伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

短命は続く

2011年11月07日 | エッセー

 もう聞き飽きたことだが、先日のG20にしてもサミットやAPECでも日本代表の顔が毎度ちがう。当たり前だが、たんびに内閣が変わっているからだ。中身が同じなら目先が変わってよさそうなものだが、そうは問屋が卸さない。外からの眼はそれほど甘くない。それはさて措き、どれぐらい短いのか。
  47年新憲法下の初代第1次吉田内閣から現・野田内閣まで、64年間で50の内閣が誕生した(改造内閣は含めず、数次にわたる実質的組閣は含めて計算すると)。平均15カ月、1年と3カ月である。まことに短命だ。
 おもしろいのは、旧帝国憲法下での内閣を同様に計算すると、61年間に46の内閣で、平均16カ月、1年4カ月になることだ。こちらもまことに短い。
 これには明治憲法が抱える宿痾ともいうべき構造上の欠陥があった。「国務大臣単独補弼制」だから、首相といえども他の大臣と同格に過ぎない。罷免権をもつ現行憲法とは雲泥の差だ。かつて、竹下内閣の後継に重鎮の伊藤正義氏(故人)を担ごうとする騒動があった。氏は「表紙だけ変えても中身が変わらんでは駄目だ」と峻拒したが、むしろ旧憲法下でこそふさわしい評だともいえる。後、このフレーズは幾度も繰り返された。戦後政治史上の名言のひとつであろう。
 さらに天皇大権のもとに、実際の差配をする議会、内閣、枢密院、参謀本部・海軍軍令部が並立するかたちをとった点だ。並立ゆえにこれらの国家機関同士の利害が対立した場合、調整、統御するシステムがなかった。対立は力関係に委ねるか、分裂に至るかしかなかった。ために、関東軍は独走した。
 首相の選任についても明治憲法には明文規定がなかった。時として現実の勢力関係を踏まえない元老院の意向が働き、当然のごとく早々に潰え去った。
 戦後、新憲法が布(シ)かれ国のかたちは変わった。旧憲法の悪弊はことごとく除かれたはずだ。さきごろは政権交代も成った。しかし、内閣は短命のままである。いな、ここのところ病膏肓ともいえる。なぜだろう? 
 日本の御家芸である軽薄短小を率先垂範しているのか。あるいは、日本人は飽きっぽいのであろうか。戦前と比するに、システムに責めを負わせるわけにはいかない。となれば、やはり国民的資質に原因があるのか。「表紙だけ変え」るアドホックで、致命的な分裂を避けようとする民族固有の歴史的性癖か。その時々にさまざまな要因が複合しているのであろう。その「さまざま」を一々にピックアップする能は、筆者にはない。あるいは、ひょっとしてこれぐらいがこの国の内閣に頃合いの命数なのであろうか。
 日本人の寿命はダントツで伸びてきたのに、内閣ばかりは短命が続く。メルケル女史のふくよかな御尊顔を拝するたびに、憂いは深い。□