備忘録として

タイトルのまま

南十字星

2008-11-06 21:39:30 | 東南アジア
学生の頃、写真のような星座早見盤を持っていた。折々に夜空を見上げては、星座を覚えた。仙台の星はきれいだった。面白山や秋保のキャンプ場で見上げた夜空は、恐ろしいほどの数の星で埋め尽くされていた。
カノープスは、日本ではシリウス(-1.4等級)に次いで2番目に明るい星(-0.7等級)なのだが、南半球の星なので仙台では見ることができないということを、その頃、大学の友人のSに教わった。星座盤を買ったのもSの影響だったように思う。カノープスは関東以南で南の地平線すれすれに見ることができる。カノープスは、トロイア戦争のときのギリシャ船団の水先案内人の名前だということは最近知った。

有名な南十字星も南半球の星で日本では見えないが、赤道直下のシンガポールでは6月頃によく見えた。にせ十字と呼ばれる本物より明るい星のグループがあり間違えやすいのだが、正しい南十字星の4つの星をクロスさせた交点の少し右下にうっすらと星団が見えるのを目印に判別していた。25年ほど前に行ったオーストラリアのメルボルンのホテルはSouthern Cross Hotelだった。シンガポールの日本人会の出す雑誌名は南十字星だった。日本人会には、もちろん加入していた。というより、シンガポールの日本人学校は日本人会に所属する私立学校のため会員でないと入学の優先権がもらえない仕組みだったので、選択の余地はなかった。日本人学校は私立なのだけれどなぜか先生方は文部科学省派遣だった。こどもたちが通っていた1991年~2000年ころの日本人小学校は世界でも最大の日本人学校で、生徒数は2000人に達し、狭いシンガポールに2校目が建てられた。二女が通った2校目のチャンギ校は、最近汚職で元幹部が逮捕され国際業務を実質廃業した日系の建設コンサルタントが設計したのだが、その設計がひどかった。シンガポールの気象条件をまったく考えていない人工芝の運動場は、日中は炎熱地獄となり、開校当初は熱中症でばたばた生徒が倒れたり、転んだ生徒が人工芝との摩擦でやけどをするなどした。運動会は午前中で終了するか他のスタジアムを借りて実施した。校舎の屋根は金属製(アルミかブリキ製の屋根)だったため、スコール時には雨音がひどく、教室で先生の声が聞こえないほどだった。中庭に面した2階の廊下のフェンスが格子だったため、生徒が格子に足をかけて身を乗り出し危険極まりなかったため、プラスチック板をフェンスに貼り付けた。学校設計を手がける日系ライバル会社の知り合いに意見を聞いたところ、”素人の設計だ”と一言で吐き捨てた。当時、児童の父兄を中心に、設計責任を追及し、人工芝をはがして天然芝に変更することを提案する人は多かったが、日本人会幹部や学校関係者はなぜか行動を起こさなかった。あれから10年以上経つのだが、あの人工芝はまだ剥がされずにいるのだろうか。

シンガポールは街灯が明るく星を見るにはあまりいい環境ではなかったが、日本でも馴染みのオリオン座、カシオペア座、さそり座などは普通に見られた。北極星は地平線ぎりぎりに見えてもよかったのだろうが確認できなかった。生涯に一度しか遭遇しない1986年のハレー彗星のときはシンガポールにいたが、アパートの屋上から肉眼では見ることができなかった。会社のローカルスタッフが双眼鏡にカメラをセットして撮った写真で確認するのが精いっぱいだった。そういえば、あんなに長く住んだのに、シンガポールの夜空にカノープスを確認することをすっかり忘れていた。

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