備忘録として

タイトルのまま

地震

2008-06-08 11:39:36 | 話の種
5月12日に発生した中国四川省の大地震はマグニチュード7.9で、7万人近くの死者が出ている。上図に示すようにこの地震はプレート境界から離れた内陸型地震で、長さ250~350kmの断層が動いた。内陸型の特徴は震源が10~20kmと浅いことで地表での破壊力は大きく、逆断層の段差は最大7mに達した。地震で一挙に解放されたストレスはインドプレートがユーラシアプレートを押すことで蓄えられたもので、ヒマラヤ山脈を造るほど巨大であり、四川省では1933年にも今回同様の地震が発生し9300人の犠牲者が出たという記録がある。今回建物に耐震性が施されていなかったことが問題になっているが、中国では内陸部の地方にまで行政の目が行き届いていなかったということだろうか。

活断層が長いほど地震動は大きくなるので、日本の原子力発電所の耐震設計では、原発近くに分布する活断層の長さを調査して設計地震動を原発個々に決定している。しかし、昨年の中越地震では動いた活断層が想定外であり、柏崎原発に設置された地震計は設計値以上を記録した。そのため現在、原発耐震基準の見直しが行われている。柏崎では原発直下の活断層を見逃していたことや島根原発では活断層の長さに研究者によって異論があることなど、調査精度や推定には限界があることは明白なので、個人的には日本で過去に発生した最大地震動を採用しておくべきだと思う。原発に関しては過大設計でもいいと思う。世界の設計の流れは、最大外力を想定し、さらにそれに安全率をかけた限界状態設計法である。
四川省の断層に匹敵する長い断層は、日本では九州から関東まで延びる中央構造線がすぐに思い浮かぶが、中央構造線が全線同時に動くと考えている学者は日本にはいないだろう。
日本で最古の地震の記録は、日本書紀にあり、允恭(いんぎょう)5年7月14日(新暦419年8月23日)で震源は遠飛鳥宮付近であった。被害の記載はなし。次が推古天皇7年4月27日(新暦599年5月28日)で、わが国最古の地震被害の記録として、「地動(なゐふ)りて舎屋(やかず)悉(ことごとく)に破(こほ)たれぬ。則ち四方(よも)に令(のりごと)して、地震(なゐ)の神を祭(いの)らしむ」と記され大和で倒潰家屋を生じたことからM7相当と想定されている。
天武天皇7年12月(679)の地震は筑紫で家屋の倒潰多く,幅2丈,長さ3千余丈の地割れを生じ、M6.5~7.5と想定されている。 
天武13年10月14日(新暦684年11月29日)は、白鳳の南海・東海地震と呼ばれ、土佐その他の南海・東海・西海地方において山崩れ,河湧き,家屋社寺の倒潰,人畜の死傷多く,津波来襲して土佐の船多数沈没.土佐で田苑50万余頃(約12km )沈下して海となった.南海トラフ沿いの巨大地震でM8相当と推定されている。

地震が起こるといつも以下のUS Geological Surveyのサイトにお世話になる。
http://earthquake.usgs.gov/
その中にFAQsがあり、一般読者の疑問に答えるコーナーが面白い。
Q:世界の地震は増えているのでしょうか? A:記録的には減少している。1900年以降でみると、M8以上は年1回、M7~7.9は18回、M6~6.9は134回、M5~5.9は1319回、M4~4.9は13000回に対し、1969年から2001年では、M7~7.9は1970年で20回、1971年で19回を記録し、他の年は18回よりかなり少ない。地震が増えているように感じる理由としては、①地震観測所が増えたので多く記録されるようになった。②人口が増えており同じ規模の地震でも犠牲者数が増加している。③地球規模でのコミュニケーションの発達により、昔は知らされていなかった(話題性がない)地震も瞬時に知ることができるようになった。④心理的なもの。
Q:地震の予知はできるか? A:地震予測はできない。地震発生の確率の計算はできる。
Q:動物に地震予知能力はあるのか? A:古代ギリシャ(BC373)でネズミや蛇が地震の数日前に安全な場所へ逃げた話が伝わっており、動物たちの地震前の不思議な行動がいくつも報告されているが、そのメカニズムは分かっていない。これを研究しているのは中国と日本の科学者だけである。
Q:地震が一番多い国は? A:①記録ベースだと、日本(地震計が多い)、②実際に多いのはインドネシア、③単位面積当たりの地震が多いのはトンガ、フィジー、あるいはインドネシア、④壊滅的な地震が多いのは、中国、イラン、トルコ


神々の流竄(るざん)

2008-06-02 00:21:51 | 古代

梅原猛の”神々の流竄”は、20年ほど前に読んだが、あまりに強引な解釈のように感じたので途中で投げ出した。今回は最後まで読んだ。

  1. 出雲神話の舞台は大和であり、アマテラス系の神々に敗れたスサノオや大国主命など元は大和にいた神々が流されて成立した。
  2. 背中に松の木が生えたヤマタノオロチは三輪山である。
  3. 因幡の白ウサギの話は、福岡の沖ノ島の話である。
  4. 出雲大社は記紀成立のころに、大和の西(根の国)に建立された。対して伊勢神宮は東に建てられた。
  5. アマテラスが天孫ニニギノミコトに地上の統治を任せるのは、持統天皇が皇統を孫の文武天皇に伝えることを正当化するためにつくられた。
  6. 古事記を暗誦した稗田阿礼は、藤原不比等である。不比等は中臣鎌足の次男だが、鎌足の死後、田辺史という文筆を生業とする人に養育される。本名は史(ふひと)であり、史書を書く才能を持っていたことは容易に推測できる。不比等の長男の武智麻呂は図書頭として日本書紀の撰集メンバーであるので、不比等が歴史書編纂に関わっていたことは明らかである。
  7. 天武天皇は28歳の稗田阿礼に歴史編修を命じた。天武天皇崩御の年(686年)に命じたとすると、658年(659年説もあり)生まれである不比等はその年まさに28歳である。
  8. 古事記は元明天皇だけに読み聞かせる私家版歴史書である。だから、正史である日本書紀には古事記のことが言及されていない。
  9. 藤原氏(不比等以降)は、中臣と藤原の二姓を名乗り宗教と政治を支配した。
  10. 記紀神話はミソギとハライの思想をもとに中臣氏によって8世紀につくられた。ミソギは神事の前に水で心身を洗い清めること。ハライは精神の穢れの浄化または追放(おはらいばこ)。ウケイは契約。

改めてこの本を読んで、梅原ならではの着想と解釈、推理が多くあり、20年前に読んだときにうさんくさいと感じたものが、今回はこのような解釈や推理があってこそ歴史や学問は発展するものと思った。これは理論物理学が先行して実験物理学が実証していくように、また地表のわずかな証拠から地下深部や地球の歴史を推定構築する地質学と同じように、いずれ考古学や文献学によって実証と修正がなされていくはずである。梅原の言うように、推理や解釈を自ら放棄している歴史家(井上光貞ら)の姿勢は正しいとは到底思えないし、そんな学問は面白くない。