備忘録として

タイトルのまま

風立ちぬ(映画)

2013-07-27 12:09:45 | 映画

封切初日に宮崎駿の「風立ちぬ」を近くのシネコンで観た。ゼロ戦開発をめざす技術者”堀越二郎”の夢と婚約者菜穂子と戦争を背景にした映画で、堀辰雄の「風立ちぬ」の愛読者としては必見だった。菜穂子の病気が深刻になるにつれて涙腺がゆるみ、二郎のもとを去るころには感情をこらえるのが大変だった。映画が終わり、”これまで観たジブリ作品の中では最高傑作だ!”という余韻に浸りながら映画のエンディングクレジットで荒井由美が歌う「ひこうき雲」を聞いていたところで、何人かの観客がさっさと席を立ったのが心外でさえあった。ところが、無理に誘って観にいった同伴者の妻、娘、息子の評価は意外にも低かったのである。話の展開が早すぎて感情移入ができない、二人の関係をきれいに描写しすぎてる、時代背景の描写が弱いなどなど、それに追い打ちをかけるように娘が「じゃあ、どこが良かったの?」という問いに、「-----?」すぐに答えられなかった。少し冷静になって考えると、涙腺が緩んだのは、原作「風立ちぬ」の病気の進行とともに揺れ動く相手を思いやる二人の心情をスクリーンに重ねて見ていたからなのかもしれないのである。この映画がほんとうに良かったのか、小説を思い出して感動していたのかさえわからなくなってしまった。というわけで星ひとつ減らして、★★★★☆

これまで観た宮崎駿作品は、1984年の”風の谷のナウシカ”に始まって、”天空の城ラピュタ”、”トトロ”、”火垂るの墓”、”魔女の宅急便”、”おもひでぼろぼろ”、”紅の豚”、”耳をすませば”、”もののけ姫”と続き、2001年”千と千尋の神隠し”のあとしばらく遠ざかり今回の”風立ちぬ”である。子供たちは1980年代の生まれなので、彼らの成長とともに宮崎作品を観てきたのである。同時期にはドラえもんの劇場版とディズニーアニメも観ている。”千と千尋の神隠し(外国版:Spirited Away)”は国内とほぼ同時に海外配給されシンガポールの映画館で英語と中国語の字幕付きで観た。シンガポールの映画館ではこのように時々日本映画が上映される。ホラー映画の貞子の”リング”、黒沢明の”影武者”、”誰も知らない”などがあった。

”Promised Land”2012、監督:ガス・バン・サント、出演:マット・デイモン、ハル・ホルブルック、シェールガス革命と呼ばれるエネルギー革命が進行中である。これまで採算が取れず採取をあきらめていた頁岩の中にある微量の天然ガスを水圧破砕という方法で安価に取り出すことができるようになったのである。油や天然ガスを保有する頁岩を油母頁岩(Oil Shale)と呼ぶ。埋蔵量は3.1兆バレル(USGS)と言われている。これがどれほどの量なのか見当がつかないがとにかく世界のエネルギー事情が変わるほどなのだからすごいのだろう。機中映画「Promised Land」はさっそくシェールガスを扱う会社を題材にしていた。シェールガスの採掘権を田舎町の地権者から買収する話で賛成派、反対派で町が割れる。マット・デーモンは水圧破砕による採取法が地下水汚染を起こすことを知りながら巨額の買収金額を餌に住民を説得し採掘権を買い進めるが、環境保護団体の男が街に来てから旗色が悪くなる。終盤、あっと驚く事実が明らかになりマット・デイモンは自分の生き方を見直すことになる。相棒に主婦で生活感たっぷりのベテラン社員を配したのがリアルだったがもうすこしスクリーン生えのする女優にして欲しかったし、マットが心を寄せる高校教師ももうひとつだったので、★★★☆☆

”G.I.Joe:Retaliation”2013、監督:ジョン・M・チュー、出演:ドウェイン・ジョンソン、ビュン・ハン・リー、エイドリアン・パリッキ、チャニング・テイタム、ブルース・ウィリス、単純で安直なアクション映画だったが、絶壁で忍者が戦う場面はなかなかアクロバティックで面白かった。忍者しかあんな芸当はできない。忍者の総本山が出てくるが日本人はどこにもいなかった。★★☆☆☆


梁職貢図

2013-07-06 22:05:37 | 中国

 中国の梁(502~557年)に朝貢していた外国使節を描いた職貢図(wiki)というものがある。526~539年に作成されたとされているが原本は存在せず1077年宋代の模写である。

梁に朝貢した各国使節像がカラフルに描かれた巻物で、倭や朝鮮半島の百済、新羅、高句麗、法顕が立ち寄った西域の亀茲国や于闐(ホータン)、さらには波斯(ペルシャ)などの國使がいる。渤海の建国は713年なので使節の中には含まれていない。下は倭國使の部分を抜き出したものである。

倭の國使は、頭に布を巻き、上衣らしきものをはおり、腰には布を巻き、手甲脚絆、裸足のいでたちである。隣りの狼牙脩国(マレーシア半島付近にあったとされる国)の國使も似たようないでたちである。人物像の隣に国の説明が書かれている。相当欠損しているので読み取れる字だけを下に記す。

倭國使

倭國帯方東南大海中依山島居自帯方循海東乍南乍東對

其北岸歴三十餘國可方餘里倭王所xx在会稽東氣暖地温

出真珠青玉無牛馬虎豹羊 (欠落) 面文身以木綿帖x衣

横幅無縫但結 (欠落)

(ここから左は”河涼二州”や”隴西”などの文字があり西域の國の記事と思われる)

 記述は魏志倭人伝の内容とほとんど同じで、魏志倭人伝を参考にしていることは明らかである。魏志倭人伝、正確には魏志東夷伝倭人条は、西晋の陳寿が3世紀末に記した正史で、邪馬台国と卑弥呼で有名である。靴を履いていない國使は倭國使の両隣を含めわずかで、大半の國使は皆靴を履き色鮮やかな正装をしている。そのため、倭の國使を実際に見て描いた図ではなく倭人伝の記述から想像で描いたのだろうという説が一般的である。しかし、百済などの國使の貴人顔に比べ、倭國使は、あごが張り鬚は濃く腰回りもがっしりしていて野性味があり、リアルである。以前、吉備真備の巻で大伴古麻呂が唐での朝賀の際、日本の席次が新羅の次だったことに抗議し、席次を入れ替えさせたことを書いたが、この倭の國使ならそれくらいのことはしそうである。野生的でありながら、合掌してへりくだった様子も出していて、自分を相手の交渉は一筋縄ではいかないぞという雰囲気を出している。いかにも倭人(日本人)らしく好きである。

 実は、この梁職貢図の存在を全く知らなかった。高句麗の広開土王(好太王)のことを調べている時に、新羅の記事でひっかかり知った。広開土王碑は中国吉林省にあり、広開土王の息子が父王の業績を称えるために414年に建てた碑で、”391年倭が海を渡り攻めてきた”という解釈が、関東軍諜報機関の改竄だとか、読み方が違うとか、主語が違うとか、日韓中の歴史学者の間で論争になっている。改竄説は改竄したとされる年よりも以前の拓本が出てきたことで根拠がないことが判明した。漢文は主語が不明瞭、動詞と名詞の区別が不明瞭、動詞に時制がない上に、碑文に判読不能の文字もあるため、解釈が割れているのである。職貢図の新羅國使の文中に、”或屬韓或屬倭 (新羅は)あるいは韓に属しあるいは倭に属した”とあり、4~7世紀に倭軍が朝鮮半島にいた、または行った、あるいは百済や新羅と密な交渉史があったことだけは明らかなようである。古田武彦の倭=九州王朝説は、倭は対馬海峡を挟む海洋王国だったというものであり、奈良を中心とする大和王朝とは別系統とする。古田の一連の著作で初めて九州王朝説を知ったときは衝撃だったが、最近顧みられなくなっているのが何とも寂しい。古田武彦は早い段階から、広開土王碑文改竄説を批判していた。


富士山 祝世界文化遺産登録

2013-07-02 00:05:05 | 話の種

 富士山が世界文化遺産に登録された。さらに今日7月1日は山開きだったのでテレビは富士山の話題で持ちきりである。高校の修学旅行で徳島から上京する途上、バスの窓から目に飛び込んできた富士山の雄大さに歓声をあげるほど田舎者だったが、富士山はずっと身近な存在だったような気がする。徳島の高校の前には城南富士という山があるし、隣の香川県には讃岐富士がある。このブログにも富士山の巻があり、晴れた日には東京の自宅から富士山が見える。自宅から見える富士山は北斎の”隅田川関屋の里”から見える富士に近いはずだ。

葛飾北斎の富士三十六景”凱風快晴”と”隅田川関屋の里” (Wikiより)

 自分の富士山行は修学旅行の吉田口五合目までだが、二女は学生時代に登頂し御来光を拝んでいる。相当きつかったようで、同行の友だちは高山病にかかって大変だったと言う。弟は35年ほど前の学生時代に、登山客を五合目まで迎えに行き翌朝登頂させる山小屋ガイドのアルバイトをひと夏経験している。その時、人頭大の落石が直撃し負傷して運ばれる登山者がひと夏で何人か出るように富士山は危険な山だという話や、サンダル履きの軽装で遊山気分でやってきた登山客に閉口した話や、外人を案内し結構英語が通じた話などを面白おかしく聞いた。弟自身は、山頂からの下山中に霧にまかれ登山道を見失い、山頂の測候所のドアを倒れ込むように叩いて救助されたことがあった。迷ったまま山を下っていたら確実に遭難していただろうと述懐している。新田次郎が「芙蓉の人」で描いた野中到と千代子夫妻は明治時代に大変な苦難の中その測候所で越冬観測を行った。富士山の美称が芙蓉である。気象庁の職員だった新田次郎が富士山測候所にレーダーを設置する責任者だったことはNHKのプロジェクトXで知った。その測候所は気象衛星に役目を譲り、2004年に無人化された。

このように二女や弟の話を聞き、さらには新田次郎の本を読んで富士山のことは臨場体験しているので、登山をするより富士講や噴火記録などを調べるオタクで勘弁してもらっている隠れ富士山ファンである。その証拠に東京の富士塚に登頂したし、富士山を東西南北から上空で拝んだこともある。今回の世界遺産登録が、当然そうであるべき世界自然遺産でなく、歴史や文化や宗教や民間崇拝など雑多な事象を盛り込んだ世界文化遺産だったところが自分の嗜好と同じで屈折しているように思えて何とも複雑である。

それは置いといて、気象庁のホームページの噴火記録をみてみた。最も古い記録は781年で8月降灰とある。ネットで探すとこれは続日本紀の記録で、781年”火山灰が降り木の葉が萎びた”とある。

天応元年(七八一)七月癸亥【六】》○癸亥。駿河国言。富士山下雨灰。灰之所及。木葉彫萎。

その後は、平安時代の貞観(859~877)と江戸時代の宝永年間(1704~1710)に噴火記録が連続するのが目立つ。貞観11年(869年)に発生したマグニチュード8.3以上と推定されている三陸沖震源の貞観地震は、2011年の東日本大震災3.11と同じ規模の津波を伴っていたことは今や常識になっているが、貞観地震の数年前の貞観6~7年(864~866年)に、富士山は2年間にわたって大噴火を起こしている。

864年6月に噴火、降砂礫多量。噴火場所は北西山腹。
長尾山付近から溶岩流出(青木ケ原溶岩)、北西に流れたものは本栖湖に達し、また「せのうみ」を精進湖(しょうじこ)、西湖(さいこ)に二分、北東に流れたものは吉田付近に達する。この溶岩で人家埋没、湖の魚被害。噴火の最盛期は噴火開始約2ヶ月程度まで。マグマ噴出量は1.2DREkm3。(DREは総噴出量をマグマの容積に換算したという意味)

 貞観地震後の貞観12年と16年にも富士山は噴火している。さて2011年3.11前後はどうだったかというと、4日後に大きな地震が起きた。

3月15日22時31分、静岡県東部(富士山の南部付近)でM6.4。その震源から山頂直下付近にかけて地震が増加。その後地震活動は低下しつつも継続。

富士山周辺で地震は増えているが今のところ噴火の気配はない。1923年を最後に噴気さえ出ていない。噴火の危険性はまだよくわからないが、富士山には噴火の衝撃でなく地震だけでも山体崩壊する危険性がある。富士山を構成する岩石は比較的新しく未固結で不安定であるため地震で大規模崩壊を起こす危険性があるというのだ。直接的人的被害は噴火よりも大きいと推定されている。

いずれにしても、世界遺産登録はめでたい。登録に便乗してかどうか入山料をとる話もあるようだ。集めたお金をゴミ収集費用に充てて、本来の世界自然遺産登録に再挑戦してもらいたい。と、心にも思ってない適当なことを書いておく。