伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

川、諸相

2007年06月22日 | エッセー
 大きな川がある。いつも満々たる嵩を誇る。大雨が降っても、濁るのは一両日を隔てる。この辺(ホトリ)で生まれ育った。

 少し遡ると、例に漏れず蛇行をはじめる。このことばは不似合いだ。衣の裾を長く曳きながら天女が昇天する様が、むしろちかい。河口にいて上空からの俯瞰を想像してみる。…… きっと、そうだ。

 この川の風情は梅雨に限る。水際(ミギワ)に迫る山々が小糠雨に烟る。稜線が鈍色(ニビイロ)の空に溶けて、見霽(ハル)かす一望が薄墨に染まる。水墨画の世界だ。モノトーンには濃淡しかないが、心象には極彩色の残像が刻まれる。川面に棹さしつつ渡る舟のひとつでも加えてみれば、日本の原風景の、それも屈指の画になるにちがいない。
 一頻り降って上がれば、鮮やかな緑が甦る。生命の色だ。シースルーの帷が揚がり、乾き切らぬ絵の具が滴るような書割が現れる。この舞台転換もまた妙味である。

 長い橋が掛かっている。ピアづたいに対岸に泳ぎ着くのが少年の勲章だった。小学校に入って最初の夏休み、級友が命を奪われた。橋脚の根元は流れが豹変する。数日後、生まれてはじめての弔辞を読んだ。遠い記憶は、祭壇も周囲もすべてが白一色だ。夏の日盛りがそう刻み込んだのだろう。

 知る限り、かつて三度、この川が猛った。水魔と化して家屋を蹂躙した。爪痕が癒えるまで幾年も要した。その度に、堤防は高くなった。かつて遊び場だった河川敷はコンクリートの要害に姿を変えた。子どもたちの姿は、いまどこにもない。

 むかしは貸ボートがあって、賑わった。乗り降りは相当に揺れる。日常にない平衡の感覚を要する。漕ぎ出ると、ぐるりを水に囲まれ、点になる。川面には匂いがあった。掬うことはあっても、水に包(クル)まれることは普段ない。だから、あれは河川に滲むガイアの体臭だったのか。仄かに淡く青春の風も揺蕩うていたかもしれない。
 いま、貸ボートに替わり水上スクーターが滑走する。爆音とともに、切り裂かれた水面(ミナモ)が悲痛な飛沫(シブキ)をあげる。

 夏は艶(アデ)やかだ。河口近くで花火が打ち上がる。年に一度。数千発が漆黒の夜空に百花繚乱の宴を供する。川面は時ならぬ万華鏡となる。岸辺から歓声があがる。雑踏、屋台、人熱(イキ)れ、甘辛く焦げた匂い。夜を徹した踊りの輪。祭を境に、夏が少しずつ退いていく。

 宇宙からこの惑星を眺望し、人体に擬(ナゾラ)えてみる。峨々たる山脈は骨格に、遥かなる大地は皮肉に、かつ縦横の河川は脈絡に。陸から海へ、また陸へ。壮大なる循環を繋ぐ静脈であり、動脈。なんと絶妙な。この星に住まうわたしたちは、極大のエコロジーに刮目せざるをえない。
 
 忽然(コツネン)と湧き出(イ)でた素水(サミズ)が細流となり、やがて谿流へと育つ。岩と格闘しつつ身を捩り、ひたすらに走る。ある時は滝をなしてアクセントを刻み、血汐を滾らせて荒々しく咆哮する。重畳の山々を縫った不抜の流れは平地(ヒラチ)へと至り、束ねられ嵩を増し、堂々たる体躯となる。大河の誕生だ。あとは千里を自適に亘り、大海へと注ぐ。
 まことに川は人生の似姿だ。いな、そのように生きたいと願う。□


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