備忘録として

タイトルのまま

散歩

2010-03-21 21:53:58 | 広島
 散歩路にピカドンの碑があるのは世界中で広島か長崎しかない。

 他所で見たことはないのだが、市内の至る所に同じような碑が建っているのだろう。広島の原爆は、原爆ドームや平和記念公園や原爆資料館だけでなく、このような草の根的な活動もあるということに気付かされる。

 こちらは散歩中、太田川沿いの小路で激写した大ネズミ。慌てて携帯を向けて撮影したが、すぐにその先の草むらに消えた。

散歩中に見つけた巨大な鯉の話は以前報告したが、広島には巨大ネズミもいるのだ。体長30cmはあったと妻に話したところ、”ああ、それヌートリアだよ”とあっさり返された。ヌートリアは南米からの外来種でペットにしていたものが捨てられ野生化し、太田川沿いでは多数目撃されているらしい。そういえばもっと大きなネズミのカピバラも南米産だった。

 東京に転勤することになったので、ブログのカテゴリーに広島を加えることにした。今になって行っとけばよかったと思う場所がたくさんあってうろたえている。何よりも中国四国の万葉の旅が終わってないのが心残りだ。犬養孝の「万葉の旅・中巻」が待ってるからいいか。

菜の花

2010-03-16 22:19:34 | 徳島
 通勤路に菜の花が咲いた。もくれんも、梅も、桜も咲いている。

春、菜の花を見ると、小学3年生の時に事故で死んだ同級生のA君を思い出す。A君は徳島の東新町のパチンコ屋の立体駐車場で遊んでいて床とエレベーターに挟まれて死んでしまった。その日の僕は同級生と小学校で野球をしていた。そこに新聞記者を名乗る男が現われA君の写真を持っているかと聞いてきたのだ。記者にA君が死んだと聞いた僕たちは急いでA君の家に向かった。そこには目を真っ赤にしたA君のお母さんがいた。事故の前日は参観日で、理科の授業のために先生から草花を持ち寄るように言われ、ほとんどの同級生が1、2本の草花を持ってきたのに、A君は両手で抱えきれないほどの菜の花を持ってきていた。彼が持ってきた菜の花は花瓶に生けられ、座る人のいなくなった机の上に置かれた。A君が抱えた大束の菜の花と机の上にポツンと置かれた菜の花の鮮やかな黄色を思い出す。

 同級生の死は、中学3年の時、夏休みに川で泳いでいて溺れて死んだAH君、大学4年の時、松の植生の卒業研究に冬山の蔵王に入ったT君の遭難、風の便りで知った中学高校の同級生M女史が40歳そこそこで二人の娘を残して乳癌で亡くなったことまでだが、僕ら世代は老境に足を踏み入れ、これから同級生の死は増えてくるのだろうか。

東京スカイツリー

2010-03-13 08:13:46 | 江戸

 2月末東京へ行った時、東京スカイツリーを息子のアパートから撮った。300mを超えたらしい。3月中には333mの東京タワーを超えるらしい。

 スカイツリーは、法隆寺の五重塔の心柱と同じ耐震構造を採用しているという。構造的に分離した心柱と周辺構造が、地震の時に別々に揺れ、振動が相殺されるという設計である。

 写真は法隆寺五重塔ではなく何度か行った山口市の瑠璃光寺の五重塔である。屋根がヒノキの皮葺きで濃い暗褐色を呈し、塔全体が落ち着いた色調で格調高い。司馬遼太郎の「街道をゆく 長州路」を紐解くと、”正面の塔の古色が尋常でないために自分が幻想の舞台にとびあがってしまったよう-----(長州はいい塔をもっている)と、惚れぼれするおもいであった。”と絶賛している。ここで花見をする知り合いによると桜を背景にした塔も素晴らしいということだが、きっとそうだと思う。

 東京タワーとの関わりは、1971年の高校の修学旅行、数年前に二女と行った、リリー・フランキーの「東京タワー」を読んだ、映画「三丁目の夕日」ぐらいかな。高校の修学旅行のときは、自由行動の日に級友と特別展望台に上り風で揺れることに興奮したことやマダムタッソウの蝋人形館に入って仲間とはぐれてしまったことを思い出す。学生服を着て長髪で徳島弁で大声をあげる高校生たちが、東京人に馬鹿にされてはいけないと精一杯背伸びした旅行だったような気がする。そもそも東京を修学旅行先にすること自体が田舎者(いなかもん)の証拠だということに気がついていなかった。その後、東京は田舎以上に田舎の部分があることに気付くのにそう時間はかからなかったけど。


ウェルかめ

2010-03-08 23:14:42 | 徳島
 朝ドラ「ウェルかめ」の放映が後1カ月を切った。ウミガメは故郷の浜で産卵するので、勝之新と美波町に帰ったカメ子(浜ちゃん)もまもなく産卵すると予想している。
 毎回欠かさず見ているけど、徳島県人でなければドラマ開始早々に見なくなったかもしれない。ほのぼのとしたいいドラマで嫌いじゃないのだけれど、盛り上がりに欠ける。NHK朝ドラ史上最高傑作と密かに評価している「ちりとてちん」までとは言わないけれど、もっと泣いたり笑ったり、ハラハラドキドキさせてくれ。と言いたい。
 写真は日和佐うみがめ博物館のある日和佐湾の方角を薬王寺から撮ったものである。テレビでよく使われる日和佐湾の小島も小さく見える。

 美波町(昔は日和佐)へは何度も行った。小学校の時は、日和佐から船で南の千羽海岸(リアス式海岸)の浜にあがり、海水浴を楽しんだ。透明度の高い海で、ハワイの潜水艦やオーストラリアのグラスボートで見た海でさえ、その時に見た日和佐海岸の海には及ばない。薬王寺のコインを置きながら登るあの急傾斜の階段も登った。ウミガメは、眉山の麓にあった旧徳島博物館に大きな剥製があり、幼いころから馴染みだったことは以前書いた。日和佐のうみがめ博物館には行った記憶がないが、ただ機会がなかっただけかもしれないし、まだ博物館が出来てなかったのかもしれない。ウミガメはメキシコまで回遊しているとテレビで言っていたが、南はマレーシアの東海岸まで行くのだろうか。マレーシアの東海岸で仕事をしていたころ、ウミガメの産卵するトレンガヌの浜へは何度か行った。きれいな砂浜だった。
 
 先日書評を載せた「昭和の名将・愚将」は、帰省した時、徳島駅前の小山助学館で買ったもので、店内には浜チャン(倉科カナ)と店員さんの写真が飾ってあった。浜チャンが“ぞめきときめき出版”に入ってすぐのころ、ホッシンの雑誌を納めにきた本屋が小山助学館だということはテレビを見ていて、すぐにわかった。何しろ中学、高校と小山には入り浸りだったから。当時、小山の並びにはあと2軒本屋があり、休日には本屋のはしごをするのが常だった。その2軒は閉店したのか別の場所に移ったのか今はもうない。

トロイア戦争全史

2010-03-06 22:07:59 | 西洋史
 松田治の「トロイア戦争全史」を読むまでトロイア戦争を通して読んだことがなかった。1955年の映画「トロイのヘレン」や2004年の「トロイ」以外では、木馬の話やアキレスの話を断片的に読んだり観たりしたのがすべてで、上原和の「トロイア幻想」やテレビドラマの「タイムトンネル」もそんな断片情報である。シュリーマンが諳んじるほど読んだというホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」は本屋でパラパラとめくっただけで断念してきた。
 「トロイア戦争全史」を読み始めは、登場人物一人一人の系図や神との関係や出身地などに気を配っていたが、そのうち登場人物が増えるにつれて面倒くさくなり、話の先を早く知りたいという期待が優り、結局訳のわからないまま読み飛ばしてしまった。とにかく神と英雄と美女が入り乱れた壮大な戦争叙事詩なのである。

<物語の始まり> ゼウスは、ヘーレー(ヘラ)、アテネー、アフロディーテの3女神のうち誰が一番美しいかをトロイア王プレアデスの王子パリスに選ばせることになった。彼は絶世の美女ヘレネーを与えることを約束したアフロディーテを選び、他の二人の女神に憎悪された。
<ヘレネー(ヘレン)の掠奪> パリスは約束に従い、ミュケナイ王アガメムノーンの弟メネラーオスの妻だったヘレネーをスパルタから掠奪する。しかし、大勢いたヘレネーの求婚者たちは、誰が夫に選ばれようとヘレネーが奪われるようなことがあれば一致団結して奪い返すことを約束していた。
<カッサンドレー(カサンドラ)の予言> トロイア王の娘カッサンドレーはアポロン神に見初められ予言の力を与えられるが、アポロンの言うことを聞かなかったためカッサンドレーの予言は誰も信じないことにされてしまう。
写真はギリシャ旅行に行った知り合いからもらった壺で、竪琴を弾く若者と鳥を手にした乙女が描かれている。二人は双子のアポロンとアルテミスだと想像するのだが、壺には何も書かれていない。
<20年戦争> アガメムノンを総大将としたアカイヤ軍(ギリシャ)とヘクトールを大将とするトロイア軍は一進一退を繰り返す。半神半人のアキレウス(アキレス)を中心に、アキレウスの友人パトロクロスの戦死、ヘクトールの戦死、アマゾネスとエチオピア王メムノーンのトロイア援軍、アキレウスの死、アキレウスの息子ネオプトレモスの参戦、パリスの死が語られる。
<トロイアの木馬> ギリシャ軍の知恵者オデュッセイア(オデッセイ)は偽りの贈り物である木馬をトロイアに贈ることを考え出す。
<トロイア陥落> 木馬に潜んだギリシャの英雄たちは隠れていた味方をトロイア城中に導きいれると、城はまもなく陥落し、戦争は終結する。トロイア側の男は殺され、女は戦利品としてギリシャ軍に掠奪される。ヘレネーは夫メネラーオスのもとへ帰る。
<帰還> 帰路につくギリシャの船団は嵐に遭遇し、英雄の何人かは遭難死する。ポセイドンの怒りを買ったオデュッセイアは遭難を繰り返し故郷のイタカ島に帰るのは何年も後のことになる。オデュッセイアの漂泊と冒険はこの本では語られない。それは、フランシス・コッポラ監督による1997年の映画「オデッセイ」で観た。

登場人物の名前の呼び方は本に依った。
この本を読んだあとで、「トロイア幻想」を読むと上原和の古代への憧憬に、より共感できるはずである。現地に立った上原和の眼を通して英雄と美女たちの運命に思いを馳せるのである。

<話のタネ1> アキレスと亀
ゼノンのパラドックスと呼ばれ、アキレスは永久に亀に追いつけないというパラドックス
 アキレスと亀が競争をすることになり、ハンディーとして足の遅い亀は前方の地点Aからスタートする。アキレスが地点 A に達した時には亀はアキレスがそこに来る時間分だけ先のB地点まで進んでいる。アキレスが B地点に来たときには亀はまたその先に進んでいる。これを何度も繰り返すと、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。
 繰り返す回数は無限に分割できるが時間と距離は有限で、追いつく時間と場所はあらかじめ提供されているのである。追いつく時間と地点の前を無限に切り取っているだけなのである。

<話のタネ2> アキレス腱
半神半人のアキレスは母親の女神テティスによって火にあぶられ不死身の体を与えられたが、女神が握っていたアキレスの踵は弱点として残ってしまった話は有名。

<話のタネ3> シーシュポス
オデュッセイアは、シーシュポスの息子だという説がある。カミュの「シーシュポスの神話」によると、シーシュポスはゼウスに逆らったため、やっとの思いで山頂に運び上げた岩が頂上まであとすこしのところで谷底に転げ落ち、それをまた運び上げなければならないという永遠の罰を与えられる。
 単調な苦役に救いはない。似たような罰が往生要集にあり、地獄の役人に切られた足がまた生えるので永遠に痛みが続くというものだったと記憶している。シーシュポスは少なくとも岩を運びあげる作業の中に希望を持てる。あるいは一瞬の達成感も味わっているかもしれない。もっとも瞬時に絶望を味わうのだが。ただ、これは往生要集の永遠に続く肉体的な痛みに比べるとまだしも耐えられるような気がする。人間の人生なんてシーシュポスが背負っている業苦とあまり違いはない・・とカミュは言いたいのだろうか。

<話のタネ4>カサンドラ・クロス(The Cassandra Crossing)
ソフィア・ローレンとリチャード・ハリス主演の映画(1976年)で高校時代に観た。列車の衝突地点の橋梁がカサンドラクロスだったので、トロイアの予言者カサンドラから名付けたと思う。他に好きな俳優のバート・ランカスターとエヴァ・ガードナーが出ていた。映画の内容をあまり覚えていないのでB級だったのだと思う。

恐竜絶滅

2010-03-06 03:47:14 | 話の種
 6500万年前の恐竜絶滅は、隕石衝突説で決まりというニュースが流れていた。
隕石が地球に衝突し、空気中に舞いあがった水蒸気や塵による雲が地球を覆うことによる寒冷化や衝突時の大津波によって地球上の主な生物が死滅したという隕石衝突説は1980年頃に提唱された。6500万年前の中生代白亜紀と新生代の間の地層(K-T層)に隕石起源とされるイリジウムが大量に存在することが根拠だったが、その後メキシコのユカタン半島に隕石の落下によってできた大きなクレーター(上の写真Wiki英語版より)の存在が確認され恐竜絶滅の最有力説とされていた。それでも、イリジウムは火山起源であるとし、火山灰による気候変動が恐竜絶滅の原因とする火山噴火説も根強く残っていた。今回のニュースによると世界中の学者が白亜紀の地層やクレーターを詳細に分析し、隕石の落下時期と恐竜の絶滅時期が完全に一致することや、その時期の火山活動が小さかったことを確認し、火山噴火説は否定されることになった。
 読売新聞ニュースによると隕石は直径約10~15キロで秒速20キロで当時浅海だった地表に衝突。エネルギーは広島型原爆の約10億倍に相当すると説明している。朝日新聞によると、衝突による地震のマグニチュードは11で、津波の高さは300mと計算されているらしい。
 先日のチリ地震はマグニチュード8.8で津波の高さはNOAA(National Oceanic and Atomospheric Administration)によるとチリで2.3mで、日本では1.2m(気象庁)だった。また、1960年のチリ地震は観測史上最大のマグニチュード9.5で、津波はチリで20m、ハワイで11m、日本で4m程度だったと言われている。だから、津波の高さ300mというのはとてつもない。ずっと以前見た映画「Deep Impact」でニューヨークの摩天楼を呑み込む津波がそれぐらいを想定していたのに違いない。核爆弾を積んだロケットが特攻隊になって突っ込み彗星が二つに割れ、直径4kmほどの小さいほうが地球に衝突したと記憶している。同じころ同じような映画「アルマゲドン」も観た。こちらの映画は、石油採掘のボーリング屋が彗星に乗り込んで穴をあけて爆弾を仕掛けるのだが、爆破のために一人彗星に残らなければならなくなる。もちろん我らがヒーロー・ブルース・ウィリスが爆破役を買ってでたことは言うまでもない。完全に宮沢賢治の「グスコーブドリの伝説」のブドリをパクってる。

 ところで、隕石が落ちたとされるユカタン半島には、マヤ遺跡が多数存在し、中でも春分と秋分の日にピラミッドの階段脇に蛇の影が現われるチチェン・イッツァが落下地点に近い。10年程前、このチチェン・イッツァの近くでプロジェクトがあり同僚が行って地質調査を行ってきた。このあたりは石灰岩分布地帯で、セノーテと呼ばれるドリーネ(sinkhole)や大きな鍾乳洞が多数存在する。近くの町の名を付けた隕石落下のチクシュルーブ・クレーター(Chicxulub Crater)はNASAの衛星からも観測できるので、sinkholeのセノーテから”Ring of Cenotes”と名づけられている。

 もうひとつところで、メキシコ北部のアカンバロという村で発見された恐竜土偶というものがある。熱ルミネッサンス法で年代測定したところ、紀元前2500年頃に作られたとみなされる恐竜の土偶で、人類と恐竜が共存していた証拠だというOOPARTSなのである。これが本当なら恐竜は紀元前2500年まで生きていたことになる。6500万年前の恐竜絶滅の原因となった隕石が落下した地点のすぐ近くに、恐竜が4500年前まで生きていたという物証(OOPARTS)があるとは面白すぎる。

意識調査

2010-03-02 20:18:36 | 話の種
 一昨日の日曜日、「市民社会におけるガバナンスの教育研究」と題するアンケートに応じた。昨年1月のアンケートの継続調査である。(注:ガバナンス=統治)
昨年は、郵送で調査依頼があり後日調査員が来ると予告があった。オレオレ詐欺かもしれないと思い調査を実施する慶応大学のホームページで確認したところ確かに調査予告が出ていた。ホームページ(http://www.cgcs.keio.ac.jp/index.html)
 その時は自宅に調査員が尋ねてきて100項目近い質問に答えた。内容は、政治、信条、宗教など多岐にわたる。以下が主な質問の内容である(ホームページに書いてある。)
・経済状況や自身の暮らし向き
・政治への関心、権威主義、疎外感、他者への信頼
・支持政党、政策争点上の立場、望ましい政権のかたち、重視する国家目標
・政治的行動への参加経験、参加意欲、選挙制度に対する評価
・政府、地方自治体、家庭、職場への影響力
・機関、組織、団体への信頼の程度、団体加入
・自国への誇り、自国民であることの誇り
・自分が位置すると考える社会階層
・性別、年齢、居住年数、教育程度、職業、年収など
・地方自治体の首長、県議会、市長村議会に対する評価
・県の行政に対する評価、満足度、知事の実績に対する評価
・政治家の能力、議員が優先すべき活動、公務員の不正に対する認識
・住民投票に対する認識

具体的には、
・読んでいる新聞
・宗教団体に対する感情
・他国に対する好感度
・政府や地方自治体に期待する内容
・自衛隊・警察・宗教団体の信頼度
などがあり、何となく思想や信条がわかるようになっていた。
 
 アンケートの目的は次のように説明されている。
“本調査の目的は、市民と政策エリートの意識に研究の焦点をあて、市民と政策エリート間にある意識差を、主に市民の側から明らかにすることにあった。また、国際比較・比較政治学的アプローチから分析する中で、その乖離を埋める方策を導きだし、現代政治において望ましいガバナンスのありかたを検討することを可能にするため、日本・米国・韓国の3カ国において調査を行うことにもあった。“

 要するに、私たち庶民と政治家や役人の間の意識の差から、どうすればその差を縮めてより良い政治が行えるかを研究するということらしい。

“現代政治における望ましいガバナンスのありかたを検討“という目的と質問の内容から、市民が直接政策決定に参加する直接民主制を示唆しているのかとも思った。学校で習った古代アテネの直接民主制を思い出した。
 
 アンケート対象者は全国で25歳から70歳までの市民を無作為に選んだということだったが、今まで裁判員、テレビの視聴率調査、選挙の出口調査など、一度もこのような調査に選ばれたことがなかったし、ほんとうに無作為だったのか疑っている。45分程アンケートに答え千円の図書券をもらった。調査員は日曜日の夕方に来たが、その日はすべて断られアンケートが取れたのは私一人だということだった。
 今年の質問内容は、民主党政権に代わったことによる質問が追加されていたが、基本的に前年度とほとんど同じ内容だった。回答に1時間かかり、また千円の図書券をもらった。

 上のホームページに昨年のアンケート結果が出ていた。ざっと目を通したが、県議会議員や役人の回答と一般市民の回答内容に大きな差はないように感じた。研究者がどのような結論を導き出すのか分析レポートを見てみたい。

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バンクーバーオリンピックが閉幕した。日本は金を取れなかったけど楽しめた。
上村愛子の”どうして一段一段なんだろう”という涙のモーグルから始まり、スピードスケート500m男子の銀、銅、フィギュア高橋のこけて銅、織田の靴紐が切れるドジ、キムヨナの完璧な演技と浅田真央のトリプルアクセルと銀、長洲未来の成長ぶりにも驚いた。カナダのロシェットの演技には胸が締め付けられた。カーリングのスーパーショット、葛西の一発ジャンプ。スケート女子団体の2/100秒差はほんとに惜しかった。最後のストレッチで穂積が横を向いて同僚を気遣ってなければ金だったのに。最後のアイスホッケーでは残り25秒でアメリカが追いつき、延長サドンデスの末、カナダが劇的な勝利を収めた。閉会式では、開会式で上がらなかった聖火台の一本の修理のユーモラスな演出に感心した。
興奮と感動の日々が終わり、また日常が始まる。次は、5月のワールドカップだ。

津波

2010-03-01 23:16:24 | 話の種
 27日土曜日のチリ地震(マグニチュード8.8)で発生した津波が来襲するということで、日本は避難勧告、JRの運休、イベントの中止などが相次ぎ大騒ぎになった。結局、最大1.2mの津波が来ただけで、気象庁が過大予測だったと謝罪会見をした。上の図は、アメリカ地質調査所USGSから引っ張ってきた28日の地震地図である。南米の赤い四角はチリの余震で、日本の赤い四角は28日午後5時頃に房総沖で発生した地震である。この房総沖の地震はなぜか気象庁の地震情報にはない。津波はチリから日本まで約1万7千キロを約22時間かけて押し寄せてきた。地震が発生するたびにUSGSにはお世話になっている。
Chile Tsunami 
 USGSから引っ張ってきた上をクリックすると津波の伝播状況がよくわかる。

 チリ沖ではナスカプレート(海洋)が南米プレート(大陸)に沈み込んでいる。このナスカプレートのひずみが最大限に達した結果、プレートが跳ね上がって地震が発生した。津波はプレートの跳ね上がりにより海水が隆起することで発生する。ナスカは地上絵で有名なあのナスカである。

 50年前の1960年にチリで起きた地震はマグニチュード9.5という観測史上最大の地震で、この地震により発生した津波が日本に来襲している。このとき波の高さは三陸海岸で5~6mに達し、死者・行方不明者は139人、被害家屋は4万6000戸余、船舶被害は2270余隻という大きな被害をもたらしたという。このときの教訓により同じく被災したハワイに観測所が設置されるなど太平洋全域に観測網が配備された。
 
 2004年のスマトラ沖地震はマグニチュード9.3で、1960年のチリ地震のマグニチュード9.5に次ぐ史上2番目の巨大地震だった。この時に発生した津波はスリランカ、インド、アフリカにまで達している。この時はシンガポールに駐在中で、インドネシアのスマトラ北部の町やタイのプーケット島やマレーシアのペナン島での津波の様子がテレビで繰り返し放映されるのを見ていた。プーケット島はヨーロッパを始め世界各地から多くの観光客が訪れるリゾートで、私も観光と仕事で2度行ったことがある。ペナンにも行ったことがある。地震発生が12月26日のクリスマス休暇真っ最中だったことから、多くの外国人観光客が被害にあった。インド洋には太平洋と異なり津波の観測網がなく、情報が伝わらず被害が拡大した。このとき、プーケットでは象が事前に津波を予知し山に逃げていたとか、スリランカでは津波のあと動物の死骸がなかったとか、不思議な話がまことしやかに語られた。
 スマトラ沖地震の震源はシンガポールから900キロも離れていたため揺れは感じなかった。もっと近くのスマトラ沖で発生した地震がたまに伝播してきて、シンガポールの谷部や海岸沿いに堆積する軟弱層中で増幅され、高層ビルが思いのほか揺れて騒ぎになることが何度かあった。そのたびに政府は、”シンガポールの建物は耐震設計がされていて安全だ”という政府声明を出すのが習わしになっていた。プレート境界から遠く地震履歴のほとんどないシンガポールの建築物には耐震設計がされていないのだが、お構いなしである。シンガポールに来た日本人の多くが高層ビルの柱のあまりの細さに驚くように、シンガポールのビルは振動に対して極めて脆弱な構造になっている。耐震設計でないので、ビルの鉛直荷重を支えれば事足りるため柱の中の鉄筋量も極少である。