伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

2010年1月の出来事から

2010年02月03日 | エッセー

<政 治>
●通常国会が開幕
 政権交代後、初めて(18日)。鳩山由紀夫首相が施政方針演説(29日)
 ⇒ 普通鼻をつまむものだが、あんまり臭くて耳を塞いだ。内閣官房参与などという訳の分からない官職に召された平田オリザの入れ知恵らしい。「命を守りたい」から始まり、鉄人28号に至る1万3000字、52分を費やして語られたのは、はたして政治理念であろうか。ガンジーの遺訓にいう「理念」とは似て非なるものではないか。
 哲学の高みから醸されるものが理念である。生き様に裏打ちされてこその理念である。月に1500万もの『子ども手当』を支給され、しかもそれを知らなかったなどという能天気が万言を弄(ロウ)そうとも、言の葉は朽ち葉となって空しく宙を舞うばかりだ。ましてや「労働なき冨」を挙げるにいたっては悪い冗談、超ブラックユーモア、笑えない漫談とは知りつつも、飲みかけの缶コーヒーを缶ごと吹き飛ばしてしまった。中学生の弁論大会の方が、まちがいなくもっと立派で誠実で正直だ。
 演説後に「理念型で具体性が乏しいという批判が来るのではないかと思いながら、演説をした」と宣(ノタモ)うたそうだ。ご心配なく。『理念型』なんという勘違いは誰もしていない。ただ「具体性が乏しい」どころか、芬々たる臭気という直接的、身体的、生理的具体性は十全に満たしていた。その点の批判は全く当たらない。当日は日本中のラジオとテレビが異臭に塗れていたのだから。かつ異臭は夜半まで続き、明くる日の新聞とともに各戸に配『臭』された。
 方針を語るべき演説で似非理念を垂れねばならぬのは、とどのつまり語るべき方針がないからだ。これ以上の食言を避けるためだ。自語相違を突かれぬためだ。自家撞着を暴かれないためだ。誰にも異論のない大向こう受けを狙うのは、つまり失語であり唖法ではないか。何も語っていないのと同等である。
 『政治プロ』に庇を貸したばっかりに母屋を取られた超お坊ちゃまが、据えられた床の間、上座で与太を放(コ)いている。有り体にいえば、そんなところだ。

●沖縄名護市長選
 米軍普天間飛行場の移設反対派、稲嶺進氏が当選。辺野古への移設が困難に(24日)
 ⇒ 前々回の本ブログ「夜郎自大のおそ松くんたち」に引用した西部 邁(ススム)氏の論によると、「議会制民主主義あるいは代議制は政治にたいする世論の直接的影響を断ち切るための制度である。世論にそのまま添って動くのが直接民抗制なのであって、代議制という形をとる間接民主制は世論から一定の距離をとる、または世論の及ぶ範囲を限定するものである。」という認識の欠落が政治の根腐れを起こしている主因だそうだ。
 ならば、あの貧相な平野官房長官が「選挙結果を斟酌していたら何もできなくなる」と発言したことはあながち的を外してはいない。いな、正直でもある。ただし、政治的練度、センスがまったくない。からきしない。哀しいくらい、ない。内閣の大番頭が顔に似て中身もプアーだとは、国民にとってひとつの不幸ではないか。なお、当選した市長は民主党の公認であった。これもまた、なんとも皮肉だ。

<経 済>
●米オバマ政権が金融規制強化案
 銀行と証券の垣根を高める案に業界猛反発
 ⇒ 29年に起こった大恐慌の反省から、33年に「グラス・スティーガル法」が制定された。銀行と証券会社との兼業を禁ずる法である。貯蓄と投資を截然と別け、金融の信頼と安定を取り戻すためであった。ところが66年後、99年、クリントン政権の末期にこの法が骨抜きにされる。「金融サービス近代化法」が発効し、規制緩和の名ものとに再び兼業が認められた。事実上の撤廃である。ここから金融腐敗が進み、「百年に一度」へと繋がっていく。同法の立役者となったのは当時の財務長官ロバート・ルービンと、FRB議長アラン・グリーンスパンであった。この二人を「百年に一度」の極悪人と呼ぶ識者もいる。
 今回のオバマ政権の取り組みは、歴史に学ぶことを忘れた大国が再び学習機能を働かせたともいえよう。同じ民主党(日本ではなく、アメリカの)が蒔いた種だ。反省のない業界の猛反発は救いようもないが、オバマ大統領が尻拭いするほかあるまい。

<国 際>
●ハイチでマグニチュード7.0の大地震
 首都ポルトープランスが壊滅状態に(12日)
 ⇒ 別に親戚がいるわけでも知人がいるわけでもないが、一報を聞いた時、隣国のドミニカが気になった。「ドミニカの奇蹟」を生んだホアキン・バラゲール元大統領の記憶が強かったためであろうか。首都のサントドミンゴとは200キロそこそこしか離れていない。これといった報道がないところをみると、首都を含め隣国は無傷だったのだろう。
 カリブ海の最貧国である。その国に、世界の最貧国の一つであるコンゴから2億3千万円の支援金が送られた。世界第2位の経済大国・日本はどうか。初動が遅い。コンゴに笑われる。
 阪神・淡路大震災の際も、当時の村山内閣の動きがかなり鈍く批判を浴びた。政権発足約半年後のことだった。現政権もほぼ同じ時期に当たる。政権交代には、なにやら同じような力学が働くのであろうか。「命を守りたい」は、まさか地域限定ではなかろうに。

<社 会>
●昨年の交通事故死者5千人割る
 4千人台となるのは57年ぶり。警察庁まとめ(2日)
 ⇒ 労働災害の経験則にハインリッヒの法則がある。「一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」というものだ。かつてニューヨークではこの法則さながら軽微な犯罪の取り締まりに徹底して取り組んだところ、殺人を含めた重大犯罪が激減したという事績がある。
 昨年の快挙も、「300の異常」への厳格な対処が営々と積み重ねられてきた結果であろう。まことにめでたい。筆者ももちろん『協力』した。幾度となく、 …… 痛恨の泪とともに。読者諸氏にも何度かはおありであろう。ええい、ないとは言わせない。
 「ねずみ捕り」は、「300の異常」への厳格な対処の筆頭である。ああー。

<哀 悼>
J・D・サリンジャーさん(「ライ麦畑でつかまえて」で知られる米国の作家)91歳(27日)
 ⇒ 高校生の時だった。同級生の姉が「卒論にサリンジャーを書いている」と言った。最初にこの作家の名前を聞いたのは、その時だった。綺麗な人だった。早世したと聞く。作家の訃報を聞いて、彼女の颯爽たる容姿が浮かんだ。片やサリンジャー氏は長寿であった。寡作で隠遁。謎めいた作家であった。

※朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事から」のうち、いくつかを取り上げた。すでに触れたもの、興味のないものは除いた。見出しとまとめはそのまま引用。 ⇒ 以下は、欠片筆。 □