備忘録として

タイトルのまま

土下座

2013-12-15 20:50:29 | 話の種

 今年もあと2週間を残すのみとなった。年々時針の刻みが早くなる。中島敦の山月記「人生は何事をも為さぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短い」という言葉が身に染みる。だから、何事かを為すのは”今でしょ”ってことである。その流行語大賞だが、本命視されていた4つすべてが選ばれて拍子抜けしてしまった。少し古くなるが、その中の”倍返し”のドラマ「半沢直樹」最終回で、大和田常務が半沢に土下座する場面は圧巻だった。以前、半沢を土下座させたときに自分が負けたら土下座してやると安易に約束したために、土下座せざるを得なくなったのである。

 土下座は謝罪のためだけにあるのではない。和辻哲郎の随筆に「土下座」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/files/49903_41932.html)という小編がある。祖父の葬式のため故郷に戻った孫(たぶん和辻自身)が、式のあと父親に促され会葬者に土下座する。この土下座は感謝の土下座である。大学生の孫はプライドもあり、そもそも気持ちがあれば形式は重要ではないと考えていたので当初土下座することに違和感を持つ。ところが、父親に並んで土下座を続けるうちに自然と謙虚な気持ちになり故郷の人々に対し感謝の念がわいてきたという。形式的な行為を繰り返すうちに自発的に感謝の気持ちが芽生えてくるのである。大和田と和辻の土下座には、謝罪と感謝という目的の違い以上に、強要による行為と自発的(最終的に)な行為の違いがある。土下座によって大和田の心に謝罪の気持ちなど決して芽生えないことは明白である。土下座は逆に大和田常務の心に深い屈辱感とそうさせた半沢に対する激しい憎悪を植え付けたに違いなく、続編があるとすれば大和田常務は半沢に対し倍返しを意図するはずである。これが憎悪の連鎖である。日中国交正常化のとき中国の首相だった周恩来は、戦後30年で反日感情の残る世論を緩和するため、”中国国民も日本国民も軍国主義に苦しめられた”ことでは同じだとして「未来志向」を提唱し日本側もそれに応じた。今そのような大人の発想をする政治家は出てこないのだろうか。

 感謝と謝罪の土下座に加え、もうひとつ敬意の土下座がある。魏志倭人伝に倭人の風俗として「見大人所敬、但搏手以當跪拜」すなわち”目上の者を敬うときは、拍手しひざまずいて拝む(拝跪)”とあり、敬意の土下座があったことがわかる。日本で敬意の土下座は卑弥呼の時代からずっと続いていたようで、終戦の日の玉音放送を国民が泣きながら土下座して拝聴する映像を思い出す。土下座は日本だけの風習ではなく、中国でも昔、皇帝の前で拝跪する土下座があった。中国で儒教が見直されているというNHKのドキュメンタリー番組で、かつて拝金主義者だった女性が過去を懺悔し大勢の聴衆の前で土下座するのである。これは謝罪の土下座で自発的な土下座である。

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21 Dec 2013

今日最終回のNHKドラマ「太陽の罠」を見ていたら、尾美としのりが土下座した。感謝でも謝罪でも敬意でもない。お願いの土下座だった。主人公のしんちゃんと葵の2人の場面で流れる曲”As time goes by”は、イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガードの映画「カサブランカ」で使われた有名な曲だ。詩の内容から、ドラマのテーマは”時が過ぎても愛は不変”だということと、そして寅さん口癖の”お天道さんはお見通しよ”から正直に生きろ。だろうな。


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