する。1908年に通商大臣として入閣する。その後、商務大臣や内務大臣、海軍大臣を歴任する。1914年に第一次世界大戦が勃発し、イギリス軍はドイツ軍とのアントワープの戦いやオスマントルコ軍とのダーダネルス海峡での局地戦で敗北し、西部戦線も膠着状態となったことで、海軍大臣のチャーチルは激しく糾弾され大臣を罷免される。閑職になったチャーチルは軍に戻り陸軍少佐として西部戦線に従軍する。1917年に戦時内閣の軍需大臣として政治家に復帰し、1918年第一次世界大戦が終結する。国民の間で厭戦気分の広がっていた1922年の総選挙でチャーチルは好戦派の烙印を押され落選する。1924年の選挙では保守党に復帰し出馬するが再度落選し、1924年末の解散総選挙でやっと復活当選する。

 1924年の保守党ボールドウィン内閣に大蔵大臣として入閣する。大蔵大臣として戦争中に廃止されていた金本位制を復活させる。輸出産業の劣勢や戦争と植民地経営での出費でイギリス経済は疲弊していた。金本位制の復帰でポンドが過大評価され輸出競争力が低下し石炭産業が打撃を受け、各地でストライキが起こった。チャーチルによる共産主義を背景にしたストは違法であるという訴えが奏功し、ストに大衆の支持は集まらなかった。1929年世界大恐慌の時、チャーチルは大蔵大臣を退任する。チャーチルのいない内閣は、経済政策として金本位制の停止やブロック経済による保護貿易などチャーチルと反対の政策を推進する。植民地を持つ国々のブロック経済に対し、植民地を持たないドイツや日本は保護貿易のあおりを受けて経済が疲弊し植民地拡大政策に向かっていった。

 インドはその頃、ガンジーを中心に独立運動が盛んになっていたが帝国主義者のチャーチルはガンジーを嫌っていた。また、ドイツではヒトラーが台頭しナチスが独裁体制を敷き再軍備を進めていた。ナチスがロシアの共産主義拡大の防波堤になることを期待する保守党議員は対独融和派が多かった。しかし、チャーチルはドイツの拡張主義がイギリスの世界支配を脅かすだろうと考え対独強硬論をとった。ドイツは1938年にオーストリアを併合し、1939年にポーランドへ侵攻を始めたため、イギリス・フランスはドイツに宣戦布告し第二次世界大戦がはじまった。開戦により永らく政権から離れていたチャーチルは海軍大臣に復帰する。ドイツ軍との初戦での敗戦などの責任を問われ退任を決意した首相チェンバレンは、後任として海軍大臣チャーチルと外相のハリファックスが候補にあがった。

 このあたりから映画『Darkest Hours』2018がスタートする。監督:ジャー・ライト、出演:ゲイリー・オールドマン、クリスティン・スコット・トーマス、ベン・メンデルゾーン、リリー・ジェイムズ、映画は、チャーチルが対独融和派を退け首相に任命されてから、ドイツとの国を挙げての戦いと『ダンケルク』撤退を決断するまでを描く。ドイツの攻勢に危機感を抱くチャーチルが、アメリカ大統領ルーズベルトに電話し、参戦と支援を呼びかけたとき、ルーズベルトはモンロー主義を盾にまったくの他人事だった。その後、チャーチルが日本の南方侵略を餌に危機感をあおり、アメリカを大戦に引き込むことに成功したことは別の話である。チャーチルの人生は自身の言葉どおり何度も失敗し何度も成果を収め、その精神は不屈である。しかし、帝国主義的思想や好戦的な性格は彼の生きた時代や彼の生い立ちによるものだろうが疑問も多い。映画は史実をはしょったり前後を入れ替えたりして、第二次世界大戦下におけるイギリス政府の舞台裏をスリリングに脚色していて面白かった。★★★★☆

『Dunkirk』2017、監督:クリストファー・ノーラン、出演:フィオン・ホワイトヘッド、バリー・ケオガン、マーク・ライランス、第二次世界大戦初期、ドイツ軍の急速なフランス侵攻によりイギリスやフランスなど同盟国兵士40万人がドーバー海峡の海岸ダンケルクでドイツ軍に包囲される。兵士を救出するためイギリスの漁船など民間船が動員される。救出劇の数日を描く。遠い昔の遠い場所での出来事であり、救出での各エピソードがそれほどドラマチックではなく、特別な思い入れがないと面白いとは言えない。『Darkest Hour』を観ていなければ星2くらいか。★★★☆☆

 下の写真3枚は、左から本物のチャーチル(Wiki)、映画のチャーチルと役者のGary Oldman(映画ポスターも含めIMDbより)である。このチャーチルの特殊メークで辻一弘がアカデミー賞メークアップ部門のオスカーを受賞した。本作に関わる前、辻一弘は特殊メークの仕事を辞め現代美術家となっていたが、Gary Oldmanから直接懇願されチャーチルのメーキャップを引き受けたという。

 

 

 


Big History

2018-03-04 15:52:36 | 話の種

 C大学歴史学科の社会人入試問題に、”大きな歴史と小さな歴史について私見を述べよ”という設問があった。ここでいう大きな歴史とは、歴史を巨視的にみて解釈するもので歴史観や歴史認識や歴史の発展過程の分類などに結び付けた歴史の見方である。幕末を例とするなら、封建制から近代化の政治的変革の過程を日本史全体の文脈の中で読み明かそうとするもので、一方、小さな歴史はもっと微視的で幕末から明治維新の庶民の生活史などに焦点を当てる。そのような歴史の見方について考えたことがなかったこともあり、うまく回答はできなかった。他の設問は、”Archives”と”Historiography”を説明する英語の文章を日本語訳するものだった。Archivesはそこそこ和訳できたが、Historiographyは言葉そのものを知らなかったため、直訳に頼った上、critical examinationを”批評的な考察”と訳さず、技術の世界で一般的なcritical=”臨界”から、”厳格な審査”としてしまい、結局、翻訳全体の意味が混乱してしまった。後の学習によると、Historiograhyとは史学史のことで、史書の中の歴史観や学説の変遷を調べる学問のことである。だから、史書の記述に客観性があるか批評的に考察しなければならないわけだ。

 さて、David Christianの提唱する”Big History”は、入試問題に出た”大きな歴史”とは意味がまったく異なる。137億年前のビッグバンから始まり恒星に続いて太陽系と地球ができ生命が生まれ人類に進化し文明が形成される現在までの歴史を通観する、我々の棲むUniverseの特大の歴史のことを指している。そして宇宙と人類の歴史を通して人類の未来について考えようというものである。David Christianによる”Big History”講演はこちらで観ることができる。

<講演要旨> 

 宇宙はどんどん複雑(Complexity)になっていく。しかし、複雑になるちょうどいい条件、ゴルディロックス条件が必要である。宇宙はその条件下でその都度、閾(しきい)値(Threshold)を超えながら段階的に複雑性を増していく。

 137億年前、何もないところでビッグバンが起こり、最初の1秒で重力や電磁気力のエネルギーがものすごいスピードで解放されると同時に凝固し物質を形成し始める。ビッグバンの38万年後に水素とヘリウムが生まれる。わずかな原子の密度の違いに重力が作用し原子が集合しはじめ無数の雲ができる。密度が増せば重力も増えるのでますます雲は凝集し温度も上がり、閾値を超え恒星が生まれ宇宙はより複雑になった。星の終期には高温で生じるエネルギーによって今知られている元素のすべてが形成された。若い星の周りには岩石からなる惑星が造られる。45億年前に地球が生まれ、そこに原子の集合体であるより複雑な生物が誕生する。適度なエネルギーがあり、多様な原子が存在し、ちょうどよいゴルディロックス条件下で、それらが複雑に結合する、生物は単なる化学反応にとどまらずDNAによってコピー(情報)を子孫に伝達することで地球全体に広がる。DNAは完ぺきではなく何億ケースに一度エラーを生み、それが多様性と複雑性を作り出す。生物は単細胞から多細胞に進化し、6億から8億年前に多様な植物、魚類、両生類、爬虫類が生まれた。6500年前に小惑星が衝突し恐竜が絶滅し、生き残った哺乳類が進化を続け人類が誕生する。DNAによる情報伝達と不規則な偶然によるエラーには膨大な時間がかかったが、脳を与えられた人類は情報を蓄積し学習することができるようになり進化の時間が短縮された。言葉によって個人の情報は集団で共有され、個人よりも長く生き世代を超えて蓄積される。人類だけに与えられたこの能力を集団的学習(Collective Learning)と呼ぶ。アフリカを発した人類は集団的学習能力を発揮し地球各地の環境に順応し広がっていった。氷河期が終わり農業が始まると人口が飛躍的に増え、交通や通信の発明と発展によって人類は相互につながり、今では70億の人類がひとつにつながっている。ひとつになった脳はものすごいスピードで学習を続けている。

 集団的学習により人類は発展を続けているが、人類がそれを使いこなせるかという危険を内包する。核兵器の発明は人類滅亡の危険を生じさせ、石油の使い過ぎは地球環境を変え、ゴルディロックス条件を弱体化させた。Big Historyは、我々に複雑性と脆弱性を認識させ危険の本質を示すとともに、集団的学習の力も示してくれる。将来の世代に横たわる課題や機会に対処する不可欠な知的ツールになる。(了)

 Big Historyはこのように、天文学、生物・生命学、歴史学など多くの学問を包摂する。

 ビル・ゲイツは、”Big History Project”として高校などでBig Historyの授業を行うことを支援している。授業では以下の1~10の講座が示すように、宇宙の歴史を学び現在を学び人類の将来について考える。

 (注):ゴルディロックスの原理(Goldilocks principle):”ちょうどいい程度”が選択されるという原理で、イギリスの童話による。ゴルディロックスという女の子が森で見つけた3匹の熊の家に入り、3つあるお粥のうち熱すぎず冷たすぎないちょうどいいお粥を食べ、3つある椅子のうち大きすぎず小さすぎないちょうどいい椅子に座り、3つあるベッドのうちもっとも寝心地のいいベッドを選ぶ。このことからゴルディロックス経済=適温経済(過熱しすぎず不況でもない景気)、ゴルディロックス惑星=太陽からちょうどいい距離にある生命誕生が可能な惑星などという言葉が造られた。


大都会のカワウソ

2018-02-24 19:08:48 | 東南アジア

 上の写真は、今日ジョギング中にFlower Dome(『風の谷のナウシカ』のオームのような建物)近くで撮影したカワウソ注意の看板である。カワウソに出会ったらどうするかの注意書きもある。シンガポールのカワウソは、NHKの『ダーウィンが来た』2017年7月9日放送”驚き!!大都会のカワウソ家族”や『ワイルドライフ』2018年2月5日放送”シンガポール大都会カワウソ家族 仁義なき争いを勝ち抜け”で紹介されたので、マリナベイ周辺をジョギングするときは、すぐ写真が撮れるように準備をして走っている。残念ながらカワウソに遭遇したことはまだない。

上の2つの写真は『513話ダーウィンが来た』より

 放送によると、ここにはビシャン一家という昔の任侠集団のような名前が付けられたカワウソ一家が棲みついている。1980年以前は海で、1980年代始めに埋め立てられ最近までカワウソはいなかった。2008年に埋立地の先端に堰(ダム)がつくられ、内部は貯水池(Marina Bay)として淡水化された。貯水池は浄化され、時間とともに魚が棲み、埋立地にはFlower Dome、Supertree Grove(大きな木のモニュメント)、自然遊歩道、人工池などからなる”Garden by the Bay”がつくられた。そこにマレーシアからカワウソ一家が移住してきたのだ。シンガポールには、北部の一部や中央の環境保護区を除き本当の自然はほとんど残っていない。しかし、シンガポールを一歩出たマレーシアには手つかずの自然の河川やマングローブの繁茂した海岸が残り、カワウソをはじめ多くの野生生物が生息している。シンガポールの人工の貯水池や公園が、カワウソの生息に適するようになったということだ。

 考えてみると、日本の里山も村人が長い年月をかけて自然と共生しながら造り出したもので、シンガポールの大都会の自然環境は形態は異なるが基本的には里山と同じだと思う。大都会の環境が生物を育み、長い年月の間にそれが自然と同化する。造った環境が劣悪だったら、何者も来ず、不毛の人工物で終わってしまうだろう。そういう意味でシンガポールの建設面での国造りは今のところ成功しているのかもしれない。シンガポールは何もかも人工物だと否定してはいけないのだ。

 貯水池ではドラゴンボートの練習をしていた。街は春節真っ盛りである。


オリエント急行殺人事件

2018-02-12 20:55:06 | 映画

 『Murder on the Orient Express:邦題:オリエント急行殺人事件』2017、原作:アガサ・クリスティ、監督:ケネス・ブラナー、出演:ケネス・ブラナー、ジョニー・デップ、ミシェール・ファイファー、デイジー・リドリー(SW7, SW8)、イスタンブールとロンドンを結ぶオリエント急行で殺人事件が起こる。アガサ・クリスティ原作、ベルギー人探偵エルキュール・ポアロが主人公の推理小説を映画化したもので、1974年のリメイクである。エルキュール・ポアロをアルバート・フィニーが演じた1974年版『オリエント殺人事件』は封切当時、仙台の映画館で観て結末に驚愕したことを思い出す。殺人犯は忘れようもなく結末はわかっていたのだが、事件の背景にある関係者の深い怒りと悲しみに感情移入した。1974年当時は事件の結末に驚愕したため気にもとめなかったが、今回、12人の容疑者の背景を短時間にすべて解き明かすポアロの推理には無理があると思った。結末を知っていた余裕の所為かもしれない。ポアロがイスタンブールに到着しブルーモスクの尖塔がボスポラス海峡から見える場面は行ったことがあるだけに感慨深かった。★★★☆☆

 ヨーロッパ各国を結ぶ豪華列車があることを知ったのは、この映画だった。1993年、ヨーロッパのオリエント急行を模して、シンガポールとバンコクを結ぶイースタン・オリエンタル・エクスプレスと呼ばれる豪華列車が運行を始めた。その間のマレー鉄道は電化されておらずディーゼル車がけん引する普通列車はシンガポールとクアラルンプール間を約7時間で結んだ。自分はマレー鉄道に乗る機会はなかったが、日本人小学校の修学旅行はマレー鉄道でクアラルンプールへ行ったので子供たちは利用している。2011年マレー鉄道はシンガポール内での運行が停止し、マレーシアのジョホール・バルが終点になった。今は、クアラルンプール・シンガポール間約350kmを1時間半ほどで結ぶ高速鉄道が計画され、日本、中国、フランス、ドイツ、韓国が入札に参加するはずである。インドやインドネシアでの高速鉄道導入の経緯から、中国と日本が有力視されている。

 アガサ・クリスティー原作でポアロシリーズの映画『ナイル殺人事件』1978は、『オリエントーーー』が面白かったことと、当時の売れっ子俳優が多数出る豪華配役(ミア・ファーロー、オリビア・ハッセイ、ディビッド・ニーブン等)だったので期待して観たが、『オリエントーーー』には遠く及ばなかった。次作の『地中海殺人事件』1982は、『世界殺人公社』のダイアナ・リグが出演していなければ観ていなかった。この映画でダイアナ・リグは陰険な富豪婦人を演じていて、コケティッシュな可愛い女のイメージが壊れ、”観なければよかった”とがっくりしたことを思い出す。そのため、その後も公開されたポアロの映画はすべてパスした。

『スパイダーマン・ホームカミング』2017、監督:ジョン・ワッツ、出演:トム・ホーランド、マイケル・キートン、ロバート・ダウニー・Jr、マリッサ・トメイ、3人目が演じるスパイダーマンなので、今更感が強かったのが観るものがなくて手をだしてしまった。アイアンマン(ロート・ダウニーJr)が出てきて、アベンジャーズの一員になるマーベルコミックになってしまった。★★☆☆☆

『Kingsman・The Golden Circle』2017、監督:マシュー・ボーン、出演:タロン・エガートン、コリン・ファース、マーク・ストロング、ジェフ・ブリッジズ、ジュリアン・ムーア、キングスマン前作で主人公のコリン・ファースが記憶喪失になって出てくる。ジュリアン・ムーアがサイコの悪役ボスで、麻薬に仕込んだ毒物で世界征服とキングスマンの壊滅を画策している。Elton Johnが本名で出てくる。この映画を観た後、ツアーをやめるというニュースが流れた。★★☆☆☆


立春

2018-01-28 16:52:15 | 話の種

 1月20日(土)、気温20℃という陽気に誘われ自宅近くの公園を散歩した。咲き乱れる水仙に春を思った。暦の上の立春は2月4日だという。翌日21日(日)も好天で、3月に出場を予定しているマラソンの練習に荒川河川敷でハーフを走った。陽気の所為で前半飛ばしすぎ中盤に失速したが、終わってみれば予定の平均速度6分/kmで走り切っていた。

 ところが、翌22日(月)に寒波が日本列島を襲い、日中の気温は0℃近くまで下がり午後から大雪になった。交通機関の乱れが心配で14時には退社した。翌朝23日、自宅のまわりは一面雪景色になった。積雪量は10㎝を超えた。

 その日の夕方、成田空港からシンガポールに向かった。空港は雪の所為で飛行機の発着が乱れ、搭乗予定便の離陸も2時間ほど遅れた。前日の同時刻便に乗るはずだった知り合いが乗り込んできた。空港で一夜を過ごしたという。

 シンガポールは雨季とはいえ日中の気温が30℃を超す相変わらずの暑さで、夜締め切ると室温は高く、エアコンで風邪をひかないように体調管理に気をつけている。25日(木)と27日(土)、雷雨が心配で空調のきいたジムでトレッドミルを走った。ジムの外、プールでは住人が水泳を楽しんでいる。

 今年のシンガポールの中国正月は2月16日である。立春と旧暦正月は一致しないというが、当地では中国正月を春節ともいう。街はきらびやかに飾りつけられ、新春を祝う準備はできている。


遠い崖『薩英戦争』

2018-01-14 18:42:35 | 近代史

 NHK大河『西郷どん』は原作者が嫌いなので見ないと決めていた。理由は、超常現象を信じない私のようなものは”心が狭い”と決めつけられたからである。自然科学の世界に想像力のない心の狭い者などいない。さらにアグネス・チャンがスタジオに赤ちゃんを連れて来たことを批判したときには、オピニオンリーダーを自称するなら、同性を罵倒する前に、母親が働きやすい環境について提言すべきだと思った。しかし、作品の出来を先入観や好悪で決めるのは原作者と同じレベルに堕し自己撞着してしまうので『西郷どん』を見てから判断することにした。今読んでいる『遠い崖』に馴染みの面々が出てくるからでもある。以下、2巻目前半のまとめ。

『薩英戦争』

 1862年の生麦事件の賠償金支払いを求めて、イギリスは鹿児島に軍艦を送る。1863年陰暦6月21日に横浜を出港した艦隊は、27日夕刻に錦江湾入り口に到着する。薩摩遠征を決めたときのイギリスは、薩摩が前藩主の島津斉彬以来、開国主義であり、現藩主の久光もそれを引き継いでいると聞いていたため、1か月半前に起こった攘夷実行による下関砲撃事件があっても薩摩での交渉は楽観的に進むと考えていた。同時期イギリスから蒸気船の購入交渉をしていたこともそのような判断をした理由だろう。

 イギリスは「リチャードソン殺害の首謀者の処刑と賠償金支払いがされない場合は、薩摩と戦争をする」という要求書を幕府に出す。薩摩は首謀者を藩主の久光だという翻訳を受け取ったため、到底要求を呑めるものではなかった。福沢諭吉は幕府の翻訳者のひとりで、「襲い懸かりし長立たるもの等を速やかに捕へ----其首を刎ぬべし」(『福翁自伝』)と書いている。長立たる者が藩主ととらえかねないような翻訳を幕府が意図的にしたという説があると萩原は書き、その真偽は不明であるという。萩原は福澤ら複数の翻訳は示しても、イギリスの要求書原文を提示していないので、翻訳に問題があったかは読者にはわからない。萩原が原文を示さないのは不備としかいいようがない。

 それはともかく、当時の責任者であるニール代理公使を乗せて軍艦7隻が薩摩に向かう。アーネスト・サトウとシーボルトは通訳官としてこの遠征に同行する。

 薩摩藩は、錦江湾に姿を現したイギリス軍艦に使者を送り、事件の当事者は見つからないこと、大名行列を乱してはならないのは国法であり、それを外国との条約に盛り込まなかった責任は幕府にあり、幕府と薩摩藩のいずれに責任があるか明らかになってから賠償金について討議すべきであると伝え、イギリスの要求を無視する。

 イギリスは、薩摩が満足すべき条件を提示してくると考えていたようであるが、薩摩の拒絶を受けイギリス側は、艦隊の提督キューパーに対応をゆだねると宣言する。それは強硬手段をとることであり、キューパー提督はただちに湾内にいた薩摩の汽船3隻を拿捕する。拿捕された薩摩の汽船に乗っていた五代友厚と松木弘安(後年の寺島宗則)は捕虜となる。五代と松木は1862年の遣欧使節から帰ったばかりで、松木は英語をよく話したとウィリスの日記に記されている。

 拿捕という強硬手段を受けて薩摩側は、陰暦7月2日正午、艦隊に向かい砲撃を開始する。イギリス艦隊に積載された大砲や新式のアームストロング砲の威力は薩摩側の旧式砲に勝り、射程外からの砲撃で薩摩側砲台をことごとく破壊した。ロケット砲による砲撃は鹿児島の町に対しても行われ、7月2日午後8時には町が炎に包まれた。イギリス艦隊は翌日も砲台を攻撃しながら錦江湾を南下し、7月4日には湾を出て横浜に帰っていった。イギリス艦隊が錦江湾に留まったのは1週間、戦闘は1日半であった。イギリス側の戦死者は9名であった。

  記録に残る薩英戦争に対する薩摩側の評価は、イギリス軍を撃退したというものであったが、薩摩側の砲台がことごとく破壊されたことからもわかるように大砲の威力には歴然とした差があった。イギリス本国では、キューパー提督の鹿児島の町を焼いた措置が非難の対象となった。ロンドンの新聞紙上では、非武装の一般人の家を焼いたことが非人道的でありイギリスの名声を汚す「恥ずべき犯罪行為」として非難された。イギリス政府は、薩英戦争は文明国のあいだで行われる通常の戦闘に違反するとし、キューパー提督の個人的責任を問うとした。

 その後の2度の世界大戦を含む最近の戦争では、民間人に対する無差別攻撃が常態化し、戦争が軍人や戦闘員だけのものではなくなった。150年前の倫理観からすると、近代の戦争は「恥ずべき犯罪行為」ということになる。

 戦争後、西洋の軍事力を目の当たりにした藩主久光は、無謀な攘夷をやめ、西洋文明の長所を取り入れるよう小松帯刀や大久保一蔵(利通)らに命じイギリスとの和睦を進めさせた。和睦交渉は重野厚之丞らが当たった。この後、イギリスと薩摩は急速に親密さを増し、2年半後には新任のイギリス公使パークスは薩摩を訪問する。

 『西郷どん』こと西郷隆盛は1862年から1864年まで徳之島・沖永良部島に遠流になっていて薩英戦争当時、鹿児島にいなかった。西郷が『遠い崖』に登場するのは、1864年の長州征伐と禁門の変のときで3巻目以降になる。

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2017年まとめ

  • 2月上原和逝く
  • 3月イスタンブール
  • 4月船橋へ引越
  • 6月孫訪日+シンガポール
  • 7月二女結婚
  • 8月殺生石+仙台+常磐道
  • 10月ミュンヘン
  • 10月遠い崖開始
  • 11月フルマラソン完走
  • 11月大学入試

2018年が始まった。


Alien

2017-12-10 22:31:19 | 映画

11月に観た機中映画のうちSF4作はすべてが駄作で、選んだ自分が悪い。あとは司馬遼太郎原作の邦画『関ケ原』を観た。ポスターはいつものIMDbより。

『Alien:Convenant』2017、監督:リドリー・スコット、出演:マイケル・パスベンダー、キャサリーン・ウォーターソン、ビリー・クラダップ、ヒューマン型ロボット(アンドロイド)が自分の意志で創造主(神)になろうとする。それに比べ人類はひ弱で甘い。過去のエイリアンシリーズでは、恐ろしいほど凶暴で生命力と強烈な個性を持つエイリアンに対し、人間、特に主人公のリプリーが生存権をかけて戦いを挑む姿をサスペンスいっぱいに扱っていた。ところが本作は、変な創造主を登場させたばかりにエイリアンのおどろおどろしい魅力が削がれてしまった。最後の人口冬眠(Cold Sleep)に入る場面も、おそらくほとんどの観客が想定できるだろう。エイリアン3作目でリプリーがエイリアンを宿す衝撃に遠く及ばない。前作『Prometheus』2012同様に駄作と言わざるを得ない。監督リドリー・スコットはエイリアン映画で何を目指しているのだろうか。★☆☆☆☆

『Life』2017、監督:ダニエル・エスピノーザ、出演:ジェイク・ギレンホール、レベッカ・ファーガソン、ライアン・レイノルズ、真田広之、宇宙ステーションで、火星で見つけた単細胞の生命体を顕微鏡観察するうちに、生命体は細胞分裂をはじめ多細胞の知的生命体に変貌する。そして宇宙ステーションのクルーを攻撃し始める。成長を続ける生命体と人間とが戦い、クルーの一人が犠牲となって生命体を宇宙の彼方に葬り去ることに成功したかに見えたがーーーー。『Alien:Convenant』のエイリアンは凄みがなくなり、こちらのエイリアンの方が凶暴で知的でその成長は予想がつかなかった。★★★☆☆

『猿の惑星:聖戦記』2017、出演:アンディー・サーキス(シーザー)、ウッディー・ハレルソン、スティーブ・ザーン、シーザーが主人公の猿の惑星シリーズ3作目。身内が残忍な大佐に率いられた人間に殺されたシーザーは、数人の仲間と人間の基地に向かう。シーザーは基地に捕らえられ重労働を課せられた猿たちを救おうとするがシーザー自身も囚われの身となってしまう。第1作の『Rise of the Planet of Apes』2011は面白かったが、第2,3作は駄作。次が出てももう見ない。★☆☆☆☆

『The Dark Tower』2017、監督:ニコライ・アーセル、出演:イドリス・エルバ、マシュー・マコノフィー、トム・テイラー、予知能力のある少年は、世界を征服しようとする異次元世界のボスから狙われるが、世界を救うために戦っているガスリンガーとボスに戦いを挑む。多次元世界を行ったり来たりする。荒唐無稽のSFに必然性を求めてはいけないのはよくわかっているのだが映画の世界観がよくわからなかった。★☆☆☆☆

幸い11月洋画は『Sherlock Ep4.2』2017に救われた。Ep4は残りが公開されてから評価する。

 公式Twitterサイトより

『関ケ原』2017、監督:原田眞人、出演:岡田准一(光成)、役所広司(家康)、有村架純(伊賀忍者)、平岳大(島左近)、東出昌大(小早川)、司馬遼太郎の『関ケ原』を読んだのは学生時代だから、もう40年も前のことだ。当時、戦国時代と幕末明治維新の知識は、ほぼ司馬の作品から仕入れていたので、確実に司馬史観のフィルターがかかっていた。大谷刑部や島左近が好きになったのも『関ケ原』の影響だった。その後しばらく司馬作品から遠ざかり、『街道をゆく』を手にしたのは30歳代半ばだった。未完の『街道をゆくー濃尾参州記』までを読破するのに10数年を要した。今、『街道をゆく』43冊は本棚に並び、旅や読書の際、折々に参照している。

 さて、映画は小説のダイジェストとして観るにはよかった。映画には珍しく、司馬遼太郎が小説で述べる人物評を語りとして取り入れていた。有村たち忍者は蛇足で映画の飾りにもなっていなかった。それと光成が処刑される直前に柿を勧められ、柿は体に悪いとして断ったエピソードがなかった。この有名なエピソードが原作『関ケ原』にあったかどうか定かではない。CGが中途半端で天下分け目の関ケ原の戦いにしては迫力が足りなかった。司馬が描いた島津の敵中突破は活字ながらもっと迫力があったように思う。LORのような迫力ある戦闘場面を期待したからかもしれない。★★☆☆☆


Kazuo Ishiguro: Nobel Lecture

2017-12-09 21:02:17 | 話の種

ノーベル文学賞の授賞式でのカズオ・イシグロの講演録を読んだ。

 以前、疑問に思った、5歳でイギリスに両親と行った少年がまったく日本語が話せなくなることがあるのだろうか、イギリスの最も伝統的な執事の小説を書く力をどのように培ったのか、日本人としてのアイデンティティーをまだ持っているのだろうか、が知りたかった。

 イギリスに渡り、現地の教育を受けながら家では日本へ帰ることを前提とした生活を送ったこと、日本への思いとフェードアウトする記憶と最初の小説、小説を書くに際して受けたインスピレーションなど、講演は時系列で進む。中でも以下の話に引き付けられた。

Tom Waits『Ruby's Arm』

33歳のとき、ちょうど3番目の小説『日の名残り』を書き終えたころ、Tom Waitsの『Ruby's Arms』を聴いていた。早朝、男が女の部屋を出ていく状況を淡々と歌うTom Waitsのしゃがれた歌声から、男の底知れない悲しみが伝わってきた。言葉での説明はいらない。歌声は計り知れない複雑な感情を表現できる(A human voice in song is capable of expressing an unfathomably complex blend of feelings.)活字に頼らず小説にそのような複雑な感情を表現したいと思っている。

アウシュビッツを訪れたときのこと

1999年、ガス室の廃墟の前で、施設管理者は、廃墟が自然に朽ちていくに任せるか、ドームで保護し後世に残すべきか、大きな葛藤があると説明した。(What should we choose to remember? When is it better to forget and move on?) 第2次世界大戦は父親たちの世代の出来事だが、作品を世に出す戦争を知らない時代の作家としてどうすべきだろうかと自問する。その経験は、『日の名残り』の中で主人がナチスの協力者でありながら執事として何もしなかったことを恥じる箇所に表現されている。大きな歴史の中に生きる個人が、人生を振り返り、暗く恥ずべき記憶と妥協したかを苦悶させる。忘れたい(forgetting)と記憶したい(remembering)のはざまで苦悶する個人の問題を、今度は、社会や国家の問題として書きたいと思っている。

東日本大震災で身内を失くした人の中に、災害遺構を残したいと考える人と壊して早く忘れたい人がいることを思い出す。

Howard Hawks『Twenties Century』

この映画を見て、自分の小説で描く人間の関係性について考える。小説の中の登場人物たちを取り出し、彼らの関係がステレオタイプになっていないか、他の小説の登場人物たちと同じでないか、ダイナミックで感情が共鳴し発展性があるか、説得力のある驚きがあるか、三次元的なキャラクターになっているかを調べ修正を加えたが、自分の作品はそれに失敗している。しかし、映画を見続けるうちに、いい物語は、革新的だろうが伝統的であろうが、結局、重要なのは読者の心を動かし、楽しませ、怒らせ、驚かせるような人間関係を付与できればいいのだということに思い至った。(had to contain relationships that are important to us; that move us, amuse us, anger us, surprise us. )

作家としてのターニングポイントは、『Never Let Me Go』で描いたように、まず中心的な人間関係からスタートし、他の関係を扇のように広げていくというものだった。

分断の時代における文学の役割

 物語とは、結局のところ一人の人間が別の人間に語りかける一対一のものだ。最近の世界は自分を憂鬱にさせる。テロや富と機会の極端な不平等は、国家間に、あるいは国家内にも存在する。極右勢力やナショナリズム、人種差別が幅をきかせる。一方、遺伝子科学、AI、ロボットなど科学技術の発展は有益であると同時に、激しい実力主義と失業の増加をもたらしている。このような変わりゆく時代に対し、疲れた作家である自分は作品を通して全力で議論し戦いを挑むだろう。文学は重要で不確実な世界の将来に重要な役割を果たすだろう。よい作品とよい読者は分断の壁を壊してくれる。Good writing and good reading will break down barriers.

 さて、以前抱いた疑問への答えとして、日本人としてのアイデンティーは、自分のルーツと初期の作品と記憶の話から明瞭だった。日本語能力については、小さいころ日本の祖父から送られた漫画や雑誌を家で読みふけったこと、両親はかなりの年月いつか日本に帰ると考えていたことから、相当の年齢まで日本語を保持したはずであり、ある程度の日本語はできると想像できる。伝統的な執事についての知識については、家の外でイギリス人として育ったとしても、それでイギリスの伝統に精通するとは考えられないので、『日の名残り』を執筆するに際し相当勉強したのだと思う。


マラソン

2017-12-03 10:00:05 | 話の種

 今日、日曜朝、いつものようにECPにジョギングに行くと、シンガポールマラソンSCSM2017のランナーで溢れかえっていた。ちょうど25km付近だろうか、軽快に通り過ぎていくランナー、疲れ切った表情で歩く人、上半身裸のランナー、中国人もインド人もマレー人も西洋人もいる。応援の人の中から女の子の日本語が聞こえてきたのでお父さんでも走っているのだろう。ランナーを見ているうちに、自分も次のレースをがんばろうという気になった。

 https://youtu.be/W6X1pFZdTbs

 先週、つくばマラソンで初フルを完走した。マラソン完走を目指し、昨年からジョギングを始め、ハーフのレースを4度走りトレーニングを積み、万を辞しての挑戦だった。それなのに、30km以降は何度も心が折れそうになり、給水所ではその都度立ち止まって給水給食ストレッチをしながら、何とか走りとおすというギリギリのレースだった。一応、1km7分ペースで5時間未満の目標をクリアはしたが、約1万人が参加した中、後ろには1000人しかいなかった。

 ゴール後は疲労困憊、足はパンパンでもう2度と走りたくないと思った。ところが、翌日、1月のハーフと3月にフルを申し込み、大会に向けて練習計画まで作っていた。すでにランニング中毒かもしれない。


遠い崖『旅立ち』

2017-10-29 13:51:56 | 近代史

 アーネスト・サトウ(Earnest Satow)の日記をもとに幕末から明治維新の出来事を描いた荻原延壽の『遠い崖』は文庫本で14巻もあり、本屋で立ち読みはしても購入をずっとためらっていた。神保町の古本屋で1巻と2巻が安価で売られているのを見つけ衝動買いした。ちょうど読んでいた『日本奥地紀行』を読みかけのまま放り出し、1,2巻を読み切ってしまった。イザベラ・バードがアーネスト・サトウに何度も言及していたことも『遠い崖』に手を出した理由だ。

 『日本奥地紀行』に加え、梅原猛の『親鸞4つの謎』に寄り道したりしたので、今、やっと4巻目に入ったところである。薩英戦争から2度目の長州征伐まで、イギリスとフランスの微妙な駆け引き、薩摩、長州、幕府の間の思惑が、アーネスト・サトウの日記だけでなくイギリスとフランスの外交文書や、日本側の様々な資料を参照して語られ興味が尽きない。外交文書には公式文書と送り主が私見を述べる半公信が含まれる。また、初期の巻では、サトウと同時期に医官として日本に駐在しサトウと深い親交のあったジョージ・ウィリスが家族に宛てた手紙が頻繁に引用され、サトウの日記の穴を埋めている。また、同時期、シーボルトの長男アレクサンダー(ドイツ国籍)がサトウとともに通訳としてイギリスに雇われている。ドイツで生まれた彼が来日したのは、3年前の父シーボルトの再来日に付き添ったもので、父が帰国したあとも日本に滞在していた。特別通訳生として雇われた生麦事件のとき、サトウより3歳若い15歳だった。2年後の薩英戦争にサトウとシーボルトはともに通訳として参加する。

 サトウの祖父は、ドイツのバルト海に面するヴィスマールという町でドイツとイギリス間の貿易商を営んでいた。町にはSatowという地名もあり、当地では一般的な姓であった。1825年、サトウの父デーヴィッドはイギリスに移住し、ロンドンで金融業を始める。三男としてアーネストが生まれたのは、1843年のことで日本赴任は1861年18歳のときである。

『旅立ち』

船は東シナ海を横切り、上海をはなれてから三日後には硫黄島の沖を通過した。「午前11時ごろ、九州南方の火山島である硫黄島がみえてくる。山のいただきに雲がかかっているので、活動をつづけているのかどうかよくわからないが、火口のひとつから噴煙がたちのぼっている。」(1862年9月2日の項) 9月8日、サトウを乗せたランスフィールド号は横浜港に到着した。

 サトウは、中国で数か月を過ごしたのち、ジャーディン・マゼソン商会所有のランスフィールド号で上海から横浜に渡航する。4年後の1865年に上海から横浜への途上、シュリーマンが見たはずの硫黄島沖を通過している。

『生麦事件』

 生麦事件が起きたのは、サトウ着任6日後の9月14日のことだった。休暇で上海から日本に来たイギリス人商人リチャードソンが夫人らと馬で遠乗りをしていたところ、通りかかった薩摩藩の行列を横切ろうとして惨殺された事件である。横浜外国人居留地の住民たち大半とヴァイス領事らは、薩摩藩に報復的な行動をとることを主張し、代理公使ニールには伝えずに準備を進める。ニールはフランス、アメリカ、オランダなどの公使と相談の上、日本と戦争になることを避けるため報復行動を起こさない決断をする。このことでニールは、居留地のイギリス人から臆病者とされが、本国のラッセル外相は、ニールの判断を支持し、居留民を扇動したヴァイス領事は後日函館領事に左遷される。

 イギリスは公式に幕府と薩摩に対し賠償請求を行った。幕府に対しては、事件を起こしたことに対する公式な謝罪と犯罪に対する罰として10万ポンドを要求し、薩摩に対しては、リチャードソンを殺害し他の者に危害を加えたものを裁判に付し処刑することと、2万5千ポンドの損害賠償を要求した。生麦事件の前に発生した東禅寺でのイギリス兵殺害事件の賠償も同時に追及された。幕府が要求を拒む場合は軍事行動を起こすこと、薩摩が拒否する場合は鹿児島を砲撃することが考慮された。

 このころ諸外国の日本への対応は微妙に異なり、日本との外交交渉の主役は、ペルー来航からパリスによる通商条約で日本との交渉を主導してきたアメリカからイギリスに移っている。これは、1863年当時、横浜での貿易額の81%をイギリスが占め、日本に展開する軍艦の数もイギリスが圧倒的に多かったことが理由である。

次回は『薩英戦争』。


家族はつらいよ2

2017-10-08 13:12:56 | 映画

 人生はつらいよ。丸田(小林稔侍)を見て、家族って何だろう、幸せって何だろう、人生って何だろう、って考えさせられた。丸田の人生をとやかく言う気も資格も自分にはないし、彼の気持ちを憶測する気もない。周造(橋爪)の老後は経済的には恵まれてはいるけれど、なんだかなと思う。自分はまもなく退職し、いわゆる老後の生活というものが始まる。自分の生を自分らしく生き抜くだけだ。

『家族はつらいよ2』2017、監督:山田洋二、出演:上のポスター(公式Web-siteより)のとおり。前作同様、居間での家族の掛け合いは、寅さんが久々に柴又に帰ってきて最後はたこ社長も加わり騒動になる、あの楽しい”くるまや(旧とらや)”の居間だ。橋爪の歳までにはまだまだなのだが、日本でレンタカーを借りるとなぜか車体をこすってしまう。特に徳島に帰省したときが多くて、相手はいつもどこやかしこの縁石なのである。この数年で数度だから相当の頻度だ。その都度、警察に報告し保険のお世話になっているので、最近は保険のランクを上げて車の休業保証保険に入っている。毎日乗っているシンガポールでは一度もないので、日本の道路が肌に合わないとしか言いようがない。★★★★★

 8月、9月は飛行時間がたっぷりで映画三昧できたはずなのに、『家族はつらいよ2』と『シャーロック・シーズン4』(これは後日寸評)以外は面白い映画がなかった。機中で本を読む気にならなかったし、ましてや仕事をする気もないので暇つぶし覚悟で映画を見まくった。その中でも一応気に留めた映画の寸評をしておく。ポスターの洋画はIMDb、邦画は公式Web-siteより。

『ボンジュール・アン 副題:Paris Can Wait』2016、監督:エレノア・コッポラ(巨匠フランシス・コッポラ夫人)、出演:ダイアン・レイン、アーノルド・ビアード、アレック・ボールドウィン、ダイアン・レインの映画を見逃すわけにはいかない。フランス・カンヌからパリまでの旅行に夫は急な仕事で同行できなくなり、Anne(ダイアン・レイン)は夫のパートナーの男とドライブすることになる。美しい景色、美味しい食べ物とワイン、男との会話を通して自分の人生を見つめなおす。IMDbにある映画のあらすじは、”アンは人生の十字路にいる(Anne is at a crossroads in her life.)"で始まる。ある年齢になると皆、人生を見つめなおすらしい。

 二人はパリ近くで、獅子王リチャードが1190年に十字軍遠征の途中立ち寄ったヴェズレー教会(世界遺産)を訪ねる。サンティヤゴ巡礼路の出発地でもある。フランスを巡りたいと思う映画だった。トルコで会ったフランス人にフランス料理で安くて手軽なものはあるかと聞いたところ、あるけど、パリのほとんどのレストランは高いということだった。★★★☆☆

『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』2014、監督:佐藤信介、出演:綾瀬はるか、松坂桃李、初音映莉子 ルーブル美術館から貸し出され来日するモナ・リザの強奪を企てる窃盗団に、鑑定の才能を利用される主人公が、寸前でモナ・リザを取り戻す。鑑定採用テストで本物を二人で選んでいくトリックは面白かった。モナ・リザにかつて盗難や贋作があったことを知った。盗難によってイタリアに持ち込まれたときイタリアは名画が帰ってきたと喜んだという。画面を通して細部までたっぷりとモナ・リザに触れ、その素晴らしさに改めて感動した。★★★☆☆

『キング・アーサー』2017、監督:ガイ・リッチー、出演:チャーリー・ハンナン、ジュード・ロウ、アストリッド・バージェス・フリスベイ、アーサー王と円卓の騎士の話だから見ないわけにはいかなかった。エクスカリバーを岩から引き抜く場面も出てくる。魔法使いマーリンは出ず、その弟子が活躍する。好きな魔法と剣のファンタジーだが、あらすじはスターウォーズのパクリかと思った。★★☆☆☆

『The Circle』2017、監督:ジェイムズ・ポンソルト、出演:エマ・ワトソン、トム・ハンクス、世界的なSocial Media企業で働き始めたMae(エマ・ワトソン)は自分をネット上で四六時中さらす実験を始めるが、家族や友人たちが巻き込まれ、悲劇が起こる。ネットは便利だけど怖いので一方通行が無難だと改めて思った。アナログ男がGoogleに就職する『The Internship』と『ターミネーター』のスカイネットを思い出していた。エマ・ワトソンはどうしても『ハリーポッター』のハーマイオニーを思い出すので成人女優として見られない。安達祐実や小林綾子と同じだ。★★☆☆☆

その他の映画は、有名俳優主演だが星ゼロまたは星1 

ガル・ガドットとクリス・パインの『ワンダーウーマン』2017星1、トム・クルーズの『マミー』2017星0、クリス・プラットの『ガーディアン オブ ギャラクシーVol2』2017星0、モーガン・フリーマンの『Going in Style』2017星1、スカーレット・ヨハンセンの『Ghost in the Shell』2017星0

『カンフー・ヨガ』2017はタイトルのとおり中国とインドの合作映画。ブッダと関わりのあるマガダ王国の秘宝をめぐる冒険活劇で、最後はジャッキー・チェンがボリウッドダンスまで見せてくれる超エンターテイメント映画だ。そのサービス精神に星ひとつおまけしておく。★★☆☆☆


ミュンヘン

2017-10-07 16:30:36 | 

 トルコからの帰途トランジットのミュンヘンで、東京行き便に登場寸前で機体故障と知らされ、代替機が日本より届く翌日の夜、同時刻まで待機することになった。航空会社が手配してくれたホテルに泊り、翌日、ミュンヘン観光を楽しんだ。ホテルまで乗ったタクシーは、アウトバーンを190km/hですっ飛ばした。未体験のスピードで、カーブでは座席の手すりにしがみついた。途中、瞬間目に入ったドーム状の大きな競技場は、後でバイエルンミュンヘンのホームグラウンドだと知った。

 街の中心にあるマリエン広場(Marienplatz)と、そこからタクシーで20ユーロほどの距離にあったBMW博物館を観光に選んだ。

 写真は、マリエン広場に建つ新市庁舎(Neues Rathaus)で、その前に金の銅像を頂く小さな塔が建っている。それは1638年にスウェーデンの占領から解放されたことを祝って建てられたマリア像で、マリエン広場の名はこのマリア像に由来するという。ドイツはいつも強力で他国に占領されたことがあったとは知らなかった。旧市庁舎の塔の中ほどに、Rathausー Glockenspielというからくり時計があり、時間になると動くらしいが、残念ながら広場に居た午前10時には動かなかった。

写真左:マリエン広場、写真右:からくり時計

 ミュンヘンはちょうど10月祭りに入ったところで、マリエン広場に続く屋台や市場が立ち並ぶ広場には民族衣装の大男や大女が朝からビールを飲んでいた。BMW博物館を見てからまた市場に戻り、ソーセージ尽くしの昼食をとった。

上写真:食卓の並ぶ広場ときのこだけを売る店

写真左:ソーセージなどをセットで売る店、写真右:昼食(酢漬けキャベツは今一だった)

写真上左:BMW博物館、中:初期の車、右:博物館に隣接した展示販売場

 往路の東京からミュンヘン経由トルコは、ミュンヘンでのトランジット3時間を含め15時間を要した。帰りは、40時間ということになったが、初めてのミュンヘン、初めてのドイツを1日ではあったが楽しめた。トルコはアンカラに3泊したがホテルと仕事場の往復で観光はなし。ホテル周辺に見るべきものもなかった。再度チャンスがあるならカッパドキアには行きたいが、アンカラから数時間の車の旅になるらしい。