伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

囚人の記 3

2008年03月13日 | エッセー
 4日前に放免された。いや、有り体は追放かも知れない。ともかく娑婆に出た。だから、追記になる。

<刺身>
 病院食の膳立てに諦めがつきかけたころだった。夕飯の蓋を取って驚いた。なんと、刺身だ。山葵も醤油も付いている。
 「オレはついに見放されたか。末期の晩餐にちがいない」と、まわりを見渡すとみな同じだ。この病室全員が同類か。では、ほかはどうだ。廊下に出て、配膳の入れ物を覗いてみる。どれにも同じ器が並んでいる。もしかして病院の経営が傾いたか。「ヤケのヤンパチ、夕餉の刺身」か。
 ……杞憂だった。看護師におそるおそる訊いてみると、月に一度の大盤振る舞いだそうだ。ならば、最初にそう言ってくれればいいものを。疑心暗鬼を生ず。食欲の前に邪念が沸いてくる。しかしひさびさの、それも瞬く間の完食ではあったが。

< 鬼 >
 「這えば立て、立てば歩めの親心」という。しかしあの病院には鬼がいた。白衣の天使ではない。白衣を纏って角を隠した鬼がいた。
 7時間に及ぶ手術の2日後、鬼が言った。「ベッドのここをつかんで、肘をこう突っ張って、体を起こしましょう」と。存外にできた。と、「では、ゆっくりと立ち上がりましょう」ときた。ことばは優しいが、目が笑っていない。一呼吸置いて覚悟を決め、やおら立ち上がる。二足歩行を始めた類人猿もこうだったのだろうか。はるかな進化の過程に感慨を抱く間もなく、怖れとともに予感した鬼のひと言がついに襲ってきた。「では、ゆっくりと歩きましょうか」ゆっくりであろうがなかろうが、こちとらは歩くこと自体が大問題なのだ。
 鬼はじっと見つめている。慈愛の目ではない。獄卒の眼光だ。ええい、ままよ。もうヤケクソである。元気であれば間違いなく、飛びかかって首を絞めてやるところだ。人を病人と見くびっての罵詈雑言か。角を見せろ。お前は鬼だ。お前は鬼だ。 ―― 怨念には不思議な力が宿るらしい。一歩、二歩、ついに十歩も進んだであろうか。「はい、きょうはこれくらいにしておきましょうね。あしたからはこのフロアーを歩くようにしてください」ごくビジネスライクに言い残して、鬼は去った。後ろ姿に角が2本、たしかに見えた。
 
<ドラキュラ>
 早朝5時過ぎ、揺り起こされて採血がある。なぜこんな時間にと考える間もなく、腕に痛撃が走る。消毒綿を押さえながら、六時の起床まで束の間の眠りに入る。
 何度か繰り返されるうち、ついに叫んでしまった。「君たちはドラキュラか!」訊くと、手間不足で起床時の採血が間に合わないらしい。わが国の抱える医療事情が朝駆けの採血に行き着いているようだ。そういう話ならば、協力するにやぶさかではない。
 ではあるが、やたらと続く検査、検査には辟易した。CT、MRI、レントゲン、エコー、内視鏡、カテーテルなどなど。クランケは赤裸にされ、どころか痛くもない腹を探られ、果ては体内深くカメラまで突っ込んで「現場写真」を撮られる。警察の捜査でも、そこまではしない。クランケはさまざまな数値に分解され、データの集積体として遇される。この記の1に綴った通り、「藪」は顔を見ないでPCのディスプレイだけを覗いている。
 どこかおかしい。木を見て森を見ず、ではないか。果てのない細分化、専門化、数値化。それだけが進歩ではあるまい。朝っぱらから血を吸われながら、いつもの問題意識が頭を過(ヨ)ぎった。

<インスパイア>
 命の掛かる手術を控えると、やはり萎える。ナーバスにもなる。そうとなれば本を読むしかあるめい、と結構忙しい囚人の時間帯の中を読書に勤(イソ)しむ。差し入れてもらった本は20冊。すべてを平らげて、晴れて娑婆に戻った。
 かねてより気になっていた題名、浅田次郎著「壬生義士伝」稿を改めて感想を述べるつもりだが、これには力をもらった。文字には人をしてインスパイアする力がある。たしかにある。言霊は実在する。
 選りすぐりを3個所、抄録しておきたい。

◆あの戦場には、もう吉村先生はいなかった。でもあたしは、顔にがつんと一発くらって何間も吹っ飛ばされたとき、耳元ではっきりとあの人の声を聴いたんです。「立て、池田! 死にたいのか。じっとしていたら殺されるぞ。立ち上がって進め、一歩でも前に出て戦え。立て、池田!」
 立ち上がりましたですよ。立ち上がって前に進んで、ちくしょう、ちくしょうって叫びながら、刀を振り回した。何も戦に限らず、人生なんてそんなものかもしれません。倒れていたらとどめを刺されるんです。死にたくなかったら、立ち上がって前に出るしかない。
◆「どのみち死ぬのは、誰しも同じだ。ここでよいと思ったら最後、人間は石に蹴つまずいても死ぬ。戦でなくとも、飢えて死んだり、病で死んだりするものだ。だが生きると決めれば、存外生き延びることができる」このさき生きたところで何ができるのですかと、あたしは捨て鉢に訊ねました。すると先生は、真白な歯を見せてにっこりと笑い、あたしの頭を撫でてくれたんです。
「何ができるというほど、おまえは何もしていないじゃないか。生まれてきたからには、何かしらなすべきことがあるはずだ。何もしていないおまえは、ここで死んではならない」
◆軍隊じゃあたしかに、死に方は教えてくれるがね。生き方ってのを教えちゃくれません。本当はそっちのほうがずっと肝心なんだ。生き方を知らねえ男に、死に方なんざわかるもんかい。世の中が良くなって、生き方を知らねえそういう馬鹿な男が増えたってこってす。私なんざこうして生き恥を晒しておりやすが、今にして思や、大野次郎右衛門様も、吉村貫一郎さんも、生き方を心得た立派な男でござんしたよ。いい生き方をしたから、いい死に方ができた。(略)男なら男らしく生きなせえよ。潔く死んじゃあならね、潔く生きるんだ。潔く生きるてえのは、てめえの分(ブ)をまっとうするってこってす。てめえが今やらにゃならねえこと、てめえがやらにゃ誰もやらねえ、てめえにしかできねえことを、きっちりとやりとげなせえ。そうすりゃ誰だって、立派な男になれる。□



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