備忘録として

タイトルのまま

事実は真実の敵なり

2014-04-19 16:40:45 | 映画

「事実は真実の敵なり」という理研の野依理事長の本の題は、ミュージカル「ラマンチャの男」のドン・キホーテのセリフから取ったと日経記事にあった。高校時代に観た映画「ラマンチャの男」は大好きな映画で、最近もYoutubeで何度も「The Impossible Dream、見果てぬ夢」を聞いている。中でも、ソフィア・ローレン(アルドンザ、ダルシネア)が危篤状態のピータ・オトゥール(アロンソ・キジャナ、ドン・キホーテ)を病床に見舞い、涙ながらに話しかける場面、そのあとサンチョと3人でこの歌を歌う場面が好きだ。ところが、映画のどこでこのセリフが使われたのかまったく記憶にない。それ以上に、野依さんがどういう意味でこの言葉を本の題にしたのかがよくわからない。気になったのでネットサーフィンした。

この言葉はドン・キホーテを書いたセルバンテスが言った言葉ではなく、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたDale Wassermanが、劇中のドン・キホーテに言わせたもので、原文は「Facts are the enemy of truth.」だった。

ミュージカルは、セルバンテスが牢獄の中で劇中劇を演じるものである。セルバンテス(ピーター・オトゥール)は自分が騎士ドン・キホーテだと信じているアロンソ・キジャナという老人を演じる。アロンソの姪のフィアンセであるDr. Carrascoは、身内に狂人がいることを嫌いアロンソを正気に戻そうとする。そして、

Dr.Carrasco:”These are facts that there are no giants. No kings under enchantment. No chivalry. No knights. There have been no knights for three hundred years.”

Don Quixote:”Facts are the enemy of truth.”

ドン・キホーテが戦ったという”巨人も魔法の王もいない。騎士道もない。騎士もいない。騎士は300年の間ずっといなかった。それが事実だ。”とDr. Carrascoが諭すのに対し、ドン・キホーテは、”事実は真実の敵だ”と反論するのである。

”事実は真実の敵だ”の意味を類推すると、目の前にある事実(Facts)は、風車があり老人がいるだけで、巨人も騎士もいない。巨人を退治しようとするドン・キホーテの騎士道(Truth、真実)は幻の中あるいはドン・キホーテの心の中にだけあるのであって、目の前の事実(風車)は真実(騎士道精神)を否定する。事実は真実を曇らせる敵だというのである。ドン・キホーテは続けて、

When life itself seems lunatic, who knows where madness lies? Perhaps to be too practical is madness. To surrender dreams - this may be madness. To seek treasure where there is only trash. Too much sanity may be madness — and maddest of all: to see life as it is, and not as it should be

人生が狂気じみて見えるとき、狂気のある場所を誰が知っているというのか。多分、現実的すぎることこそが狂気だ。おそらく夢をあきらめることも狂気だ。がらくたの中から宝物を捜すことは狂気かもしれないが、分別すぎることも狂気だ。最大の狂気は、現実の人生をみるだけで、あるべき人生をみないことだ。人生は”見果てぬ夢を見ること、To dream the impossible dream”であり、Questなのだ。

The Way」の”a difference between the life we live and the life we choose”で言えば、狂気は"the life we live"の方にあって、”the life we choose"の方にこそ真実があるということになる。「Life」なら、今の生活に埋没することは狂気であり、オフィスを飛び出し人生を能動的に生きることで真実が見えてくるということである。

Dale Wassermanは、舞台「カッコーの巣の上で」の脚本家でもある。同名映画は、1983年ごろ出張で泊まったジャカルタのマンダリンホテルの部屋で観た。精神病院に患者として入った主人公(ジャック・ニコルスン)が病院の規則や習慣を変えようと病院と戦うのだが、精神病患者の常識と病院の常識は違うために圧迫されていく。どっちが狂気で、なにが正義かわからなくなってくるところは、「ラマンチャの男」のドン・キホーテと同じである。遥か昔の記憶を頼りに、★★★★☆

野依さんの本を読んでないので野依さんがどういう理由でこの言葉を自分の本の題にしたのかはわからない。野依さんが科学の探求者であることを考えると、例えば実験データが事実で、その背後に真実(理論)が隠されているとすると、事実から真実を探求する心を持ち続けなければ真実は手に入らない。どんなに事実を積み上げても、それを読み解く力、真実を追求する心がなければ結果は得られないという意味になる。真実を追求する姿はあるときは滑稽に見え、世間には受け入れられないかもしれない。周囲は真実(STAP現象)を幻だというけれど、小保方さんは実験データ(事実)の中に200回以上真実を見たと断言している。小保方さんは世間から見ればドン・キホーテそのものかもしれない。事実を曲げてはいけないので、野依さんは小保方さんを未熟な研究者だとしているが、真実を追求する姿勢を否定はしていないような気がする。


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