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”古寺巡礼”批判

2015-03-22 16:38:16 | 古代

美術史家の田中英道は歴史認識発言で有名なので、彼の専門分野である美術史の本『日本美術全史』の評論も彼の歴史観をもとに語られているのではないかという危惧を抱きながら恐る恐る読んだ。不安は杞憂で、本は純粋に美術的な視点から評論したものだった。例えば、阿修羅像の作者・将軍萬福や百済観音像の作者が大陸からの渡来人であることを否定せず、”渡来系であったが故にこうして日本人像を対象化出来たのかもしれない”や”日本人は多かれ少なかれ皆渡来人である”と述べ、国粋的な主張はなかった。読む前の漠然とした不安は、田中英道の”新しい歴史教科書をつくる会”元会長という肩書や南京大虐殺や従軍慰安婦についてのヘッドライン上の発言によるものであり、彼の主張の詳細を知ってのものではないことを明記しておく。

『日本美術全史』は土偶、仏教彫刻、中世の絵巻、江戸時代の浮世絵、明治以降の画壇まで日本の美術作品を通観し評価するものである。中でも、運慶・快慶とその弟子たちの作品群に対する田中の評論は魅力的で、文庫本の中の白黒写真でさえ迫力があり実物を見たくなる。田中英道は和辻哲郎『古寺巡礼』を批判し、写楽北斎説を提唱している。和辻哲郎の「古寺巡礼」は奈良旅行や仏像がニュースになるときなどにお世話になるし、写楽については何度かこのブログで取り上げているので気になるところである。また、救世観音についても評価しているので以下に並べて示す。

『古寺巡礼』批判

田中英道の批判は、”和辻氏が、この「巡礼」は「美術」に対するものであって宗教的な意味合いのものではない、と述べて、あたかも美術作品の美的価値を中心に廻ったように述べている点が気にかかるのである。”と、まず和辻の仏像鑑賞姿勢に対する疑問で始まる。和辻の鑑賞方法は、対象に対する感情移入が激しすぎて、冷静さに欠けているため、古美術の客観的な評価ができていないとする。さらに和辻の”実をいうと古美術の研究は自分には脇道だと思われる”という認識そのものが『古寺巡礼』の欠点であると断定する。すなわち、芸術鑑賞は和辻の専門領域である哲学(道の探究や人心の救済)に役に立たないとする消極的な態度で作品を見ているが、そもそも宗教美術も純粋美術も、道や人心に深く関わっているはずで、そこから目を背けたときから芸術の退廃が始まったことは和辻も認識していたのではないのかと疑問を投げかける。専門外であることを認識しながら古美術を”したり顔”で、しかも極めて主観的に評論をする素人の和辻に、美術評論を専門とする田中は憤りさえ覚えているように見える。

さらに、”奈良の秀作を見て回ったにしては省かれているものが多すぎる”として、和辻の審美眼にも疑いの目を向けている。実は私も、田中と同じように、新薬師寺の十二神将に強烈な印象を受けたのだが、和辻は新薬師寺を訪れても十二神将にはまったく心を動かされていないのである。和辻の新薬師寺での文章ーー

本堂の中には円い仏壇があって、本尊薬師を中心に十二神将が並んでいる。薬師のきつい顔はーーーー(この後、本尊薬師についての感想が9行にわたって述べられ、”木彫りでこれほど堂々とした作は、ちょっとほかにはないと思う”と絶賛し、十二神将についてはまったく触れない)

2010年に新薬師寺を訪れ、薄暗い講堂に差し込む自然光の中に立つ十二神将の躍動感に圧倒された。本尊の薬師如来の存在がかすむほどの迫力だった。ところが、和辻の『古寺巡礼』がこのような記載だったので、自分の審美眼はまだまだなのかなと思っていた。木彫り仏像でも飛鳥大仏のほうに存在感があると思う。今回、田中英道が十二神将を絶賛し、和辻に疑問を呈するのを読んで、内心ほっとしている。田中が飛鳥時代の第一の傑作として百済観音を上げていることや、三十三間堂の二十八部衆を高く評価しているのもうれしかった。

写楽・北斎説

田中の根拠は以下のとおり。

彼の作風を見ると、決して能役者齋藤十郎兵衛の手すさびのようなものでなく、長く描いていた熟練した手腕を感じさせる。そしてその最終期の武者絵や相撲絵には、勝川春朗すなわち後の北斎の手を思わせるものがある。すでに16年も役者絵を描いていた春朗は、まさにこの時期、空白期となっていることからも、この春朗(=北斎)が写楽である可能性が高い。「しゃらく(写楽)さい、あほくさい(北斎)」という語呂合わせも、北斎らしい洒脱さをうかがわせる。

田中は上記に先立ち写楽の作品群について評論している。写楽の絵は表現主義的で、歌麿のような色気がなく見得をきる人物の性格描写しかない。役者の躍動感、緊張感の見得をきる一瞬を狙ったものや、美人とは言えない女形にリアリズムがあり、これが浮世絵類考で「あらぬさまにかきなせし故、長く世に行われず」とされた理由だろうとする。写楽の制作は146点、2年足らずで終わるが、緊張感のある作品は最初の10か月までで、その後は息切れがはじまり作品が単調になっているという。

梅原猛の豊国説や池田満寿男の中村此蔵説など別人説は多多あるが、浮世絵類考の齋藤十郎兵衛が実在したことが判明したあと自分的には写楽問題は解決し、美術の専門家に別人説を唱える人はいないと思っていた。田中は別に『実証 写楽は北斎である』や『写楽問題は終わっていない』で北斎説を書いているので読んでみたい。

 救世観音

田中の評は、当時の代表的作家である止利仏師の形式性の強い自然さが欠け、顔におおらかさがある反面、高貴さがやや乏しいし、目、鼻、口の彫りの硬さ、首に見える三本の皺も写実性が不足している。百済観音と同じように評価されるには問題がある。これが聖徳太子の等身像であるとか、滅多に見られぬ秘仏であるとか、さまざまに神秘化される要素があるが、美術作品として冷静に見られる必要があるとし、フェノロサや和辻や亀井や梅原らの像から受ける印象による評価を排除している。

『日本美術全史』に円空がないのは残念だった。田中の円空評を聞きたかった。それとも、運慶や快慶には並ぶべくもないということだろうか。田中英道の運慶・快慶とその弟子たちの話はまた別の機会とする。


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