備忘録として

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神話

2014-07-07 01:34:10 | 古代

シンガポールとUSAテキサス・ヒューストンを往復すると連続だと36時間になるので信じられないくらい機中映画が見られる。さすがにヒューストンからの帰り道は時差ボケ解消のため半分以上眠ていた。その中に最新作「Noah」2014があった。聖書のノアの方舟の話である。古い映画「天地創造」1966で知った方舟と洪水の話が大層面白かったので、期待してこの新作を観たが、脚本がさっぱりだった。LOR(ロード・オブ・ザ・リング)の木の聖(鬚)のようなWatcherという岩の聖が戦ったり、神の意志とは言い難いノアの頑なさに家族が苦しめられたり、方舟に乗り込んだ悪者が動物を食ったり、ひどい映画だった。ノアの息子セムの嫁イラをハリー・ポッターのエマ・ワトソンが演じていたが、物語で重要な出産で苦悩する場面でもシリアスに観ることができず、どうしてもハーマイオニーに被ってしまった。残念ながら星ゼロである。

これまで多くの科学者や冒険家がノアの方舟を史実として探索を行ってきた。方船が流れ着いたというトルコのアララト山で方船の残骸が見つかったという報告は古くから何例もあるという。聖書を完全に信じる創造論者は人間が猿から進化したことを否定し、アダムとイブから始まったと信じているので、当然、ノアの方船や洪水も信じている。だから、聖書から逸脱していると思われるこの映画は創造論者からすればとんでもない話になると思う。

宗教書である旧約聖書の中の史実についてどのような研究があるのか不勉強なためよくわからない。一方で、日本の記紀神話には何がしかの史実が反映されているというのが津田左右吉史観を否定する歴史学者の一般的な見方であると思う。日本の神話を探求する梅原猛は、40年前『神々の流竄(るざん)』で論じた”出雲神話は大和神話を仮託したもの”という説を間違いだったとして平成22年4月刊「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」で撤回した。『神々の流竄』で梅原は出雲には大した考古学的遺跡がないから出雲神話は作り物だとした。初めてこの本を読んだときには、あまりに強引な決めつけに辟易し途中で読書を投げ出した。梅原猛ファンになってから読み返した2度目は、梅原が挙げた稗田阿礼=不比等説などの仮説の中に、根拠がないと言って捨て去るには惜しい魅力的な仮説がいくつもあると思った。

梅原が自分の仮説が間違いだったと認めた理由は、『神々の流竄』発表以降、出雲では荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から数多くの銅鐸、銅矛、銅剣、出雲特有の四隅突出型墳丘墓などの考古学的遺跡が発見され、古代出雲に大和と同様の王朝が存在していたことが明白になってきたからである。出雲神話は大和神話から派生したものではなく、もともと出雲にあった古代国家の歴史を反映したもので、これら考古学資料はそれを裏付けるというのである。

しかし、『葬られた王朝』での梅原猛の歴史解釈の手法は、平成12年1月刊『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』でもそうだったように、現地の古社を巡り、神主・宮司から由来を聞き、祭りや神楽や風習を観察し、自然や地形に触れ、考古学資料をにらみ、記紀神話や風土記の説話のなかから史実を類推するものである。現地の空気や言い伝えを大切にした上での文献解釈は梅原猛の感性に大きく依存する。『葬られた王朝~』では前説が間違いだったと言いながら、出雲神話を歴史的事実だと断定する箇所に梅原の思いがたっぷりと盛り込まれ、『神々の流竄』での断定と大差はないように感じた。

『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』でも『葬られた王朝』でも、梅原の空想が紙面を駆け巡り非科学的な断定が多い。たとえば、天孫降臨の高千穂の比定地として、宮崎県西臼杵郡の高千穂と鹿児島県の霧島山があるが、西臼杵郡の方がふさわしいとする。記紀神話の記述や日向風土記の記述がどちらの地に合致するかを細かく分析するところまではいいのだが、”私は高千穂を旅して、ここは「明日香に似ている」という印象を持った”という感覚的な理由は科学的とは言えない。また、西臼杵郡の高千穂の古社には神話に由来する伝承が多く残っていることも、こちらが天孫降臨の比定地としてふさわしいとするのであるが、神主や古老の話に史実をみるのも科学的だとは言えない。鹿児島の霧島山の逆鉾は比較的新しい時代に誰かが突き刺したのは明らかであるように、西杵臼群の高千穂の誰かが後年、梅原の言葉を借りれば、自分の土地に”神話を仮託した”と考えられないこともないからである。 『葬られた王朝』では、高天原を追放され出雲に来てヤマタノオロチを退治しクシナダヒメをめとったスサノオノミコトと、その子孫である大国主命が大和朝廷への国譲り神話には史実が反映されているとし、ここでも梅原猛は空想の羽根を広げ仮説を立てている。

梅原猛は『聖徳太子』の中で、勝鬘経、維摩経、法華経の一文一文すべてに意味があるとして自分なりに解説を試みようとする聖徳太子の思弁の深さと姿勢を高く評価している。逆に矛盾があれば切り捨ててしまう津田左右吉の方法を否定する。梅原猛自身は上記2著で、記紀や風土記の日向神話と出雲神話の一字一句に意味を求め、そこから史実を抽出しようとする姿勢を貫いている。この姿勢は、『淮南子』の著者が儒学、老荘、法家、墨家など雑多な思想を”巧妙きわまる理由づけを行い”統一したことや、天台宗を起こした中国の天台智(ちぎ)が仏教の発展を釈迦の一生に置き換え統一的に解説した姿勢に通じる。そういう意味で梅原猛の姿勢にぶれはないのである。


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