備忘録として

タイトルのまま

Copernican Revolution

2014-03-16 22:18:37 | 話の種

 コペ転とまで言われた発見が一転して自分で転んで(自転?)しまった。STAP細胞のことである。1月末の発表時、海外の新聞には、Copernican revolution (コペルニクス的転回=コペ転)、surprising (驚くべき)、break through(突破口を開く)、game changer(試合をひっくり返す)、explosive findings(爆発的な発見)、overnight sensation(一晩で大評判)といった最大級の賛辞が並んだ。シンガポールの新聞”The Strait Times”も、revolutionary way(革命的方法)と書いた。3月14日の理研の中間報告後は一転、plagiarism(盗作、剽窃ひょうせつ), duplicate(コピー), deliberate misconduct(意図的な不正行為), fault(欠陥), irregularity(不正)、serious error(重大な間違い), inappropriate(不適切な), exaggeration(誇張), fraud(欺瞞)、manipulation(ごまかし)、unpleasant ingredients(不適切な合成)などという容赦ない言葉が並んだ。中間報告の記者会見から野依良治理事長のことばを、毎日新聞3月14日(金)付記事から抜出しコピペした。

理研の研究者による研究論文に疑義があったことについて、世間の皆さまをお騒がせし、ご心配をかけたことをおわび申し上げます。論文が科学と社会の信頼性を揺るがしかねない事態を引き起こしたことについて、おわびと同時に私の口から直接説明したい。科学者は実験結果やそこから導き出される結論に全面的に責任を負わなければいけない。とくに根拠となる自らの実験結果については客観的かつ十分慎重に取り扱う必要がある。STAP現象の再現性と信頼性は、理研の研究者が厳密に検証し、同時に第三者による追試で証明されるものであり、外部で十分な検証ができるよう積極的に協力し、情報と必要な材料を提供するよう指示をした。

ネイチャー論文について重大な過誤があったことははなはだ遺憾だ。論文の取り下げも視野に入れ、引き続き調査を続けると同時に不正と認められた場合は厳正に処分を行う。科学者倫理を真摯(しんし)に順守しつつ、社会の期待に応えるべく研究を行うよう全所的に教育と指導を徹底する。科学研究には批判精神が不可欠であり、質疑には真摯に対応したい。(ここまで冒頭のあいさつ)

大変ゆゆしき問題だと思っている。科学の主張をするわけだから、それを納得させる客観的事実が論文に記載されるべきだ。極めてずさんな取り扱いがあった。あってはならない問題だ。

処分とは関係ないが、今回のように未熟な研究者が膨大なデータを集積し、ずさんに無責任に扱ってきたことはあってはならない。徹底的に教育し直さないといけない。こういうことが出たのは氷山の一角かもしれない。川合理事が言うように倫理教育をもう一度徹底してやり直し指導していきたい。

考えていかねばならない。シニアになればなるほど故意であってもなくても、起こした問題への責任は大きい。笹井副センター長は竹市センター長のもとで研究してきたので、竹市センター長がどう考えているかということはあるが、責任は非常に重いと考えている。処分という言い方は不適切ではないかと思う。まず第一に反省をせねばならない。これからどう研究者として活動していくかを表明することが大事だ。

科学的手法の根拠については、客観的慎重に取り扱う必要があると言っている。4チーム14人の協力者がいるということに一つのポイントがあると思っている。伝統的な科学研究の多くは比較的狭い分野別に行われ、単一の研究室で行われていたことが多かった。今はネットワーク型の時代、先端的な研究は分野横断的に行われることになっている。複数の研究室が自分たちの強みを生かしてやらねば、研究成果の最大化は図れないことになっている。信頼と確実な実験結果を齟齬(そご)なく統合して、検証するプロセスがあり、責任者が必要だ。今回は一人の未熟な研究者が膨大なデータをとりまとめた。責任感に乏しく、チーム連携に不備があったと私は思っている。

同日の”Los Angels Times”は、野依理事長の話を以下のように簡略に訳している。

RIKEN President Ryoji Noyori said Friday that he was prepared to punish any researchers who are found to have engaged in deliberate misconduct. "Should the investigative committee conclude that there was research misconduct, we will take strict disciplinary action as stipulated by our own regulations," he said. Noyori also expressed "my deepest regrets that articles published in Nature by RIKEN scientists are bringing into question the credibility of the scientific community." 

直訳:理研理事長の野依良治は金曜日に、故意に不正行為を行ったことが判明した研究者については処分する用意があると述べた。調査委員会が研究に不正行為があると結論すれば、我々自身の規則に従い厳格な懲戒的な行動をとるだろうと述べ、さらに理研の科学者によってNatureに発表された論文が科学界の信頼をそこねることになったことに深い後悔を表明した。

論文は撤回する方向に進んでいるようにみえるが、共著者でハーバード付属病院のヴァカンティ教授はSTAP細胞は存在し論文の根幹は揺るがないとして論文取り下げには賛成していない。STAP細胞が実際に存在するかどうかはまだ未解決のままである。カリフォルニア大学のKnoepfler准教授が以下のブログで追試のデータを集めたがこの1か月余りの間に誰も成功した者はいないという。

http://www.ipscell.com/

STAPはほんとうに”The End"なのだろうか。Knoepflerブログでは論文の不備が徐々に明らかになって以降も読者の3割近くがSTAP細胞の存在に比較的肯定的であるというデータが示されている。

自分も異なる科学分野にいて和英両方で論文を書くが、ネットにさらされた小保方さんの博士論文は少し読めばパクリの部分と本人の書いた稚拙な部分の相違は明白である。論文査読者は不思議には思わなかったのだろうか。共著者は論文の内容確認もしないで、世界中の権威が読むNatureに掲載する重みを感じていなかったのだろうか。息子はもう10年も前にシンガポールのアメリカンスクール(高校)に通ったが、そこではすでに生徒の提出物にパクリ防止用のソフトが使われていた。ねつ造は後をたたない。アカデミックな世界が性善説の世界でないことは明白なのだから早稲田も理研もアメスクを見習うべきだ。いずれにしても、”科学界の信頼を損ねる”論文が出たことは、門外漢の自分でさえ日本人として恥ずかしく情けなく腹立たしいのだから、野依さんの気持ちは察してあまりある。

若い頃、コペルニクス的転回(Copernician revolution)を世間はコペ転と呼んでいた。Paradigm Shift(パラダイムシフト)発想の転換である。あるいは固定観念を捨てることである。この絶望的な状況を抜け出すのはコペ転を完成させるしかない。

コペルニクス的転回に匹敵するウェゲナーの大陸移動説は1912年に提唱されたが、その後ずっと顧みられることはなかった。1960年代には海洋底が拡大していることからプレートテクトニクス理論が確立されたが、それでも1980年ごろの私の大学の地質学科でプレートテクトニクスを信じる先生は少数派だった。それが、拡大中の海洋底の地形が世界中でより明らかになり、実際に人工衛星を使って大陸の移動量を測ることができるようになってプレートテクトニクスを信じない研究者はいなくなった。そこにたどり着くまでウェゲナーの提唱から80年近くの歳月が必要だったのである。

トロイの遺跡を発見したシュリーマンには、ほら吹きという評価があることを以前書いた。シュリーマンの評価には、fraud(欺瞞)、distortion(歪曲)、exaggeration(誇張)という言葉が並んでいた。STAP細胞の論文に対しても、同じ言葉が使われてしまった。それでも、シュリーマンがトロイの遺跡を発見した事実は微動もしないのである。

世界中の生命科学者と生物学者がSTAP細胞の発見に驚き一度は称賛したということは、STAP細胞に理論的な可能性があるということだと思う。STAP細胞が第3者の追試によって再生されさえすれば小保方さんは歴史に名を残せるのだ。 


絶交

2014-03-09 12:36:23 | 話の種

梅原猛と司馬遼太郎が絶交していたことは有名な話で、それを何度もこのブログで紹介したが、本人たちが直接言及したものを見たことがなかったのでその信憑性には若干の疑いがないでもなかった。梅原猛がそのことについて書いた論文を見つけたときには不謹慎ながら宝物を見つけたかのように狂喜してしまった。以下、梅原猛の文章をそのまま引用する。

今の司馬遼太郎を昭和の大文学者であるかのように扱う風潮に強い抵抗を感じる。たしかに司馬遼太郎は偉大な国民作家であり、その影響は吉川栄治以上かもしれない。しかし司馬は心底からの近代主義者であると思う。彼の小説はほとんど戦国時代以降の事件をテーマとしている。特に彼が鮮やかに描くのは、いち早く合理主義的思想をもち、日本の近代化に貢献した坂本龍馬、大村益次郎、秋山兄弟の如き人間なのである。

彼は宗教嫌いであった。いつか私に、宗会議員に出ている坊さんの顔を見ると、犯罪者に見えるとか、創価学会は宗教ではないと言ったことがある。私は、宗会議員が日本の国会議員より特別に犯罪者に見えるとは思わないし、創価学会もその主張はともあれ、日蓮宗の流れを汲む宗教団体であることは確実であり、司馬氏の言を咎めたが、司馬氏の意見を変えさせるにはいたらなかった。

彼に『空海の風景』という唯一宗教家を対象にした小説があるが、私は買わない。彼が空海について小説を書くというのでいろいろ私に聞いたが、私は、その程度の知識で空海を書くのは反対です、もう十年、空海を勉強してくださいと言った。しかし、司馬氏は聞き入れず、まもなく『空海の風景』を出版した。それを見て私はある種の憤りを感じ、正直な批評を書いたが、それが司馬氏を激怒させ、最後まで私と司馬氏は微妙な関係にあった。(中略)こういう宗教や道徳に懐疑的な司馬氏は空海を書くべきではなかったと思う。空海を書かなくても彼は十分すぐれた作家であったはずである。

たしかに司馬氏は昭和という時代を代表する文学者であったかもしれない。その時代の精神はやはり科学技術を信じる近代主義である。近代主義者である司馬氏は精一杯の仕事をして死んでいったが、この近代という時代に対する厳しい批判を彼は投げなかったように思われる。彼は終生歴史の傍観者で、一度も体を張って何かを主張することはなかった。私は、その時代の矛盾を暴露して、新しい時代の思想を予言的に語るのが文学者であると思う。近代という時代を無条件に賛美したかにみえる司馬氏を昭和の日本の代表的文学者として認めてもよいと思うが、彼を未来の世界を予言し警告した作家であるとはとても思えない。

現代芸術論『現代日本文化論11 芸術と創造』 1997年12月 岩波書店から該当部分を抜粋した。XX細胞のXX論文に無断引用があることが問題になっているので引用先を明記した。(注:共著者が論文内容に確信が持てないと発表するなどジョークで済まない雰囲気になってきたのでXXとした。2014年3月10日追記)

司馬遼太郎が『空海の風景』を書いたことに対する梅原の批判は辛辣である。司馬遼太郎は1996年2月12日に没し、論文は翌年1997年12月の発表である。鶴見和子は「南方熊楠」で死者を批評するのはFairじゃないと書いたが、案の定梅原はそんなことにかまっていない。梅原は”私は買わない”と述べているが、『空海の風景』を読んだ上での批判だということは確実である。なぜなら、梅原猛は自著『聖徳太子』で津田左右吉が法華義疏も読まずにそれが聖徳太子自筆でないと結論づけていることを痛烈に批判しているからである。そういう私は『空海の風景』を読んでないので批評する立場にないが、それでも梅原と司馬作品は相当数読んでいるので幾分かの感想を述べることは許されてもいいのではと思うのである。

梅原が言うように司馬が宗教嫌い少なくとも仏教嫌いであったことはたしかだと思う。例えば『街道をゆく』の島原・天草の諸道で、”仏教は万有の本体をもっとも豊かなゼロと見、自らの精神をゼロにすることをもって究極の目的とする。中世の僧侶といえども、真にゼロになりえたものはまれである。”と空の理論を持ち出し仏教を一言で片づけ僧侶でさえ解脱できないと決めつけている。南蛮の道では、浄土真宗はーー”美学的にはどこか寝ころんでよだれを垂らしている感じがしないでもない”と司馬流の婉曲な言い回しだが、念仏を唱える宗徒を愚鈍でおねだりするだけと完全にばかにしている。こんな宗教嫌いが宗教家を主人公とする小説を書こうと思ったことが不思議である。吉川栄治が『親鸞』を書いているので司馬はそれに対抗しようとしたと梅原は想像している。小説家が何を題材にしようがそれは作家の勝手で、知識がないから書くなというのは余計なお世話だと思うのだが、梅原猛にとっては到底許せないことだったようである。司馬作品には多くの間違いや決めつけがあると言われている。学術論文ではないのだから歴史小説に厳密さを求めるほうが間違っている。司馬自身が言っているように歴史小説はしょせん史実を下敷きにしたフィクションなのである。とはいえ司馬は当時、国民的作家と言われるほど人気があり、『街道をゆく』や『この国のかたち』などのエッセイと著名人との対談で頻繁に文明批判や提言をしているので、司馬のことばへの注目度は高く社会的な影響力は大きかった。司馬史観ということばが生まれるほどの影響力があり、読者は司馬の書くフィクションを史実だと錯覚してしまう危険性があった。だから梅原猛はもっと慎重であるべきだと忠告したかったのだと思う。実は、論文で梅原は”絶交”ということばは使っておらず、上に引用したように”司馬氏を激怒させ、最後まで司馬氏と私は微妙な関係にあった。”とある。”微妙な関係にあった”より”絶交していた”とした方がセンセイショナルであり、ブログは厳密である必要がないので”絶交”という表題にした。

『空海の風景』は読む気がしない。司馬が『竜馬がゆく』で描く坂本龍馬や『燃えよ剣』の土方歳三は魅力的で、彼らに対する司馬の思い入れは強く司馬自身彼らが好きでたまらないということが小説からにじみ出ていた。読者である私も作品と主人公に魅了された。宗教嫌いが書いた宗教家の話が面白いとは到底思えないのである。だから、私も買わない。

今、NHK大河「黒田官兵衛」は毎回楽しみにしている。昔読んだ司馬の「播磨灘物語」からの知識を総動員しながらドラマを観ていることは間違いない。今日は毛利の大軍が攻めてくる。官兵衛はどうやってこの危機を逃れられるか? 

NHKドラマの話のついでに、先週の「ごちそうさん」で長男泰介の出征の日の献立は屈原のちまきだった。脚本家の反戦へのメッセージを重く受け止めたい。


Irene Adler & Moriarty

2014-03-02 21:15:44 | 映画

  今年のオスカーはどの作品、俳優、監督に授与されるだろうか。アカデミー賞は明日だ。ブログをUpするのは明日まで待って、アカデミー賞の感想でもつぶやいてみようかとも思ったけど、「Gravity」が作品賞を取ったりすると何か毒づかなくては気が済まなくなりそうなので待たないことにした。

「Sherlock The Reichenbach Fall」2013, イギリスTVの現代版シャーロックの7作目(Season 2 Episod 3)は1月のフライトで観た。プチ・シャーロッキアンとして、このシリーズは見逃せない。本作でシャーロックは最大の敵モリアーティの術策にはまり、世間から世紀の詐欺師とされ追われる身となる。追い詰められたシャーロックはビルの屋上でモリアーティと直接対決する。そこでモリアーティは勝利宣言しシャーロックは自殺する。The Reichenbach Fallの回はシャーロックがビルの屋上から身を投げる場面で終わったため、ホームズがほんとうに死んだのか、どう生還するのかが気になって2月のフライトが待ち遠しかった。そして2月13日早朝5時、機体トラブルで出発が4時間遅れた機内に乗り込むやいなや、シートベルト装着ももどかしくCAの機内放送による中断に毒づきながら「S3 Ep0、Many Happy Returns」8作目にかじりついた。もちろんホームズは生還するが、種明かしはやめておく。8作目は7作目ライヘンバッハの蛇足で、前回の衝撃が強烈だっただけに少し間延びしてしまった。このあと眠気に抗しがたく気が付けば朝食の配膳が始まっていた。昼前には自宅に着くはずが結局夕方になった。2月26日のシンガポールに戻るフライトも1時間遅れシンガポールの自宅に着いたのは夜中の2時だったように最近はフライトの遅れが多い。ボーイング787の所為だろうか。フライトの愚痴は置いといて、Sherlockは、これまでS3 Ep0まで全8作を観ているが平均点は星4つ、ボヘミアの醜聞を脚色し妖艶なアイリーン・アドラー(下の写真Lara Pulver)の出る「S2 Ep1 A Scandal in Belgravia」と、このモリアーティ(下の写真Andrew Scott)と最後の対決をする「S2 Ep3 The Reichenbach Fall」は星6つでもよい。★★★★★

 写真はいずれもIMDbより

以下はおまけの映画になってしまった。

 

「Miss Congeniality、邦題:デンジャラス・ビューティー」2000、監督:ドナルド・パトリエ、出演:サンドラ・ブロック、ベンジャミン・ブラット、マイケル・ケイン 人前でゲップはするし汚い言葉を周りに投げ続ける「The Heat」の相棒(こっちはBeautyとは言えない)と似た男勝りキャラのFBI職員サンドラ・ブロックがテロを阻止するために、水着審査もあるビューティーコンテストの出場者になって潜入捜査をする。観てないが続編「Miss Congeniality 2」も出ている。Congenialityとは相性の意。この映画になんとキャンディス・バーゲンが美人コンテスト幹部として出演していた。彼女が主演した騎兵隊のインディアン虐殺を扱った「ソルジャーブルー」やならず者に心惹かれる人妻の「さらば荒野」は高校生には少しハードルが高く、理知的で演技派で気になる女優ではあったが、1970年代当時同級生の間で人気の高かったキャサリン・ロスやオリビア・ハッセーやラクウェル・ウエルチやジャクリーン・ビセットの中には入らなかった。サンドラ・ブロックも自分の中では正統派ハリウッド女優には入らないが演技派に脱皮してから気にはなっている。正統派ハリウッド女優とは、古くはエリザベス・テイラー、グレース・ケリー、イングリッド・バーグマン、オードリー・ヘップバーンらであり、最近ではエイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンス、エマ・ストーンあたりを推したい。単に個人の好みにすぎないのだけど。★★★☆☆

「About Time」2013、監督:リチャード・カーティス、出演:ドムナル・グリーソン、レイチェル・マックアダムス、ビル・ナイ、過去に自在にタイムスリップできるという血をひく若者が、失敗を都合よく手直しするためにタイムスリップを繰り返し、意中の女性と結婚し家庭をもつ。父親も同じ能力があるのだが、自分が末期癌であることを知ったとき、それを治療するためのタイムスリップをせずに運命を受け入れる。人生を都合よく変えたいという願望はあるが、簡単に人生をリセットできるとすると真剣に瞬間瞬間の人生を生きなくなってしまい、結局つまらない人生を送ることになるのだという教訓なんだろう。同じレーチェル・マックアダムスの「The Time Traveller's Wife、邦題:君を見つけた日」の方がよかった。アダム・サンドラーのコメディー映画「Click」からコメディー的な部分を取り除いただけの映画だった。★★☆☆☆

「What Maisie Knew、邦題:メイジーの瞳」2012、監督:スコット・マクゲヒー、デイビッド・シーゲル、出演:オナタ・アプリル(Maisie)、ジュリアン・ムーア(母親)、スティーブ・クーガン(父親)、ジョアンナ・バンダーハム(子守のマーゴット)、離婚することになった両親の自分勝手な都合主義には腹が立った。最初は双方とも親権争いをして娘の取り合いをするのだが、そのうち娘の世話をもてあまし、相手に押し付け、最後は放置する。たまに会って親の振りをして愛してると言う上辺だけの親たちなのである。それでもMaisieにとっては頼るべき身寄りで掛け替えのない親なのである。最後は血のつながらない母親の恋人や子守だった女が親身になってメイジーのことを心配してくれる。★★★☆☆

「Safe House、邦題:デンジャラス・ラン」2012、監督;ダニエル・エスピノーザ、出演:デンゼル・ワシントン、ライアン・レイノルズ、CIA職員になって間のない若いマット(ライアン・レイノルズ)は南アフリカのCIA連絡所(Safe House)で何事もなく一人退屈な毎日を送っていた。ある日、元CIAでCIAの秘密を握る男フロスト(デンゼル・ワシントン)が南アフリカで身柄を拘束され、Safe Houseで尋問が行われることになった。フロスト尋問は大勢のCIA職員に厳重に警備され秘密裡に行われていたが、突然、武装勢力に襲われた。CIA職員がことごとく殺される中、マットはフロストを拘束したまま運よくSafe Houseを出ることができ、CIA幹部の指示で別のSafe Houseを目指した。しかし、そこで二人は別のCIA職員に命を狙われたことで、CIA内部にフロストを抹殺しようとする内通者がいることを知る。誰も信じられなくなったマットは自分自身の判断で独自の行動を始める。超人的な元スパイ、内通者、裏切りなどこの手の映画は数限りないが、若い新人CIAがフロストと行動するうちに一人前のCIA Agentに成長していく姿は魅力的だった。★★★☆☆


年輪年代法

2014-03-01 17:18:50 | 古代

  大橋一章の「法隆寺五重塔心柱伐採年の意義」という2001年10月の論文を読んだ。法隆寺五重塔の心柱の伐採年は594年であると、日本の年輪年代法を確立した光谷拓実が2001年2月20日に発表した。670年に(創建)法隆寺が全焼し、今の法隆寺が再建されたのが7世紀後半から711年までの間であることから、なぜ100年も前に伐採されたヒノキを使ったのかが問題になった。歴史学者や研究者が様々な説を展開しており、大橋はこの論文でそれらを検証したのち自説を披露している。建築年から100年前に伐採された木材が使われた理由として貯木説と転用説がある。貯木説は、建築用に伐採した後、貯木すなわち寝かしていたというもので、転用説は他の寺で使われていた木を転用したとする意見である。以前、この問題が気になって上原和に聞いたことがあるのだが、その時の上原和の意見は意外にも貯木説だった。上原和は法隆寺の再建を680年としているので、86年間貯木していたことになる。大橋一章の論文で引用された上原和の意見は、「転用とか寝かせていたという意見が出るだろうが、私にはどちらも考えにくい。年代が正しいとすれば、なぜそんな柱が使われたのか不思議でしようがない。」というもので、大橋はこの発言から、上原和は年代測定法に疑問を持っていると解釈している。論文の索引をみると上原和の意見は伐採年が発表された日の2001年2月20日に共同通信に語ったもので、私が上原和に質問したのは2010年、共同通信記事から10年近く経っている。当初と同じように転用説はとらず、積極的か消極的かわからないが貯木説だった。年輪年代法に対する疑義は解けたのだろうか。

転用説批判

大橋論文で紹介された転用説の代表は、梅原猛の飛鳥寺の仏塔を転用したという説で、飛鳥寺は596年に完成しているので心柱の年代とぴったり合うとする。他に、直木孝次郎の没落した蘇我氏の氏寺である豊浦寺とする説や、森郁夫の創建法隆寺の燃え残った心柱または法起寺や中宮寺からの転用の可能性もあるという説である。大橋は梅原猛説について、680年当時最高位に認定された官寺である飛鳥寺を解体する理由が見当たらないと反論する。飛鳥寺の仏塔は1196年に雷で焼失したという記録があり、飛鳥寺からの転用なら解体後に再建した記録があるはずだという。また、日本書紀に記録された飛鳥寺は593年に心礎に舎利を安置し、翌年594年正月には心柱が立っているので、594年伐採の木が飛鳥寺で使われた可能性さえないという。大橋は、梅原に「心柱で聖徳太子の霊を鎮魂したに違いありません」といささか情緒的に言われてもすれ違うばかりであるとし、学問的、学術的な見解とは程遠い意見だと言わんばかりである。直木孝次郎の主張する没落した蘇我氏の豊浦寺も、7世紀後半、天武天皇の100日法要を行うほどの寺格を与えられているので解体理由がないという。森郁夫の説に対しては、創建法隆寺の燃え残りと言われても推測に推測を重ねたものゆえ論評のしようがないとし、梅原猛説と同じように学問的根拠がないことを問題とする。森は7世紀後半に法隆寺周辺の斑鳩では再開発が行われ法起寺や中宮寺の仏塔が解体されて法隆寺五重塔に利用された可能性もあるとするが、これに対しても中宮寺は長い年月をかけて7世紀後半に完成しており、中宮寺の三重塔は鎌倉時代まで建っていたという確実な記録があり、やっと完成した建造物を解体し心柱を取り出したのち、さらに再建するなどありえないと大橋は断定する。また、法起寺の三重塔は法隆寺再建当時まだ形さえなかったという。

転用説に対する反論として、1941年の法隆寺五重塔の解体修理で心柱に転用の痕跡がまったくなかったこともあげている。心柱を再利用したならまったく同一規格でないかぎり当初の仏塔の痕跡が残るはずでこのことからも転用説は成立しないという。

貯木説

次に貯木説だが、上原和も疑問視したように、建築材を100年も寝かせることがあるのだろうかという疑問にどう答えるかが論点になる。古代寺院保護の責任者で第一人者で元奈良文化財研究所長の鈴木嘉吉は「伐採年はずいぶん古いが伐採から建立まで木を寝かしていたのだろう」と明快に述べたという。これに対して、大橋も貯蔵はありうる、いやもっと断定してあったとする。594年当時、日本ではやっと寺院建設が始まったばかりでその第一号が飛鳥寺であった。百済から寺院建設のために工人を派遣してもらったように、当時の朝廷には、どこもかしこも寺を建立するような力はなかった。だから、594年当時の日本で巨大寺院建築ができる集団は飛鳥寺建築を請け負った百済工人だけであり、法隆寺五重塔再建に使われた心柱は、飛鳥寺の仏塔の予備材としてその時に百済工人によって切り出された木材だという。光谷がやはり発表した法起寺の三重塔心柱の最外年輪(樹皮が確認されていないので最外とする)は572年であるが、百済工人が来日したのが577年である。法起寺心柱の最外年輪と樹皮まで5年分の年輪が除去されているとすれば、百済工人が来日してから伐採されたと推測することも可能である。法起寺の塔露盤銘に、法起寺の草創は622年の聖徳太子の遺願で岡本宮を寺とすることになり、638年に本尊弥勒菩薩像と金堂を創り、685年に仏塔を建てることになり、706年に完成したということが記録されている。完成までに発願から84年もかかっているのである。それと天武朝の7世紀末の朝廷の経済情勢は極めて厳しく、たまたま残っていた予備材を使ったこともうなずけるという。

大橋論文は、難波宮の柱の年代が酸素同位体法で612年と583年と確定したと言うニュースが数日前にあり、もっと情報を取ろうとネットサーフィンしていたときに見つけたものである。難波宮は、孝徳天皇が大化の改新の645年に遷都した都で、大阪城の近くに位置する。孝徳天皇の甥で皇太子だった中大兄皇子(のちの天智天皇)は皇后や一族を連れて奈良に戻ってしまい、一人難波宮に残った孝徳天皇は失意の中翌年淋しく病没する。孝徳天皇は有間皇子の父親で、親子で天智天皇に殺されたともいえる。そういえば、最近では中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒した645年を、改革に注目した大化の改新という名称よりも蘇我氏を倒した政変である乙巳(いっし)の変と呼ぶことが多いらしい。

酸素同位体法とは、年輪中の同位体酸素3種(O16、O17,O18)の比率が気候を反映することに着目し、各年次の酸素同位体比率をカレンダーにして木材の伐採年を求める方法である。年輪年代法が年輪の幅のパターンでカレンダーとしたアナログ法であるのに対し、酸素同位体比率の数値で年代をデジタル化したようなものと理解している。光谷の年輪カレンダーの酸素同位体による検証はすでに終わっているのかが気になるところである。

*********************************************************

もうあの感動は少しずつ過去のものになってきたが、浅田真央のフリーの演技は涙なくして見られなかった。真央ちゃん感動をありがとう。